「なぜあの時に私は非常に悲しいことだと思ったのでしょう。 私などはあなたに幸福の帰って来た今だっても やはり寂しいのでしたのに」 と恨みともなしに おおように言っているのが可憐《かれん》であった。 例のように源氏は言葉を尽くして女を慰めていた。 平生どうしまってあったこの人の熱情かと思われるようである。 こんな機会がまた作られたならば、 大弐《だいに》の五節《ごせち》に逢いたいと源氏は願っていたが、 五節の訪問も実現がむずかしいと見なければならない。 女は源氏を忘れることができないで、 物思いの多い日を送っていて、 親が心配してかれこれと勧める結婚話には取り合わずに、 人並みの女の幸福などはい…