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司馬史観

(読書)
しばしかん

歴史小説家の司馬遼太郎の一連の作品に現れている歴史観を表した言葉*1
端的に言えば「合理主義を重んじる」ということが前提としており、それは大戦期に戦車将校として軍の中にある様々な非合理を見たことから来ているとされる。

具体的には「明治と昭和」を対置し、「封建制国家を一夜にして合理的な近代国家に作り替えた明治維新」を高く評価する一方で、昭和期の敗戦までの日本を暗黒時代として否定している*2
そして、合理的で明晰な思考を持った人物たちを主人公とし*3、明治という時代を明るく活力のあった時代として描いた。
かくて、戦前のすべてを悪しきものとして否定する進歩史観が猖獗を極めた戦後日本にあって、司馬作品のみならず司馬史観もがもてはやされたのは容易に理解できるところである*4

敗戦国型ナショナリズム

後世から鳥瞰するのであれば、司馬史観が広く受け入れられたというのは、敗戦国に特有の現象であると言わざるを得ない。
例えば第二次世界大戦の敗戦国となったドイツは「人類史上類例を見ない、悪逆非道のナチス犯罪」というカテゴリーを作り出し、ナチスにすべての責任を押しつけることで敗戦その他の事実がもたらす精神的ショックを処理している。

現実には、ナチスはこれ以上ないぐらい民主的なワイマール憲法に則って政権を掌握することに成功したのである。
ナチスをドイツ人自身が止めることが可能なタイミングも、
「ナチスが共産主義者を弾圧した時、共産主義者でない自分は行動しなかった」から始まるマルティン・ニーメラーの有名な言葉が端的に示すように、存在していた。
むろん思想的な意味でナチスをドイツ国民全員が熱狂的に支持していたわけではないが、「大不況と失業の海からドイツを救い出した」ヒトラーが、当時の人々を(国の内外を問わず)魅惑していたのも紛れもない事実である。そもそも、これ以上ないぐらいきわめてアメリカ的な人間であるヘンリー・フォードやチャールズ・リンドバーグまで幻惑されていたのだ。
話がそれた*5

「進め一億火の玉だ」が敗戦によって「一億総ざんげ」となり、それまでの価値観が一夜にして否定された。日本の場合、ナチスほど好都合な存在はなかったが、それでも「軍国主義者が侵略戦争を起こした。一般国民は強制して戦争に動員された犠牲者だった」との論理が展開された。
新たな価値観が台頭し、伝統ある共産主義を新たな教典としたものもいたし、アメリカからもたらされた民主主義なるものを聖典と崇めるものもいた。

その後、食うや食わずやの時代が終わって礼節を知る頃になった日本人の前に登場したのが司馬史観であり、要するに「明治の頃にいた我々の先輩はこんなに偉かった。だがその後で間違いがあったのだ」という論理が提示されたわけである。
当時の日本で「保守」でない人々の持っていた、いわゆる進歩史観と称される考え方は、明治以降の近代化の歴史を、帝国主義化の歴史、軍国主義の歴史を見なし、戦前の社会を全否定する*6。といっても国家に連続性があるのは事実なので、全否定して済む問題でもない。
敗戦にも動じず万世一系の皇統を崇め続けるほど強靱でもなければ、進歩派の考えに染まるほど無邪気でもない、「普通の日本人」である読み手たちにとって、司馬史観は格好の玩具たり得た。
自国を愛するという意味ではナショナリズムの一種であるとも言えるが、あくまでも「暗黒の昭和」を置いている点ではある種のゆがみを持った物であり、言うなれば「敗戦国的ナショナリズム」とも呼ぶべき物である*7

実際問題として、「暗黒の昭和」という断絶を置くのはあまり適切ではなく、また明治が本当に希望に満ちあふれていた時代だったわけでもない*8
いわゆる自由主義史観が司馬史観と手本としていると称しながらも、より肯定的に日本史を捉える方向に向かっているのは無理からぬところであろう*9

*1:司馬本人は自らを小説家と規定しており、「史観」というのにはどちらかというと否定的なスタンスを取っていたとされる

*2:ただし、人間生きていれば考え方というのは変わっていく物であり、晩年の司馬の懐いていた考えと初期作品とではある程度違ってきている

*3:史実でのその人物が本当にそういう人間だったかというと、それは相当に怪しい場合も多々あるが、なに、小説なんてそんなもんです

*4:司馬作品の構造を解説せねば「国民作家」とまで呼ばれるようになった理由の説明としては不十分だが、この項は「司馬史観」であって「司馬遼太郎」ではないのでこのまま話を進める

*5:上記の文章は割と内容が不正確かもしれませんが、そういうものです。個人的には第三帝国とドイツ連邦共和国との間の国家としての連続性とか論じるのも面白いとは思いますが。

*6:実際問題、共産主義者にとっての暗黒時代だったのは事実ですが

*7:「敗戦国的ナショナリズム」の語および詳しい論考については戦後史と司馬史観 後編を参照されたし

*8:そもそも江戸時代と明治時代の間が本当の意味で断絶しているわけでもない

*9:実際にはそうではない。連続性を承認した上で「石橋湛山の小日本主義という選択を放棄したのが戦前日本の最大の誤りだ」とか「満州の利権をもっとアメリカに配分すればよかったのだ。当時の外交は実に下手だ」とか「朝鮮統治は最悪の選択肢だった。上策は朝鮮と同盟すること。中策は朝鮮を併合して完全に日本本土と同じ扱いとすること。下策は朝鮮を植民地にしてイギリス人のごとく支配すること。日本がやったのは名分と実体が一致しない、朝鮮人を怒らせる最悪の愚作だ(小室直樹)」みたいな、左からでも右からでも空中からでも現実の政策を誤りだったとすることは容易である。「過ちは繰り返さない。次はもっと上手くやる」は歴史を学ぶ基本的な態度の一つである

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