枯れ葉 &カウリスマキ一気見!

<公式>

ストーリー:ヘルシンキのスーパーで働くアンサは職場でのちょっとした振る舞いが元で解雇されてしまう。建設現場で働くホラッパは仕事中も酒が離せない依存症だ。カラオケバーで出会った2人、その後ようやく再会できたのに、不幸なぐうぜんですれ違いは続く。そしてホラッパもまた仕事を失って....

アキ・カウリスマキ監督、2023年公開。久しぶりの新作だ。日本でも監督作No1ヒットらしい。こだわり店主の十割蕎麦的な作風だからヒットと言っても興行収入1億ちょっとだが、ファンならみんな見にいく。そこにはお馴染みの「あの味」があった。

カウリスマキは1957年生まれ、スパイク・リーと同年、友人のジム・ジャームッシュジャン・ピエール・ジュネ、同じ北欧出身のラース・フォン・トリアー、日本でいえば黒沢清塚本晋也とかに近い年代。ミニシアター感のあるラインナップだ。

ほぼ巨匠だけど、作風はけっしてキャッチーじゃない。今の日本でウケが悪いと思う。テーマも表現もね。まずはテーマ。カウリスマキは現代資本主義が嫌いな左派文化人だ。90年代初頭のフィンランドの不況を反映した「プロレタリアート三部作」「フィンランド(敗者)三部作」、辛い人たちの辛い物語を連打してきた。本作の主人公も過去作と時代が変わらないような質素で不安定な暮らしぶりなのだ。

とはいえドキュメンタリックに労働現場や生活環境を描くわけでもない。どこか寓話的な、すこし抽象化された描き方で、貧しい人々の暮らしの描写も端正だ。リアリズム追求派からすればなんだかぬるく見えることもあるかもしれない。特に本作はストレートなラブロマンスだしね。

https://m.media-amazon.com/images/M/MV5BMzljN2I3ZTUtZjBmYy00ZmExLWFkN2UtOTk4YzE3OTc1MzBiXkEyXkFqcGdeQXVyNjgxODk1MTM@._V1_FMjpg_UX1000_.jpg

(C)2023 SPUTNIK production via IMDB

そして描き方。ミニマリストで、登場人物まわりの情報も演技もセリフも削ぎ落とす。登場人物はほとんど表情を変えず、大きな動きはないしセリフも極少で感情の説明もない。本作は分からないけれど、言い回しも現代のフィンランド人からすると古くてリズムが違うらしい。毎回モチーフのように現れるのが花束と犬、それにタバコだ。

撮影はつねにフィルム、同じフィルム派のノーランやタランティーノ、PTアンダーソン的な華やかさはなくて、あえて「一昔前の映画」を見ている気にさせるような画面だ。写す対象も、地味な古めかしい風景。実際のヘルシンキは、特に観光客が行くような中心部は映画より小綺麗で華やかだし、今風だ。その抑えた画面の中で小津のようにアクセントの赤を生かしてみたり、質素なアパートながら行き届いたインテリアを見せたりする。

時代も国柄も階層も属性も何なら個性も、表面的には固有性をできるだけ剥ぎ取って、エッセンスだけを残し、監督は時代や文化を超えた普遍な物語を伝えたいんだろう。それでも俳優のたたずまいや、飾り気のない風景や生活空間の描写で、かれらのいる世界はじゅうぶんに伝わる。フィンランドの空気感もね。

唯一、ソースのように監督の好みの色や味付けを醸し出すのが、毎作品でひびく新旧・各国のポップミュージックだ。


🔷マッチ工場の少女(1990)

<Prime Video>

プロレタリアート三部作」の1つ。監督の代表的ヒロイン、カティ・オウティネン主演。上の予告編は冒頭シーンをただ流している。マッチ工場で、丸太から材料を削り出すところから、箱詰めするまでのマシンの動きを丹念に見せる。彼の作品にはちょっと珍しい、ドキュメンタリックな映像だ。最終工程にヒロインがいる。

