長谷川平蔵宣以(はせがわへいぞうのぶため)
1745〜1795 (延享2年〜寛政7年)
旗本長谷川宣雄の子。名は宣以。幼名銕三郎(てつさぶろう)
1787年、火付盗賊改(火盗改)の加役(臨時職)を命じられた。
火盗改は江戸市中を巡回し、火災防止や盗賊・博徒の捕縛を役目とするが、平蔵は特に盗賊逮捕に目覚しい実績を上げた。
功利主義の山師などの悪評もある一方、乞食に施しをする慈悲深い人柄を伝える資料もあり、無宿人対策として石川島の人足寄場建設を老中松平定信に建議するなど、弱者への気配りを見せる面もある。
長谷川平蔵は、歴史上、あまり光が当てられる存在ではなかったが、池波正太郎作「鬼平犯科帳」によって世に出たとも言える。