旅人の手記 三冊目 ‐ 蝉海のブログ -

日常のよしなし事や、マンガ・アニメ・ライトノベルなどのポップ・カルチャーに関する文章をつらつらと述べるブログ。その他の話題もたまに。とっても不定期に更新中。

三島由紀夫による〈外面―表面への意志〉と美的死生観(後編)

・ 死――、内と外の合一。及びカイロスの問題について

 『鏡子の家』(1959年)は三島の作品の中でも、「筋肉」と「美」の関係性と「死」の問題について、徹底して考察された指折りの一作である。あらすじは次の通りだ。
 資産家の令嬢である鏡子の家には、四人の青年が集まる。世界の破滅を信じて、常に心が満たされないことを潔しとしているエリート商社マンの杉本誠一郎。大学の拳闘(ボクシング)部の主将を務め、考えないことが至高であるという価値観をもつ深井峻吉。たわわに育てられ、将来を周囲に展望されている若手の日本画家の山形夏雄。無名の俳優で、後に肉体を鍛えることに執着していく舟木収。彼らは「いかなる場合に陥っても、けしてお互いに助け合わない同盟」を結び、それぞれの信念を貫徹するために日々を費やす。
 この物語で最初に肉体の問題を提起するのは、やはりボクシング選手である峻吉である。「思考」というものを否定し徹底して拳闘に励む彼は、物語の最序盤から悪たれ共と喧嘩を繰り広げるなど、肉体の質感というものを直接的に顕示してくれる。しかし、「美的対象としての人間」(ホモ・エステティクス)の発現体として肉体を考えるならば、この作品において注目するべきは収の方であろう。眉目秀麗な彼は、ある日知り合いの女から身体の貧相さを責められる。屈辱的な思いをした彼は、知り合いである武井にボディビルの勧めを受けて、肉体強化に励むことになるのだ。

「考えてもみるがいい。感情や心理がどれほどの価値があろう。感情や心理だけがどうして微妙であろう。人体でもっとも微妙なものは筋肉なのである!

三島由紀夫鏡子の家

 武井は、筋肉美の狂信者である。彼に言わせれば、「感情や心理は、筋肉をよこぎる焔のようなもの*1」であり、筋肉は「言葉よりもずっと明晰である点で、言葉よりもすぐれた『思想の媒体』*2」なのだ。この筋肉至上主義は、一見すると余りにも突飛な考えに映り得るが、よくよく考えてみるとこれはこれで筋が通った一つの思想である。我々は、筋肉が全身に張り巡らされているからこそ意思表示ができるのだ。「感情や心理」は筋肉の媒介なしには、絶対に表面へ出でることはできない。こう考えると滑稽に見える武井の主張も、三島の「内部から外部へ出ることで、また外部となる」という思考様式が透徹されているとさえいえるだろう。谷川はこの武井と収の思想から、筋肉の鍛錬(=ボディビル)に対する目的を次のように捉え返している。「ボディビルは肉体を作品化する営みである。自己の外に作品を生み出す芸術とは異なり、それは製作者自身をいわば芸術作品と化す行為である*3」と。つまり、「内部である精神を肉体に還元させて発現させること」を原理とするならば、「〈美的〉精神は、〈美的〉肉体に還元させられて発現させること」に、筋肉鍛錬の目的は集約されるのだ。
 さて。本作において、この武井の美学に対して正面から立ち向かうのが、早熟の日本画家である山形夏雄である。彼らは、とあることがあって収の母が経営する喫茶店で対面し、それぞれの美学思想をぶつけ合い、闘わせるのだ。このくだりは『鏡子の家』において、あるいは三島の美学を考察するにおいて、極めて重要な箇所である。

