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2015-08-02 氣波動と氣粒子:氣光子があるのではないだろうか このエントリーを含むブックマーク

波動と氣粒子:氣光子があるのではないだろうか


テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性


氣は思うに、気体より、液体のイメージの方がいいのではないだろうかというようなことを思ったりする。

 でも、これはおいておこう。

思ったのは、氣波動・氣振動が虚軸において、存する。いわば、虚界である。内超界である

 そして、それが、MP(media point)で次元転換して、氣粒子になるのではないだろうか。そう、氣原子と言っていいかもしれない。あるいは、氣量子である

 そして、太陽光とは、単なる光子ではなく、氣光子からできているのではないだろうか。これが、人間ココロに歓喜をもたらすのではないだろうか。光は氣光ということになる。

 もっとも、これは既述であるが。

 そう、氣光子ないし氣粒子は、物質科学的には、光子や量子として、観察されて、それ自体は検出されないのである

 ここが大きな問題である

 氣自体観測されないのである

しかしながら、太陽光と人工照明に拠る違いは明らかだろう。たとえば、植物の生育を見ればわかるだろう。

 光合成システムには、氣光子、氣粒子がはたらいているのではないだろうか。

 そう、生命は陰陽共振が原点であるもっとも、陽主導と陰主導があり、後者が陰陽共振である

 この陰陽共振に氣光子、氣粒子が調和的に作用して、植物はよりエネルギーを得て、成長するということではないだろうか。

 不思議なのは光合成細菌放射性物質を好むということである

 思うに、一般の生命界が成立する以前に、細菌放射性物質前生命界があったのではないだろうか。

 そして、その前生命界を抑圧するようにして、通常の生命界が誕生したということなのか。

 とまれ物質科学技術は、いわば、この前生命界を呼び戻してしまったということかもしれない。

 

追記:氣光子、氣粒子は、別名、生命子、生命粒子とでも言えよう。

 詩人芸術家直観で捉えた生命とは、これらのことではないか。

 自然ココロ共鳴することで、生命子、生命粒子は活性化し、若返るように思える。

 都会はこの生命子がないということになる。灰色ジャングルで、生命脈動がないのである

 それにしても、物質科学技術人間精神が分離してしまったのは、大問題である

 前者のタームでは、後者を捉えられないし、後者のタームを前者は非科学と見るのである

 共通言語がないのである

 後で、架橋について考えたい。


追記2:氣光子という考え方から、逆に、氣暗子というものがあるのではないだろうか。これは、前者が⇒+1であるのに対して、⇒−1である

 ダークマターダークエネルギーと結びつけられるかもしれない。

 以下の図で、−1(重力)を氣暗子、ダークマター等と想定するのである。そうならば、宇宙は陰より陽が主導的であるということになるのである。陽は闇を作るのである

 

 

            凸i陽

             |

             |

             自

             我

             |

             |

−1地_____MP・霊______+1天

重力)         |          (光)

             |

             感

             性

             体

             |

             |

            凹i陰


      応用陰陽ガウス平面

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2015-07-26 父権自我力学分析:同一性自我(陽自我)×感情欲望身体(陰自我) このエントリーを含むブックマーク

画像は以下を見られたい。

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12054764338.html


父権自我力学分析同一性自我(陽自我)×感情欲望身体(陰自我):陽陰両自我の融合


テーマGP陰陽哲理学ガウス平面と陰陽論の統合


現代日本女性の多くは父権化していて、ココロが欠落している。

 とまれ父権自我の解明を再確認したい。

 精神自我体+感情欲望体(アストラル体)、言い換えると、陽自我+陰自我シュタイナー悪魔論的には、アーリマンルシファー二元論ないし極性論である

 簡潔にするため、陽自我と陰自我で説明したい。

 陽自我は、同一性自我であり、単独の一へと志向する。つまり、唯一化、「唯一神」化である物質的には、原子核へと中心化する志向と言えるだろう。

 それに対して、陰自我は、感情欲望自我、あるいは、拡散志向自我宇宙自我である物質的には、原子電子志向である。そう、陽自我の極力を向心力、陰自我の極力を遠心力と言うこともできよう。中心化力と脱中心化力である。集中と発散である。【この陰陽の様態については、桜沢如一〔ゆきかず〕氏の『無双原理:易』から得た。


