映画中毒者の映画の歴史 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-02-18 トーキーの産業的背景と、トーキーでの映画製作

トーキーの産業的背景と、トーキーでの映画製作

 トーキーの出現は、映画界において一大事だった。映画はそれまで、フィルム(化学工業)と、撮影機・映写機(機械工業)の合成体だったが、トーキーになることでそこに「電子工業」を組み込むことになった。こうして、映画産業は複雑な構成体となり、トーキーのための設備投資は、映画をさらにビッグ・ビジネスへと導いた。1928年末までに、全米1000館以上の映画館にサウンド・システムが設置されたという。

 初期の頃のトーキーでの映画製作は、混乱と試行錯誤の連続だった。初期トーキーはアフレコが難しく、同時録音に頼っていた。だが、カメラの回る音が大きく、その音を入れないように専用のブースに入れて撮影した。サイレント時代のように、監督が撮影中に大声で指示を与える事はできなくなった。また、カメラが動かせない上に、マイクの発達も十分でなかったため、画面作りも不自由だった。スタジオもガラス窓のない防音装置の施されたものに変え、技術スタッフも大幅に増やす必要があり、莫大な費用がかかった。新たに登場した音声技術者は高給取りとなり、彼らはスターのテストを成功させることも失敗させることもあったという。マイクの置き場所ひとつでも試行錯誤の連続で、油断するといろんな雑音が入ったりした。当時の様子は、映画「雨に唄えば」(1952)でも描かれている。

 音が映画に組み込まれたことで、歌と踊りが中心の音楽映画や、銃声が響き渡るギャング映画などの新たなジャンルが生まれた。一方で、製作費の膨張や、声質の悪いスターの凋落、楽士たちの失業などを招いた。

 一方で、音響装置の性能はまだ良くなく、サイレント用の映画館も残っていたため、しばらくはサイレントとトーキー映画両方のヴァージョンを製作するという形が取られた。最初にサイレント版を製作して、その後で必要なトーキーの場面を追加撮影したという。スターは1本分の出演料でサイレントとトーキーで演じたのだった。

 さらに、ロバート・スクラーによると、トーキーにより喜劇が検閲の対象となりやすくなったと言われている。言葉による喜劇の自由な精神が、検閲の対象となったのだ。その結果、喜劇は生き延びたが、社会的な闘争と嘲笑、誇張、放埓に根ざした喜劇は消えてしまったという。


2017-02-17 MGMもトーキー製作へ

MGMもトーキー製作へ

 ワーナーの躍進は、当時の大映画会社MGMも動かした。社長のニコラス・スケンクは、300万ドルを支出して、劇場の全チェーンにトーキー装置を施した。そして、製作担当のルイス・B・メイヤーと協議の上、トーキー映画の製作を決めた。

 MGMは、パラマウントやユナイテッド・アーティスツとともに、1年10万ドルの権利金を払って、ムービートーン式を採用した。そして、1928年度後半の作品の2割をトーキーとして製作した。MGMの若き大プロデューサーだったアーヴィング・サルバーグは、トーキーに懐疑的だったが、その人気ぶりを見て考えを変えた。

 サウンド版として「南海の白影」(1928)を製作。その後、演劇の映画化でトーキー映画へと進出していく。

2017-02-16 RKOレディ・ピクチャーズの設立

RKOレディ・ピクチャーズの設立

 ワーナーの成功は新たな映画会社の設立を促した。それが、RKOレディオ・ピクチャーズである。

 RKOレディオ・ピクチャーズの設立の経緯は複雑だ。元となっているのは、FBOとRKOという2つの会社である。

 FBOは、配給会社だったミューチュアルが、1922年にフィルム・ブッキング・オフィス・プロダクション(FBO)に改名し、製作に進出した会社である。第一次大戦後にニューイングランドで映画館経営をしていた、ジョゼフ・P・ケネディ(ジョン・F・ケネディの父)を社長に迎えて活動を行っていた。

 一方RKO(レディオ・キース・オフィアム・コーポレーション)は、RCA(レディオ・コーポレーション・オブ・アメリカ)の子会社である。RKOは、興行会社キース・アルビー・シアター・サーキットを買収して大きくなっていた。さらに、FBOを取り込み、RKOレディオ・ピクチャーズ・インコーポレイテッドが誕生した。

 こうしてRKOレディオ・ピクチャーズは、トーキーの技術を持った、興行・配給・製作の各部門を備えた映画会社として、映画界に登場したのだった。

 RKO設立には裏話がある。RCAは独自のトーキー方式「フォトフォン」を完成させ、映画界に売り込んだが採用されなかった。そのため、RCAは独自に映画進出をすることになったのである。

2017-02-15 ワーナーの躍進 一流会社の仲間入り

ワーナーの躍進 一流会社の仲間入り

 1927年に公開された「ジャズ・シンガー」(1927)は大ヒットとなり、製作したワーナーはトーキー映画を続けて製作した。「テンダーロイン」(1928)は、全部で12分から15分の会話が4,5ヶ所に分かれて突然現れるというもので、批評家の反応はあまりよくなかったという。そして、「紐育の灯」(1928)で本格トーキー第1作を発表した。

 「紐育の灯」は、ギャングを主役としたメロドラマだった。トーキー映画の多くがギャングを主役としたのは、タイヤのきしむ音や機関銃のドンパチや「もぐり酒場」の楽団の音が自然に録音されたためだと言われている。

 続いてワーナーは、「シンギング・フール」(1928)を製作した。失意のジャズ歌手に扮したアル・ジョルスンが黒塗りの黒人姿を演じ、それまでの興行成績1位の「ベン・ハー」(1925)を凌ぐ興行成績500万ドルという過去最高の興行記録を打ち立て、「風と共に去りぬ」(1939)が登場するまで抜かれなかったという。これにより、トーキーの流れは決定的になった。

 こうして完全に一流会社の仲間入りをしたワーナーは、ファースト・ナショナルを買収している。ファースト・ナショナルは、パラマウントの独占に反対する立場で集まった映画館主たちの映画会社だった。

 ちなみに、ワーナーのトーキーの方式「ヴァイタフォン」は、ディスク式であった。フィルムとは別のディスクに音声を吹き込み、上映の際に同期させるというものである。この方式は、完成してしまうとカットする事ができなかった。そのために、ヘイズ・オフィスによる自主検閲の重要性が増すようになり、1930年に新しい製作綱領(プロダクション・コード)が公布されることにつながったと、ロバート・スクラーは指摘している。

2017-02-14 映画評「みかん船」

映画評「みかん船」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]日本  [製作]大藤信郎プロダクション  [配給]中央映画社

[演出・作画]大藤信郎

 江戸時代に、紀州から江戸に嵐の中みかんを運んで財を成した紀伊国屋文左衛門の物語を切り絵アニメ化した作品。切り絵や影絵を使ったアニメーションの日本における先駆者である大藤信郎の作品である。当時のセルアニメでは出せなかった細かい模様に特徴がある。

 私が一番興味を引いたのは、嵐を起こす雷様と、水門を開ける雷様の子分と、嵐に必死で耐える紀伊国屋の三者の様子がカット・バックで描かれている点だ。徐々にカットを短くしていき緊迫感を増すという手法が取られており、大藤信郎の映画的なセンスが感じられる。手法自体は1910年代の始めにD・W・グリフィスが磨いたものであり、新しいものではない。だが、大藤の「西遊記孫悟空物語」(1926)が、全体の演出としてのっぺりと平板だったのを考えると、雲泥の差だ。


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2017-02-13 映画評「砂繪呪縛」

映画評「砂繪呪縛」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]日本  [製作]マキノ・プロダクション御室撮影所

