江戸幕府から明治政府に政権が移る時、江戸は西郷隆盛と勝海舟の交渉が合意に至ったので現在のウクライナのキエフのような状態にはならなかった。しかし、慶応三年(1867年)鳥羽伏見の戦いで始まった戊辰戦争はその江戸をスキップして北上し、慶応五年(1869年)函館で新撰組副長の土方歳三が亡くなり、五稜郭が陥落するまで続いた。 北上する倒幕の勢いは、白虎隊の悲劇で知られる会津若松の戦いだけでなく、現在の新潟県長岡でも戦いがあり題名の河井継之助もそこで戦死した。ここで、戦史や地政学を学んだ方ならご存知であろうことをあらためて書き残しておきたい。 彼は、江戸への遊学を許され当時の知識人である佐久間象山などに…