 武井は夏雄をつかまえて、全くの筋肉的関心から、ラオコオンその他のヘレニスティック彫刻だの、ミケランジェロの彫刻だの、ロダンの「考える人」だのの話を、ごちゃまぜにはじめた。……画家の発見し表現するすべての性質の美は、彫刻家に源している。何故なら、風景の美も、静物の美、結局人間の筋肉美からの類推なのだから。という奇説をふりまわした。

(同上)

 まず、武井の筋肉への執着がふんだんに語られることから、この対話は始まる。彼が彫刻を至上とするのは、量塊(マッス)と比例(プロポーション)が物質として現前するからである。これらはヘレニズムの芸術理論の根本的原理であり、筋肉の現存性を至上とする彼の志向がそこへ行き着くのは、想像に難くない。それは後世のバロック芸術における、「誇張」の概念にかかるのであるが、その話はここでは省略しよう。
しかし、風景・静物・その他全ての物質性を人間の筋肉へ還元するのは、何ら根拠のない暴論だ。武井のナイーブで無邪気な筋肉礼賛は、「芸術家」という存在の否定へと続けられる。

 彼は美に関しては人間の肉体というものが、可塑的な素材であると同時に芸術作品たり得る点で、芸術家の媒ちを必要とせず、「美というものには、本来芸術家など不要だ」というのであった。芸術家とはかくてブローカァにすぎず、もし人間の存在の意識そのものが芸術作品と化するなら、芸術家の存在理由は気弱になってしまうのである。

(同上)

 自らに秘められた美的感性を最大限に発現するのが自分の肉体ならば、確かにその肉体を使って外の対象に手を加えるよりも、肉体それ自体を芸術作品とした方が、「美的」であることは間違いない。しかし、この「美と発現」という問題はそれほどに単純でないことは、三島本人が重々承知していた。武井のナルシスティックな肉体論が、三島の美学を反映しているのならば、夏雄の肉体造形への反駁もまた、三島の思想が反映されたものであるのだ。
 夏雄青年は、武井の語る美学を普遍的なものとは捉えず、「明白に歴史的な一時代の美意識の影響下*4」にあるものと判断を下し、「ヘレニスティック彫刻の、いささかバロック風な『誇張』の様式から出たもの*5」と突っぱねる。そしてここから、その後の物語の伏線であり、さらには三島自身の運命を予見させるかのような、夏雄の反論が始まるのだ。やや長いが、全文引用することにする。

 夏雄はこんな議論に子供らしい危険を感じた。第一、芸術作品とは、目に見える美とはちがって、目に見える美をおもてに示しながら、実はそれ自体は目に見えない、単なる時間的耐久性の保障なのである。作品の本質とは、超時間性に他ならないのだ。もし人間の肉体が芸術作品だと仮定しても、時間に蝕まれて衰退してゆく傾向を阻止することはできないだろう。そこでもしこの仮定が成り立つとすれば、最上の条件の時における自殺だけが、それを衰退から救うだろう。何故なら芸術作品も円状や破壊の運命を蒙ることがあるからであり、美しい筋肉美の青年が、芸術家の仲介なしに彼自身を芸術作品とすることができたとしても、その肉体における長時間製の保障のためには、どうしても彼の中に芸術家があらわれて、自己破壊を企てなくてはならないだろう。筋肉の練磨と育成は、肉体を発展させることでもあるが、同時に時間的法則の裡に、衰退の法則の裡に、肉体を頑固に閉じ込めておくことであるから、それは芸術行為ではないのであって、自殺に終らぬ限り、その美しい肉体も、芸術作品としてのその条件を欠いている筈である。

(同上)

 芸術の本質を超時間性と規定する夏雄にとって、時間に縛されその精彩が衰えていくことが確約されている肉体は、芸術作品足り得ない。従って、人間の肉体を芸術作品として成立させるには、自らのカイロスで自らの命を絶たなければならないのだ。その時にこそ、現存在性の最大の発現は達成され得るのである。
 夏雄の憤りは、ついに口から言葉として現れ出てしまう。