つまらない仕事と家庭での搾取、たまに遊びに行っても相手にされない日常、そこから脱出しようとしたヒロインを待つ悲しい結末の物語だ。ただし観客が同情してどんよりと物悲しい気分になるかは微妙だ。ヒロインもまた、なにか決定的にずれている。「一夜限り遊んで捨てた」という加害者側で登場する男がいるのだが、そこまで悪い奴に見えないし、彼女の思い込みに明らかに当惑していて、むしろ巻き込まれた気の毒な存在にも見えてくる。

ヒロインは自分を搾取する運命に耐えられなくなると、唐突に復讐に転ずる。映画はそれをドラマチックにも爽快にも描かない。東映任侠モノみたいな「ぐぬぬ・・・」→「もう勘弁ならねえ!」というタメと決意のプロセスもない。ただ淡々と小気味よいテンポで「えっ」というところに話は進んでいく。全く笑いもないのにシュールなダークコメディの味わいがある。

 


🔷コントラクト・キラー(1990)

<Prime Video>

主人公はロンドンで働くフランス移民。冒頭は同じように仕事のシーンから始まる。全く具体的じゃなく、小津映画における笠智衆のオフィス並みに何の仕事かわからない。ただ机を並べて初老の男たちが高くつまれた書類を処理しているのだ。タチの『プレイタイム』めいた、意味を剥ぎ取られた舞踏的シーンに見える。監督のオフィスワークに対する嫌悪感なんだろうか。

主人公は理不尽に解雇され、収入が途絶えて絶望し、人生を終わらすことに決める。それもうまくいかずにとうとう殺し屋組織に自分をターゲットに仕事を依頼するのだ。ところがこれまた唐突なまでに女性に恋に落ち、彼女もこの奇妙な男になんの迷いもなく心を寄せる。

本作はより分かりやすくダークコメディで、多少サスペンス味もある。物語中、元クラッシュのジョー・ストラマーがパブでライブ演奏するシーンが純粋なサービスとして入っている。ちなみにロンドン撮影のはずだが例によってあまりにも殺風景なエリアしか映されないのでどこの街かよくわからない。

 


🔷浮き雲(1996)

<Prime Video>

「敗者三部作」の1つ。ヒロインは『マッチ工場』と同じカティ・オウテネン。ヒロインの務めるレストランが大手に買収されて、シェフやドアマンと一緒に解雇されてしまう。同じ時期に夫も会社をリストラされる。2人それぞれに日銭を稼ごうとするけれど何もかもうまくいかない。それでも最終的に救いの手が現れて....という、少し希望がある話。

ラストは夫婦(と愛犬)が微笑みながら空を見上げる(その顔を見下ろしのカメラで撮る)、という昨今なかなか見かけない、古典的とすらいえる希望のシーンで締める。もちろん分かっていてこのクリシェを持ってきてるんだと思う。『浮雲』といえば成瀬巳喜男だけど、あの時代の作品を思い出すような、とんとんと出来事だけテンポよく重ねていって観客を了解させる感じの作品だ。労働者たちの連帯の映画だ。

 

 

インフィニティ・プール

<公式>

ストーリー:売れない・書けない作家、ジェームズ(アレクサンダー・スカルスガルド)はリッチな妻エマと海辺のリゾートに滞在中だ。同じ滞在客のガビ(ミア・ゴス)とアルバンと知り合った2人は、禁じられている敷地外ドライブに出かける。ところがその帰りにトラブルが発生。ジェームズは悪夢のようなトラブルに巻き込まれていく....

