(1961年 - ) 日本のジャーナリスト、毎日新聞記者。福島県いわき市生まれ。北海道大学工学部資源開発工学科卒業後、住友金属鉱山に入社。1989年、毎日新聞社記者に転じる。長野支局を経て1992年より外信部。ヨハネスブルグ特派員、メキシコシティ支局長。メキシコシティ支局長時代の2005年に、『絵はがきにされた少年』(『遠い地平』を改題)で開高健ノンフィクション賞を受賞。2008年3月からローマ支局長。
計15年ほど世界各地に暮らし、現地の人と親しんできました。そうした友人たちを振り返ったとき、その人を語る上で、例えば「コロンビア人」「中国人」といった国籍はさほど大きくないと気づきました。国籍は、その人のいくつかある属性の一つにすぎず、その人を形づくるのは、生来の気質や家庭環境、その人固有の経験や感受性であって、国籍で人を知ろうとしても限界がある。その結果、次第次第に私自身も、国籍は一つのラベルにすぎないという姿勢をとるようになりました。(藤原章生『差別の教室』集英社新書、2023) おはようございます。雨です。晴耕雨読です。藤原章生さんの『差別の教室』を読み返しつつ、以前、藤原さんの講演会に…
2011年11月号掲載 毎日新聞ローマ支局長/藤原章生(当時) 孫俊清さんの言う通り、あの土方焼けのオヤジたちが本当に仙人なら、なぜあのとき私の前に現れたのか。天川村の座敷には私のほかに3人いたのに、どうして、私にだけ見えたのか。何か理由があるはずだ。 孫さんも「仙人は普段は姿を現さないけど、相手を選んで、自分を見せたり見せなかったりする。多分、そのときはあなたに見せたかったんでしょ」と言う。 思いつくのは、「仙人」と呼ばれる山口先生にインタビューしにきた私の前に現れ、「俺たちが本物だ」という彼らの自己主張だ。録音の中で彼らは、山口先生が「神さん」「社長」と言ったり、大きな力について語るときに…
これは目標の喪失にもつながるが、常に最先端を意識していた永田さんはいつの間にか、登る動機が、高校時代に吉川智明さんと登ったときのような、「山の中にいる、ただそれだけの喜び」から、メディアへの評価へと変わっていった面もあったのではないだろうか。評価されない以上、登っても仕方がないと。K7から下山後、記者会見を開いても誰も来てくれなかったことを嘆いたのも、その傍証だ。(藤原章生『酔いどれクライマー 永田東一郎物語』山と渓谷社、2023) こんばんは。教員を長く続けていると、子どもにせよ大人にせよ、この人はおそらく発達障害なのだろうなぁと思うことがしばしばあります。藤原章生さんの新刊に登場する故・永…
60歳前のおじさんはどんなことを考えるのか?なぜ、いきなりヒマラヤへ?ぶらっとヒマラヤへ行けるのは若者じゃなきゃ無理じゃないのか? なんて事を考えながら読みました。山に登る人多いですよね。私も高校は登山部でした。 ぶらっとヒマラヤ 作者:藤原 章生 毎日新聞出版 Amazon 私は現在40歳。60歳まで生きていれば20年後だ。20歳の時に20年後を想像することは全くできなかった。この20年を振り返ると、ついこの前のように思い出せる。 このペースでいけば、人生最後の時には「ああ、あっという間の人生だったな」と思うに違いない。 著者の藤原章生さんは58歳の時に、登山仲間の斎藤明さんに誘われてヒマラ…
変化、つまり加速度を書きたいのだ。一定の速さで時間が過ぎていくのではなく、遅くなろうが速くなろうが、そこにある加速度。つまり、ヒマラヤに行くという特殊な体験、60前という年齢経験が自分自身に何らかの変化、加速あるいは減速をもたらすか、ということに興味がある。それは私への好奇心だけではない。人間の一つの代表である私自身の変化を知ることで、人間を知ることができると思うからだ。(藤原章生『ぶらっとヒマラヤ』毎日新聞出版、2021) こんばんは。今日は土曜授業でした。年度末の繁忙期なのに、雪崩のごとく押し寄せてくる仕事に息も絶え絶えなのに、休みの日にも授業だなんて。通知表も指導要録も何もかも放り投げて…
いま僕が文芸家協会の会員にさせてもらい助かっているのは、健康保険である。文芸美術国民健康保険組合という形の国民健康保険への団体加入で、一般の国民健康保険よりかなり安い。遡れば、菊池のおかげになる。(猪瀬直樹『小論文の書き方』文春新書、2001) こんばんは。ブログ記事、401回目の投稿です。直近の100記事(301~400記事)を振り返ってみると、書くことを継続できたのは、猪瀬直樹さんや中原淳さん、藤原章生さんを始めとする「贈与の差出人」のおかげだなって、これまでと同様に勝手に感謝しています。 www.countryteacher.tokyo 小論文の書き方 (文春新書) 作者:猪瀬 直樹 文…