[監督]金森万象  [総指揮]牧野省三  [脚色]山上伊太郎  [原作]土師清二  [撮影]石野誠三

[出演]月形龍之介、市川小文治、武井龍三、中根龍太郎、荒木忍、山本礼三郎、住之江田鶴子、鈴木澄子

 時は江戸時代。五代将軍綱吉の後継を巡る、柳影党と天目党の争いを描く。

 多くの作品が失われているサイレント期の日本映画。日本映画の父と言われる牧野省三の作品もほとんどが失われてしまっている。その中で、かなり完全に近く残っている作品の1つだ。だが、残念ながら完結編がないために、話は途中で終わってしまっている。

 話はかなり錯綜しており字幕や活動弁士の言葉がないと分からない。これはサイレント期の日本映画の特質の1つである。だが、役者の演技、字幕やセリフの面白さに欠けているのは残念だ。

2017-02-12 映画評「建国史 尊王攘夷」

映画評「建国史 尊王攘夷」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]日本  [製作]日活太秦撮影所

[監督・原作・脚色]池田富保  [総指揮]池永浩久  [撮影]松村清太郎  [衣裳]水谷美夫

[出演]大河内伝次郎、山本嘉一、尾上多見太郎、谷崎十郎、松平鶴之助、岡田時彦、桂武男、葛木香一、新妻四郎、久米譲

 当時の日活で、時代劇監督として様々な作品を監督していた池田富保が、「建国史」と銘打って製作した大作だ。井伊直弼を主人公に、ペリー来航から桜田門外の変までを描いた作品である。

 大スターの大河内伝次郎を井伊直弼役とし、現在ではどちらかというと幕末の悪役としてのイメージが強い井伊を、憂国の人物と描いている。桜田門外の変で「国賊!」と罵られた井伊が、「考え方の違いはあっても、国を思う気持ちは同じなのだから国賊などと呼ぶな」と言うセリフに、原作も担当した池田の考え方が如実に現れている。

 さらに池田は、桜田門外のシーンの後に、現在の横浜の映像をつなげてみせる。思想弾圧が当時の日本社会にも存在していたことから考えると、池田は敢えて伊井を主人公にした映画を作り、思想の違いよりも思いの共通をアピールすることで、当時の日本社会への提言も視野に入れていたのかもしれない。

 主人公の井伊直弼を演じる大河内がいい。懐が深く、それでいて必死で、時に冷たいほど決然として、時にあたたかい。大河内の最大の見せ場は、次々と井伊に不利な情報が入り動揺しながらも、集めた幕臣たちに開国の必要性を訴える演説をするシーンだろう。リーダーとしての伊井の強さと、苦悩の両者を感じさせてくれる。

 伊井の演説のシーンが最大の見せ場であることからも分かるように、映画としては地味な作品だ。当時の時代劇というと、チャンバラばかりだと思っている人は、驚くかもしれない。

 字幕も多いし、動きも少ないことから、映画技術的には未熟と言われても仕方がない。幕末についての事前知識も必要だろう。それでも、監督・原作・脚色を務めた池田の思いが伝わってくる熱い作品であること、そして熱い思いが結実した作品であることは間違いない。


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2017-02-11 映画評「弥次喜多・尊王の巻」

映画評「弥次喜多・尊王の巻」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]日本  [製作]日活(太秦撮影所)

[監督・原作・脚本]池田富保  [撮影]青島順一郎

[出演]大河内伝次郎、河部五郎、酒井米子、尾上多見太郎、葛木香一、久米譲、南部章三、尾上華丈、桂武男、新妻四郎

 弥次と喜多の2人は、子供たちが歌うわらべ歌を口ずさんでいたところ、反徳川的だとして幕府の役人に捕らえられそうになる。そんな2人を、勤皇志士の安田が助けるが、代わりに安田は捕らえられる。弥次と喜多は、泥棒の山嵐の助けを借りて安田の救出に向かう。

 時代劇スターとして活躍していた大河内伝次郎と河部五郎、さらには人気女優だった酒井米子が出演した作品としてヒットしたと言われる。二枚目の大河内と河部がコメディ演技を見せているのも注目を集めた。また、佐藤忠男によると、ウォーレス・ビアリーとレイモンド・ハットンが主演したアメリカ映画「喧嘩友達」(1927)を元にして作られており、ハリウッド映画の影響を受けた日本映画でもあるという。

 現存しているのは一部分だけであり、私が見たのは14分程度だった。弥次と喜多が牢屋に忍び込むシーンでは、2人が牢の番人に見つかっていることを、観客には分からせるが2人は気づいていないという認識のギャップから面白さを生み出すという、古典的な手法が使われている。さらに、御用提灯を見ると目がくらむという人物設定にすることで面白さを生み出すという、特異なキャラクターの面白さもあり、コメディ映画の古典として楽しめる。

 本当に一部分だけなので、全体の面白さは分からなかったのが残念だ。

2017-02-10 映画評「闇の手品」

映画評「闇の手品」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]日本  [製作]本庄映画研究所

[監督 脚色]鈴木重吉  [原作]八木祐鳳

[出演]三田村次郎、相澤三、高森正二

 両親が借金で苦しんでいる少年は、ある夜、謎の男から大金を預けられる。少年は、預かった金の一部を使って借金を返そうとする。

 「何が彼女をそうさせたか」(1930)で知られる鈴木重吉が監督した作品。独立プロダクションが製作した道徳劇である。二重露出を多用した心理表現などに工夫されている点がある。少年を演じている三田村次郎の凛々しい表情も、道徳劇にはぴったりだ。この作品以外に、三田村の名前を見ることがないのが残念だ。

2017-02-09 映画評「百萬両秘聞」

映画評「百萬両秘聞」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]日本  [製作]マキノプロダクション(御室撮影所

[監督]牧野省三  [脚本]山上伊太郎  [原作]三上於菟吉  [撮影]松浦茂

[出演]嵐長三郎、市川小文治、尾上松緑、松浦築枝、鈴木澄子、都賀一司、森清

 春水主税は、世直しのために、隠された百萬両を探す。そのことを知った通り魔の半次や、主税に恋をしたお花などに邪魔される。半次は主税の許婚の藤尾を誘拐して主税をおびき寄せ、一方お花は男をたらし込んで百萬両のありかを突き止める。

 この当時の日本映画はほとんど現存していない。現存していても断片的だったりするものがほとんどだ。「百萬両秘聞」はストーリーが通る程度に現存している貴重な作品である。公開時は三部作であり、私がビデオで見たバージョンよりも長いようだが、致し方ない。

 マキノの「鞍馬天狗異聞」(1927)でスターとしてデビューした嵐長三郎(後の嵐寛寿郎)は、この作品では絶世の美男子として描かれている。歌舞伎調の化粧が濃すぎるように感じられるが、その点を差し引いても、確かに長三郎はハンサムだ。

 込み入ったストーリーは、宝探しアドベンチャーとしての魅力を持つ。一方で、半次やお花といった個性的な脇役たちが魅力的だ。特に悪役にもかかわらず、鈴木澄子が演じるお花の悪女ぶりは見事で、百萬両を見つけるためにたらし込んだ男が用済みとなり、殺してしまった後に浮かべる表情は圧巻だ。

 当時の日本映画は、弁士の説明がつくことが当たり前であり、映像的な表現は発達しなかったといわれる。この作品からもそういった面は感じられ、弁士がなければストーリーを理解できたかと聞かれると、あまり自信がない。それは、現存しているフィルムが足りないからかもしれないが、確認のしようがない。だが、当時の日本映画が弁士の語りと一体化されたものだったと考えると、映像的表現が不足している点は決してマイナスにはならないだろう。

