よくあること

総務省の違法・有害情報対応検討会、最終報告書をとりまとめ

例えば、最終報告書案において、児童ポルノを「社会的法益侵害情報」として扱っていた点に対して、児童ポルノ禁止法のそもそもの目的が児童の人権を擁護すること(個人法益)であり、「権利侵害情報」として扱うべきとの意見が多く寄せられた。

これに対して総務省では、確かに児童ポルノ禁止法では、児童の権利侵害という側面を重視しているが、「同時に、同法は、児童を性欲の対象としてとらえることのない健全な社会を維持するという社会的法益の保護をもその目的としているものと考えられる」と回答。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H11/H11HO052.html

(目的)
第一条  この法律は、児童に対する性的搾取及び性的虐待が児童の権利を著しく侵害することの重大性にかんがみ、あわせて児童の権利の擁護に関する国際的動向を踏まえ、児童買春、児童ポルノに係る行為等を処罰するとともに、これらの行為等により心身に有害な影響を受けた児童の保護のための措置等を定めることにより、児童の権利を擁護することを目的とする。

そうそう、権力ってのはそういうものなのだ。法律に明記されてたってこうなんだから、法律を作るときに、運用に任せる部分を残しとくことはとっても危険なんだ。

議員さんの側のパラダイム変革を

昨日は森議員をやり玉にあげるようなことをしてしまったけれど、あの発言のような感覚は多分多くの議員さんが持っていると思うし、それがこれまで(というか現状で)普通だというのも分かるんだな。

ただ、ちょっとやっぱり議員さんたちに考えてもらいたいと思うのは、もしもネット世論が不愉快だ、うざい、煽動されている、などと考えているのであれば、その考えの前提となっていること―マスコミにコントロールされている人々に投票してもらうということ―は、本当に民主主義だったのか、ということだ。どちらの人々が、より「自分の意見」らしきものを持っているか、と言ってもいい。

言論の自由表現の自由が弾圧されない限り、これからは間違いなく質・量ともネット世論が優位になっていくだろう。これは社会のパラダイムの変化なのだから、議員さんたちの考え方のパラダイムも変わっていかざるを得ないと思う。ならば早めに、と思うのだ。

あ、だからと言って、言論の自由表現の自由の方を弾圧しようという今のアプローチはナシね。もちろん人権擁護法案共謀罪児童ポルノ単純所持処罰のことですよ。

おっとダウンロード違法化を忘れていた。っていうか多すぎなんだよ。

森英介氏。自民党衆議院議員、千葉県第11区、法務大臣。

衆議院法務委員会 2008年11月18日
国籍法改正案 質疑 民主党石関議員 法務委員会 2008-11-18 - ニコニコ動画
http://jp.youtube.com/watch?v=Owg4HKcDnMc(抜粋)

FAXで意見を送ってくる有権者は「好ましからざる人物」だそうだ。こういう発言は珍しい。政治家の失言で、直接に有権者に向けられるものは聞いた覚えがない。これは記録に残すべきだと思ったので書いてみる。紙がもったいないとまで言っている。有権者の意見を自分で見もせずに、それよりもFAX用紙の方が大事なんだそうだ。これは記録的だ。

マスコミから与えられる情報を受け身的に鵜呑みにするのでなく、自発的にネットで何か情報を仕入れ、自分の頭で考えて、何らかの文面を自分の手で書き、自分のお金と時間を使って、適切でなかったかも知れないけどFAXで意見を送った人は、好ましくない、と。

逆を考えると、マスコミからの情報をそのまま受け取り、特に自分で何もすることなく、選挙のときだけ自分に票を入れてくれる人々。そういう有権者が好ましいということだろう。うん、そりゃそうだな。楽だもの。

でも、そのように考える人間は、有権者を代表する議員として好ましい人物なのだろうか。

もちろんその判断は、茂原市東金市勝浦市いすみ市山武市山武郡、長生郡、夷隅郡の皆さんにお任せするけれども。

国籍法で大騒ぎ

てな感じでネット上で大騒ぎになってるけど、これは悪いことじゃないと思う。ヒステリックだとか分からずに騒いでるとかいう声もあるけど、それを言ったら今までだって(ていうか今でも)マスコミに煽られてヒステリックに騒いできたわけで、特定の意図を持った煽動に使いやすいマスコミによる大騒ぎより、よっぽど健全だと思う。

それに、その大騒ぎが間違いだったら、ネットでまた誰かが指摘すればいいんだし。マスコミに対してはこれ事実上できないから。

人間は間違うもの。そして間違いを正せるのが言論の自由のいいところ。自由に表現し、間違い、批判し合って、いい道を見つけようじゃない。

重国籍はつまらない

国籍法改正の話がよく聞こえてくる。偽装認知が問題になる、ってのはその通りだと思うけど、それは何とか頑張ってほしい。

私はそれよりも、ついでに二重国籍を許そうって話の方が嫌な感じがする。国籍を複数持つことは、特権だと思う。それを、単にある条件で生まれただけで持てるなら、法の下の平等に反すると思う。人権擁護法案という詐欺法案が問題視する私人の間の差別より、よっぽど普通に差別だと思う。

日本人としての権利義務は重国籍者でも変わらないから憲法14条には反しない、という主張もできるかもしれないが、それならば国籍法が違憲な理由も成り立たないと思う。法の下の平等は「国民」についてのみ憲法に規定されている。誰を国民と認めるかは、条文をそのまま解釈すれば、憲法埒外ってことになる。もちろんこんな解釈は無茶苦茶だ。でも、だから同じ理由で、重国籍も法の下の平等に反すると思う。

