基本的に、生物が障害をもつことは不便だからあまり歓迎しなくて身内なら悲観したり絶望したり、時には排除するために苦心惨憺することもある。 日顕上人は「すべては唱題から」の中で、悩ましいことであると表現しておられるが、実際に多少なりの悩みとなることはあり、しかしながら誰でも大なり小なり他人の出来不出来からくる悩みはあるので、特に障害者に対して厄介とか迷惑とかいう表現はない。 時代の変化そのものがいくぶん反映されていて、本山でも車いすの方が列を連ねて大御本尊様に合掌し、かつて精神疾患の錯乱した患者さんも奉安殿入り口で取り乱したりしながらやがて数年後には落ち着いて合掌できるようになったそうだ。 日蓮大…