 サイレント時代の日本映画と聞くと、難しく感じられるかもしれない。だが、「百萬両秘聞」はあくまでもエンタテイメントに徹している。この頃の日本映画が存在していないということは、日本映画史的にも、日本の文化史的にも悲しいことなのだが、エンタテイメント史的にも悲しい事実であるということを、強く感じる。


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2017-02-08 映画評「怒苦呂」

映画評「怒苦呂」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]日本  [製作]市川右太衛門プロダクション

[監督]白井戦太郎  [撮影]河上勇喜

[出演]市川右太衛門、高堂国典、新妻律子

 幕府のキリシタン弾圧に業を煮やした人々が教徒軍を結成して、潮霊之助をリーダーに反乱を起こす。しかし、反乱は鎮圧され、潮は逆賊となり、かつての仲間たちからも追われる身となる。

 この頃製作された多くの日本映画の例に漏れず、「怒苦呂」のフィルムは一部が失われている。私が見たのは47分のもので、完全版ではない。そのためもあってか、ストーリーは活弁の力を借りなければ分からなかったことだろう。だが、当時の日本映画の作られ方が、活弁を前提に作られていたためでもある。

 幕府に対抗する教徒軍のリーダーを演じるのが、市川右太衛門である。当時すでにマキノ映画でスターになっていた市川が作った独立プロで作られた作品である。市川が演じるのは、教徒軍のリーダーだ。設定が悲愴感を漂わせる上、戦いが終わってからは、幕府の命によってかつての仲間たちからも命を狙われるという、悲愴に悲愴を重ねる役どころだ。「雄呂血」(1925)に見られるように、このような悲愴感漂うキャラクターの時代劇は、当時多く作られている。

 時代劇と言えば、立ち回りである。この作品では、肺病を抱えた市川演じる潮が、体力を限界まで使っているかのような、躍動感を感じさせる立ち回りを見せる。躍動感といっても、スポーツ選手のような軽やかさとは異なる。持てる力をすべて振り絞った動きといえば言いだろうか?とにかく、生命を感じさせる立ち回りなのだ。

 「怒苦呂」は、有名な作品ではない。しかし、当時多く作られた時代劇の魅力の一端を、しっかりと伝えてくれる作品と言えるだろう。


2017-02-07 映画評「ダウンヒル」

映画評「ダウンヒル」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]イギリス  [原題]DOWNHILL  [製作]ゲインズボロー・ピクチャーズ

[監督]アルフレッド・ヒッチコック  [脚本]エリオット・スタナード  [撮影]クロード・L・マクドネル  [美術]バートラム・エヴァンス

[出演]アイヴァー・ノヴェロ、ベン・ウェブスター、ノーマン・マッキンネル、ロビン・アーヴィン、ジェロルド・ロバートショー、シビル・ローダ、アネット・ベンソン、リリアン・ブレイスウェイト、イザベル・ジーンズ

 裕福な家の大学生ロディーは、女性を妊娠させた濡れ衣を着せられて、大学を退学させられる。父親から勘当されたロディーは、舞台役者やジゴロと転落の道をたどっていく。

 ストーリーは非常にメロドラマティックで、捻りに欠ける。だが、それを補って余りあるヒッチコックの演出が、「ダウンヒル」にはある。といっても、目を見張るようなカメラワークや、編集があるわけではない。堅実だが効果的な演出を見ることができる。

 ロディーが転落していく象徴として、エスカレーターやエレベーターで下に降りていくショットがある。この分かりやすい、ヒッチコック自身は「ナイーヴな」と表現している演出が見事だ。象徴の選び方としては安易なのだが、エスカレーターを降りていくロディーの後姿が小さくなっていく構図や、エレベーターに立っているロディーの無表情を真横に捉えた構図は、象徴の安易さを超えた堅実な演出を感じさせる。また、それぞれのショットが、比較的長めに時間を取っている点も見事だ。何とも言えない物悲しさが漂う。

 もう1つ、見事な演出を見てみよう。ジゴロとなったロディーは、金持ちが集まる夜のパーティに出席し、女性たちとダンスをすることで金を取っている。その中の1人が、ロディーに憐れみの気持ちを抱き、ロディーは心を許して過去を話す。朝が来る。カーテンが開き、太陽の光が射し込む。そこでロディーは、その女性がかなりの年の、決して美しいとは言えない男性的な顔立ちであることに気づく。少し過剰にメイク・アップされているとは思うが、女性を捉えたクロース・アップは非常に残酷で、かつ効果的だ。

 「ダウンヒル」に、ヒッチコックの名前からイメージされる、サスペンスに溢れた、演出の凝った作品を期待してはいけない。ありきたりな内容を、優れた監督が堅実に撮った作品である。


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2017-02-06 映画評「リング」

映画評「リング」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]イギリス  [原題] THE RING  [製作]ブリティッシュ・インターナショナル・ピクチャーズ  [配給]ウォーダー・フィルムズ

[監督・脚本]アルフレッド・ヒッチコック  [撮影]ジョン・J・コックス  [美術]C・ウィルフレッド・アーノルド

[出演]カール・ブリッソン、リリアン・ホール=デイヴィス、イアン・ハンター、フォレスター・ハーヴェイ、ハリー・テリー、ゴードン・ハーカー

 ジャックは、あらゆる挑戦者をボクシングで倒す巡業を行う一団の一人。ある日、プロのチャンピオンであるボブにやられるが、ジャックはボブの言葉添えもあって、プロの道へと進む。だが、ジャックの妻とボブは互いに愛し合うようになる。嫉妬もありジャックは奮起。ついにジャックとボブのタイトル・マッチが組まれる。

 ヒッチコックの作品としては、「下宿人」(1927)に次いで公開された作品である。「下宿人」が後のヒッチコックの代名詞である「サスペンスの神様」の初期作品にふさわしい内容であるのに対し、「リング」はメロドラマである。しかし、ヒッチコックが「映画の神様」であることは証明されている。

 ヒッチコック自身が、当時はどんなに小さなことでも映像的表現を試みたと述べている通り、「リング」の演出は見事だ。冒頭の細かいモンタージュの積み重ねによる遊園地の描写は、楽しげな雰囲気が一気に伝わってくる。

 緩急のも見事だ。ジャックが試験の試合を受けに行き、妻が待っているシーンでは、心配から呼吸が荒くなる妻の表情のクロース・アップに、ジャックが試合をしている様子が二重写しで描かれる。こちらまで呼吸が荒くなってきそうな緊張感が漂う。そこにジャックの試験結果の電報を持ってきたと思われる少年がやって来るが、遊園地のいろいろな乗り物を見回していて、なかなかジャックの妻の元までやって来ない。一方で、ジャックがボクサーとして勝ち進んで行くことは、看板に書かれたジャックの名前が徐々に上になっていくのを、編集でつなげることでテンポよく表現している(ここでは背景で季節の移り変わりまでが表現されている細かさ)。ヒッチコックは、映画の魅力の1つが、こうした時間を自由自在に伸び縮みさせることだということを、すでに知っている。

 タイトルの「リング」は、ボクシングのリング、ジャックと妻の結婚指輪、ボブがジャックの妻に送った腕輪、3人の人間関係と様々な意味が重ね合わされている。こうした工夫も忘れてはならない。

 ユーモアの点を触れておこう。「リング」は巡業興行を行う一座を描いている。その点を使った最大のユーモアは、ジャックと妻の結婚式のシーンだろう。お祝いに駆けつけた巡業仲間の中には、シャム双生児の女性がおり、巨人がおり、小人がいる。牧師が彼らを見て驚く。批判を恐れずに書けば、私はこのシーンでかなり笑った。それが差別意識なのだと言われるとそうかもしれないが、普通の結婚式だと思ってやって来た牧師が驚く様子が面白かったのだ。その後には、式が始まって立たなければならない時に、まるでショーが始まるときのように一座の面々が拍手をするという見事なギャグが続く。

