作家、歌人。 明治11〜昭和17年(1878年12月7日〜1942年5月29日) 大阪府堺市にて生まれ育つ。 情熱的な作品が多い歌集『みだれ髪』(1901年)や日露戦争の時に歌った『君死にたまふことなかれ』が有名。 源氏物語について独特の見解を示したことでも有名。(「藤裏葉」までを紫式部の作とし、「若菜 上」以後を和歌が優れているとして大弐三位の作とする) 夫は与謝野鉄幹(与謝野寛)。
ある大学からの帰り道、国文学者のF先生と話しながら駅へ向かっていた。 F「やれやれ・・・やっとあと1回で今年の講義も終了ですねぇ・・・早いなぁ・・・もぉ真っ暗ですよ・・・」 私「そうですね」 F「『冬の空 針もて彫りし 絵のように 星きらめきて 風の声する』・・・ か・・・」 私「え?」 F「与謝野晶子の短歌ですよ。夜空を黒い布地にたとえてるんでしょうね、 そのなかで星がきらめいてるのは天が刺繍をしたかのようにみえて、 冷たいけど心地よい風が吹いてる ってとこでしょうかね・・・ 晶子らしいロマンチックさがあるでしょ?」 私「なるほど・・・」 F「だけど・・・まぁ・・・この時期になると大変ですね…
日露戦争で「君死にたまうことなかれ」と表現したのは与謝野晶子。 明治37(1904)年に開戦された日露戦争は日清戦争とは桁違いの大規模な戦争でした。地上戦だけで110万人近い兵員を動員したのです(日清戦争の約4.5倍) 開戦の前年には「人生は不可解」という遺言を残して藤村操が華厳の滝から投身自殺し、それが社会の若者たちに大きく影響を与えたという不安定な背景がありました。 「失望、苦悩、落胆、厭世の徒」をも生んだ時代でした。 www.betty0918.biz 目次 与謝野晶子 関東大震災 与謝野晶子から徳富蘇峰への手紙 与謝野晶子の年収 源氏物語 与謝野晶子 与謝野晶子は、ご存知明治、大正、昭…
作品読解が表現を探る土台 カリキュラムありの授業なら読解のための時間に余裕が持てます 🔳前回までのおはなし 【年間学習予定に基づいた朗読講座】 さーかす書房朗読講座は 一年のカリキュラムを組み立てて 学習を進めるスタイルでございます カリキュラムは毎年新規更新! 10月頃に次年度の予定表を配布しております 【プログラム内容】 一年に ・短編・中編を3~4作品 ・作家さんの偏りを極力避けながら ・ジャンルも色々にとりまぜた 学習プログラムでございますよ 【カリキュラムのねらい】 受講生さまがご自身の上達を実感できる講座スタイルです あらかじめ学習内容を知ることで叶う効果 ・朗読への意欲が違うので…
評論家としても活動した与謝野晶子 詩人として知られる与謝野晶子であるが、今回はその彼女の評論家として側面に光を当てる。彼女が執筆した評論誌は15冊にも及ぶが、その中で女性問題については大論争になったという。 評論家としても活動した与謝野晶子 与謝野晶子は明治34年に出版した歌集「みだれ髪」で一躍世間の脚光を浴びる。そこで彼女が示した女性像はみずから積極的に動く女性であったという。彼女は歌人の与謝野鉄幹と恋愛関係になり、その関係を描いたのがこの歌集であったという。 しかし日露戦争の際に従軍した弟を気遣った「君死にたもうことなかれ」の歌が戦争を否定していると猛批判を受ける。折しも世の中が言論統制を…
「若さ」の前に
古都鎌倉のシンボルともいえる「鎌倉大仏」。 鎌倉は世界から観光客が来る街ですが、大仏様は別格のような気がします。 私も、とお~い昔、小学校の遠足で大仏様を訪れた記憶があります😄 アメリカ合衆国第44代大統領のバラク・オバマ氏も、6歳のときに鎌倉大仏に来たらしいです。 2011年に、アメリカ大統領として来日したときには大仏様に寄って、抹茶アイスを食べたのが有名ですね🍦 だけど、鎌倉へはしばしば行きますが、意外と大仏様には数えるほどしか行ったことがありません。 写真を趣味にしていた20年ほど前、紅葉を撮りに行ったのが最後のような気がします。 久しぶりに、鎌倉大仏を訪れてみました。 目 次 鎌倉大仏…
京都市右京区の「愛宕念仏寺」を参拝した後、北上してトンネルを超えて進むとこの清滝川に辿り着きました。 清滝川(きよたきがわ)は京都市北区・右京区を流れる淀川水系桂川支流の一級河川であり、与謝野晶子も詠んだとされる川でもあります。 せっかくなので写真撮影しながら散歩してみました。 「ほととぎす 嵯峨へは一里 京へ三里 水の清滝 夜の明けやすき」晶子 清滝川にはゲンジボタルだけでなく、カジカガエルやオオサンショウウオも生息しているようです。 みんなでこの自然を大切にしましょう! 清滝川は「ゲンジボタル」の生息地として日本国の天然記念物に指定されているそうです。 怪しい足跡を発見しました。 清滝川の…
ご訪問いただきありがとうございます。 今回は、女流歌人が詠んだ6月の短歌三選をご紹介いたします。 短歌は俗に言う「三十一文字(みそひともじ)」、五・七・五・七・七の五句体で詠まれる歌体のことを言います。俳句のように季語を入れることはなく、いろいろな心情などを表現することができます。 樋口一葉 五千円札の肖像になっている明治時代の女流作家樋口一葉は、小説のほか、短歌も詠んでいます。 誰もかく あらまほしけれ この花の いはぬに人の なほもめづらん 意味:誰もみんなこんなふうにありたいと思うでしょう。この花が何も言わぬのに、なお美しいと愛されているように。 この花は、「いはぬ」からくちなしの花であ…
石塚純一『金尾文淵堂をめぐる人びと』(新宿書房、平成17年5月)は、金尾文淵堂の歴史を次の4期に分けている。 第1期(明治32~37年) 第2期(明治38~43年ころ) 第3期(明治44~大正12年ころ) 第4期(大正13~昭和22年) そして、第4期について次のように記述している。 (略)昭和一三年に与謝野晶子『新新訳源氏物語』全六巻を刊行、これを機に出版活動がやや回復するが太平洋戦争が始まり、金尾文淵堂は大阪空襲により京都市中京区西ノ京円町に移転、終戦を迎えた。戦後も九点ほどの出版を行ったが、昭和二二年の一月二八日、狭心症のため金尾種次郎は永眠した。 この金尾文淵堂終盤の京都時代に発行され…
♬ 髪のみだれに手をやれば 赤いけだしが風に舞う 憎や恋しや 塩屋の岬 投げて届かぬ 想いの糸が・・・・♪ (『みだれ髪』美空ひばり 作詞:星野哲郎 作曲:船村徹) ある大学の講師控室に、国文学者のF先生が食事をおえて帰って来られた。 F「♪ ふふンンふン ふふふンふン てをぉフフンフンフン~~~・・・」 私「先生。ごきげんですねぇ・・・ひばりですか?」 F「はは・・いえね。ちょっとそこで先輩のフランス文学のM先生と会って、 うどん屋へ行ってきましてね。 与謝野晶子のはなしになって、『みだれ髪』のことになって、 その関係でね、美空ひばりなったわけですよ」 私「ははは・・・与謝野晶子→みだれ髪→…