「そんなに筋肉が大切なら、年をとらないうちに、一等美しいときに自殺してしまえばいいんです」

(同上)

 この夏雄の言葉は、この先に収が「自殺」することの伏線となる。収は高利貸の醜女に対し、母の喫茶店に対する強引な取り立てを止める代わりに、恋人となる条件を呑んでしまう。女は嗜虐的な性的嗜好の持ち主で、紐による緊縛などを執拗に収へ強要してくる。そしてある日、女は収の皮膚を剃刀でわずかに傷つけてしまう。そこで収は、こんな風に思弁を巡らしたのであった。

「これこそは世界の裡における存在の紛れもない感覚なのだ」と収は思った。「僕ははじめて望んでいた地点に達し、すべての存在の環につながったのだ」やさしい、なまめかしい血の流出。肉体の外側へ流れ出る血は、内面と外面の無常の親和のしるしであった。

(同上)

 内面が外面へ氾濫することにより、二者が同化・表面へ還元され、美が発現するというプロセスは、これまで何度も述べて来た通りだ。ここで三島による肉体の論理は、一つの自己完結を示している。「美しい肉体をあくまでも芸術作品として保持するためには、自己破壊を企てねばならないという逆接、そして内面と外面との『無上の親和』を実現するためには、肉体を裂いて血を流出させねばならないという逆接、これらふたつにしてひとつの逆接が、三島における肉体の論理を構成する*6」のだ。
 鏡子から収の自殺を伝えられた誠一郎は、返信の手紙を次のようにしたためる。

「美しい者になろうとする男の意志は、同じことをねがう女の意志とはちがって、必ず『死への意志』なのだ。これはいかにも青年にふさわしいことだが、ふだんは青年自身が恥じていてその秘密を明さない。その秘密を大っぴらにするのは戦争だけだ。」

(同上)

「美」は、「死」を志向する。いずれその美を失う前に、美を現存在としてとどめておくには、自己破壊を求めざるを得ない。美は、それの表出が絶頂に達した刹那に死を以て、完成するのだ。

 さて。その「美的な死への意志」が顕わになるのが戦争であるが、それは何も直接殺し合いをする戦場だけに留まらない。これから戦場へ向かう運命となり、懊悩する人間にも当然適用される。その苦悩と美的な死を描いたのが、映画化もされ三島自身が主演を果たしたという自著『憂国』(1960年)に他ならない。
 二・二六事件の叛乱軍を鎮圧させるという名目で、参戦し友を討たねばならぬという煩悶の末、切腹を覚悟した武山信二中尉とそれに連れ添う麗子夫人。死に臨む美男美女は互いの肉体を交わらせた後、〈死〉に臨むのであった。

 刃はたしかに腹膜を貫いたと中尉は思った。呼吸が苦しく胸がひどい動悸を打ち、自分の内部とは思えない遠い遠い深部で、地が裂けて熱い溶岩が流れだしたように、怖ろしい劇痛が湧き出して来るのがわかる。その劇痛が怖ろしい速度でたちまち近くへ来る。注意は思わず呻きかけたが、下唇を嚙んでこらえた。

三島由紀夫憂国」――『花ざかりの森・憂国

「若々しく引き締った腹*7」に刃が食い入り、内部からくる劇烈な痛みが信二を焼く。〈外部→内部→外部〉という、痛覚のプロセス。それは血液を媒介として、視覚される。「無常の苦痛*8」と「歓喜の焔*9」は、表面へと還元されるのだ。

拳がぬるぬるしてくる。見ると白布も拳もすっかり血に濡れそぼっている。褌もすでに真紅に染っている。こんな烈しい苦痛の中でまだ見えるものが見え、在るものが在るのは不思議である。
……血は次第に図に乗って、傷口から脈打つように迸った。前の畳は血しぶきに赤く濡れ、カーキいろのズボンの襞からは溜った血が畳に流れ落ちた。

(同上)