 映像で語るという点に関しては、F・W・ムルナウの「最後の人」(1924)に負けず劣らずと言えると思う。しかし、「リング」は「最後の人」ほどの知名度はないし、芸術作品としても扱われていない。それはなぜかというと、ストーリーにあると思う。ありきたりな三角関係を描いたメロドラマに。しかし、ここにまたヒッチコックの存在意義を感じさせるのだ。後にヒッチコックが生み出していく映画もそうだが、内容的には芸術的でも何でもないものを、見事な映像表現によって映画作品として高さを追求している点にである。

 ヒッチコックは、いかにも映画芸術といった作品ではなく、誰もが楽しめる、どうでもいいような内容の作品にも、映像表現の工夫が必要であること、そのことによって映画は為にならなくても、人生を描いていなくても、面白い映画になるということを教えてくれる。「リング」を見よ。くだらない内容の、素晴らしい映画を。


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2017-02-05 映画評「下宿人」

映画評「下宿人」

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[製作国]イギリス  [原題]THE LODGER  [製作]ゲインズボロー・ピクチャーズ  [配給]ウールフ・アンド・フリードマン・フィルム・サーヴィス

[監督]アルフレッド・ヒッチコック  [原作]マリー・ベロック=ローンズ  [脚本]エリオット・スタナード  [撮影]ガエターノ・ディ・ヴェンティミリア  [編集]アイヴァー・モンタギュー  [美術]C・ウィルフレッド・アーノルド、バートラム・エヴァンス

[出演]アイヴァー・ノヴェロ、マリー・オールト、アーサー・チェスニー、ジューン、マルコム・キーン

 ロンドンで、金髪の女性ばかりが狙われる連続殺人事件が発生。金髪の娘を持つ下宿屋夫婦のところに、1人の男が下宿人としてやって来る。だが、男の挙動は不審で、男がひっそりと外出した夜、金髪女性の殺人事件が起こる・・・。

 1つのシーンの中で、映像のショットとショットのつながりがおかしいなと思われる部分が多々ある。俳優のメイクが変わっているように感じられたり、時間的につながっていないように感じられたりする部分がたくさんあった。だが、「下宿人」において、そんなことに触れるのは重箱の隅をつつくようなものだろう。

 私が「下宿人」を見たのは恐らく3回だと記憶しているが、最初に見たときのことはよく覚えている。とにかく、ノヴェロ演じる下宿人が怪しくて仕方がなかった。「最後まで下宿人が犯人かどうかは明らかにしたくなかった」と、ヒッチコックはフランソワ・トリュフォーとのインタビューで語っている。だが、当時スターだったというノヴェロを悪役には出来なかったと。少なくとも私が始めて「下宿人」を見たときは、ノヴェロという役者のことは全く知らなかった。そのため、純粋に下宿人の怪しさを味わうことが出来たように思える。

 ヒッチコックはとにかく下宿人を怪しげに撮っている。ドアを開けて初めて下宿人が映画に登場するときは、「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922)の吸血鬼を思わせる怪しさだ。大げさなノヴェロの表情は、時にハンサムぶりを発揮し、時に邪悪さを感じさせる。有名なのは、2階で部屋の中を歩き回る下宿人を、1階にいる下宿屋夫婦が不安がるシーン。ここでは、透明なガラスの上を歩く下宿人の映像と、1階から天井を撮影した映像を二重露出で撮影するという工夫がされている。火箸を取るだけでも、いちいち火箸を取る手がアップになったり、ニヤっと笑って見せたりと、とにかく怪しげであることをアピールする。

 殺人事件を取り上げ、1人の人間が犯人かもしれないという1点に力のすべてを注ぎ込んだような映画は、「下宿人」が作られるまでなかったのではないだろうか。少なくとも私の知る限りはない。その点で、「下宿人」は素晴らしい映画だと思うし、まさしくヒッチコック映画であると言っていいだろう。

 といった点を除いても、オープニングだけでも特筆すべき映画であることは触れておく必要がある。被害者である金髪の女性の悲鳴から始まり(ここでは後ろからライトが当てられ、金髪が強調されているという)、「今宵、金髪の巻き毛が・・・」という舞台のネオン、事件を伝える記者がタイプを打つ様子、電光掲示板で表示される事件の概要とそれを見つめる人々・・・・といったショットが短い間隔で紡がれていく。そのテンポの良さ、物語に見る者を引きこんでいく手際の鮮やかさは見事だ。少なくとも、金髪の女性の絶叫で始まることは、初めて見た時から忘れていないし、これからも忘れないだろう。

 「ヒッチコック、映画史に登場」である。


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2017-02-04 映画評「帽子箱を持った少女」

映画評「帽子箱を持った少女」

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[製作国]ソ連  [原題]DEVUSHKA S KOROBKOY  [英語題]THE GIRL WITH THE HAT BOX

[監督]ボリス・バルネット  [脚本]ワレンチン・トゥルキン、ワジム・シェルシェネビチ  [撮影]ボリス・フランツィッソン、ボリス・フィリシン  [美術]セルゲイ・コズロフスキー

[出演]アンナ・ステン、イワン・コワル・サムポルスキー、パーヴェル・ポーリ、セラフィマ・ビルマン

 モスクワ近くの田舎で、帽子職人として祖父と共に生活するナターシャ。モスクワに帽子を納品に行く途中の列車の中で、失礼な青年イリヤと出会う。だが、イリヤがモスクワで住むところを見つけられないのを知ったナターシャは、金持ちの帽子屋に名義だけ貸していた部屋にイリヤを住まわせために、結婚することを思いつく。

 レフ・クレショフ工房出身のボリス・バルネットの単独監督作としても、後にハリウッドに招かれるが失敗に終わるアンナ・ステンが最も魅力的な作品としても知られる。また、当時のソ連映画といえば、セルゲイ・エイゼンシュテインに代表されるプロパガンダ色が強い作品が想起されるが、非常に軽いコメディとしても貴重な作品である。

 バルネットの才気が爆発している。極端なクロース・アップや素早いカッティングといった、当時のソ連映画の特色を生かしながら、溌剌としたコメディに奉仕している。時に、当時のソ連映画人が惚れ込んでいたスラップスティック・コメディのようなシーンを折り込みながらも、時にしっとりとした情感をもたらす。同じアングルからのショットを、人物のピントをずらしてつなげるといった実験的な表現も見せる一方で、全体的には非常にストレートな語り口で見る者を魅了する。

 バルネットだけではない。「帽子箱を持った少女」が最高作と言われるアンナ・ステンは、少女と女性の中間の役柄を、時にかわいらしく、時に気丈に演じてみせる。爆発しているかのような髪型もいい。クライマックスで針を刺してしまったステンの指を舐めてあげるイリヤ。それを見たステンが、自ら唇に針を刺すシーンの可愛らしさといったらない。

 宝くじ付き国債(国債の販売促進目的で、大蔵省から資金が出て製作されている)、住宅居住の実態を調べに来る役人、簡易な結婚・離婚手続きなど、当時のソ連の様子の一端を見ることができるのも、「帽子箱を持った少女」の特徴の1つだろう。

 「帽子箱を持った少女」は、ソ連映画ならではの魅力を持ちながら、普遍的なコメディとしての魅力も持った作品だ。もっと一言で言うならば、魅力的な作品である。


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2017-02-03 映画評「用心を怠るな」

映画評「用心を怠るな」

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[製作国]ソ連  [原題]Budem zorki  [英語題]Let's Be Perceptive

