最後の番に左から須磨の巻が出てきたことによって 中納言の胸は騒ぎ出した。 右もことに最後によい絵巻が用意されていたのであるが、 源氏のような天才が 清澄な心境に達した時に写生した風景画は 何者の追随をも許さない。 判者の親王をはじめとしてだれも皆涙を流して見た。 その時代に同情しながら想像した須磨よりも、 絵によって教えられる浦住まいはもっと悲しいものであった。 作者の感情が豊かに現われていて、 現在をもその時代に引きもどす力があった。 須磨からする海のながめ、寂しい住居《すまい》、 崎々浦々が皆あざやかに描かれてあった。 草書で仮名混じりの文体の日記がその所々には混ぜられてある。 身にしむ歌…