 劇痛を可視化させるのは血と、膏と、吐瀉と、涎と、そして内臓である。

中尉がようやく右の脇腹まで引廻したとき、すでに刃はやや浅くなって、膏と血に辷る刀身をあらわしていたが、突然嘔吐に襲われた中尉は、かすれた叫びをあげた。嘔吐が劇痛をさらに攪拌して、今まで固く締っていた腹が急に波打ち、その傷口が大きくひらけて、あたかも傷口がせい一ぱい吐瀉するように、腸が弾け出て来たのである。腸は主の苦痛も知らぬげに、健康な、いやらしいほどにいきいきとした姿で、嬉々として辷り出て股間にあふれた。

(同上)

 高潔な覚悟と怖ろしいまでの烈しさと艶かしさが入り混じった、至極凄絶なシーンだ。この実に血なまぐさい場面は、冷静な筆致で紡がれることにより、崇高にさえ感じる一幕に仕上がっている。溢れ出る血と内臓は、自らの美的理念が表面美へと還元する媒介にしてその象徴である。崇高な意志に依って、鍛え上げられた肉体を自ら破壊するその瞬間、美は最高潮へと高められるのだ。ここに、身体(表面)と精神(内面)の究極的合一と、それを成しえるカイロス的な「死」の決断が見て取れよう。ここでは美的対象=殺人対象を『仮面の告白』のように、他者に求める必要はない。美的人間としての自らを殺すことで、自身の美的観念は至高の形で貫徹されたのであった。

 ところで「美のための死」というものに、何かしら危ういものを覚えさせられるのは、けして道徳的要請からのみではない。自死とは外界に対する理解の拒絶であり、それは「知の否定」へつながる。ここでの「知」とは精神的理解であり、それを拒むところから志向するのは、カイロス的な死=自死・殺人に向かわざるを得ない。故に、死という観点から美を考えることは、恐ろしいものと感じられるのだ。美は現存在と実感に依拠し、思考を経ることなく官能を享受するものである。
そして三島は晩年に、輪廻転生を主題に「美と死」の問題について、一貫して追求した大作を書き上げた。それが、『豊穣の海』四部作(1969〜1970年)である。

「……人間の美しさ、肉體的にも虗藭的にも、およそ美に屬するものは、無知と迷蒙からしか生れないね。知つていてなほ美しいなどといふことは許されない。同じ無知と迷妄なら、それを隱すのに何ものも持たない虗藭と、それを隱すのに輝かしい肉を以てする肉體とでは、勝負にならない。人間にとつての本筋の美しさは、肉體美にしかないわけさ」

三島由紀夫豊饒の海(四) 天人五衰」――『三島由紀夫全集 19』(傍線部、原文傍点)

この四部作の主人公は必ず20歳で死ぬ(第四部『天人五衰』の安永透は除いて)。そしてその年に、全ての記憶を洗われて転生される。松枝清顕、飯沼勲、ジン・ジャン、彼らの生を何十年と見届けていくのが、もう一人の主人公である本多繁邦だ。第四部である『天人五衰』(1970年)で、三人の死を通じ老年となった本多は、安永透という少年を彼らの生まれ変わり(実は違ったのだが)と信じ、養子として向かい入れる。その理由を友人である久松慶子に問い詰められ、本当のことを打ち明けたときに、続けて口にしたのが上述の言葉だ。
美が純粋に美として表面に顕れ出るには、知ることを介してはならないのだ。精神を廃し、感覚のみに自己を埋没させなければならない。それは自分の老いに対する自覚さえ、例外ではないのだ。また、その老いについて思考することもなく、ただただ官能を働かせることが、美を真に直観する唯一の方法である。
時間の否定(超時間性)、思考・精神の否定、そこから導かれる道は「死」に行き着くしかない。