[製作]ミジラブポム=ルーシ  [監督]ニコライ・ホダターエフ

 イギリスがソ連に対して禁輸措置を取った。ソ連は工業化を進めて対抗しなければならない。労働者たちよ、国債を買おう!という内容のプロパガンダ・アニメーション映画。

 ストーリーというほどのものはないが、実写とアニメを組み合わせた技術的な側面の方が印象に残る。素早いカッティングにより、ソ連の工業の目覚しい発展と、国債の役割を説明するテクニックは、さすがモンタージュ理論を生み出した国という印象を受けた。


ロシア革命アニメーション コンプリートDVD-BOX

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2017-02-02 映画評「ナポレオン」

映画評「ナポレオン」

※ネタバレが含まれている場合があります

ナポレオン [DVD]

[製作国]フランス  [原題]NAPOLEON

[監督・脚本]アベル・ガンス

[出演]アルベール・デュードネ、ジナ・マネス、アレクサンドル・クービッキー、シュザンヌ・ビアンケッティ、アントナン・アルトー、ピエール・バチェフ

 フランスの皇帝となるナポレオン・ボナパルトの半生を描く。兵学校時代の少年期から、軍人としてトゥーロンを攻略する様子、イタリア方面の総司令官となり進軍するまでを描く。

 伝説的な作品である。3台のカメラで撮影された映像を、3面のスクリーンで上映するトリプル・エクランと呼ばれる手法。ナポレオンの生涯を描こうとするも(6部作を構想していたという)、資金面の問題で頓挫してしまったこと。ケビン・ブラウンローにより復元され、フランシス・フォード・コッポラによって、1981年から世界で上映会が開かれたこと。こうした様々な面で伝説的な作品と言える。

 最初に、コッポラによる再公開についてざっと書いておこう。ガンスが製作したフィルムは、6時間が完全版だったらしい。当時のサイレントでよくあるように、完全版は失われてしまった。散在してしまったフィルムを映画研究家のケビン・ブラウンローが復元した。復元された「ナポレオン」を見たコッポラは、父であるカーマイン・コッポラにスコアを依頼し、フル・オーケストラの音楽をつけて世界で公開したのだった。日本でも1983年に公開されている。コッポラと黒澤明が共同提供で、資生堂が主催という形だった。

 私が見たのは、このコッポラによって再公開されたバージョンである。だがブラウンローは、その後もフィルムを集め、2000年に5時間を超えるバージョンが作られたという。

 ナポレオンといえば、フランスを代表する歴史上の人物である。業績の是非はともかく、皇帝にまで上り詰めた立身出世ぶり、軍人としての才能、ヨーロッパを支配しようとした野心など、英雄と語られる一方で独裁者との見方もあるが、語るべきことはあまりにも多い。

 そんなフランスを代表する人物を、当時フランスを代表する監督の1人だったアベル・ガンスが映画化を試みたのは当然の成り行きだったのかもしれない。当時ガンスは自身のプロダクションで映画製作を行っていた。サイレント期の映画製作はトーキーよりもコストが少なく済んだこともあり、「ナポレオン」も製作が可能だったといえるだろう。

 ガンスは、3つのカメラで撮影し、3台の映写機で上映するというトリプル・エクランと呼ばれた方法で「ナポレオン」を作り上げた。後のシネラマを先取りした手法だったとも言えるが、ガンスの目的は単に画面を大きくして迫力を増そうとしたわけではない。3つの画面に違う映像を流し、その全体のイメージを観客に知覚してもらおうとも考えていたのだ。だが、この試みは多少無謀だったかもしれない。それは、映写できる会場が限定されてしまうためだ。映画が製作に膨大な金をかけられるのは、1つの作品を多くの観客に見てもらうことができるという特性のためだ。トリプル・エクランに対応できる映画館は多くなかった。後にトーキー初期にも同じ問題が起こるが、トーキー自体がスタンダードとなったために、解決されたのだ。

 私が見たバージョンでは、トリプル・エクランは映画後半の20分のみに限定されていた。完全版は、冒頭からトリプル・エクラン方式だったらしい。20分のみの感想を書くと、トリプル・エクランは大画面で映写されなければ体感できないものだ。テレビの画面では、横に並んだ3画面を表示するために1つの画面は極端に小さくなってしまう。それでも、3つの画面が別々の映像を流す効果は、映像を染色して青・白・赤に並べ、フランス国旗に見立てるといった工夫がされている。だが、シネスコのようにパノラマ的な効果を狙って3つの画面がつながれた1つの映像は、コマが多少ずれてしまっており、効果よりも限界を感じてしまった。おそらく、実際の映写でもこの問題は付きまとったことと思われる。

 ストーリーは正直、大味な印象を受けた。ナポレオンの少年期から、軍人として活躍を見せるという展開に、フランス革命やナポレオンとジョセフィーヌの恋が織り交じられているが、そのどれもドラマとしては不十分である。だが、ナポレオン自体についてやフランス革命については勉強になる点も多かった。映画を見る楽しみの1つに、知らなかったことを知ることができたり、より深く知るためのきっかけになるということがある点を考えると、勉強になった点は評価しなければならないだろう。

 1つの映像の中にも多重露出を使い、観客に全体のイメージを知覚してもらいたいというガンスの意図が感じられる。最も効果を上げているのは、フランス革命の立役者たちが、ナポレオンにフランス革命の意思を継ぐように命じるシーンだろう。このシーンでは、ほかの映画では見たことがないくらいの無数の多重露出が試みられている。

 ガンスが試みようとした映画の限界への挑戦は、挫折している。だが、その挫折っぷりは見事だ。ストーリーが大味だろうと、「ナポレオン」にはアベル・ガンスという監督の魂が宿っている。それはナポレオンの生涯にも通じる。映画においては、D・W・グリフィスにも通じるものがある。「ナポレオン」には、良質な映画を見て「面白かった」と思う気持ちとは異なる何か大事なものを教えてくれるかのようだ。


ナポレオン [DVD]

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2017-02-01 映画評「メトロポリス」

映画評「メトロポリス」

※ネタバレが含まれている場合があります

メトロポリス 完全復元版  (Blu-ray Disc)

[製作国]ドイツ  [原題]METROPOLIS  [製作・配給]ウーファ

[監督]フリッツ・ラング  [製作]エーリッヒ・ポマー  [原作・脚本]テア・フォン・ハルボウ

[出演]アルフレート・アーベル、ブリギッテ・ヘルム、グスタフ・フレーリッヒ、ルドルフ・クライン=ロッゲ、フリッツ・ラスプ、テオドル・ロース、ハインリヒ・ゲオルゲ

 「メトロポリス」は、SF映画の古典として、フリッツ・ラングの代表作として、サイレント期の超大作の1つとして名を残す作品である。だが、多くのサイレント期の古典がそうであるように、不完全な形でしか残されていない。フリッツ・ラングが最初に編集したバージョンは、プレミア上映でしか使用されず、一般公開に際してはかなり短くカットされた。さらに、カットされたフィルムは消失してしまい、もはや最初のバージョンで見ることは出来ない。

 私が見たDVDは、オリジナルの脚本などを元にして、フィルムが失われた部分を字幕によって説明されたバージョンである。このDVDを見ると、失われた部分がかなり地味なシーンなことが分かる。主人公のフレーダーは、協力者を得て、労働者たちに近づこうとするがうまくいかない。この部分が大幅に失われている。その結果、私たちが見ることができるのは金のかかったスペクタクルの魅力に溢れたシーンとなった。この点は、「メトロポリス」をSF大作としてのみ評価することにつながったことだろう。といっても、仮にオリジナルのフィルムが残っていたとしても、それで映画全体が面白くなるのかは正直わからないが。