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 そう、注目すべきことは、「東洋的」、「アジア」的小説家D. H. ロレンスは独特の評論無意識幻想Fantasia of the Unconscious』でほぼ同様のことを述べているのである

 宇宙と一体としての太陽神経叢(肚)と宇宙とは別個としての独一としての腰椎神経節(間違っているかもしれない)である

 前者が陰自我であり、後者が陽自我である


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さて、父権自我であるが、それは、当然、陽自我に傾斜しているのである

 だから同一性主義、自己中心化主義、唯一主義に向うのである

 だから、陰自我感情欲望体、差異他者に対して、同一性押し付けるのである。つまり、同一性によって、陰自我感情欲望体、差異他者支配するのである

 ここで、陽自我は陰自我同一性刻印して、取り込むのである。それは、同一性的一体化・一致・一元化と言っていいだろう。

 そう、陽自我同一性によって、陰自我と融合するのである

 これは、陽自我意識においては、二元論であるが、実際は、同一性主義であり、一元論である

 さて、陽自我同一性刻印され、支配された陰自我であるが、これは、それ独自力学をもっているから、陽自我にいわば復讐するのである。つまり、反動化するのである

 そう、陰自我はわかりやすく言えば、大宇宙である森羅万象であるコスモスである

 それが、陽自我同一性一元的支配に反抗するのである

 では、その様態はというと、それは、情動・欲動・衝動(・狂気)となるのである無意識衝動であるニーチェで言えば、ディオニュソスである

 ここで簡単に作図しよう。


自我・・・同一性、中心化、唯一・独一化

      ↓ ↓ ↓

      ↓ ↓ ↓

      ↓ ↓ ↓

・・・・・・・・↓ ↓ ↓・・・・・・意識の縁・境界

      ↓ ↓ ↓ 

      ↑ ↑ ↑(反抗、復讐反動

      ↑ ↑ ↑

自我・・・感情欲望、差異他者、大宇宙


(追記:ココロ領域を記していない。ココロ意識の縁・境界形成されていくと考えられる。後ほど、ココロ形成力学と図を書いてみたい。)


自我の↑ ↑ ↑は、陽自我に対する反抗、復讐反動である。反射とも言える。

 ついでに言えば、二重人格はこの陽自我力学からまれると言えようし、また、陰自我反動が過剰になる場合精神の病も生まれよう。

 以上で父権自我の基礎構造を説明した。

 では、今日におけるハイパー父権自我、タイトな父権自我様態を考えてみよう。

 父権自我意識において、陰自我否定・抑圧・排除されているのである。そうすると、陰自我は別人格となり、陽自我父権自我を動かすのである

 端的に、陽自我父権自我の知性を狂わすのである。陰自我盲目衝動が発動・発現・発露して、陽自我の知を混濁させるのである

 知性は本来、陽自我と陰自我のバランスのココロと繋がっている。しかし、陽自我ハイパーになると、陰自我ココロ排除するので、自我のもつ観念は、知性から逸脱し、妄想倒錯狂気化するのである

 しかし、父権自我自身はそれに気付かないのである

 そう、ハイパー父権自我は、差異他者否定・抑圧・排除するので、外的差異他者否定・抑圧・排除する情動衝動・欲動をに支配されるのである

 これは発作的である病理である。当然、暴力破壊殺意が入ってくるのである

 これが、現代日本社会心理状況と考えられる。

 そう、これに放射能脳障害や身体障害が入るので、途方もない暴力狂気殺意が生じるのである

 最後タイトルに、陽自我×陰自我というように掛け算を入れたが、陽自我同一性志向の掛け算ということである。つまり、陰自我否定的掛け算、つまり、マイナスが入る掛け算である

 それに対し、陰自我は優勢であると、つまり、母権自我場合プラスの掛け算である

 前者は物質的力であり、後者生命的力と言えよう。

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2015-07-25 日本文化の最大の欠陥は主語なき日本語にあるのでは? このエントリーを含むブックマーク

日本文化の最大の欠陥は主語なき日本語にあるのでは?


