一昨日、「旧・宇治火薬製造所の歴史」という講演会に参加し、萬福寺のある黄檗あたりの、私は全く知らなかった歴史を学びました。 明治4年に宇治火薬庫が設置されて以来、昭和20年の終戦(敗戦)まで、黄檗と火薬は密接な関係がありました。 明治27年には火薬製造所が稼働し始め、戦争の拡大(日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、太平洋戦争)とともに火薬庫や火薬製造所は拡大していきます。そして、その歴史の間には爆発事故も起こり、何人もの方が亡くなっています。 また、火薬製造に伴って排出される汚染物質(ピクリン酸)は宇治川に垂れ流され、それが大阪の水道水まで汚染されていた事実もあったようです(なんと、それについ…