金ヶ崎の戦い(かねがさきのたたかい)
1570年、織田信長が朝倉義景討伐のため徳川家康、豊臣秀吉らが敦賀に進軍した。天筒城・金ヶ崎城を落とし越前に攻め入ろうとした時、近江・浅井氏が離反し、信長は朝倉氏と浅井氏とに挟まれ窮地に陥り、急遽総退却をする。この時金ヶ崎に残り殿を務めてこの難関を救ったのが秀吉で、その活躍で無事帰京できたと伝えられる。また殿で危機を救ったのは家康で、1586年家康上洛にあたり、秀吉は金ヶ崎での戦いの救援に謝意を表したともされている。金ヶ崎の戦いはその後の二人の関係に大きな影響を与えた。金ヶ崎の退き口、金ヶ崎崩れとも。