ロクシタンのカフェ
L'OCCITANE Cafe-ロクシタンカフェ
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20091005#1254700469
オバマ氏の当選から約1年となる時期の大型選挙は、これまでの政策への国民の評価を測る機会となるとともに、来年秋に行われる中間選挙の前哨戦としても注目されていた。
両州とも、回復の道筋が見えない経済問題が大きな争点となったことが敗因の一つとみられる。また、無党派層が共和党に流れたことも響いた。
オバマ氏は就任当初から景気回復を最重要課題に掲げ、大型の景気刺激策をまとめるなど対策を打ってきたが、いまだに失業率が10%に迫る勢いで、回復への道筋が見えない。さらに医療保険制度改革では、医療費の抑制や無保険者の解消を訴えるものの、共和党を中心に「税金の無駄遣い」「民間保険を圧迫する」などの批判を浴びて国民の賛否が二分。アフガニスタンへの米軍増派をめぐっても世論の反対は6割にのぼる。
【話の肖像画】銀幕のクライマー(下)俳優・渡辺謙 僕の拠点は仕事の現場
渡辺 日米に関係なく監督のパーソナリティーは一人一人違うもの。だから現場ごとに差があって当然で、むしろその違いが面白い。例えば同じノーラン監督でも、5年前の前作と新作では明らかに演出方法が違いますからね。
映画撮影を僕は山登りだととらえています。撮影現場にまずベースキャンプを張り、そこで最高のコンディションを出せる準備をし1、2カ月間、撮影を続ける。それが終われば、次の現場に行き、そこにベースキャンプを張る。その連続なんですよ。
平野貞夫 わかりやすい国会の話 第2話 日本で国会がつくられるまで
戦後最大の文明評論家大宅壮一は、こう語っている。
「議会制度をはじめ、明治初期の日本を風靡した自由民権思想は、万次郎のもたらしたアメリカ式デモクラシーとつながっている。つまり、漂流者万次郎がアメリカから持ち帰ったデモクラシーの一粒が、まず土佐でまかれ、それが日本的民主主義として成長し、明治22年の憲法発布、23年の国会召集となって、実を結んだことになる」(昭和39年『欧米文化と初接触』)
坂本龍馬の「船中八策」など大政奉還による議会制度論は、土佐藩で万次郎の情報や思想を河田小龍が聞き書きしたものを、龍馬に伝えたことから始まっている。
この使節団の随伴船として「成臨丸」が日本人独力で、太平洋の往復航海を成功させた。勝海舟や福沢諭吉とともに万次郎が乗船していた。万次郎の欧米人の生活やデモクラシーの話が、その後の2人の活躍の原点となった。
文久元年(1861)には、幕府は英仏など西欧六カ国に使節を派遣して、開港延期の交渉を行った。福沢諭吉らが参加し、精力的に政治制度などについて学び、成臨丸での万次郎の話をまとめたのが『西洋事情』で、日本人の意識の開明に役立った。
【幕末から学ぶ現在(いま)】(35)東大教授・山内昌之 横井小楠
民主党には清新な印象を与える若い政治家が多い。しかし、政権交代による政官民癒着の構造の廃棄を語れば、自動的に新日本の姿が見えてくるわけではない。選挙対策用のマニフェストは、そのまま国のかたちや姿を説くビジョンにならないからだ。党と政府の関係で現在の混迷を招いたのは、新政権に幕末の横井小楠のような人物を欠くからではないだろうか。
坂本龍馬の「船中八策」や由利公正らの「五箇条の御誓文」の基礎となった横井小楠の『国是七条』や『国是十二条』のスケールは、国の大きな役割を考える上で現代政治にも参考になる。
福井藩に提言した国是十二条は、有徳こそ国富の土台になるという主張につながる。勝海舟が「天下で恐ろしい2人」として西郷隆盛と並んで小楠を挙げたのは偶然ではないのだ。
また、小楠は、日本の政治家や地方指導者に「驕惰侮慢(きょうだぶまん)」になることを戒めた。日本の指導層が安逸と惰眠に満足し、外国の力を侮って慢心する独りよがりをたしなめたのだ。実学と国家経綸(けいりん)との結合が、小楠の思想の特色である。
小楠の転機は、元治元(1864)年から翌年の慶応元年におよぶ坂本龍馬との3度の出会いで訪れた。勝海舟の紹介で龍馬が小楠に会ったのは、海軍の創設を相談するためであり、龍馬は自分の言葉として有名になる「日本の洗濯」を小楠に説かれたのである。
維新政府は「共和一致」(共に協力すること)や「議事の制」を曖昧(あいまい)にしており、立法・司法を区別しない、と薩長の藩閥政治家にはうるさいことを言い出した。万機公論に徹せずば「富強の法」(富国強兵)も「利害の私事」に陥ると危険を警告したのである。
資本主義になっても、「安佚(あんいつ)」に走らず「経国安民」のための「良心」をもって事に当たる重要性を説いた小楠のセンスは鋭い。
小楠を思うにつけて、大臣はじめ政務三役のリーダーたちが自ら電卓をはたく現政権の姿が浮かんでくる。
役所の課長補佐や係長のレベルの作業を政治家が果たす姿に、政治主導や国民本位の改革の姿形を見て喝采(かっさい)を送る国民は少ないだろう。
「国の制度を動かすより、現場に出て一人一人の人生にかかわりたい」
このブログで2009.10に売れたモノランキングTop40の第1弾(40位〜21位)
この本に書かれたことはそう遠くない未来の話です。
このような世界に向けて私達は準備しなければなりません。
ゲルマン 私の著書(『ポストグローバル』)でも書いていますが、20世紀の政治家や経済学者はグローバルな政治、経済システムを目指してきました。ただ、その動きは必ずしもうまくいっていません。文化が持つ重要性と影響力を無視したためでしょう。
その一方で、グローバル化が進めば進むほど、ローカルが持つ伝統や文化の大切さに目を向ける人は増えつつある。こうした変化を眺めると、グローバル化の次の時代、すなわちポストグローバルはグローバル化の対極にあるローカルカルチャーが中心になる、と私は見ています。
ゲルマン 世界がつながり始めたきっかけは産業革命でした。その後、1990年代の情報革命によって世界が完全につながり、グローバルな世の中が出現しました。このグローバル社会が後戻りすることはありません。ただ、様々な情報が世界中で共有されるようになることで、ローカルが持つ文化や伝統、多様性の共存などの重要性が高まるのではないか――。私が言いたいのはこういうことですね。
ポストグローバルの時代には、文化がテーマになる。
そう考えると、それぞれのローカルの文化を認識し、理解できるグローバル企業でなければ生き残れないでしょう。
日本という国はとても面白いんですよ。1つの島国が北から南に伸びていて、その中には異なるいくつかの気候がある。しかも、日本語としては1つですが、様々な方言があり、一つひとつの地方文化が大変ユニークなわけでしょう。とても稀な国だと思います。
米国やヨーロッパはキリスト教の影響もあり、違いというものは共存しない。欧州は古いものを拒否して新しいものを生み出す連続だったけど、日本は歴史にしろ、科学にしろ、経済にしろ、建築にしろ、それまでのものを共存させながら新しいものを生み出していくことができる。そういう共存の精神が強くある。
だからこそ、米国は日本に学ぶべきでしょう。ただ、その一方で、日本人は自分たちが持っている価値観を他の国の人々と共有する努力をしなければなりません。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20091030#1256887376
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20091101#1257051230