今回は毛色の変わった文書を採り上げる。大坂落城から3年後の元和4年のものである。 定 一、我等之子とらと申者六ツノとしより、銀子拾弐匁ニうり渡し御年貢ニ仕候間、如何様共末代*1御つかひ可被成候、若御代官衆*2御給人衆*3又ハいつ方よりもゆか*4と申かけ候ハヽ、我等申わけ*5可仕候、少もかまひ*6無之様に可仕候、若此子走*7候ハヽ人代*8ヲたて可申候、縦天下一同之御徳政行、又ハ如何やうの儀*9御座候共相違有間敷候、仍状如件、 元和四年霜月廿九日*10 のかみ原野村*11 孫二郎(略印) 雑賀関戸*12 勝介様参 (『和歌山県史 近世史料三』468頁) (書き下し文) 定 一、我等の子とらと申す者…