テーマ日本亡国の凶相:黙示録日本


先に、主語subjectは主体subjectであり、主語なき言語主体なき言語ではないかと述べた。

 自我はあるのであるが。

 主語主体対象他者object or othersにはたらきかけるのであり、ここで、主語主体対象他者の対極があるのである

 しかし、主語主体がない場合対象他者はどうなるのか。

 おそらく、自我対象未分化の一体性があるのではないだろうか。

 日本人場合自我対象他者)の区別あいまいのであり、未分化ではないだろうか。

 これでは、主体対象区別する科学は成立しないのではないだろか。

 そう、自我対象他者)の未分化あいまい関係があるのであり、主体ないし個、さらに、他者が成立していないのではないだろうか。

 私は日本語愛着をもってきたが、最近は、時代遅れ時代錯誤言語の可能性があるように思えている。


追記:

 主語主体対象他者相互関係において、主語主体精神において、ココロの端緒が発生するのではないだろうか。

 つまり、主語主体とは異質なものとしての対象他者があり、そこで、主語主体自我抑制をかけると思われる。

 この自我抑制において、ココロの端緒や領域が発生すると思われるのである

 問題は、主語主体における感情・欲望である

 しかし、自我抑制は、自我観念と同時に、自我感情・欲望へ抑制ということではないだろうか。

 日本の「科学」が出鱈目で、妄想・妄念的なのは、以上から説明できるのではないだろうか。

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2015-07-22 氣とDNA このエントリーを含むブックマーク

氣とDNA


テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性


豆乳ヨーグルトの多食は先に述べたように、別人のように活力をもたらす。

 思うに、氣と免疫力はどう関係しているのか。

今は、氣とDNA関係について予備考察したい。

 直観では、陰陽対(つい)とDNA塩基の相関が考えられる。

陰陽ガウス平面を観ていただきたい。


**************************


            凸i陽

             |

             |

             自

             我

             |

             |

−1地_____MP・霊______+1天

重力)         |          (光)

             |

             感

             性

             体

             |

             |

            凹i陰


      応用陰陽ガウス平面

(尚、MPMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等であり、太極太一、そして、霊である。)

 また、GP陰陽方程式がある。即ち、

凹i*凸i⇒±1

である

 凹iは陰を、凸iは陽を表わし、両者、虚軸にあり、±1は実軸にある。

 *は陰陽極力学意味する。実際は乗法である。陰凹iが主導のときは+1,陽凸iが主導のときは、−1となる。

  ⇒は次元転換を意味する。氣エネルギー現象エネルギーへと転換する事象意味している。

 ハイデッガー哲学存在は、この⇒と見るのが適切かもしれない。おそらく、時間が⇒である


***************************


虚軸の陽凸iと陰凹iの陰陽対が次元転換して、実軸の+1と−1の対に転換すると考えられるのである

 DNA塩基対は実軸に存すると言えよう。

 (そして、放射能はこの実軸のDNA破壊し、生命更新を損なうのである。)

 問題はこの次元転換の力学事象である

 実軸のDNA放射能によって破壊されたとき、当然、生命破壊されるが、虚軸の陰陽対(生命氣対)は、破壊されないはずである

 豆乳ヨーグルト乳酸菌は、実軸のDNA保護すると考えられる。

 当然、元気になるのである

 では、虚軸の陰陽対氣はどうなっているのか。

上図において、陰陽方程式は凸i*凹i⇒±1となっているが、実は、これは、簡略化したものである本来は、凸i*凹i⇔±1である。つまり、両辺の相関性があるのである

 だから、実軸において、つまり、DNAにおいて、たとえば、乳酸菌によって免疫強化された場合、それは、左辺へと関係するのである。つまり、虚軸の陰陽氣対が影響されて、氣が強化されるということのように思えるのである

 つまり、乳酸菌による免疫力強化とは、氣の強化、つまり、生命力の強化になると考えられるのである

 私が豆乳ヨーグルトの多食により、別人のような活力を獲得したことは、これで説明がつくのではないだろうか。

 今は簡単であるが、ここで留める。

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2015-07-18 弁証法と陰陽極立原理 このエントリーを含むブックマーク