でも、こんな法律論は疲れる。それよりも、国の集まりで世界が成り立っている、という仕組みの元では、重国籍はつまらないと思うのだ。ふたまたをかけて、状況に応じて自分に都合がいい方で暮らせるというのは楽だけど、ひとつの国(それが生まれた国であれ、移住した先であれ)で一生懸命暮らして、頑張ってその国をよくするという考え方が、世界を面白くするような気がする。もちろん侵略や搾取はいかんけど、そういう時代ではないはずだから。

たとえて言うなら、野球ファンになるならどこかひとつのチームを応援しようよ、ということ。

国籍という概念の対極にあるのは、国家という仕組みの廃棄で、ある種の人々は国家などない方がいいと考えているようだ。でも政治的仕組みなしで現代社会は成り立たない。ならば、国家の廃棄イコール世界統一政府の実現だ。それは強大な権力、地球上のどこへ行ってもその力から逃れられない権力を意味する。さまざまな国家があって、曲りなりにも住む国を選べるという今の状態の方が、個人にとっては自由な状態だと思うんだがな。

差別がすべて悪ならば、中国産食品を避けてはならない

中国産食品がすべて危険なはずはない。中には、一所懸命よい食品を作っている人たちがいるはずだ。「中国産食品が危険だ」と考えるのは、中国人に対する差別意識だ。せっかく頑張っている人たちがいるのに、その差別によって、彼らが生活するための利益を与えないことになる。

だから、もし差別がすべて悪だと考えるなら、中国産食品を避けてはいけないことになる。

さらに、もし差別が人権侵害だとしたら、中国人の、そして頑張っている人たちの人権を侵害していることになる。

何を言っているかというと、人権擁護法案に賛成し、中国産食品を避けるのは、ダブルスタンダードだということ。

ダウンロード違法化について思うこと (4):私達は何のために警察にお金を払ってるのだろう

憲法に一応「自由」をうたっているこの国で、私達が税金を納めて警察を養っているのは、私達が安全に安心に暮らすためだと思う。街で普通にものを買っても毒物ではないとか、道を普通に歩いていても危険がないとか、そういうために警察がいると思っていいはずだ。間違っても、私達を権力者が支配するのに便利なためではない。だってそれは民主主義ではないもの。民主主義なら、警察は国民のしもべのはず。

ネットでどこかをクリックして何かを見たり聞いたりする。そのときにデータは、ストリーミングで送られてくるかも知れないし、ダウンロードされるかも知れない。それは普通の人は気にしない。そして、そのネット上のデータがどういういきさつでそこにあるのか、それも普通の人は気にしない。というか、知らないことのほうが多い。これが、ネット上の普通の行為だ。

ダウンロードを違法化するということは、その普通の行為を犯罪にすること。今回の違法化には、いろいろとややこしい条件がついている。曰く、「情を知って」いる場合だけ犯罪だとか、犯罪だけれど刑罰はとりあえずないとか、ストリーミングは大丈夫だとか。でも、主観的要素(その行為をする人の心のうち)を除けば、「ネット上での普通の行為を犯罪にする」ことには変わりがない。

たとえて言うなら、こうだ。街には私道があるよね。いま仮に、私道で屋台を(その私道の所有者以外が)出すことが違法だとする。でも屋台のラーメンを食べたい人は、もちろんそこにいって食べる。その現状を何とかするために、私道に入ることを違法化したらどうだろう。ただし、私道には「ここは私道です」とは必ずしも書いていないとする。(実際、そういう私道は街にいっぱいある。)

客のほうは、その屋台が違法かどうか、その道が私道かどうか、すぐにはわからない。私道に足を踏み入れた瞬間に犯罪だし、屋台で食べた証拠が残ればもちろん犯罪だ。そこで警察は、私道を見張ったり、見張らなかったりする。だから個人個人は、その屋台が違法かどうか、いま足を踏み入れようとするところが私道かどうか、常に気にしなければならない。私道かどうか知らずに入ったなら犯罪でない、と言われたって、実際に入ってしまったら、「知らなかった」ことを証明するのはこっちの責任になる。そういう、どこかを歩くだけで犯罪になるリスクを常に意識しつつ、街を歩くことになるだろう。

でも、これってまともな状態だろうか。警察は、私道を進入禁止にする前に、屋台をきちんと取り締まるべきじゃないのか。道で屋台を見かける、それがうまそうならそこへ行って食べる。これは普通の行為だ。それを犯罪にして、個人個人を犯罪の恐怖に常におき、またその行為が違法かどうか判断する責任を個人に課す。

これは、自由な国における、あるいは民主主義国における、警察のやることだろうか。

現在のネット技術では、サーバからのダウンロードだろうが、P2Pだろうが、データを取得するときには必ずその相手がいて、送信側アドレスが特定できる。もしも権利者が言うように、ネット上での被害が甚大であるならば、不特定多数がそういう違法にアップロードされた(送信可能化された)著作物にアクセスできる状況にあるはずだ。警察がそれを発見できないなら、それは警察の怠慢ではないのか。

ネットがすでに国に認知されている以上、警察には、街を歩くように、ネットを安心して使えるようにする義務がある。そのために私達は税金を納めてるのだ。決して、私達を犯罪者にするために警察を養っているのではない。もしネット上の安心と安全のために、警察の人手が、あるいはお金が、足りないのなら、その分は私はよろこんで出そう。でも、それが足りないと訴えず、権利者の欲につけ込んで、単に納税者を犯罪者にすることで楽をしようとしているなら、それは許されないと思う。