 アメリカで公開される際の再編集にあたって、劇作家がそれを担当した。その際に、単純に映画を短くする以外に、設定を大きく変えてしまっている点は注目に値する。それは、オリジナルでは、ヒューマノイドを作っている科学者の目的が、愛する女性をよみがえらせるためであるという点である。この設定を再編集にあたり削ってしまい、その後のバージョンでは失われてしまっていたのだ。この変更は、映画のイメージを大きく変える。「メトロポリス」は、科学者の失われた愛を求めるための物語でもあったのだ。

 当時の妻だったテア・フォン・ハルボウとラングが担当した脚本は、メチャクチャだ。いい方を変えれば、ハイブリッドである。SF映画でもあり、階級闘争を描いた映画でもあり、失われた愛を取り戻す科学者の物語でもある。また、SFといいつつも、科学よりも魔術に近い描写も多いし、中途半端にサスペンスも盛り込んでいる。当時はまだSFという言葉自体が一般的ではなかった。さらに、ソ連が誕生し、共産主義は当時の政治的話題の中心の1つだったことだろう。そんな時代に未来を描こうとしたとき、映画は純粋なSFにはならなかったということだろう。

 この映画のラストでは、労使協調こそが最善の道であるという点が強調される。この点は、当時かなり批判を受けたといわれるし、今見ても余りにも安易に感じられる。最終的には、科学の力や人間の頭脳を過信と言ってよいほど信じており、科学者に代表される魔術的な力やヒステリーに代表される人間の昂ぶる感情を否定しているように見える。それはそれでよいのだが、とにかくごちゃ混ぜのストーリーをまとめるにはあまりにも強引に感じられるのだ。

 「メトロポリス」は、メチャクチャなストーリー、拡散したテーマ、強引なラストにも関わらず、魅力的な、あまりにも魅力的な映画である。それはなぜか、理由は簡単だ。「メトロポリス」は、見事な映像の連続だからだ。

 冒頭のオープニング・タイトルからして素晴らしい。光の交錯に続いて「METROPOLIS」も文字が登場するこのタイトルの格好よさといったら、「メトロポリス」まで作られたどの映画も凌駕するヴィジュアルだろう。それに続いて描かれる未来都市、地下の工場といったセットの素晴らしさ。さらには、ヒューマノイドのマリアのロボットの時の造形と、悪のマリアと善のマリアの対比。特に悪のマリアの表情、メイク、何といっても乳首のみを隠した格好で踊るダンスの淫靡さ。時にミュージカルのように形式化された群衆シーンと、人間味を感じさせるカオスに溢れた群衆シーン。はっきりいって、脚本と同じように、統一性はない。しかし、「メトロポリス」には監督が感じられる。

 フリッツ・ラングという監督はどういう監督だろうか?この作品の前に作られた「ニーベルンゲン」や「ドクトル・マブゼ」を見ると、大作を撮ることができる監督であること、そしてサイレント時代の映像技術を見事に取り込んだ作品を撮る監督であること、さらにはヒット・メイカーであったことが分かる。膨大な製作費がかかったという「メトロポリス」の製作が可能になったのは、製作のエーリッヒ・ポマーの献身が大きいようだが、それもラングの映画監督としての腕と、ヒット・メイカーとしての経歴があったからこそであろう。

 「メトロポリス」はラングだからこそ可能なビジュアルに溢れた作品なのだ。ラングは、ポマーとともに「メトロポリス」撮影の前にハリウッドに視察に行き、様々な特撮の撮影法を学び、新型カメラのミッチェルを購入している。そしてその経験を元に、ミニチュアやマット・ペインティングを組み合わせた様々な撮影法で、見事に未来都市を映像化しているのだ。

 ラングが「メトロポリス」で見せる様々な映像技術は、決してすべてがオリジナルではない。しかし、誰もアニメを「メトロポリス」ほど格好良くオープニング・タイトルに使おうとは考えなかった。誰も、マット・ペインティングやストップ・モーションの技術を使って、「メトロポリス」ほど大規模な都市を描こうとはしなかった。誰も、ロボットを映画に登場させるなんて考えなかったし、ロボットであることを理由にして乳首だけを隠したダンスを正当化しようとはしなかった。

 「メトロポリス」はあらゆる映画のパイオニア的作品である。それはストーリーにあるのではない。それはアニメの使い方であり、マット・ペインティングやストップ・モーションの使い方であり、ロボットの使い方においてであり、女体の使い方においてである。言い換えれば映画で描くことが出来るものを広げた作品である。

 「メトロポリス」は興行的に成功しなかったという。それはそうだろう。「メトロポリス」はアヴァン・ギャルド映画なのだから。もし伝統的な家族の愛や、男女の愛をテーマにしていたら、ヒットしていたかもしれない。フリッツ・ラングはそこまで計算できなかったらしい。でも、そんな計算できない人間だからこそ、こんなハチャメチャなアヴァン・ギャルド映画を作り上げることが出来たのかもしれないと思うと、ラングの浅い思慮に感謝したい気持ちになる。


メトロポリス 完全復元版  (Blu-ray Disc)

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2017-01-30 映画評「伯林-大都会交響楽」

映画評「伯林-大都会交響楽」

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[製作国]ドイツ  [原題]BERLIN: DIE SINFONIE DER GROSSTADT  [英語題]BERLIN SYMPHONY OF A GREAT CITY  [製作]Deutsche Vereins-Film、Les Productions Fox Europa

[監督・脚本]ワルター・ルットマン  [製作・脚本]カール・フロイント

 ドイツの首都であり、当時のヨーロッパが誇る大都市でもあったベルリンの1日を、ドキュメンタリー的に撮影した作品。1920年初頭に起こった「絶対映画」のムーブメントにおいて、「作品」(1921)といった短編を製作したルットマンが監督した作品である。

 ベルリンの1日の見学記というのが最もしっくりくるような気がする。決して観光地を回るわけでもなく、かといってベルリンの奥深くに入り込むわけでもない。道路で、職場で、公園で、交通機関で、レストランで起こることを、テンポ良い編集で見せてくれるのが「伯林」だ。隠し撮りをメインにした撮影と言われるが、その割合は決して多くない。許可をもらって撮影しなければ不可能なシーンは多々ある。加えて、女性が橋の上から川に身を投げるシーンは、入念な演出が行われている事がわかる。

 「伯林」は、あくまでも見学記である。だが、非常に心地よい見学記である。私が見たのは完全に無音のものだったが、音楽があればさらに心地よい見学記であったことだろう。心地良さ以上のものはないかもしれないが、映像の持つ可能性を広げてくれたことは確かだ。

2017-01-29 映画評「24ドルの島:マンハッタン」

映画評「24ドルの島:マンハッタン」

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[製作国]アメリカ [原題]TWENTY-FOUR-DOLLAR ISLAND  [配給]パテ・エクスチェンジ

[監督・製作]ロバート・J・フラハティ

 「極北の怪異(極北のナヌーク)」(1922)で世界初のドキュメンタリー作家とも言われる、ロバート・J・フラハティが監督した、ニューヨークを撮影したフィルム。マンハッタンの成り立ち(インディアンからオランダが24ドルで購入し、後にイギリスによってニューヨークと命名される)が最初に字幕と絵で説明された後に、1927年当時のニューヨークの姿を映し出す構成になっている。

 遠景と近景を巧みに織り交ぜ、摩天楼と言われるニューヨークの高層ビル群と、それぞれに凝らされた意匠を切り取っている。私が最も面白かったのは煙だ。ビルからも、船からも、多くの煙が立ち上っている。撮影されたのは冬だろうか?今とは使用される燃料が違ったのだ。

2017-01-28 映画評「無理矢理列車追跡」

映画評「無理矢理列車追跡」

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[製作国]アメリカ [原題]CHASING CHOO CHOOS  [製作]モンティ・バンクス・エンタープライゼス [配給]パテ・エクスチェンジ