2023年、カナダ・クロアチアハンガリー合作。割と見慣れない組み合わせだ。監督はブランドン・クローネンバーグ、デヴィッド・クローネンバーグの息子さん。主演アレクサンダー・スカルスガルドのお父さんはステラン・スカルスガルド、『奇跡の海』『ニンフォマニアック』『ファイティング・ダディ』それに『デューン』。巨漢のおじさんの息子はこれまた相当な長身のイケメン俳優だ。

撮影地はクロアチアハンガリーの2国。舞台になるリゾートやその周辺はクロアチアアドリア海に面したシベニクという観光都市だ。『魔女の宅急便』のモデルで日本でお馴染みのドブロニクから約300km。海岸沿いには大型リゾートが並んでいる。インフィニティプールはないけれど、下のホテルみたいな雰囲気だ。ちなみにここは円が激弱になった今でも1泊30000円以下の部屋からあって、超高級というわけでもなさそうだ。欧米の観光客からすればそんなに遠くないし、案外行きやすいところなのかもしれない。

www.amadriapark.com

あと、唐突にインダストリアルな風景が出てくるところがある。ロケ地は一転してハンガリーブダペストだ。警察署シーンが途中で入る。それもブダペストかもしれない。ハンガリー、強権的かつ排外的な風評ばかり聞こえてきて、あまり行ってみたい気をそそられないけれど、クラシックな都市風景があって撮影にもたぶん協力的なんだろう。米英のメジャーな映画でも市街地ロケでよく出てくる。

こんな風光明媚な場所での休日。でも残念ながら優雅なリゾート映画・・・な訳ない。ビーチリゾートが舞台といえば、最近見たのがシャマランの『OLD』。リゾート+巨大企業の陰謀 という珍しい組み合わせだ。あとは『アフターサン』。夏の間再会してリゾートに泊まる父娘の物悲しいストーリーで、あまり高級じゃないリゾート(けどそこでも贅沢できない)がさらに物悲しかった。

本作の登場人物たちは金には困っていない。そしてリゾート内で行動が完結するから、そこの国がどんなところかほとんど興味がない。本作は監督のドミニカ旅行の体験から発想したらしい。空港からバスでリゾートに直行、周囲はフェンスで囲まれていて、中にはフェイクの街があってショッピングもレストランめぐりもできる。帰りにバスから見た地元の貧困ぶりとの落差に非現実感を覚えたそうだ。これって巨大クルーズ船と近い世界だね。

物語は「自国より貧しい国のリゾートにたむろす傲慢なツーリスト」像をさらにグロテスクに誇張して、その味付けとして『OLD』みたいな現地の奇妙なルールを持ってくる。「死」さえ相対化してしまうようなSF的ルールだ。そのルールは主人公たちの自分というものの輪郭もぼんやりさせてしまう。現実から遊離した時間を過ごしている、金だけはあるツーリストたちは、死とか自己という最低限の現実からも遊離して、そうなると人間らしさからもだんだん離れていくのだ。「旅の恥はかき捨て」ということわざには、そんなニュアンスがうっすらとある。本作の登場人物たちはこれ以上ないくらいにかき捨てていくのだ。

全体のトーンは映像も含めてそこまで洗練されていない。どこかB級感がいい具合に漂っている。物語中で出てくる地元の儀式用の仮面が相当に不気味でいい。旅先で身につける使い捨てのペルソナみたいだ。それが限りなくグロテスク、というのが本作だ。

https://m.media-amazon.com/images/M/MV5BNDA2MWRkY2EtOWJiYS00ZTEzLTk2MjEtZTYzZWI2NGE3OGJiXkEyXkFqcGdeQVRoaXJkUGFydHlJbmdlc3Rpb25Xb3JrZmxvdw@@._V1_.jpg

(c)Focus features,Neon and Topic Studios via imdb

jiz-cranephile.hatenablog.com

 

アイアンクロー

 

youtu.be

<公式>

ストーリー:必殺技”アイアンクロー”で知られるプロレスラー、フリッツ・フォン・エリック。引退した彼の息子たちは父のトレーニングの元、1980年代になるとリングにデビューする。次男のケビン(ザック・エンロン)を追い越してまずスターになったのは三男のデビッド(ハリス・ディキンソン)。テキサスのカリスマ一家の兄弟レスラーたちを突然悲劇が襲う.....

