右胸を抉られたかのような鋭い痛み
何だろう
この哀しみは
息が詰まる


01/14である。
なんだろう、短い休みも長い休みも結局ろくに作業が進まない。
長い休みは長い休みなりに欲張ろうとして、死に体のこの身体がついて行けるはずもなく、早く寝ればいいのにぼーっとしている間に寝る時間も遅くなって、勿論早起きする気もないから起きる時間も遅くなって・・・と要はダメ人間なの、この人。
まあ、いいや。
日付に関係ないことあまり書くと混乱するからやめよ(最初からそうしろ)


先週「15時間労働」というテーマで日記を付けたが、この日は本当に15時間労働だった。
9時に出社して、会社を出たのが1時。
勿論、25時のことです、ええ、午前様です。
休憩をとったのが合計しても1時間に満たないので(お昼は統合作業で休めず、夕は休む気力すら失っていた)、実働がちょうど15時間。
2日分働いてますがな。
まあ、努力の甲斐あって見事休日を勝ち取りましたけど。


(なあ。休日って勝ち取るものだっけ?)


まあ、仕方ありません。
自ら望んで(?)飛び込んだ開発の現場、IT戦争の最前線。
このぐらいですんでいるのも僥倖でっせ。
もっとも、これ以上働かされたら身体が持たぬが。


で。
なにがまずいって、そのまま直帰しなかったこと。
どこにいったかというと、同期飲み会の場へ。
なにしにいったというとジャラポン
あ、勿論オトナの人がやるやつです。
高校生はやってはいけません(やったことがあるな、そう言えば)。


どうしてそういう成り行きになったかというと、誘われたから。
いや、死にかけているんなら断れよ。
まあ、既に気付かれているだろうが、この人、基本的に誘われたら断れない(正確には断らない)タイプなのです。
最近はにべもなく断ることが増えてきたけど。
あ、ちなみに、アウトドアはダメダメです。
身体の暴発の危険があるので自主規制。
間違えても押しの弱い性格(というより自暴自棄な性格)を悪用しないように。


この日は理性もどっかぶっとんでいたのだろうね。
篠突く雨と、五里霧中とはまさにこのこと、と言わせるようなものすごい霧の中、傘を片手に自転車で会場に向かっていたのだから。
普段ならその状況だけでやる気無くして直帰していたはずなのにね。


まあ、それで4時近くまで四角いものを並べていたわけです。
そんなんで身体の調子が改善するはずもなく。
毎度おなじみ血反吐を吐くような状態で週末に突入したのでした。


続く<いつになったら終わるんだろ>
(しれっというな、しれっと)

北欧神話と伝説

北欧神話と伝説

書名:北欧神話と伝説
著者:ヴィルヘルム・グレンベック(山室静:訳)


うーん。
何とも言い難い。
北欧神話について書かれた本は意外に少ない(良い本を知っている人、教えてチョーダイ)。
アニメーションやテレビゲームでよく利用されている割には、核となる原作の本がない。


私も本書を読むまでは、北欧神話に関しては、ワーグナーの『ニーベルングの指環』の絵本もどきしか読んだことがなかった。
本書はトール神の話に始まり、かの「ラグナロク」までの神々の物語が余すところなく紹介されて・・・いたことにはいたのだが、何かとてもあっさりとしていて、物足りなかった。
ラグナロク」など、誰々が誰々と闘って、誰が勝って、そいつが誰に殺されて・・・って、ものすごく味気ない。
だって、「ラグナロク」だよ。
滅びの美学の代名詞だよ。
って、一人で盛り上がっていた私だけなのだろうか、この物足りない感を感じているのは。


しかも神々が登場するのは序盤の「ラグナロク」までで、後はほとんどヴァイキングの話。
中には面白いものもあったが(竜殺しのシグルドとか。あ、やっぱり『ニーベルング』がらみなのね)、退屈な話も多かった。
神もオーディン神が忘れた頃に顔を出すぐらいで(しかもヴァイキングども、キリスト教に改宗してやがるから、オーディン神は疎まれていやがるの。なんなの、これ)、基本的に人間界(ミッドガル?)のことには無関心。
なんかね。
ギリシャ神話と比較してしまうからなのかもしれないけど。


ただ、全体を貫く雰囲気はさすが北欧神話といった感じ。
とにかく悲壮感に満ちているの。
俺の元からフェルギエ(守護精霊)が去ったから俺は死ぬんだ、とか言いながら逃げないで死地に飛び込んでいくの。
さすがゲルマン魂。
さすがニーチェ
(いや、違うだろ)


いや、それにしても、元の北欧神話がこんなに退屈だったとは。
トライエースがいかにすごいかが解った。


爆笑問題のニッポンの教養 哲学ということ 哲学

爆笑問題のニッポンの教養 哲学ということ 哲学

書名:爆笑問題のニッポンの教養 哲学ということ
著者:太田光, 田中裕二, 野矢茂樹


うーん(またかい。あんたの評価は"良書である"か"うーん"しかないのか)。
面白かったんだけどね。
さすが野矢さん、と思ったんだけどね。
太田は鋭い感性を持っていることも知っていたんだけどね(以前の対談本『憲法9条を世界遺産に』でそう感じた)。
やっぱりテレビ番組って限界あるよね。
え、たったこれだけ、と思ったもん。


(なんか今日は口調が変だな。風邪でもひいたか?)