検討問題弁証法と陰陽極原理


テーマGP陰陽哲理学ガウス平面陰陽哲理学


私はこれまで、弁証法、とりわけヘーゲル弁証法批判的に捉えてきたが、つい最近弁証法で説明が可能なものもあるとわかった(後記:以下でわかるように、これは間違いであった)。

 これまでの私の観方と齟齬を来すので、検討したい。

 今は詳論できないので、簡単に指摘するに留める。

たとえば、Aさんが、「私は昼が好きである」と言う。それに対して、Bさんが、「私は夜が好きである」と言う。

 昼が正・テーゼ、夜が反・アンチテーゼ、すると、黄昏夜明け(英語のtwilight〔薄明〕がぴったしの言葉である)が合・ジンテーゼになるだろう。

 そう、私が気にしていたのは、弁証法マルクス的変形、即ち、唯物弁証法である。それは、正反合の合において、正が新たに復活するというような内容である

 しかし、それは弁証法の歪曲であるあくまでも、合は正と反との結合・統合でなくてはならないのであり、合において、新たに正が復活するというのは、反の否定であり、それは、合ではなく、新正に過ぎない。それは、偽弁証法である

 マルクス共産主義弁証法はそのようなものである。初めに、原始共産主義(正)があり、次ぎに、資本主義(反)があり、そして、共産主義資本主義止揚揚棄aufhebenする(合)というものである

 しかし、当然、ここでは、資本主義(反)が否定されて、合に入っていないのである。これは、弁証法ではなく、二項対立主義であるマルクスの唯物弁証法は偽弁証法であり、端的に、二項対立主義なのである

 しかしながら、このような二項対立性はヘーゲル弁証法にあったのではないか。

 ヘーゲル弁証法ざっと言えば、精神(正)⇒物質(反)⇒物質形式(形相)をもった新精神(合)である

 確かに、物質形式を含むという点では合の作用をもつ。しかし、精神(正)が回帰するのであり、合本来の正と反の共立性が成立するのではないのである。正と反の共立性とは端的に、陰陽極性、陰陽氣一性のことと考えられるのである