おっさん世代は、父フリッツ=名前は知ってる、息子たち=リアルタイムで見てた という人は結構多い気がする。ぼくはプロレスに興味がなくなっていた頃だったからエリック兄弟が日本で活躍していたのもよく知らなかった。ブルーザー・ブロディとかリック・フレアーとかお馴染みレスラーそっくりさんが出演する本作、それはそれで面白いし、分からなくてもしんみりした家族物語を意外なくらい柔らかく優しく描くので、観客を選ばない映画だ。

本作はプロレスという競技の肉体的な厳しさ+純粋競技じゃないエンタメとしての不条理を十分に語っている。ただ「熱い魂と努力で敵に打ち勝った!」的なスポーツ的きれいさの中で割と描いている感じもある。

公式サイトにも実物写真があるように、ビジュアル面、色々と本人たちに寄せている。リング上のアクションも相当トレーニングして再現してるはずだ。そして役者たち。見た目は十分すぎるくらい様になっている。さすがに全体のサイズは小さくて、190cm前後の実物に比べてコンパクトマッチョ系の雰囲気になっているけれど、画面的に間延びしないし感情移入しやすくかえって収まりがいい。

シリアスなレスリングものといえば、どうしたってアロノフスキー監督の『レスラー』の話になる。あちらは架空のレスラーが主人公だけど、試合のつくられ方や自分の体との向き合い方(薬物を常用する維持)や、ある部分は本作以上にリアルな映画だった。そこでもミッキー・ロークが肉体改造して作り上げた巨大な身体が全体を説得力あるものにしていた。

映画の雰囲気でいうと同じレスラーでもアマチュアレスリングのエリート選手を主人公にした『フォックスキャッチャー』を思い出した。主人公マークの「繊細な悩めるマッチョ」像がどことなくケビンに似ているのだ。繊細で悩みつつ、そんなに明晰でもない、どこか子供っぽいところも似た描き方だ。

https://m.media-amazon.com/images/M/MV5BZDFkNjc2YmMtN2U4OC00YTk3LTliMTUtNzJkYzFhNDUzYmExXkEyXkFqcGdeQWpnYW1i._V1_.jpg

© 2023 House Claw Rights LLC; Claw Film LLC; British Broadcasting Corporation. All Rights Reserved. via IMDB

本作の主人公は次男のケビン。長男は子供の頃に事故死していて、すごく昔に悲劇のスタートを切っていた。ケビンは大きくなった兄弟の長男役として弟たちには慕われ、でも長男ならではの苦味も繰り返し味わいながら、それでも誰よりも長くレスラー人生を歩んで、今も健在だ。

映画のケビンは黙々と高強度のトレーニングをこなし、弟たちをひっぱり、プロアスリートとしての役割をちゃんと果たす。でもその描き方は、いつまでたってもどこかナイーブな運動部中学生的なそれだ。「口下手」キャラでもあり、マイクパフォーマンスでも、もっと大事な兄弟との対話でも、観客を惹きつけるような気の利いたセリフは発しない。「気持ちはあるのわかるけど、それじゃ伝わらない...」的なもどかしさを常に観客に与える存在だ。不器用な男、というより未成熟な印象に、たぶんあえて描いている。

とつぜん変な話題だけど、本作は全米屈指の「ブリーフ映画」だ。ここでいう「ブリーフ」とは日本語に一番馴染んでいる、そう男子がはくアレのこと。もっといえば「白ブリーフ映画」だ。たしかプロローグが終わって、冒頭いきなり主人公の白ブリ姿が見せつけられる。その後もお母さんに「家だからってブリーフ姿でウロウロするのやめなさい」と言わせてみたり、明らかに印象付けようとしていて、その後も寝起きのブリ姿が映っていたはずだ。

アメリカでの位置付けはともかく、日本での白ブリは精神的自立前の少年が着用する「お母さんが買ってきた服」のシンボル的イメージがある(令和の事情は知らないけど)。思春期を迎えて自意識が育つと色つきだったりボクサーだったりトランクスだったりに移行してくのだ。本作のブリが最後まで白だったかは記憶が定かでない。ただ、大人になっても親の精神的支配を脱しきれず、どこか中学生マインドが残る主人公のシンボルみたいに見えた。

jiz-cranephile.hatenablog.com

 

