はじめに 聖徳太子(厩戸皇子)は、日本の歴史において非常に重要な人物として伝えられていますが、その実像と後世の「理想化された聖徳太子像」には大きな乖離があると考えられています。また、皇国史観により、作り上げられた部分も多いと思います。このブログでは文献に裏付けされた学説を提示し、その実像に迫ってみたいと思います。 聖徳太子 - Wikipedia 皇国史観 - Wikipedia 一次的資料 1. 法隆寺釈迦三尊像 光背銘(こうはいめい) 年代:推古天皇34年(626年) 内容:この仏像の後ろの「光背」に刻まれた銘文に、厩戸皇子(聖徳太子)の死に言及があります。 意義:彼が亡くなった年(622…