主人公はこうしてナザレに戻って来る。退屈で凡庸な隣人たちの顔を毎日眺めながら、生きていくしかない。結局、世界のどこにいっても、パレスチナに真面目に関心を持っている人などいない。その癖、誰もがパレスチナ人と同じように、監視され、見えない抑圧のなかで生きている。全世界がパレスチナになってしまったかのようだ。自分はどこでもよそ者だし、人々はお互いによそ者どうしで、理想郷なんてどこにもない。このフィルムのなかで主人公は最後まで科白らしい科白を口にしないが、心のなかでは「やれやれ」と、諦念と落胆の入り混じった気持ちを抱いている。世界のどこに足を向けようが、どこも同じだ。(劇場版パンフレット『天国にちがい…
するとほどなく、朝日新聞にこんな論調の記事が載った。テロの原因は貧困にある。武力による報復ではテロを根絶できない。テロをなくすにはまず貧困をなくさなければならない。 それを見たとき、私の中から自分でも驚くほどの怒りが湧いてきた。 机上の空論だけ繰り返しいい気になっているエリート記者がわかったふうなことをぬかしやがって。貧困がテロの原因だと言うのなら、もしそれが本当なら、なぜアフリカ人は爆破テロを起こさないんだ。なぜなんだ。(藤原章生『新版 絵はがきにされた少年』柏艪舎、2020) こんばんは。今週の火曜日の夜に藤原章生さんと高野秀行さんのトークイベントに参加してきました。場所は青山ブックセンタ…
仮に我々に、お金と暇があったら、どうするでしょうか。あなたの国に行ったり、欧州をくまなく歩いたりするでしょうか。そんなことしないと思いますね。多分、その山の向こうにさえ滅多に行くことはないでしょう。普段と大して変わらない暮らしをしている気がします。あの山の向こうのことを知りたいとも思いますが、それより、家族や友人たちとうまいものを食べ、話をしている方がよほどいい。(藤原章生『絵はがきにされた少年』集英社文庫、2010) こんばんは。土曜授業が立て続けにあって、なかなか疲れがとれません。今日も日曜日なのに仕事をしていました。仮に暇があったら、とりあえずゆっくり休みたいところです。具体的には、絵は…
2020年7月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 私の中のもやもやが少し晴れてきた。最近、アフリカのことをよく考えるからだ。 4月20日、ルワンダ人のモーリスから連絡があった。彼は妻と10代の娘2人と妻の実家があるベルギーの街に暮らしているが、このときはルワンダから電話してきた。 母親に会うため、ひとりで首都キガリに帰ったところ、新型コロナウイルスのせいで国境閉鎖となり、ベルギーに戻れなくなったという。 今はネット回線があれば世界中どこへでも無料で電話ができる。彼は暇だったのか、私に電話してきて、「俺たちはもういい年だよな。このルワンダで貧しい子供に教育を受けさせる活動をし…
2020年6月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 ちょっと不思議なことがあった。 今年の正月、私はかなり具体的な初夢をみた。起きてからしばらく残っていたので、私はそれを、フェイスブックに投稿した。 夢をソーシャルメディアで書くことなどまずないが、誰かがその意味を教えてくれる気がして書いてみたくなった。 <初夢は70代のスーザン・ソンタグと意気投合し、この人のために何かしてあげたいと思っている夢。ずいぶん前に読んだ人だが、なぜ今頃。途中で止めた「火山に恋して」に何かヒントがあるのか。してあげたいというのが、おこがましい感じで嫌だなと思って目が覚める> 友人数人からは「自分も昔…
2020年5月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 ほとんどを家で過ごす巣ごもりを終えたとき、私はどんな日常を望むのか。 まず、私の生活は前とさほど変わっていない。還暦間際の夫婦と大学生の次男の3人で暮らし、ほとんど自炊なので店が開いている限り食事には困らない。普段はごくたまに「キリンシティ」でビールを飲むくらいで、外食はほとんどしない。うまい黒ビールが飲みたいだけの話で、さほど未練はない。 料理は夫婦のどちらかが作ったものを3人で食べ、夜は仕事を終えた10時ごろから白ワインを飲む。銘柄はまいばすけっとで売っているラポサの白で税込で603円。安くて意外に飽きないし、防腐剤が控…