[製作総指揮・原案]モンティ・バンクス  [脚本]チャールズ・ホーラン、ハリー・スウィート

[出演]モンティ・バンクス、ヴァージニア・リー・コービン

 暴走する列車に乗っている恋人を助けるために、モンティは列車を車で追いかける。

 モンティ・バンクスは数々のアクション=コメディを製作・出演した人物で、日本では「無理矢理」シリーズとして公開された。「無理矢理列車追跡」は、「安全第一」(1927)という作品から、アクション部分を取り出して短編として公開された作品である。

 コメディというよりはアクションである。当時は、今で言うアクション映画もコメディのジャンルの中に含まれることが多かった。車で列車を追いかけて飛び乗るシークエンス、列車の屋根の上で、多くの追手をかわしたり、落ちそうになったりしながら何とか頑張るスタントは、多くをバンクス自身が演じているように見える。

 元々長編からアクション部分を取り出しているので、より濃密にアクションを感じるのかも知れない。ただ、1つの作品として考えると、ひたすらアクションだけを見せられても、それだけで心の底から楽しむのは難しい。アクション単体で見ると、ハロルド・ロイドにもバスター・キートンにも負けない作品だが、作品全体として見ると物足りなさが残る。これは、短編/長編の違いではなく、1本の作品として作られているか否かの違いだ。

2017-01-27 映画評「世紀の対決」

映画評「世紀の対決」

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[製作国]アメリカ  [原題]THE BATTLE OF THE CENTURY  [製作]ハル・ローチ・ステュディオズ  [配給]MGM

[監督]クライド・ブラックマン  [製作・脚本]ハル・ローチ

[出演]スタン・ローレル、オリヴァー・ハーディ

 ボクサーのローレルと、マネージャーのハーディ。ローレルは強敵と戦い、あっさり負ける。損を取り返そうハーディはローレルに保険をかけ、怪我をさせようとして、バナナの皮を地面に置く。だが、パイ業者の男がバナナの皮を踏んでパイだらけになったことから、街全体を巻き込んだパイ合戦に展開する。

 街全体を巻き込んだパイ合戦が楽しい。この作品のために3千のパイが用意されたというから尋常ではない。ローレルとハーディの手を離れて、淑女、郵便配達員、理髪店ですっきりしたばかりの男などなど、大勢があちこちでパイ投げ合戦を始める。遠景までパイだらけになったシーンの描写など、演出の力も光る。監督のブラックマンは、バスター・キートンの長編の脚本を担当し、「キートン将軍」(1927)では監督も務めた人物だ。コメディは得意分野だったことだろう。

 前半のボクシングのシーンは、1926年に行われたジャック・デンプシー対ジーン・タニーのボクシングヘビー級タイトルマッチのパロディもあるらしい。デンプシーはダウンを奪うが、ニュートラルコーナーに行かなかったためにカウントを止められ、勝ちを逃している。

 「世紀の対決」は、特に後半のパイ投げシーンに見られるように、非常に演出の力を感じる作品だ。3分の2程度が失われてしまっているのが残念である。

2017-01-26 映画評「探偵騒動」

映画評「探偵騒動」

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[製作国]アメリカ  [原題]DO DETECTIVES THINK?

[製作]ハル・ローチ・ステュディオズ  [配給]パテ・エクスチェンジ

[監督]フレッド・ギオル  [製作・脚本]ハル・ローチ  [出演]スタン・ローレル、オリヴァー・ハーディ

 死刑を言い渡した囚人が脱走、自分の命を狙っていることを知った判事は、探偵を雇って身を守ろうとする。雇われた探偵はローレルとハーディの2人だった。

 もちろん、ローレルとハーディの2人は有能ではなく、墓地の影に怯え、脱走してきた囚人にも怯える。肉切り包丁を振り回し、後半には首切り用とも言える巨大なナイフを振り回すノア・ヤング演じる囚人と、臆病なローレルとハーディによるスラップスティック色満載の対決は見所に溢れている。

 この後、2人のトレードマークとなる山高帽を2人でかぶった最初の作品と言われる。山高帽を使ったギャグもある。

2017-01-25 映画評「懲役200年」

映画評「懲役200年」

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[製作国]アメリカ [原題]THE SECOND 100 YEARS  [製作]ハル・ローチ・ステュディオズ  [配給]MGM

[監督]フレッド・ギオル  [製作]ハル・ローチ  [脚本]レオ・マッケリー  [撮影]ジョージ・スティーブンス

[出演]スタン・ローレル、オリヴァー・ハーディ、チャーリー・ホール、ジェームズ・フィンレイソン

 囚人とローレルとハーディ。何度も脱獄を試みているが失敗している。だが、ある日、ペンキ屋のフリをして刑務所から逃げ出すことに成功する。

 スタン・ローレルとオリヴァー・ハーディのコンビ作として、初めて世に送り出された作品と言われている。

 ペンキ屋のフリをする2人が、何でも白いペンキを塗ってしまうギャグが最大の見所だろうか。だが、そのギャグが最大の見所というのは少し寂しい。せっかくのローレルとハーディの公式第1作なのだが、その名にふさわしい化学反応には欠ける作品だった。

2017-01-24 映画評「極楽弁護士」

映画評「極楽弁護士」

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[製作国]アメリカ  [原題]SUGAR DADDIES

[製作]ハル・ローチ・ステュディオズ  [配給]パテ・エクスチェンジ

[監督]フレッド・ギオル、レオ・マッケリー  [製作]ハル・ローチ  [撮影]ジョージ・スティーブンス

[出演]スタン・ローレル、オリヴァー・ハーディ、ジェームズ・フィンレイソン、ノア・ヤング

 酒の勢いで結婚した女性の弟から大金を要求されたサイラスは、執事と弁護士と共に海へ逃げる。

 「極楽新兵」(1927)と同様に、タイトルに「極楽」と入っているものの、「極楽弁護士」は正式にローレルとハーディのコンビ作として製作された作品ではない。その証拠に、「極楽弁護士」では当時ハル・ローチのスタジオに所属していたコメディアンであるジェームズ・フィンレイソンも大きく絡んでいる。途中から、フィンレイソンはローレルの服の下に隠れるという展開になるため、ローレルとハーディの2人が主要登場人物となるが、その後のメインはどちらかというと、遊園地の遊具である。

 前後に大きく揺れる歩道や、回転するチューブといった遊具は、他の多くの作品でも描かれており、格好の被写体だったことだろう。今見ても、当時の人々の楽しそうに遊ぶ姿は、見ていてこちらも楽しい気持ちになる。最後の、巨大滑り台の下に人が円状に溜まるというオチもいい。私が見た活弁版には、「人間キャベツの出来上がり」という名文句がついていた。

 「極楽弁護士」は、ローレルとハーディのコンビ作ではないが、当時のハル・ローチのスタジオのコメディ製作の勢いが伝わってくるようだ。ちなみに遊園地のシーンでは、当時としては珍しい手持ちカメラによって撮影されている。効果的とは言えないものの、その果敢な試みにも勢いを感じる。撮影を担当しているのは、後に監督として大活躍していくジョージ・スティーブンスだ。

2017-01-23 映画評「極楽新兵」

映画評「極楽新兵」

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[製作国]アメリカ  [原題]WITH LOVE AND HISSES  [製作]ハル・ローチ・ステュディオズ  [配給]パテ・エクスチェンジ

