(1961年 - ) 日本のジャーナリスト、毎日新聞記者。福島県いわき市生まれ。北海道大学工学部資源開発工学科卒業後、住友金属鉱山に入社。1989年、毎日新聞社記者に転じる。長野支局を経て1992年より外信部。ヨハネスブルグ特派員、メキシコシティ支局長。メキシコシティ支局長時代の2005年に、『絵はがきにされた少年』(『遠い地平』を改題)で開高健ノンフィクション賞を受賞。2008年3月からローマ支局長。
今の季節を 晩春と言えばいいのか 初夏と言えばいいのか。 寒さと暑さが交互にやってくる。 こちら 山間部ではやっと野の花や 花壇の花が咲き始めた。 指で手折り 花器に挿し スマホで写真を撮った。 写真写りがいい花達。 「クレーの日記」パウル・クレー著 南原実 訳 半世紀以上前に買った本で 本棚に置いていたら 函は角がボロボロになり 黄色の布の表紙も沁みが見えた。 経年劣化というやつだ。 メルカリに出すと 数時間で売れた。 私の大事な本が 違う場所で読まれ続けていく。 嬉しい事だ。 『「酔いどれクライマー 永田東一郎物語」 80年代 ある東大生の輝き 藤原章生著』 図書館から受け取り読んでいる。…
「ぶらっとヒマラヤ」というタイトルなので ヒマラヤ登山の紀行文かと思えば それだけではなかった。 毎日新聞の25回の連載をまとめた本。 子供の頃から60歳前までの その時々の自分の人生を 自虐的に ある時は肯定的に 振り返り 掘り返して読者に語る。 その中の一節が ヒマラヤのダウラギリ登攀だ。 藤原章生の文は 一本の幹から枝葉を何本も伸ばす様で その文体はとてもおしゃべりで魅力的だ。 毎日新聞の連載「イマジン」を読み興味を持った。 「絵はがきにされた少年」「差別の教室」 「ぶらっとヒマラヤ」へ。 今日 図書館に「酔いどれクライマー永田東一郎物語」 をリクエストした。 今日8日 黄砂で山が曇った…
「差別の教室」は 藤原章生が2018年〜2021年 中央大学法学部で 差別についての人気講義を新書にしたものだ。 『人の心に貼り付く差別の「種」は いつ どこで生まれるのか。 新聞社の特派員としてアフリカ ヨーロッパ 南米を 渡り歩いてきた著者は 差別を乗り越えるために 自身の過去の体験を見つめ 差別とどう関わってきたか 振り返ることの重要性を訴える』(「差別の教室」より) 藤原章生さんは「差別」について 難しい顔をして語らない 論じない。 海外生活の経験 読んだ本 子供時代の思い出 会った人 ニュース・・・から 差別について話を広げていく。 読者である私は 1話 2話と話が進むごとに 私の既…
23日 午前10時 24日 夕方5時くらいに 停電があった。 又 数時間の暗闇が始まるのかと思ったら 10分程で「小屋」の中が明るくなった。 山向こうの久多まで含んだ 広範囲の停電だと 停電サイトに載っていた。 今日も 雪が止んだら除雪に精を出した。 足 腰に気をつけ スコップ スノーダンプを 腕を主に使って操れば 体に負担が少ない事に気づく。 体に気をつけながら スコップで一人が通れるだけの道をつける。 その後の 達成感はいいものだ。 一週間続いた雪も24日の今日で終わり。 藤原章生著「差別の教室」を読み始める。 『人の心に張り付く差別の「種」は、いつどこで生まれるのか。死にかけた人は差別し…
道で摘んで持ち帰った花を 長皿に置き 楽しんだ後 それを麻糸でまとめ 柱に吊るした。 よく乾いた花の茎は しっかりとして 言う事を聞かない。 姿よく整えようと思っても あっちを向いたままだ。 「まあ いいや」と 花瓶に挿した。 先日 図書館から受け取った本「マイケル・K」。 「切手にされた少年」藤原章生の本に書かれていた。 著者 J.M.クッツェーは南アフリカ生まれ イギリスのブッカー賞を2度受賞し 2003年にノーベル賞を受賞した。 毎日新聞を読まなければ藤原章生を知らず 「切手にされた少年」を読まなければ クッツェーを知らず「マイケル・K」に出会わなかった。 新聞の連載から始まり 次々と南…
