プロ野球選手・指導者。
登録名「金森永時」。
右投左打、ポジションは捕手→外野手。背番号は26→5→32番。
1957年1月24日生まれ。石川県金沢市出身。
PL学園高校で夏の甲子園に出場。
早稲田大学に進学し、4年次に首位打者を獲得。
卒業後、プリンスホテルを経て1982年、ドラフト2位で西武ライオンズに入団。*1
1983年、一軍に上がり外野手に転向。
死球をよく受け、当たった時のリアクションが人気を博す。
1985年、登録名を「金森永時」に変更。
左翼手の定位置を掴み、打率.312、12本塁打の活躍でベストナイン・ゴールデングラブ賞を受賞。
ライオンズの黄金時代に貢献した。
1988年5月、北村照文との交換トレードで阪神タイガースに移籍。控えの野手として出場。
1993年、ヤクルトスワローズに移籍。登録名を「栄治」に戻す。
代打の切り札として、スワローズの優勝に大きく貢献した。
1996年、現役引退。
1997年、ヤクルトスワローズの打撃コーチ補佐に就任。*2
2001年、西武ライオンズの打撃コーチ補佐に就任、翌2002年には一軍打撃コーチに転じる。
和田一浩やアレックス・カブレラ、スコット・マクレーンを開花させた。
2003年、福岡ダイエーホークスのスコアラーを務める。
2004年、阪神タイガースの一軍打撃コーチに就任も、同年、退団。
2005年、福岡ソフトバンクホークスの一軍打撃コーチに就任。
2006年、打撃不振の責任をとり退団。
2007年、北信越BCリーグ・石川ミリオンスターズの監督に就任。
2010年、千葉ロッテマリーンズの一軍打撃コーチに就任。
日本プロ野球界屈指の名打撃コーチである。
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