Hatena::ブログ(Diary)

忘れないために書きます

2018-01-17

[][]ロバート・エガース『ウィッチ』 10:46

ウィッチ
The Witch
2015年 アメリカカナダ 92分
監督:ロバート・エガース


17世紀アメリカニューイングランドの入植地から追放された一家が、痩せた土地で暮らしていると、長女トマシンが生まれたばかりの弟を見失ってしまう。父親は狼がつれていったのだと諭すが、小さな双子の子供たちはそれを魔女のしわざだと騒ぎ立てる。
民地時代のアメリカを舞台にした、かなり本格的な魔女譚で、『ヘルボーイ:捻じくれた男』などが好きな人間にとっては嬉しい。父親、母親、双子、弟のケイレブ、長女トマシン、そして山羊、といった登場人物にそれぞれ意図的な空白があって、「実はこいつ魔女なんじゃないか?」と疑うように仕向けている。作り手が意図しているように、当時の民衆が考えていた魔女の恐怖というものがそれなりに生々しく実感できるのだ。特に、呪いに苦しむ弟ケイレブを救うために家族みんなで祈りを捧げる場面、突然聖書の言葉を思い出せないと言いはじめる双子にはゾッとさせられた。この感覚は、高橋洋の言う「恐怖」と「怪奇」の違いに従えば、「怪奇」に該当するのだと思う。恐怖とちがって、怪奇には、ファンタジーの要素があり、恐怖の対象にとらわれていることを望ましいと思っている側面がある。だから、性の目覚めにより実姉トマシンを意識しはじめている弟ケイレブの前には、スーパーモデルみたいな魔女があらわれるのだ。
低予算だと思われるが、ロウソクの火で照らされた画面には拘りがあり、高解像度のカメラゆえに成立する薄暗い画面は、汚いはずの環境がクリーンに再現される倒錯的なルックになっている(レフンの『ヴァルハラ・ライジング』みたいな)。見応えはあるが、ありがちといえばありがちだと思う。演出・構図・編集はやや単調で、一本調子に感じられた。冒頭近く、村から追放される家族のPOVでながめられる村の景色が、とても狭く、そして最後には扉が閉じられる。このような場面のように、審美的な画面の選択がストーリーを語る上での機能を果たしている箇所が少ない。また、心理と妄想の飛び交うシナリオなので、内側からの切り返し(肩越しではなく、話している人物の真ん中にカメラを置いて、交互に切り返す手法)が多くなる。この手法で、観客に画面外を意識させて緊張感をもたせるのはいいけど、シンメトリーな顔のアップが多くなって構図に単調さが生まれていると思う。そういえば、主演のアニャ・テイラー=ジョイは『スプリット』でもシンメトリーな顔のアップで撮られることが多かった。

ウィッチ [Blu-ray]

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2018-01-04

[][]2017年 読んだ本ベスト 17:23


1.ミシェル・ウエルベック『H・P・ラヴクラフト:世界と人生に抗って』
2.ピーター・ワッツ『エコープラクシア 反響動作』
3.蓮實重彦『ハリウッド映画史講義:翳りの歴史のために』
4.木下古栗「表現と書く技法 ――『グローバライズ』創作をめぐって」
5.ロバート・クーヴァー『ユニヴァーサル野球協会
6.ジェイムズ・エルロイブラック・ダリア
7.保坂和志『小説の自由
8.高山宏『近代文化史入門 超英文学講義』
9.殊能将之美濃牛』
10.円城塔田辺青蛙『読書で離婚を考えた』


小説以外の本が増えている気がするので、それはよしとする。今度はもっと離れたい。
トーマス・メッツィンガー『エゴ・トンネル』が積んだままであることに気がついた。


ブラック・ダリア (文春文庫)

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小説の自由 (中公文庫)

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近代文化史入門 超英文学講義 (講談社学術文庫)

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美濃牛 (講談社文庫)