 知らないということが、そもそもエロティシズムの第一條件であるならば、エロティシズムの極致は、永遠の不可知にしかない筈だ。すなはち「死」に。

三島由紀夫豊饒の海(三) 暁の寺」――『三島由紀夫全集 19』

 さて。この四部作の中で、『憂国』の武山中尉のようなカイロス的な死を遂げた存在として、第二部である「奔馬」の主人公である飯沼勲が挙げられる。右翼テロリストである彼は、経済界の重鎮を暗殺する。それから夜明け前の海を前にして、彼は切腹に至ったのだ。彼の瞼の裏には、日輪が「赫奕と昇った*10」という。
 三島は、『奔馬』を書き上げる28年前、先にあげた『中世における一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃』において、「殺人者にとって落日はいとも痛い。殺人者の魂にこそ赫奕たる落日はふさわしいのだ*11」という文章を書いている。何とも、遠い未来に自分が描く作品の結末を予見したかのような一節だ。ただここでは「落日」と書いてあるが、『奔馬』での太陽は「夜明け」のそれである。またこの後に続く文として、「美そのものさえそれは殺害(あや)め得るのである*12」と書いている。落日の持つ憂鬱は、美を殺す。しからば昇陽のそれは、蟠りを晴らし美の絶頂へ主体を至らしめる、象徴なのであろうか……。これらの二つの情景における対比からは色々な連想ができることであろうが、本筋から話が反れてしまい兼ねないので、この話はここまでにしておこう。
 話を戻す。今や、この『奔馬』の結末に触れた読者のほとんどの人が、「三島事件」の顛末を想起することであろう。三島由紀夫は1970年11月25日、自らが組織した「楯の会」の隊員四人とともに市ヶ谷陸上自衛隊東部方面総監部を襲撃した。そしてバルコニーから自衛隊員に演説をした後、中へ戻り割腹自殺を図ったのである『憂国』や『豊饒の海(二)奔馬』でカイロス的な自死を描いた彼は、自らの命をかけて私達に「美的観念と肉体、そして自己破壊(カイロス自死)による超時間的・美的完成」という問題を投げかけたのであった。
 ――だが、内部と外部の合一と美的死生観という問題は、これで一切の完結を迎えてはいない。確かに、三島は「内(精神、観念)と外(肉体、官能)の合一は、カイロス的死によって究極的に達せられる」という命題を、自分の作品と生涯を以って訴えた。だが、それだけが三島が命をかけてまで訴えたかったことなのか? 三島は果たして、そうした美的自死をプリミティブに全肯定していたのか? 私は、そうは思わない。事実、彼はこの思想に限界性を感じていた。それは先にあげた『鏡子の家』における、武井と夏雄の対決で明らかではないか。もし三島が、「美的完成を求めたカイロス自死」に何ら疑いを抱かなかったのならば、こんなやり取りはそもそも描かないだろう。三島は、自分の美的観念に対して、常に限界を感じていたに違いない。それを読み解く鍵は、彼の最初期の作品である『花ざかりの森』で既に示されている。

・ 内と外の統合における極致、自我の彼岸。行き着く先は全て「無」

 『花ざかりの森』は、場面ごとの登場人物の位置関係が分かり難く、三島の作品では極めて読み辛い部類に属する。しかしそうであるからこそ、この作品の唯美的な雰囲気は成立しているともいえよう。幼き時の記憶、園丁の緑、木漏れ日、鳥の囁き、古写真から馳せる情景……、そうした幻想的な情景が多層的に描かれるのが本作である。そしてこの作品において最も重要なのは、その結末の部分である。老婦人に招かれたまろうど(まれびと、客人の意)は、夫人と共に邸宅の裏の林を抜けたところにある高台から、町並みと海を望む。寂静とした情景を以って、この短編は幕を閉じる。

まろうどはふとふりむいて、風にゆれさわぐ樫の高みが、さあーっと退いてゆく際に、眩ゆくのぞかれるまっ白な空をながめた、なぜともしれぬいらだたしい不安が迫って。「死」にとなりあわせのようにまろうどは感じたかもしれない、生(いのち)がきわまって独楽の澄むような静謐、いわば死に似た静謐ととなりあわせに。……