朝と夜には 一番上にフリースを着る様になった。 蒸し暑くて 苦しいような一週間前が遠い日のようだ。 百日草は 気がつくと枯れている。 私はそれらを何本も引き抜いた。 その後に 綺麗な赤やピンクの鳳仙花が 去年の零れ種から 花を咲かせている。 今日のおやつ。 ブルターニュ人のお土産の 帆立貝のパテを クラッカーに塗った。 割けた貝柱が クリームの中に豊かに入り クラッカーのサクッとした食感も 旨みの内だと感じる。 ワインと共に食べるのが フランス風だとか。 藤原章生の「絵葉書にされた少年」も後少し。 ヨーロッパの宗主国から独立した アフリカ大陸の国々。 その後の 内戦 差別 貧困 暴力 偏見。 …
計15年ほど世界各地に暮らし、現地の人と親しんできました。そうした友人たちを振り返ったとき、その人を語る上で、例えば「コロンビア人」「中国人」といった国籍はさほど大きくないと気づきました。国籍は、その人のいくつかある属性の一つにすぎず、その人を形づくるのは、生来の気質や家庭環境、その人固有の経験や感受性であって、国籍で人を知ろうとしても限界がある。その結果、次第次第に私自身も、国籍は一つのラベルにすぎないという姿勢をとるようになりました。(藤原章生『差別の教室』集英社新書、2023) おはようございます。雨です。晴耕雨読です。藤原章生さんの『差別の教室』を読み返しつつ、以前、藤原さんの講演会に…
2011年11月号掲載 毎日新聞ローマ支局長/藤原章生(当時) 孫俊清さんの言う通り、あの土方焼けのオヤジたちが本当に仙人なら、なぜあのとき私の前に現れたのか。天川村の座敷には私のほかに3人いたのに、どうして、私にだけ見えたのか。何か理由があるはずだ。 孫さんも「仙人は普段は姿を現さないけど、相手を選んで、自分を見せたり見せなかったりする。多分、そのときはあなたに見せたかったんでしょ」と言う。 思いつくのは、「仙人」と呼ばれる山口先生にインタビューしにきた私の前に現れ、「俺たちが本物だ」という彼らの自己主張だ。録音の中で彼らは、山口先生が「神さん」「社長」と言ったり、大きな力について語るときに…
これは目標の喪失にもつながるが、常に最先端を意識していた永田さんはいつの間にか、登る動機が、高校時代に吉川智明さんと登ったときのような、「山の中にいる、ただそれだけの喜び」から、メディアへの評価へと変わっていった面もあったのではないだろうか。評価されない以上、登っても仕方がないと。K7から下山後、記者会見を開いても誰も来てくれなかったことを嘆いたのも、その傍証だ。(藤原章生『酔いどれクライマー 永田東一郎物語』山と渓谷社、2023) こんばんは。教員を長く続けていると、子どもにせよ大人にせよ、この人はおそらく発達障害なのだろうなぁと思うことがしばしばあります。藤原章生さんの新刊に登場する故・永…
60歳前のおじさんはどんなことを考えるのか?なぜ、いきなりヒマラヤへ?ぶらっとヒマラヤへ行けるのは若者じゃなきゃ無理じゃないのか? なんて事を考えながら読みました。山に登る人多いですよね。私も高校は登山部でした。 ぶらっとヒマラヤ 作者:藤原 章生 毎日新聞出版 Amazon 私は現在40歳。60歳まで生きていれば20年後だ。20歳の時に20年後を想像することは全くできなかった。この20年を振り返ると、ついこの前のように思い出せる。 このペースでいけば、人生最後の時には「ああ、あっという間の人生だったな」と思うに違いない。 著者の藤原章生さんは58歳の時に、登山仲間の斎藤明さんに誘われてヒマラ…