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2017-11-26

[][]アンディ・ムスキエティ『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』 12:58

IT/イット “それ”が見えたら、終わり。
IT(IT:chapter one)
2017年 アメリカ 135分
監督:アンディ・ムスキエティ


音症の兄につくってもらった紙の船を、弟は排水溝に落としてしまう。このままでは兄に怒られると危惧した弟はその船を拾おうとするのだが、そこにはペニーワイズと名乗るピエロがいて、話しているうちに排水溝のなかへと引きずり込まれてしまった。それからしばらくして学校では、不良グループにいじめられている通称“ルーザーズ・クラブ”の面々が夏休みに突入しており、どうやって夏を過ごすのかを考えている。けれどもビルは、排水溝へと消えた弟ジョージィのことが気がかりで、とても遊ぶという気分になれないでいる。一方で、“ビッチ”と罵られる女の子ベバリーは、図書館に入り浸っているデブの男の子と仲良くなる。不良グループへの反発などもあり、合流していく少年少女たちは親交を深めるのだが、その過程でピエロの悪夢に襲われ、町では子供たちが次々と消えている。これは見過ごせないということになり、“それ”が下水道沿いに現れたことからその住処を突き止める。廃屋に突撃する“ルーザーズ・クラブ”だったが、案の定“それ”と遭遇した結果、エディという少年が骨折し、デブ君が腹を裂かれるなど手酷いしっぺ返しをくらったうえに、内輪揉めによって瓦解してしまう。関係が修復されないまま時間は経過し、そのうちに今度はベバリーが攫われてしまう。この危機に“ルーザーズ・クラブ”は再び集結し、“それ”からベバリーを奪還すべく、再び廃屋へと突撃する。
ティーブン・キング『IT』を原作とした二度目の映画化。なんと27年越しである。悪夢がかなり物質的で、かなり手間をかけて造形されているし、物理的に現実を傷つけるという点で『エルム街の悪夢』を思い出したが、タイトルでの音響の使い方など、ホラーとしてのデザインは同時代の『インシディアス』以降のものを踏襲しているように見える。排水溝を隔ててピエロと会話していた少年があちら側に引きずりこまれ......その水路から外に出たところでタイトルが出る。そのあとすぐ、柵越しの家畜を殺せないので父親に叱られる黒人の少年の挿話に移り、食う側と食われる側のどちらにいられるかは世の中大して保証されていないという説教が、柵というモチーフを通じてとてもわかりやすく提示される。そして、柵から出される家畜たちが、教室から出てくる生徒達に繋げられるので、やはりというか子供たちが次々と食われていく映画になるのだ。少年少女のキャラクターはよく特徴づけられていて、それが家庭環境と通じていたりする。その服装や雰囲気、そしてショックシーンでの悪夢の造形など、プロダクションデザインが相応に練られているし、特にヒロインの顔と髪はとても魅力的でかわいい。脚本には書かれていないような創意工夫をしようという痕跡も見られる。一方で、少年たちが仲違いする場面が段取りくさいとか、ヒロインが特権的に扱われ過ぎてちょっと恥ずかしいとか、青春とホラーが混ざっているせいか登場人物が多いせいか尺がホラーにしては長いとか、エディが病気だらけの男から逃げまどうところや、最後のペニーワイズとの戦闘などのアクションシーンについてはカメラがブレまくっていてとても見れたものではないとか、やたらと斜めに傾けた構図が使われるとか、気になる点もそこそこあった。ナチュラルに子供が人を殺す映画でもある。また、最初にペニーワイズが出てくる場面では、敷居越しに少年が引きずり込まれるのだが、その後の場面もかなりの確率で敷居越しになっているわけで、わざわざ黒人の少年の挿話も入れたわけだから、敷居越しというシチュエーションだけを反復するのではなく、引きずり込むアクションがもっとあってもよかったかもしれないと思った。二段構成はおもしろそうで、続編も見に行くだろうと思う。ペニーワイズは、アメリカへの植民の時期からいて、27年周期で現れるらしく、この設定に一番惹かれた。ペニーワイズとデリー市民の戦いの歴史を描いた年代記があったら読みたい。このあたりの設定を聞くかぎりでは、ペニーワイズは恐怖の象徴というよりもエイリアンかなにかのようだ。SCP財団はこいつを早く収容すべきだと思う。