2020年4月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 「セルフ特派員になろうかと」。先日、高校の山岳部の先輩と会ったとき、そんなことを口にした。これは自分の造語だ。それまでこんな言い方はしなかったのに、リタイアしたあとのことを問われたとき、さらっと「セルフ特派員」という言葉が出てきたのだ。 こんな話だ。私は過去31年の記者生活のうち32歳の年のメキシコ留学の1年を含め14年半を海外特派員として過ごしてきた。それ以外では、エンジニアを辞めて27歳で新聞記者になった直後に長野市で2年、そして大町市で1年、さらには震災後の1年を福島県の郡山市に駐在した。知り合いが誰もいない土地に入り…
2020年3月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 「お寺に入ってから、一切の比較対象から下りる、というふうになりました」 先日、長野市で再会した小山さんがぽろっとそんなことを言った。何度か挨拶したことはあるが、じっくり話すのは今回が初めてだった。 いま69歳の小山芳一さんは営業マンを経て40代で独立し、妻と二人で市内で喫茶店を開いていた。料理は妻が、コーヒーは小山さんが担当し店は繁盛していたが、妻も次第に長時間労働がきつくなり、2年前、思い切って店を閉じた。 67歳で引退した小山さんはその5年ほど前から、檀家をしている市内の長谷寺に通い、厠から廊下までをピカピカに磨く無料奉…
2020年2月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 「高校生のときの自分と今の自分、どっちが大人なんだろう」。知り合いの女性の言葉だ。どういう文脈だったのか。その人はそのころ30歳を回ったくらいで、バーのカウンターで自分の家族のことを話しているうちに高校の話になり、何気なく出てきたセリフだった。 その言葉に私は何かを感じたのだろう。フォーク歌手、友部正人の「はじめ僕は一人だった」「六月の雨の夜、チルチルミチルは」といったフレーズのように、一度耳にすると忘れられない言葉となった。 その言葉を思い出したのは、最近、高校時代の知人に誘われ同級会に参加したからだ。といっても5人ほどの…
2020年1月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 12月1日、日和が悪かったわけでもないのだが、私は朝からあまり機嫌が良くなかった。 道すがらこんなことがあった。家族で駅に向かい、廃墟となった都営住宅の脇を通りかかったとき、27歳の娘が「写真を撮りたい」と言い出した。彼女が写真を撮っている間、私たちは誰も住んでいない都営住宅の敷地内で待っていた。すると、私たちのそばを通った初老の男性が「何やってんだ」と少し大きめの声をあげた。連れの女性への問いかけとも、独り言ともとれる口調だった。ただ、語調から、好奇心というより、どこか私たちを咎めているふうに聞こえた。娘が撮影を終えたので…
2019年12月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 入山から25日目、私たちはようやく第3キャンプに入ることができた。標高7,300㍍の急斜面をスコップで切り開き、3人用のテントに5人が膝を抱えてなんとか収まった。ここで3時間休み、いよいよ私たちはヒマラヤのダウラギリ1峰(8,167㍍)を目指す。 キャンプからの標高差は900㍍だが、高所で酸素が地上の3分の1程度しかないため、おそらく早くて12時間、遅ければ15時間はかかる。下山は3時間ほどで済むかもしれないが、その頃は相当疲れているだろうから、滑落死や疲労凍死の不安があった。 テントにいたのは40代と20代のシェルパ2人…
2019年11月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 この秋、2カ月の長期休暇をとり、ネパール・ヒマラヤのダウラギリ1峰(8,167m)に登りに行くことにした。といってもどこまで登れるのか。かなり難しそうだが、目指せるところまで目指そうと思う。 私は23歳の秋にインド・ヒマラヤのスダルシャン・パルバット(6,507m)に登ったことがある。当時、大学山岳部の学生とOBたち8人で2年がかりで準備をし、誰も登ったことのない岩と雪のルートから、3度に分けて全員が登頂できた。 この直後、私の中で急速に登山熱が冷め、再びヒマラヤに戻ることはなかった。熱が冷めたと気づいたのは最近のことで、…