三島由紀夫「花ざかりの森」――『花ざかりの森・憂国

 このような一節を、三島は16歳で書いたというのだから、舌を巻くばかりだ。しかしその文章力もさることながら、ここで問題にあげたいのは「死」と「生」という概念と、「静謐」というモメントにおける関連性である。「生(いのち)がきわまって独楽の澄むような静謐」は、「死に似た静謐ととなりあわせ」という記述は、いったい何を意味しているのか。静寂のなか、その清冽な情景を目の当たりにしたまろうどに、「なぜともしれぬいらだたしい不安が迫っ」たのは、どうしてであろうか。ここに私は、三島の思想の肝である「実存への意志=死への不安」が見て取れるのではないかと、思わざるを得ないのである。
 中も外もない、美の境地。それは「カイロス自死」によってのみ達せられるものではないことを、三島はこの頃から承知していたのではないか。外と内の合一、それを主体的に決断する「カイロス的死」があるとすれば、忘我の大海へ身を任せる「クロノス的死」がその対極に存在することを、三島は16歳の時よりずっと意識していたのではないか。
 故に、この『花ざかりの森』の結末が『豊穣の海』の第四部である『天人五衰』の幕と重なって見えるのは、偶然ではないのだろう。

 これと云つて奇巧のない、閑雅な、明るく開いた御庭である。數珠を繰るやうな蝉の聲がここを領してゐる。
 そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めてゐる。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は來てしまつたと本多は思つた。
 庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる。……

三島由紀夫豊饒の海(四) 天人五衰」――『三島由紀夫全集 19』

 透が松枝清顕やジン・ジャンの生まれ変わりでないことを知った本多は、清顕とかつて逢瀬を交わした綾倉聡子に会いに行く。仏門に入って数十年が経過した彼女は、既に清顕のことを憶えていなかった。そして、寺の庭へ若僧に連れられた本多は、どうともいえぬ虚しさのなかで、ただ呆然とするのであった。
 記憶の否定は時間の否定。なにもないということは、思考・精神の否定であり肉体の否定である。そこから導き出される概念は、先のカイロス的死と同じように、「死」でしかあるまい。しかしそれは、切腹のような動的なものではなく、至極静的なものである。それを言い表す言葉はただ一つ、ただ「無常」である。
 ……けれども、皮肉なものだ。無機的で非主体的な時間であり内部を志向するクロノスから脱しようとして、有機的で主体的な時間であり外部を志向するカイロスを意識すればするほど忘我へ向かっていってしまうという逆説が、ここに成立している。いずれにしても行き着く先は、無でしかない。死を前にして人間は、それに挑む姿勢が積極的であろうと消極的であろうと、結局は無に帰すのである。「無常観」という内部からくる忘我へのいざないに対して、どれだけ人は耐えられるのであろう? それに対して、精神(内部での自律)を重きに置くか、それも外部に還元されるのであるからと、肉体=表面に重きを置くか……。三島は、市ヶ谷の総監部に乗り込むその日に、この『天人五衰』の入稿をした。完全なる無と相対した三島は、無常観に身を沈めることなく、主体的に死に臨むことを決断したのだ。死に対する内と外の問題とは、そうした自らの存在の本質をどこに求めるかを選ぶ、その「意志」の問題なのである。


