「葬式仏教」について書いてみたいとおもいます。 親鸞会は「今日の浄土真宗は葬式仏教・法事仏教となり衰退の一途をたどっている。この現状を嘆いて立ち上がった」と本願寺を批判してきました。 それは親鸞聖人が「閉眼したら自分の遺骸を鴨川の魚に与えなさい」と言い残されたのを根拠としていました。 この「葬式仏教」を否定するという原理主義的な主張は、存在意義でもあったと思います。 本願寺が、親鸞聖人が言われたことに反して墳墓を管理するためにはじまり、葬儀や法事を執り行い教団を維持してきたのだのは歴史的な事実であります。 親鸞会でも会員が亡くなると葬儀の依頼はありました。 依頼されれば引き受けるというスタンス…