2019年9月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 この夏、長期入院を経験した。といっても6泊7日なのだが、こんなに長いこと病院にいたのは初めてなので、つい「長期」と言いたくなる。副鼻腔炎と鼻中隔湾曲症の手術。要は鼻で呼吸ができるようにするためのものだった。 私は幼いころから鼻の通りが悪く、いつも口で呼吸をしてきた。鼻の詰まりがさほどでもなければ鼻だけで呼吸できないこともないのだが、気を抜くと口だけで息を吸っては吐いている。 子供の頃からいつも呆けたように口をポケーっと半開きにしていた。幼稚園のころまではよだれもひどく、気づくと下唇の下側の縁から雫が垂れるか、それを必死になっ…
2019年8月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 ハンセン病の元患者や家族への差別に対する国の責任を認めた今年6月の熊本地裁判決を、国側が控訴しない方針を7月9日に発表した。患者を隔離し、偏見をなくすための教育を怠った国が責められるのは当然だが、「住民にも責任」という毎日新聞の見出しが目を引いた。 「差別を除去する責任は国だけではなく、『無らい県運動』の実動部隊となった都道府県や住民にもある」という内田博文・九州大学名誉教授のコメントに添えられたタイトルだった。 世界中にはあらゆる差別がある。状況は年々改善されているかに見えるが、トランプ米大統領誕生に象徴されるように、いま…
2019年7月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 最近読んだ本にこんなくだりがあった。 <意識には見たものや聞いた言葉が自分の外側からやってくるということを見極める役割がある>。これはフランスの作家、ピエール・パシェという人が2007年に書いた「母の前で」というエッセーの翻訳である。パシェは1937年に生まれ、2016年に亡くなっている。この作品は認知症で息子のこともよくわからなくなった母親をつぶさに観察し、あれこれと考えを深めたものだが、最初の章「内なるラジオ」の一文に私は引き込まれた。 作家は時々母親に電話を入れる。すると、母親は型通りの挨拶のあと「いま面白いラジオを聞…
2019年5月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 前回、次男の留年について書いたが、結局、新しい道に進む勇気はないようで、再び3年生を続けることになった。 そんな折でも、私は原稿書きを続けている。今やっているのは「残すべき東京の風景」「恋愛とデモクラシー」と、自分の趣味からきている面もあるが、抽象的、観念的なものが多く、切り口でどうにでも内容が変わってしまう話だ。 日々何をしているかというと、まず企画会議でテーマが決まった時点でぼんやりとだがお話を考える。そして次は図書館に行き文献に当たる。例えば「東京の風景」については30冊には目を通し、その中から面白いことを言っている本…
2019年4月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 この前、職場の地下の食堂街で同僚の女性と丼物を食べていると、「あっ、私、もう行かなきゃ。これから面接」と言って彼女は席を立った。「面接?なんの?」と聞くと「あ、インターンの」「インターンも面接すんの?」 つい数年前、インターンの学生が何度か私を訪ねてきたことがあり、何人かと雑談をした。タダ働きさせられて意味がないんじゃないかと思っていたが、時代は進んで、今はインターンから直接採用することもあるようだ。そういえば、最近は電車でリクルートスーツを着ている学生をよく見かける。 そう思っていたら、数日前の新聞に「3月1日解禁」と出て…
2019年3月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 先日、映画を見ていてわっと涙が出てきた。子供のころから映画やドラマ、音楽などでよく泣くほうだが、年を取っても変わらない。むしろ増えた気がする。 何の変哲もない場面だった。「盆唄」というタイトルの日本のドキュメンタリー映画のDVDを自宅で見ていた。主人公は福島県の双葉町の50代後半とみられる男性で、原発事故のせいで祭ができず、消えてしまいそうな盆唄を残すため、ハワイの日系社会に伝える話だ。明治初期の移民開始からこの方、ハワイには日本移民が持ち込んだ盆踊りが残っており、福島の男性は自分たちの踊りを「疎開」させたいと考えたわけだ。…