近松秋江は、「文壇無駄話」と称して、新聞や雑誌に文壇内の消息や裏話を随筆に書き、それが好評も博していた。初めて書いたのは明治41年1月でその連載は明治43年3月まで続いた。そして同様の文壇ばなしは、形を変えてその後も書かれ、昭和に入ってからも秋江による随筆は続いた。 昭和4年2月。中島孤島は、「徳田秋江に與ふ」と題して、秋江が書いた゛文壇無駄話”に応えるような文章を書いている。 " 徳田君 久つ振りで君の無駄話を讀んで、筆舌の愈々健やかなるを喜ぶ。眞に久し振りである。お互にまだ若い若いと思つてゐるうちに、もう二昔も前の思ひ出を語るやうになつたかと思ふと、あの時分よく氣にしてゐられた君の白髪もい…