① ② 日本の気動車特急の嚆矢となったのは1960年それまでの客車列車を置き換えて上野~青森間に登場したはつかりだった。このために作られた80系気動車10両編成だったが初期故障に悩まされ1年間くらいは遅延が続いた。客車列車の時代から上野~仙台間は距離は長いが勾配の緩い常磐線経由だった。のちに生まれたひばり、やまびこなどの電車特急は東北本線を難なく通過することができてスピードアップした(常磐線の原ノ町以北が未電化だったという事情もあったが)が当時の気動車列車には難問だった。やがて1968年10月に東北本線全線電化が果たされていわゆるヨンサントオダイヤ改正ではつかりも電車化されることになりそれを機…