Archipelagus Vita Nova

May 08(Tue), 2012

YASUTOMI Ayumu, Plato

生きるための論語 (ちくま新書)

 論語の知識論の重要な点は、「知る/知らない」という状態よりも、世界への認識の枠組みを遷移させる学習過程としての「知」を重視する点にあると私は考える。

 この点については、プラトンの『メノン』に現れる探求に関するパラドクスと対比して考えるとより深く理解することができる。このメノンのパラドクスとは、次のようなものである。

人間は、自分が知っているものも知らないものも、これを探求することはできない。というのは、まず、知っているものを探求するということはありえないだろう。なぜなら、知っているのだし、ひいてはその人には探求の必要がまったくないわけだから。また、知らないものを探求するということもありえないだろう。なぜならその場合は、何を探求すべきかということも知らないはずだから。*1

 このパラドクスを、単なる屁理屈として片付けることはできない。認知心理学者のギブソンの指摘したように、外界から入ってくるバラバラのデータを処理して世界の像を構成する、というような素朴な認識論に立つと、常にこのパラドクスにとりつかれることになるからである。というのも、バラバラの二次元視覚データ矛盾しない三次元世界の像は無数にあり、どれが本当かを決めることができないからである。それを決めるためには、バラバラのデータをつなぎ合わせる方法を事前に知らねばならないが、それはつまり、もともと本当の像がどれか知っているのと等価である。つまり、見えているものが何かを知っていれば見えるが、知らなければ何が見えているかわからない。*2

 フリーマンというアメリカ脳科学者は、嗅覚に関する実験により、嗅球という神経細胞の塊の電位の変化を調べることで、

「何もにおいがない」、

「知っているにおいがある」、

「知らないにおいがある」。

という三つの場合にそれぞれ対応する、特徴的なダイナミクスのあることを発見した。「何もにおいがない」ときは、ランダム対応し、「知っているにおいがある」場合は周期解に近い弱いカオス、「知らないにおいがある」ときには複数の周期解を渡り歩く運動対応する。知らないにおいに動物が接した場合には、この渡り歩きの果てに、運動のあり方全体をつくりかえて、新しいにおいに対応する区分けが生じ、知らなかったにおいが知っているにおいとして落ち着きどころを見出すことになる。このとき、既に知っているにおいに対する運動も変化する。このような働きを脳は持っているらしい。*3

 この実験結果から、「知らないことを知らないとする」ということの重要性がわかる。「知らないものがある」と認識することで、探求の過程が始まり、新しい知識状態に向けて遍歴することが可能となる。

 マイケル・ポランニーは、『暗黙の次元』という講義録のなかで、このメノンのパラドクスが二千年以上にわたって解かれておらず、暗黙に知ること(tacit knowing)を認めることによって解決される、と指摘した*4。このパラドクスは、全ての知識が明示的であるとすると、何も知ることができないことを示すからである。

 論語のこの章は、メノンのパラドクスが、そもそも成り立たないことを、孔子プラトンの生まれる前に指摘していたことを示している。「知」とは明示的な実体ではなく、「知/不知」を峻別する暗黙の過程名称だからである。p043-046

*1プラトン『メノン』藤沢令夫訳、岩波文庫、1994、p45-46

*2Gibson, James Jerome, The ecological approach to visual perception, Boston: Houghton Mifflin, 1979, p.261 (J・J・ギブソン生態学視覚論−ヒトの知覚世界を探る』古崎敬ほか訳、東京サイエンス社、1985)

*3:安富歩『複雑さを生きる〜やわらかな制御岩波書店2006

*4:Polanyi, Michael, The Tacit Dimension, Gloucester, Mass.: Peter Smith, 1983, pp. 22-3

May 01(Tue), 2012

Jean-Pierre Dupuy, catastrophe and evil

ツナミの小形而上学

 ハンガリー出身物理学者で、アインシュタインとともにルーズベルト大統領に書簡を送り、マンハッタン計画の推進を決断させたレオシラードは、没する少し前の一九六○年にこう表明していた。「ナチス・ドイツがわれわれよりも先に原子爆弾を開発し、アメリカの二つの都市に投下したはいいが、爆弾ストックを使い果たしてしまい、戦争に負けたと想像してみてほしい。その場合、われわれがその原爆投下を戦争犯罪に含めること、ニュルンベルクにおいてその犯罪責任者絞首刑にすることは、明白ではあるまいか?」

