・・・「ファルージャからの米軍の撤退」というのも、報道をよく読むと結局「米海兵隊が郊外に移動」という意味にすぎなかったようだ。
▼米軍がイラクに戦車や装甲車増派、都市部の作戦強化で(ロイター)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040430-00000085-reu-int
>[ワシントン 29日 ロイター] 米国防総省筋によると、米軍がイラクに対して、戦車や装甲車を相次いで増派している。都市部での作戦強化としているが、アナリストらは、同省がイラク人の「心」をつかむことを断念したとみている。
>増強が決まったのは、エイブラム型戦車やブラドリー歩兵戦闘車など。現地の陸海軍司令官らから、火力と防御力の強化が求められたことを受けた措置。
>ある国防総省の高官は匿名で、現地の司令官らは数週間前に、ファルージャやナジャフ、南部のシーア派地域などで同時多発的な攻撃を受けて、車両に不足があるとの結論に達した、と語った。
>あるアナリストは「(増派は)我々が、抵抗勢力との全面戦争に入ったことを示唆している。もはや、イラク人の心情をつかむ政治戦略の域ではない」と指摘した。
・・・って、今まで「心をつかむ」つもりでやってて↓コレか?
▼米軍 ファルージャ虐殺の惨状“動くものはみな撃たれた”(しんぶん赤旗)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-04-29/06_01.html
・米軍は三月三十一日にファルージャで米民間人(元軍人)四人が殺害されたことへの報復を口実に、四月五日以来、同地で六百人以上のイラク人を虐殺。
・約千五百人の米海兵隊が街を包囲し、大型地上攻撃機AC130やF16戦闘機、武装ヘリを動員して無差別爆撃をおこない、クラスター(集束)爆弾まで使用。
・米軍当局発表では「死者の多くは武装勢力」。しかし現地からの報道によれば、死者の多くが子どもと女性。
・市の人口約二十万のうち、およそ三分の一が首都バグダッドなどに避難。
・アラブ首長国連邦のアルカリージ紙二十六日付によれば、米占領軍はモスクを攻撃し、付属施設のミナレット(尖塔)を占拠、そこから住民を銃撃の標的に。特派員いわく、「ファルージャではすべての市民が標的にされ、安全な場所などどこにもない。民家、商店、通行人に加え、病院や救急車、援助関係者までもが攻撃対象だ」
・占領当局影響下のイラク暫定閣僚からも「ファルージャ住民にたいするとてつもない誤り、残虐な行為は絶対に受け入れられない」(辞任表明したトゥルキ人権相)
・韓国の平和団体「イラク平和ネットワーク」は二十二日、米軍によるファルージャ住民殺害の現地調査報告書を発表。(代表のユン・ジョンウン氏が十三〜十九日、ファルージャ近郊とバグダッドで聞き取り。)
イラク人女性ヌリエ・サイク(52)いわく、「月曜日の朝、米軍は戦車を連ねて侵入を図った。ムジャヒディン(民兵)が防いだが、かなりの人が死んだ。午後になって米軍は、家に向かって機関銃を発射し始めた。民家、ビル、街路がそこらじゅうで破壊された。交戦は夜まで続き、ヘリが民家にミサイルを撃ち込み始めた」
他の女性は「空襲でたくさんのけが人が出たが、病院に行けなかった。病院に行く道は米軍が封鎖していた」と証言。ファルージャにある大規模な病院は二つ。このうち国立ファルージャ病院の医師によれば、モスクへの攻撃で四十人が死亡した(米軍は「民間人の被害なしと発表」)。もう一つのタリブ病院(個人経営)は、米軍が爆撃で破壊。
別の女性サブリエ・オベイド(75)、「七日に弟から電話がきた。『どの建物の屋上にも米軍の狙撃兵がいる。通りを歩いている人を撃っている。怖くて外に出られない』。これが最後の電話だった。別の弟は狙撃兵に射殺された。親せきの一人は爆撃で壊れた家の下敷きになって死んだ」。
ハミド・ジェサム(54)は、避難の途中で子ども二人を失いまし
た。「米軍は私たちに『退避しろ』と言っておきながら道を遮断した。(バグダッドへ向かう途中の)砂漠で米軍に封鎖され、水も飲めずに私の子ども二人は死んだ。米軍が四人家族の避難民が乗った車を止め、銃撃して皆殺しにしたのも見た。これは虐殺だ」
市内の通りに放置された死体を片付けた男性教師、アフメド・ヌワプ(25)、「一度避難したが、年老いた父が残っていたので市内に戻った。いっしょに死体を片付けていた友人は米軍狙撃兵に射殺された。十三日に米軍は『八時間以内にファルージャから立ち去らなければムジャヒディンと見なす』と発表した。それ以来、通りで動くものはみな撃たれた。自宅の庭で頭を撃たれた息子を助けようと、家から飛び出た父親もその場で射殺された」
ファルージャの病院関係者、「死者は六百人以上、負傷者は千二百人以上」。
小学校の女子生徒バトル・フセイン(10)、「今も米軍が攻撃する音が聞こえる」。「戦闘機と戦車の音がとても怖かった。どうしてファルージャが攻撃されるのか分からない。逃げる途中の砂漠では食べ物も飲み物もなかった。米軍は嫌い。学校の友だちを思い出すと泣いてしまう。みんなどうしているのかと思うと涙が出る」
・ファルージャをめぐってはここ数日の間に米軍と地元代表の間で「停戦」交渉がおこなわれていた。しかし米軍側は、抵抗勢力側に武装解除を一方的に求めるなど、受け入れ困難な条件をつきつけており、「米側は交渉で合意に達することは考えていなかった」との分析も。実際に交渉の一方で、米側からは、相手が受け入れなければ攻撃再開するとの発言が相次いだ。
・米軍は二十六日夜から攻撃を公然と再開、二十七日の本格的な攻撃開始。
・二十七日午後、米軍は空から多量のビラをまいて、市民に「降伏」を呼びかけ、夜間に入って、猛烈な空爆と地上攻撃を開始。AC130とみられる大型攻撃機で空爆、また武装ヘリでモスク(イスラム教礼拝所)を攻撃、施設を破壊。
・一時「休戦」の間に多くの市民がバグダッドに避難したが、ほとんど女性や子どもで、男性について米軍は町から出ることを許さず、市内に封じ込めたまま。
■ファルージャをめぐるおもな動き
3月31日 米警備会社要員4人が武装勢力に殺害され遺体を損傷
4月5日 米軍がファルージャ攻撃作戦開始。海兵隊2500人が包囲。爆撃など開
始。アラブのテレビが米軍はクラスター爆弾使用と報道
7日 米軍がモスク攻撃。市民40人以上死亡
8日 邦人3人が人質になる
9日 米軍当局が戦闘一時中止を表明するが攻撃はつづく。これまでに市民470
人死亡。負傷は1200人
11日 イラク軍がファルージャ作戦拒否と米紙報道
12日 停戦一時延長。死者は600人を超す
13日 米軍が戦闘再開
15日 米軍、モスクを攻撃
20日 停戦の動きがあるなかで戦闘継続
22日 イラク駐留米軍キミット司令官が攻撃再開を示唆
26〜27日 攻撃本格的に再開