 

 

配信系2作! アメリカン・フィクション&ソルトバーン

🔷ソルトバーン

youtu.be

<公式>

ストーリー:オックスフォード大学の新入生、オリバー(バリー・キオガン)は周りの上流階級の同級生たちに馴染めずにいた。ぐうぜん知り合った貴族階級のフェリックス(ジェイコブ・エロルディ)と気が合ったオリバーはだんだんと友人になり、夏休みに自宅に招待される。広大な邸宅に住む貴族の一家、そこに出入りする親戚の男女。オリバーはいつの間にか彼らの間に浸透していく....

Amazon Prime配信。監督はエメラルド・フェネル。プロデューサーにはマーゴット・ロビーも入っている。初めはイギリスらしい階級ギャップものかな、と思って見ていた。オリバーは「家はどうしようもない下層階級で、母親はヤク中、父親はこの前死んだ」とフェリックスにポツポツと語る。フェリックスは「オウ...」という感じで知らない世界から来た友人に同情する。

貴族の一家は、極東の僕らが想像するような優雅で保守的なライフスタイルを守る人たちかと思うとそうでもない。親戚にはゴスっぽい生活が乱れ切った女性もいるし、別の親戚、オリバーの同級生はアングロサクソンではなく経済的にも苦しそうだ。母親はいやに辛辣で誰のこともボロクソにいうし姉もだいぶ病んでいる雰囲気だ。パーティーではカラオケショーが開催される。

「貴族の内実」モノは今までもあった。庶民階級のオリバーがギャップに戸惑いつつ、僕たちの視線の代わりになってそんな風変わりな彼らの生態を見ていくのか...と思っていたのだ。ところが物語は途中から急旋回していく。ざっくりいうとサイコパスのクライムストーリー+BL味になっていくのだ。

https://m.media-amazon.com/images/M/MV5BM2NmMDQ1ZWEtNDU4OS00MGIxLWEyMGMtMTM2YmFkYzNhYmMxXkEyXkFqcGdeQXVyMTM1NjM2ODg1._V1_.jpg

(c)2023 Amazon MGM. via IMDB

本作の最大の特徴は過剰ともいえる性描写だ。大部分は男性によって演じられる。主人公役のキオガンは『聖なる鹿殺し』で見せた、表情が読めない不気味青年のノリをさらに誇張して演じ『聖なる...』で抑制していたセクシュアルなシーンを一身に担当する。全裸ヌードも込みの体当たり演技だ。

サイコパス的犯罪の部分はそんなに出来はよくない。じわじわと心理的に侵入して支配して破滅させる...みたいなサイコっぽい不気味さがあまりなくて、しかも犯罪としての完成度が信じられないくらい低い。そのくせ完全犯罪達成、みたいな雰囲気になっているのだ。性描写も含めて、なんて言うんだろう「本来そんな資質がない作り手が無理矢理エグい物語を作ろうとして考えた」ような雰囲気を感じてしまった。

あの必要以上の男性エロはなんだろう。監督がエメラルド・フェネル、男の性的ファンタジーをこれ以上ないくらいに断罪して見せた『プロミシングヤングウーマン』の作り手だと思うと、男性観客への逆襲なんじゃないかと思ってしまう。いままでサスペンスものに無意味なエロが添えられる作品はいくらでもあった。もちろん女性のね。「女を武器に」系犯罪者モノもあった。ヒロインはみずからセクシーさを見せつけなきゃならない。

フェネルは「女性観客がそういう作品を見ていた時の胸糞悪さ」を男女をひっくり返して男性観客に突きつけてるんじゃないか、という気さえした。そんなテーマで商業作品は作れないだろうから、裏の意図としてね。まあ、イギリス紳士BLモノといえば『アナザー・カントリー』など一ジャンルあったわけで、ひねりに捻ったその2023年版といえばそうなのかもしれない。


🔷アメリカン・フィクション

youtu.be

<公式>

ストーリー:大学で文学を教える作家、モンク(ジェフリー・ライト)は作品が売れない。「黒人らしさがない」と言われてうんざりした彼は、ストリートギャングの黒人のふりをして乱暴な小説を書く。ところがその作品が大評判になり、正体を明かせないモンクは....