総論

 外面と内面、そして二者を還元する表面という観点から、三島の美学と死生観を考察したこの思弁的冒険は、「カイロス/クロノス」という時間概念を経てから、内も外も全てが無に帰す「無常」という概念に辿りついて、やっとひとまずの帰路を迎えた。
 私は今から1年半ほど前、『基礎演習I』の授業で三島由紀夫をテーマにしたレポートを書いた。そこで「『生の否定こそが美の極致』というニヒリズム的な唯美主義を、いかにして超克するかが、三島が「死」を以って我々に与えた課題である」という結論に至ったことを憶えている。そして私は今回の論文で、そのさらに先の可能性について三島は思考していたことを明らかにした。それは、「カイロス的死にしろ、クロノス的死にしろ、いずれも無に帰す。従って、どちらを選ぶかは主体の〈意志〉の問題である」ということだ。
 最後に。『鏡子の家』におけるこの一節を添えて、この論文の終わりとしたいと思う。
夏雄は武井との論争の後に、神秘主義に埋没してしまった。だが彼はそれを自力で克服した。そして、物語の最後でこのように悟るのである。

 もし魂というものがあるなら、霊魂が存在するなら、それは人間の内部に奥深くひそむものではなくて、人間の外部へ延ばした触手の尖端、人間の一等外側の縁でなければならない。
三島由紀夫鏡子の家

 人間の存在の原理、本質を求めて、三島は外部へ外部へと意識した。しかしその縁に辿り着いたその先は、内部へ内部へと向かった時に同じく辿り着く、「無」があるのみであった。その無と対峙したとき、人間はどのような死生観・美的観念を抱くか、この難問に対して三島は全身全霊を以って答えたと同時に、「君たちなら、どうするか?」と私たちへ投げ返したのである。


参考文献

『文学の皮膚 ホモ・エステティクス』谷川渥 白水社 1997年
『美学の逆説』谷川渥 筑摩書房 2002年
『美のバロキスム 芸術学講義』谷川渥 武蔵野美術大学出版局 2006年
『肉体の迷宮』谷川渥 東京書籍 2009年

仮面の告白三島由紀夫 1950年
金閣寺三島由紀夫 1956年
――『三島由紀夫全集』中央公論社 1965年
「花ざかりの森」三島由紀夫 1941年
「中世における一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」三島由紀夫 1943年
憂国三島由紀夫 1960年
――『花ざかりの森・憂国』新潮社 1968年
「若きサムライのための精神講話」三島由紀夫 1969年
――『若きサムライのために』文芸春秋 1969年
豊饒の海(一) 春の雪」三島由紀夫 1969年
豊饒の海(二) 奔馬三島由紀夫 1969年
――『三島由紀夫全集 18』新潮社 1973年
豊饒の海(三) 暁の寺三島由紀夫 1970年
豊饒の海(四) 天人五衰三島由紀夫 1971年
――『三島由紀夫全集 19』新潮社 1973年
薔薇と海賊三島由紀夫 1958年
――『三島由紀夫全集 22』新潮社 1975年
「アポロの杯」三島由紀夫 1952年
――『三島由紀夫全集 26』新潮社 1975年
鏡子の家三島由紀夫 新潮社 1959年
『裸体と衣装』三島由紀夫 新潮社 1983年

『美と共同体と東大闘争 三島由紀夫 VS 東大全共闘
 三島由紀夫 東大全共闘 角川書店 2000年

*1:三島由紀夫鏡子の家』新潮社

*2:三島由紀夫鏡子の家』新潮社

*3:谷川渥『文学の皮膚 ホモ・エステティクス』白水社

*4:三島由紀夫鏡子の家』新潮社

*5:三島由紀夫鏡子の家』新潮社

*6:谷川渥『文学の皮膚 ホモ・エステティクス』白水社

*7:三島由紀夫憂国」――『花ざかりの森・憂国』新潮社

*8:三島由紀夫仮面の告白」――『三島由紀夫全集』中央公論社

*9:三島由紀夫仮面の告白」――『三島由紀夫全集』中央公論社

*10:三島由紀夫豊饒の海(二) 奔馬」――『三島由紀夫全集 18』新潮社

*11:「中世における一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」三島由紀夫――『花ざかりの森・憂国』新潮社

*12:「中世における一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」三島由紀夫――『花ざかりの森・憂国』新潮社