人はものじゃありません。 使い捨てができるものでもありません。 不特定多数とセックスができるのも、相手も自分自身もものと捉えているからできることです。 そこにはいつでもやり直せるという、間違った憶測があります。 処女と童貞は一度きりしか使えません。 人間は誰でも心の奥深くで、貞操感の大切さを理解しています。 自己理解を深めるほど、それが理解できます。 失ってからでは遅いのです。 不特定多数とセックスばかりしていると、異性を性処理道具にしか見れなくなります。 こころのどこかでは虚しさを感じているのにやめられないのです。 それは快楽の奴隷になっているということでもあります。 セックスに限らず、仕事…