こちらもAmazon Prime。プロットが全てじゃないかと思いそうになる。作者がホンモノのギャング上がりだと思っている人々の前では無理矢理ストリート風の口調を真似して、本来のインテリ作家の顔で参加する会議で自分の作品がみんなの話題に登るとあわててコキおろす。要するにコメディだ。

でもすぐに分かるようにだいぶビターで繊細でメランコリックなコメディだ。モンクは医師の家庭に生まれた知的な中流階級の子供。兄弟どちらも医師だ。母親は歳をとった今でも一目でわかるくらい美しい。でも知的な中流階級の黒人は他の人種から見たパブリックイメージに合いにくいから、作家として自分そのものでいるとどうにも上手くいかないのだ。

母親は認知症になり始めていることがわかり、家族は急速に危機におちいる。ここから物語は家族の歪みと再生みたいなしんみりしたトーンになる。ラストは「えっ、そういうまとめ方!?」みたいなオチだった。生活実感としてアメリカでの人種ごとの扱われ方や見え方が分かっていると沁みてくるんじゃないかと思う。

https://ogre.natalie.mu/media/news/eiga/2024/0129/AmericanFiction_202401_01.jpg?impolicy=m&imwidth=750&imdensity=1

(c)2023 Amazon MGM. via natalie

違和感があったのは、主人公のお兄さんの扱いだ。彼はゲイで、両親に受け入れられていなかった。浮気がバレて離婚した彼は思うままに遊び始める。その彼が何ていうか、ちょっとカリカチュアライズされすぎの気がした。浮いた派手目ファッションだったり、無駄にマッチョだったり、家に遊び相手のお気楽ボーイズを連れ込んだり...本作が人種のステレオタイプを押し付けられる悩みの物語なのに、セクシュアリティの扱いはこんな感じ?と思ってしまった。まあここも生活実感として分かってるわけじゃないから、リアルに描いているのかもしれない、けど。

オッペンハイマー  〜個人の記憶・国家の記憶

 

<公式>

ストーリー:1942年の秋、物理学者ロバート・オッペンハイマーキリアン・マーフィー)は米軍の極秘プロジェクト「マンハッタン計画」のリーダーに任命される。ドイツ軍に先んじて世界初の原子爆弾を製造するのだ。無人の荒野ロスアラモスに建設された研究所とスタッフだけの町で研究は進む....そして戦後。英雄となっていたオッペンハイマーを追い落とす動きが始まっていた....

前のエントリーで書いた『デューンPart2』とビジュアルの色調がよく似ている。夕日を思わせる重いオレンジ色が背景だ。でも色の意味はぜんぜん違う。『デューン』は惑星の空や風景の色。『オッペンハイマー』は・・・上の予告編のサムネールだとやっぱり夕日だ。でも本国版のそれは炎と噴煙なのだ。もちろん原子爆弾の。2023年夏のSNS騒動で日本公開が無期延期になって半年、ミニシアター系作品中心の配給会社によってやっと実現した公開だ。日本側は予告編も徹底的に抑えめにしているし、公式サイトにも本編前のスクリーンでも「ご注意」(爆発シーンがあるよ)として観客に念を押している。

ただし、未見の方に最低限いうと、日本版予告編がだいじなところを見せずに違うトーンにしているかというと(たまに本編見ると全然違う映画だったことありますよね...)それはない。僕の印象だと、原子爆弾という世界初のハイテクノロジー兵器開発のサクセスストーリーでもありつつ、できるだけ慎重に、バランスを取りながらその功罪を伝えようとしている。それと日米予告編ともほとんど触れていないけれど、「その後」のストーリーが実はウエイトが非常に大きく、映画のトーンとしても「その後」の部分に規定されている感じがある。アカデミー助演男優賞受賞のロバート・ダウニーJrはそちらのパートのいわば主人公だ。

https://m.media-amazon.com/images/M/MV5BMWE4OTM1ZjItYzc5Ni00MDFhLWFiZWEtOWM1ODlkZjQyNzM0XkEyXkFqcGdeQWthc2hpa2F4._V1_QL75_UY281_CR0,0,500,281_.jpg