それにしても、野矢さんってヴィトゲンシュタインがご専門だったのね。
どうりで論理が素晴らしいわけだ。
って、この本の感想は?
まあ、値段不相応だけど、野矢さんの興味深い話が聞けたからいいんじゃないの。
(そんないい加減でよく書の評なんか書こうとするな)


夢の守り人 (新潮文庫)

夢の守り人 (新潮文庫)

書名:夢の守り人
著者:上橋菜穂子


守り人シリーズ第3弾。
ようやくこの世界にも慣れてきました。
なんか古代の中国とモンゴルを足して二で割ったような変な国なんでね、なかなか慣れなくて。


設定はいろいろと物足りない部分もあるんだけど、この作品に関してはそれはあまり気にすることはない。
エンターテイメント小説、ではないからだ。
立派な人間ドラマだと思う。


ファンタジーだからといって全てがエンターテイメントとは限らない。
語りたいことが先にあって、その表現手段としてファンタジーが選ばれている場合があるからだ。
ファンタジーを表現手段とするのは以下の2つの理由による。
1つは、ある条件を設定するためにどうしてもファンタジーでなければならなかった(例えば呪いの魔法で姿を変えられてしまった、とか)という理由。
もう1つは著者の筆力と知識・経験の都合上、ファンタジーを選ばざるを得なかったという理由である。
創作は想像力の産物とはいえ、やはり経験していないことを書くことには限界がある。
小説家が取材旅行にいくのはあながちただの漫遊とは言い切れないのである(勿論ただの漫遊の場合もある。逆に浅田次郎のようにエッセイでその体験談を生かしている超越的な作家もいる)。
だから新人作家(特に若手)のデビュー作は「学園もの」が多いのである。
ファンタジーは体験に基づく創作ではないが、それまで作家が感じてきたこと、想像してきたことが全て一種の「体験」としてその中に活かせるという点ではこれほど「書きやすい」ジャンルもない(ただし、それは作家のセンスが大きく左右する。宮部みゆきの書くファンタジーは2度と読みたくない。ミステリーなら喜んで読むが)。
この著者の場合は、後者の理由(ファンタジーが書きやすい)からファンタジーを表現手段として選んだのだろうと思われる(と思って著者紹介を読んでいたら、文化人類学者だった。やっぱり)。


3作目の本書は、人間の心の弱さを扱っている。
フロイトの心理学で言えば、人間の、死に魅せられる心の動き、死の欲望、タナトスである。
眠りたい、このまま目覚めたくない、死んでしまいたい、そのような人の願望、また、この苦しみを皆に味わせたい、自分だけ苦しんでいるなんて不条理だ、という間違った認識に基づく歪んだ感情。
本書はそのような人間の負の感情と真っ向から向き合った佳作である。


著者の出した結論は本書を読んでいただくとして、この著者の作品の素晴らしい点を最後に記しておく。
それは、人間を描いているという点である。
1作目の『精霊の守り人』から、著者は様々な登場人物を、その登場人物の立場から描写し続けている。
その誰もが固有の特長を備えつつも、弱い心を持った人間である。
彼らは迷い、苦しみ、時には誘惑に駆られて悪に手を染める。
スーパーマンの様な超人的な人間はいない(超人的な人間を設定することは人間ドラマを書く上でもっとも短絡的な逃げの手段である。途端に物語の質が暴落する)。
凄腕の短槍使いである主人公も、老獪な呪術師も、実直な主人公の幼なじみの薬師も、それぞれ心に脆さを抱えており、時に過ちを犯す。
しかし大事なのは、自らの弱さを自覚していること、そして危機に陥ったときに助けてくれる人がいるということなのだ。


人は弱い、だからこそ支え合い、助け合う。
そんな当たり前だけれども大切なことを自然に(あまりにもあからさますぎると読んでいてしらけてしまう。自然にということが重要なのである)感じさせる。
本作が良書である所以である。
(また、途中から口調が変わった。かっこつけちゃって)


機動戦士ガンダムUC〈3〉赤い彗星 (角川コミックス・エース)

機動戦士ガンダムUC〈3〉赤い彗星 (角川コミックス・エース)

書名:機動戦士ガンダムUC〈3〉赤い彗星
著者:福井晴敏


はあ、赤い彗星ですか。
・・・・・・。
あのさ、福井晴敏って、ただのガンダムヲタクなんじゃん。
結局これがやりたかったわけでしょ。
まあ、面白いからいいけどね。


富野に見込まれた男なんだから、もう少し自重してくれ〜と言いたくもなる。
ガンダムはロボットプロレスの物語じゃないんだよ。
人間ドラマなんだよ。
わかる?
まあ、大作家先生に意見するつもりはないけど。
私ごときに言われるまでもねえって?
そりゃ知ってますよ、取り越し苦労だって。
大丈夫ですよね、福井先生。


うーん。
なんだろ。
やっぱり雰囲気はF91だな〜。
絵のせいかな〜。
主人公シーブックと似ているし(性格全然違うけど)。


で、やっぱり彼女、ミネバ・ラオ・ザビなのね。
この時期で使えそうなジオンの象徴って言えば、間違いないとは思っていたけど。
・・・・・・。
そういうあんたこそ重度のヲタクなんじゃないの。


ま、まあ、物語の展開を見守るってことで。
(見苦しいったらありゃしない)