ここ数日ずっと京極夏彦の『鵼の碑』(講談社、2023)を読んでいるのだが、まだやっと半分ぐらいで、ぜんぜん読み終わらない。 いつものように煉瓦みたいに分厚い本(二段組800頁余)だし、それでなくても私は超遅読なので、もどかしいような、でも嬉しいような、そんな日々である。 以前は遅読をなんとかしたくて、速読の練習みたいなことをしたこともあるけれど、いまはもう仕方がないとなかば諦めている。 風呂に喩えれば、速読の人というのは熱い湯にサッと入ってサッと出るようなイメージだが、遅読の私はぬるいお湯に長い時間浸かっているようなものか。 これはどちらがいいというものではなくて、癖や習慣、あるいは体質みたい…