 オックスフォードの優れたカトリック哲学者エリザベス・アンスコムは一九五六年、さらに明解なたとえ話を用いてみせた。アンスコムはこう述べる。次のような状況を想像してほしい。一九四五年の始め、ドイツ執拗な攻撃をやめさせ、無条件降伏強要して多数の兵士の命を救うべく、連合軍は、ルール地方都市に住む、女性子供も含む数十万人の市民の殺害を決意しなくてはならなかった、と。すると二つの疑問が浮かび上がる。(一)道徳的に見て、それはチェコスロバキアポーランドナチスがしてきたこととどう違うのか? (二)それは道徳的に見て、広島長崎への原爆投下とどう違うのか?(ジャン-ピエール・デュピュイ『ツナミの小形而上学』嶋崎正樹訳、岩波書店、2011、P93-94)

 最近また有名になった元敦賀市長の講演(一九八○年代半ば)がある。「その代わりに、五○年後に生まれた子供が全部カタワになるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか……」。この地方自治体の長の唖然とさせる発言には、しかしある直截な「真実」吐露されている。つまり、少しばかり長期で考えたら何が起こるかまったくわからないが、現在の実利的な事情にしたがうかぎり、原発をもつ(誘致する)ことの方に利益があるということだ。未来を考えたらわからない、しかし今は……。未来の災厄はまだ現実ではなく、目の前の経済的利益に動かされる。

 この市長にノアの預言を聞く耳はないだろう。だが、いま日本ではその「五○年後」が現実になっている。長らく「未来の非現実」とされてきたそのことが現実になっているのだ。もちろん、そのような認識を持ちたくない人びとは、「フクシマ」がそれほどの「災厄」であることを否認しようとしている。だが、そこに算定されている「コスト」が、すでにその否認を裏切っている。あるいは、人類そのものの破局が生じたわけではないが、今われわれはちょうど、「未来の喪」を演じるノアを前にした聴衆のような位置にいる。つまり、「未来破局」がここにあるということを突きつけられている。実際、福島浜通り原発付近の人びとは、地震ツナミ犠牲者を収容することもできず避難を余儀なくさせられて、ようやく二か月後に防護服姿で仮帰宅を許され、即席の祭壇を前に行方不明の人びとの仮供養の線香を上げなければならなかったのだ。その光景はほかでもない、われわれ自身の「未来の喪」でなくてなんだろうか。(同書解説「『大洪水』の翌日を生きる」西谷修、p148-149)

April 27(Fri), 2012

HIRAKAWA Katsumi, the dignity of man

俺に似たひと

 居間で上着を脱がせて、風呂場の脱衣場で下着を脱がせる。脱がせた下着はそのまま洗濯機に放り込み、洗剤を入れてスイッチをオンにする。まだまだ寒いので、衣服を脱がせたらすぐに湯船に入れなければならない。湯船につかると、数分間、気持ちよさそうに瞑目している。自分の身体を支えられなくなっている老人が、お湯の浮力を借りて座っている。

 「湯加減はどう?」

 と聞くと、いつも同じ答えが返ってくる。

 「気持ちいいなぁ。風呂はいいなぁ」

 五分も湯につかっていると、父親の胸の辺りからヒューヒューと異音がしてくる。肺気腫があるので、すぐに呼吸が苦しくなってくるらしい。湯船から引っ張り上げて、持ち込んだ円椅子に座らせ、頭と身体を洗ってやる。背中がかゆいらしくて、強く洗ってくれと催促がくる。

 寒いので速攻で洗うが、おむつを当てていた股間は念入りに洗う。最初はお互いに抵抗があったが、慣れてしまえばなんということもなくなる。だらりぶら下がったイチモツを引っ張って、ごしごしと洗えるようになる。

 お尻の穴に指を突っ込んで、溜まっているウンチを掻き出すこともある。これをしないと、どうしても便秘になってしまうのだ。おそらくは、腸がぜん動運動をしなくなているために、下痢便秘を繰り返すのである。だから、お漏らしをする。

 昼間、ときおり父親が突然叫びだすときがあったが、だいたいは大便を漏らしてしまったときであった。溜まりきって出てくる下痢便は、薄いリハビリパンツの堤防を容易に決壊させてしまう。大便を漏らすたびに、父親の自尊心もまた破損していく。

 「どうしてかな」と申し訳なさそうに言い訳をするので、

 「老いればみんな、同じだよ」と応えるのだが、気休めにしかならないことは分かっている。

 思うに、股間を洗えるようになることが、介護の第一ハードルを越えることになる。俺は、母親の股間を洗うことはできなかったかもしれないと思う。他人の股間なら、介護であれば何とも思わないだろうが、肉親の股間に直接手を触れるのにはやはり大きな抵抗がある。ましてや、男にとって母親の股間ともなれば、おいそれと接触するわけにはいかない。母親介護に入る前に逝ってしまったので、その関門は越えなくて良かったと思う。(平川克美『俺に似たひと』、医学書院、2012年、p88-89)

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