D

2017-11-24

[][][][]マックG『ザ・ベビーシッター12:02

ザ・ベビーシッター
The Babysitter
2017年 アメリカ 85分
監督:マックG


伸びしたい時期なのに、注射が苦手で、クモがこわくて、美人のベビーシッターまでつけられているから学校ではいじめられている男の子が、両親不在のある日そのベビーシッターが夜にしでかしている大変なできごとを目撃してしまう。
初のほうはかなり辟易としたけど、85分という短さでホラーコメディを撮るマックGはとても生き生きとしている。学校の場面では、主人公とその仲のいい女の子以外はスローモーションになっていたり、たびたびフランケンハイマーの『セコンド』のような移動する役者にカメラをくっつけた撮影などが出てきて、正直その効果がいまいちよくわからなかったりもするのだが、総じて無駄なくかっちりできている。ベビーシッターが悪魔崇拝集団の一味であることはあらすじの時点でネタバレしているのだけど、それを明かすカットのインパクトが強いのであらすじを知っていても驚いた。短さゆえに時間稼ぎは一切なくシナリオが進行し、通報を受けた警察はやたらと到着が遅れることもなくばっちり登場し、そのあともぐいぐい進んでいく。悪魔崇拝集団のメンバーは一応は一般市民のはずなのにキャラがおかしく、非常事態にどうでもいい話で騒ぎ立てる黒人、殺しに躊躇のないゴス女、意識の高いイケメンマッチョサイコパス、どう見ても童貞のメガネ、そしてチアリーダー、という具合に揃っている。「プッシー」と罵倒されていた少年はシナリオを通じてトラウマを解消し、出てきた要素を無駄なく消化している。作中人物がファイナルディスティネーション級の偶然で凄惨な死を迎える本作だが、少年の奮闘に着目すると「ホーム・アローン」になるわけだし(実際言及がある)、図らずも双方の共通項を発見してしまう。
ベビーシッターから逃げ回ったあと女の子とキスする場面は、まだ危機から脱していないはずなのにダラダラと叙情的なシーンを続けていて、それ自体の出来はともかくとして、前後のサスペンスとのつながりが切れていて弛緩している。

2017-09-04

[][][]ジェシカ・ハウスナー『ルルドの泉で』 10:45

ルルドの泉で
LOURDES
2009年 オーストリアフランスドイツ 99分
監督:ジェシカ・ハウスナー


 気のせいで車椅子生活をしており、世話をしてもらわなければ食事をすることも、ベッドに寝ることも一人ではできないクリスティーヌという女性が、聖地ルルドにやってきて聖地巡礼ツアーに参加する。それほど熱心な信仰者というわけでもないクリスティーヌは、それほど熱心なボランティアとはいえないマリアに介護されつつ、あまり期待せずにツアーに参加していたが、同じく車椅子生活の少女が「奇跡」によって目覚めたところを見たあと、しばらくして自らも唐突ながら「奇跡」によって立って歩くことができるようになる。 ルルドの泉での奇跡認定は厳格であり、待合室で待たされ、医者による審査を受けたのち、医学的に説明がつかないということで晴れて「奇跡の少女」と認定される。 そのとき、先に「奇跡」が起きた車椅子の少女は残念ながら元に戻ってしまっていて、クリスティーヌはその母親から恐ろしい視線を受けることになった。これは「奇跡」などではなく、一時的な回復だという不安にさいなまれながら、クリスティーヌは意中の男とツアー中に抜け駆けしたり、一緒にダンスを踊ったりするのだが、まさにそのダンスの途中によろけて転倒してしまう。
 巡礼をあからさまに商業的な観光ツアーとして描いており、なんなら冒頭で「巡礼というより観光みたい」などとクリスティーヌに喋らせることで親切にほのめかしてくれている。団体行動、行列、売店、送迎バス、集合写真、と観光ツアーにありがちなことはひととおり描かれており、地味ながらアイデアが多いので退屈しない。オリヴェイラの短編「征服者、征服さる」ほど馬鹿にした感じではなく、時々はドキュメンタリーを見ているような気分にもなる。『ビリディアナ』のように聖職者たちはカード遊びにふけっており、ルルドの泉から湧き出た水を差し出されても飲まず、代わりにワインを飲んでいる。信仰や奇跡について悩んでいる人々からの質問に対して、神父らの返事は通り一遍の形式的なもので、助けにはならない(信仰とはそういうものかもしれないが)。そのため、ここで描かれる「奇跡」には一般に想像されるような神秘性の一切が剥奪されており、これはきわめて散文的な態度だといえよう。
 クリスティーヌの介護をするマリアをレア・セドゥが演じており、これは初登場の場面からすでにもうシスターらしくない。ボランティアではない本職のシスターが痩せ細って、厳しくも職務に忠実な顔をしているのに対して、レア・セドゥの肉体にはぽっちゃりとした肉感があって、態度もどこかぞんざいでやる気がなさそうに見える。聖職者というよりかは、ポルノビデオでコスプレをしている女優といった趣だ。実際、時間が経つにつれて職務はぞんざいとなり、しばしばクリスティーヌを放って男の子たちとの交流に時間を割いている。また、最後にはカラオケでフェリシタを歌ってくれる。
 映像の強度は高いが、ジャーナリスティックでどこか水平的であり、題材にはマッチしている。カメラについての知識はまったくないのだが、この映画で映された自然の異物感はすごかった。これもオリヴェイラみたい。傑作だと思う。

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