(c)2023 Universal Pictures via imdb

あちこちで「この映画は予習してないと楽しめない」と言われている。物語の情報量が圧倒的に多くて、よく知られた歴史的実話だからアレンジして単純化するわけにも行かない。大量に現れる登場人物も省略したりまとめたりできないし、科学者や政府関係者だからアインシュタイン以外、あまり特徴的な外見にして分かりやすくもできない。事前に公式サイトの登場人物を見ておくのも悪くないと思うくらいだ。

しかもノーランらしく時系列をシャッフルして、オッペンハイマーの人生終盤の出来事と若い頃からのキャリアをカットバックで見せていくから、シーンごとの時代も初見では絶対に分からない。僕もある程度分かっているつもりだったけれど、よく似ている2つのシーンが実は5年も間が空いていたのは見終わってから知ったのだ。主な出来事の年表くらいは知っておくほうが入ってきやすい(本作はネタバレ厳禁系物語じゃないし)。

フィンチャーの『ソーシャルネットワーク』やスコセッシの『アイリッシュマン』みたいに、主人公のいまの(あまり素敵じゃない)姿を見せながら、過去を回想する形で語っていく形式は単純な時系列より物語に陰影がつく。それに本作だと「人類を破滅させる兵器を生み出してしまった科学者の罪の意識」が本筋だから、キャリアを総括する位置にいる主人公が振り返る形にして、科学者の葛藤、「国家」というもののひんやりした手触りを見せるほうが印象が強い。

じっさいその辺りは何度も念を押すみたいに丁寧に描写して、予備知識がなくても理解できるようにしている。全体のトーンは、ネタバレにならないように抽象的にいうと、オッペンハイマーや科学者たちが背負ってしまう罪を描きながら、その取り扱う対象(原子爆弾)以上には彼らを断罪しないように、どちらかといえば「冷酷に巻き込んで利用する国家の意思」を分かりやすい敵側に設定している気がする。

https://m.media-amazon.com/images/M/MV5BZGE1ZDkwNmEtODgzMC00OTgwLWEzMDMtYjRjOGJhNzlmMTFmXkEyXkFqcGdeQVRoaXJkUGFydHlJbmdlc3Rpb25Xb3JrZmxvdw@@._V1_QL75_UX500_CR0,0,500,281_.jpg

(c)2023 Universal Pictures via imdb

本作、原子爆弾を開発するまでのパートはポジティブな雰囲気だ。トップにいるオッペンハイマーも当時30代後半、若い超優秀な科学者・技術者が人類初のハイテク技術開発に向けて集まっているのだ。プロジェクトを管理する米軍側がマット・デイモン。変わり者の天才と無骨で推進力があるマネージメントの組み合わせ、『フォードvsフェラーリ』を思い出した。

ああ、なるほどね、と思うところもある。アメリカにとって核兵器はまず第一にテクノロジーの勝利の歴史なんだろう。そして国の安全保障の柱として見られる存在だ。「だけどそれがもたらす恐怖を私たちは忘れてはいけない」というスタンスが作り手が見せたい「良心」だ。一般の日本人にとって核兵器は何よりも国家的な災厄の記憶、国家的なトラウマだ。その感覚が若い世代にとってどのくらい引き継がれているのかまでは僕にはわからない。それでも2024年の今でもこれだけ配慮が必要になるものではあるのだ。

科学と技術に忠誠を誓う才能ある若者が兵器を作る。それをファンタジックに、戯画的に描いた『風立ちぬ』のことも思い出していた。2つの映画のトーンの違い。作り手の違いでもあるし国家の記憶の違いでもあるだろう。