 以上で、簡単であるが、弁証法批判を行なった。だから、上記の昼と夜の「弁証法」は、昼と夜の陰陽極立性とでも言うべきものである

後記:弁証法、とりわけ、ヘーゲル弁証法であるが、それは、陰陽共立原理であると同時に二項対立を含んでいると言える。それは、これまで私が述べてきたではあるが。

 弁証法というタームは確かに今でも有効ではあるが、二項対立内包しているので、批判的使用すべきである

 思うに、対極弁証法、陰陽弁証法と呼ぶのが、適切である




構造主義革命:今更ではなく、本当の知的革命進化


テーマ哲学:叡知学、哲理学、哲科学


うっかり忘れるところだったが、構造主義シニフィアン意味するもの)とシニフィエ意味されるもの)の区別が浮んだ。

 思うに、これは、「モダニズム」の二つの様相ではないだろうか。

 ここで構造主義言語学用語を使うと、シニフィアンとは、たとえば、「政府」を「凄腐」というような表記する場合の「凄腐」である

 シニフィエとは、この場合、端的に国制である

 「モダニズム」、これは、ポストモダンないしトランスモダンとか言えよう。

 とまれ、二つの様態があるのである

 しかし、どちらが根本かと言うと、後者ではないかと思う。

たとえば、「豆腐」を考えた場合シニフィアン派は、私がよくするように、「頭腑」というような表記を考えるだろう。

 これはそれなりに、「滑稽」であるが、実際的ではない。

 「豆腐」のシニフィエ、つまり、本質理解することがもっと重要と考えられる。

 「モダニズム」はシニフィアン中心に進展し、シニフィエ本質を看過したということではないだろうか。

 簡単であるが、筆者なりに極めて重要哲学的問題点を指摘しておく。

追記:「豆腐」のシニフィエについて、説明が必要である

 視点を変えて、たとえば、「森」を考えたい。

森の「シニフィエ」とは、実は、氣になるのである。氣精心、氣身体となるのである

 「モダニズム」は、この点を排除しているのである




父権自我(陽自我)と知性・ココロ・理性


テーマGP陰陽哲理学ガウス平面と陰陽論の統合


東海アマ氏の記事は311以前からHPで読んでいた。

直観洞察力というべきもの、また、倫理感をもっている。

しかし、自己認識を過信・盲信する傾向がある(追記:端的に、短絡的ということである)。地震予知や以下にあるような韓国人批判等においてである

 とまれ、今考察したいのはそのことではなく、『「他人を見下したい」とする自尊心』についてである

このような性質をもつ自我父権自我であると考えられる

 これまで数え切れないくらい述べたように、父権自我は陽自我であり、同一性主義自我である。言い換えると、二項対立、優劣志向をもつ自我である

 復習をしよう。

 陰陽氣精心(氣精芯)、又は、陰陽精神において、陽とは同一性志向であり、中心化志向、唯一化志向をもつ。

 それに対して、陰は非同一性志向他者志向、脱中心化志向をもつ。

 この正反対性質をもつ陰と陽によって一体化しているのが、陰陽氣である

 これは、鈴木大拙氏の即非論理と通じるものである。否、陰陽極性とは即非論理であると言っていいのである

 さて、父権自我=陽自我自我同一性中心主義であり、他者排除する。極論すれば、独我・唯我論である

 父権自我は、「我は同一性知識をもっている。故に、知っている。故に、真理であり、賢い。」というような様相をもつだろう。

から、「我は正しい。我は倫理道徳・道である。」というように展開する。端的に、独善である

 とまれ、そのような視点父権・陽自我はもつと考えられる。

故に、自我は優位であり、他者は劣位である。「我は優れているのであり、他者は劣っているのである。」これは、埴谷雄高氏が批判した自同律である某国首相の言う「私は首相から、正しい」というような発想と共通である

 結局、何が言いたいのかと言うと、父権・陽自我は、自己中心に他者破壊するということである

 日本では父権民族が支配してしまった。

 今は余裕がないので、簡単に言うと、


続き:


結局、父権自我、陽自我同一性自我であり、他者同一性化するのである。ここには他者としての他者はない。

 本記事問題点は、父権自我と知性の問題であり、これは先に述べたが、さらに深めたい。

 端的に言えば、父権自我は知性というより、知識を得るのである。それも物質的知識である。つまり、同一性である父権自我は、同一性知識=物質的知識を得るのである

 しかし、これを知性と一致させることはできない。

なぜなら、知性とは、自我とは別の次元の知であるからである

 日本の「科学者」の問題点はここにある。自我観念の知識はもっているが、知性はないのである

 自我を超えたところに知性はあるのであり、ほぼ理性と一致するのである

 確かに、知識は知性の一端ではあるが、知性そのものではないのである。脱自我化しないと真知性はないのである

 そう、真知性、ないし、本知性というタームを作ってもいい。

 だから科学者とは、真知性人でなくてはならないのであるが、日本の「科学者」のほとんどは、知識主義者に過ぎない。

 というか、本当は、科学者創造であるが、日本の「科学者」は、模倣者に過ぎない。似非科学者である

 以前述べたように、知性はココロ関係するのである

 つまり、脱自我精神ココロにおける知が知性なのである

これは、実は理性と言っていいのである。知性=理性である

 ココロとは他者性に通じているのであり、他者性とは、普遍性である

 結局、薬局今日の「科学」は、自我欲望と一体であり、既成の知識をドグマ化しているのであり、本当の科学、つまり、創造的知ではないのである

 そう、言おう。哲学なき科学とは、盲目であり、誤謬である

 日本の「科学技術」とは、単なる唯物科学技術であり、本来創造的知・技ではないのである

amaちゃんだ ‏@tokaiamada 5 時間5 時間

韓国言論界重鎮 韓国人日本人より優れているとの思い込み

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150716-00000002-pseven-kr … 全くその通り 韓国人には「他人を見下したい」とする自尊心がめちゃくちゃに強い いつでも他人小馬鹿にしている

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