長男が小学生になりたての頃、心配そうな顔で母親にこう告げたらしい。
「お母さん、お父さん女のひとの本たくさん読んでるみたいだよ・・・」
家内が「ほんと? ど〜れ一緒に見てみようか?」と書斎に行って「どこ?」と聞いたところ、「ほら、ここにいっぱいあるよ」と指差した書棚の場所にはまぎれも無く「子」の字がつくタイトルの本がずらりと並んでいたが、それは女のひとの本ではなかった。
子供ながらに母と父の仲が悪くなるのを心配しての告げ口だったようで、家内がその晩笑いながら教えてくれたのを思い出した。
本のタイトルは「孔子」「孟子」「荀子」「韓非子」「荘子」「老子」「孫子」などだったが、「子」しか読めない子供には皆な女のひとの名前にしか思えなかったのだろう。
家を全面改装した時にかなり処分したとはいえ、私の書棚にはまだ中国古典関係の本がずらりと並んでいる。 若かりし頃は「四書五経」をはじめ、「史記」「三国志」「水滸伝」「十八史略」「春秋左氏伝」「戦国策」から「唐詩選」などなどを夢中になって読み書き復誦し、中国古典の奥深さを知れば知るほど毛沢東支配の中国と言うベールに包まれた国に興味を持ったものだった。 
そして、1964年に華僑財閥の貿易商社に入社し、「紅衛兵」が乱入して巻き起こした暴動が沈静化に向かっていた1968年5月から1972年5月までの4年間、駐在員として香港に滞在し、2007年6月にリタイアするまで主に中国人、ユダヤ人、インド人を相手に仕事をしてきたが、その間に培われた私の精神構造はかなり一般の日本人からかけ離れているように思われている。
海外では「あなたが日本人とは信じられない、とてもそうは思えない」と多くの人に言われて来ている。確かにそう思われても仕方が無いのかもしれない。なぜなら、私は誰にも負けないくらい日本人としての、大和民族としての誇りを持ち続けて常に外国人と接し続けてきたつもりだから、何時も腰を低くしてぺこぺこしながら優しく接してくる日本人を見慣れている外国人には、とても同じ日本人とは思えないのだろう。
最近の日本の外交は、正にダッチロール的で極めて危険だ。 そんな中、民主党外交政策で私が唯一、此れは大ヒットだ!と叫んだのは、岡田前外務大臣が中国大使に元伊藤忠丹羽宇一郎氏を任命したこと、そしてギリシャ大使に元野村HDの戸田博史氏を任命したことだ。民間から厳選されたこのお二人は外務官僚の10倍20倍の働きをされることと大いに期待している。 丹羽大使は「中国にいる限り、一瞬時もホッとしていられない。」とコメントしているが、彼の正直な気持ちだろう。
しかし、彼らの働きも、本家本元の日本政府の腰がふらふらしていては何ら成果が上がらないであろう。 そんなことはあってはならないが、もし日本政府が、中国との外交問題で失策した時に、丹羽大使に責任を転嫁したり、中国に対してビクビクしているばかりで浅学な一部マスコミがその尻馬に乗って丹羽大使更迭などとほざくようなことがあれば、それこそ中国のシナリオ通りとなり日本の悲劇(それとも喜劇か)となる。
丹羽大使の有能さが中国側に認識されればされるほどその危険度は高くなるので、日本政府としてはマスコミも含め国民もしっかりとその点を認識する必要がある。
幾多の古典を読んで得た結論はこうである。「太古の昔から中国にこれほど立派な思想家が排出し続けたのは、いかに中国民族が根本的に秩序も社会性も、ルールも、協調性も持ち合わせていないかの証だ。」つまり、「悪がはびこればはびこるほどそれを諌めようとする言葉が磨かれ、結果として名言金言が生まれたという訳」なのだ。
河添恵子著、「中国人の世界乗っ取り計画」(産経新聞社)という本がある。 天安門事件の後に中国の将来に失望して来日し、今は日本に帰化している石平(せきへい)氏の著書、「謀略家たちの中国ー中国4千年の悲哀」(PHP研究所)と言う本と併せて読めば、今後の中国外交、対中国ビジネスや中国人との付き合い方に少しは役立つかも知れない。