[監督]フレッド・ギオル  [製作・脚本]ハル・ローチ

[出演]スタン・ローレル、オリヴァー・ハーディ

 新兵として入隊したスタンと、教官のハーディ。ドジなスタンにハーディは振り回される。

 日本では極楽コンビとして知られたローレルとハーディが共演している。日本タイトルにも「極楽」とあるので勘違いされる人も多いと思うが(私もだったが)、「極楽新兵」は製作のハル・ローチが2人をコンビとしてきちんと組ませて製作された作品ではない。とはいえ、「極楽新兵」は面白い。

 チーズの匂いに悩まされる前半の練兵場までのやり取りは特に目新しさはなかったが、ローレルとハーディを含めた兵士たちが行進に出かけてからは勢いが増す。特に、湖で泳ぐために服が燃えてしまった兵士たちが、近くを通った女性たちにバレない様に映画の看板(セシル・B・デミル監督の1926作品「ヴォルガの船唄」)の登場人物たちの顔部分に首を突っ込み、やり過ごそうとするギャグ。兵士たちがそのまま走りだしてハチの巣を踏んでしまい、大量のハチと一緒に練兵場に戻っていき、大混乱を引き起こす。

 看板に顔を突っ込む必要など何も無いのだ。だが、その姿の面白さが、その後の大混乱の面白さを増幅している。必要性よりも面白さを優先させるというのは、コメディとして非常に正しい。

 「極楽新兵」が、ローレルとハーディの2人がメインになってからが面白いのは暗示的だ(それまでは練兵隊を指揮する上官も絡んでいる)。チャールズ・チャップリンのキャラクターを思わせるローレルは、チャップリンほどの個性は生み出せなかった。チャップリンの初期短編の巨漢悪役を思わせるハーディもそうだ。だが、2人が組めば、違った面白さを生み出せることに気づいたハル・ローチは偉い。

2017-01-22 映画評「ローレル&ハーディの妻の陰謀」

映画評「ローレル&ハーディの妻の陰謀」

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[製作国]アメリカ [原題]SLIPPING WIVES  [製作]ハル・ローチ・ステュディオズ  [製作]パテ・エクスチェンジ

[監督]フレッド・ギオル  [製作・脚本]ハル・ローチ

[出演]プリシラ・ディーン、ハーバート・ローリンソン、スタン・ローレル、オリヴァー・ハーディ

 夫に無視されていると思い込んだ妻は、配達にやって来た男を雇い、男といちゃつくことで夫の気を引こうとする。

 スタン・ローレルが配達にやって来た男、オリヴァー・ハーディが執事を演じているものの、「妻の陰謀」は2人のコンビ作ではない。主演は1910年代終わりから1920年代にかけてのトップ・スターのプリシラ・ディーンである。ディーンは落ち目のキャリアを何とかしようと、ハル・ローチのスタジオで短編コメディに出演していたのだった。

 主要登場人物の中では、ローレルが最も出番が多い。だが、他のローレルがメインの短編コメディがそうであるように、正直ローレルのギャグは今ひとつである。

2017-01-21 映画評「MINE YOUR BUSINESS!」

映画評「MINE YOUR BUSINESS!」

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[製作国]アメリカ [別題]A CHOCOLATE COWBOY [製作]ウィリアム・M・ピザー・プロダクションズ

[監督・脚本]ジョン・テンシー [製作]ウィリアム・M・ピザー [撮影]ロバート・スミス

[出演]フレッド・パーカー、テディ・レビス、ジョージ・タイロン、ボブ・ハリントン、ジェームズ・シェリダン

 黒人のラスタスは、金鉱を掘り当てた男に見込まれて手伝いを頼まれる。だが、悪い男たちが金鉱を狙い、ラスタスは単身戦うことになる。

 ラスタスを演じるフレッド・パーカーは白人で、映画の冒頭でそのことが示される。この作品が主演デビューのパーカーは、この後多くの作品に出演していくが、他の作品でも黒人を演じたのかは不明。

 アメリカには白人が黒塗りをするミンストレル・ショーという出し物があり、一般的だった。トーキー第一作として知られる「ジャズ・シンガー」(1927)の主人公も、ミンストレル・ショーに出演している。黒人のラスタスが白人の悪者を倒すというストーリーは聞こえがいいが、臆病な黒人というステレオタイプが笑いの基本となっている。

 歌や踊りはないものの、映画版ミンストレル・ショーとも言える点は貴重かもしれない。

2017-01-20 映画評「アリス・ザ・ホエーラー」

映画評「アリス・ザ・ホエーラー」

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[製作国]アメリカ [原題]ALICE THE WHALER [製作]ウォルト・ディズニー・プロダクションズ  [配給]マーガレット・J・ウィンクラー

[監督]ウォルト・ディズニー  [製作]M・J・ウィンクラー  [撮影]ルドルフ・アイジング

[出演]ロイス・ハードウィック

 捕鯨船に乗る動物たちの一団が、独特の方法で掃除や料理をする。

 アニメの背景に実写のアリスの活躍を描いた「アリス」シリーズの1つ。

 シリーズ後半の作品。実写のアリスはおまけのような扱いで、主役はアニメーションの動物たちに代わっている。タマゴを産まないニワトリに対して、口から棒状のものを押し込むことで強引に産ませたりといった、アニメならではのギャグが多数ある。

 ディズニーの興味が、アニメと実写の融合から、アニメそのものの楽しさへと変わっていったことがよく分かる作品だ。この後、ディズニーはウサギのオズワルドを生み出した後、ミッキー・マウスの創造へと向かう。


2017-01-19 映画評「ジ・オーシャン・ホップ」

映画評「ジ・オーシャン・ホップ」

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[製作国]アメリカ  [原題]THE OCEAN HOP  [製作]ロバート・ウィンクラー・プロダクションズ  [配給]ユニヴァーサル・ピクチャーズ

[監督]ウォルト・ディズニー  [製作]チャールズ・ミンツ

 ディズニーがミッキー・マウスの前に登場させたウサギのオズワルドが主役の短編アニメーション。オズワルドは人気を得るが、権利が自分にはないことを知ったディズニーは、仲間と共にミッキー・マウスを世に送り出すことになる。

 オズワルドは大陸横断飛行大会に出場する。

 1927年はチャールズ・リンドバーグが、大西洋単独飛行に成功した年であり、間違いなくその影響を受けて作られた作品だろう。

 飛行機が壊れて、ダックスフントの頭とお尻に風船をつけて飛ばしたり(その際、風船が一個足りず画面に現れた「?」の吹き出しを風船代わりにする)、ライバルが画面の線の影に隠れたりといったシュールなギャグが楽しい。


2017-01-18 映画評「オール・ウェット」

映画評「オール・ウェット」

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[製作国]アメリカ  [原題]GREAT GUNS  [製作]ロバート・ウィンクラー・プロダクションズ、ウォルト・ディズニー・プロダクションズ  [配給]ユニヴァーサル・ピクチャーズ、マーガレット・J・ウィンクラー

[監督]ウォルト・ディズニー  [製作]チャールズ・ミンツ

 ディズニーがミッキー・マウスの前に登場させたウサギのオズワルドが主役の短編アニメーション。オズワルドは人気を得るが、権利が自分にはないことを知ったディズニーは、仲間と共にミッキー・マウスを世に送り出すことになる。

 オズワルドは、美しい女ウサギの気持ちを得ようとライフガードになりすます。

 この作品が面白いのは、前半のホットドッグを売っている部分だろう。食べられるのが嫌で逃げだそうとするソーセージを捕まえて、皮をむいてお尻ペンペンするギャグ。ホットドッグを買った犬が食べようとすると、ソーセージが「痛い!」と叫び出し、犬が同情してしまうギャグ。こうしたギャグも、アニメならではのものと言える。

 後半のライフガードになりすましてから展開は、アニメならではのシーンはあるものの、実写でも描かれたギャグの焼き直しの印象が強い。