Star friendship

――友情を育てるコツは、どうしたら相手の長所を引き出せるかを知ることである(バルタザール・グラシアン)

2008-12-11

[] 21:14

2008-12-10

[] 20:35

  • 阿部謹也西洋中世罪と罰:亡霊の社会史』、弘文堂、1989年
  • 読了。おもしろかった&勉強になった。この方の本は昔いくつか読んだが、どうもぴんとこなくて数冊でやめてしまった記憶がある(世間論とか)。それもあって敬遠していたが、思いがけずたのしめた。

2008-12-09

[] 00:34

2008-12-08

[] 02:26

1970年代に入っての、アメリカにおける医療人類学の発展は、発表された論文数や著書の増加、学会での口頭発表数の増加、大学病院や福祉・医療関係の領域への医療人類学者ないしその訓練を受けた者の進出などによって測ることができる。そして、その背景には、例えば、米本昌平『先端医療革命』の中で論じているような、アメリカにおける医療状況の革命的とでも呼べる大きな変化があった。安楽死臓器移植遺伝子組み換え技術出産時の重症障害児の延命措置、重度の植物状態の人の延命などに関して、急速に進歩する医療技術が結果としてもたらした状況において、医療従事者や患者家族人間の生と死とをめぐってその判断が分かれる事例が、次々と出てきた。・・・・・・・

 /これらの問題は「バイオシックス生命倫理)」という新しい言論の領域の発達を促したが、バイオシックスが、あくまでもアメリカ社会的経済的・政治的・文化的な枠組みの中で是非を論じるうえでの理論構成であったのに対して、医療人類学は、そのアメリカの、あるいは西欧的、キリスト教的な文化基盤そのものをも相対化することをめざすものであり、アメリカにおける医療状況が深刻で基本的な問題を提出すればするほど、それを相対化してゆく視点を鍛えていったと言える。その一方では、医療人類学の下位領域として、応用人類学としての「臨床人類学(clinical anthropology)」が発達し、医療現場で生じる様々な問題解決学としての方法を発達させてきている。

 /バイオシックスとは根本的に異なる立場に立って、人間の生と死、そして老化という問題を、それが人間すべてに共通しているゆえに、医療人類学は特に問題にしてきた。(pp.220-1)

2008-12-06

[] 01:15

昔は現在と違って一組の夫婦子どもが何人もいたのだから、一人や二人子どもが死んでも親の悲嘆はそれほどでもなかったろうと考えるのは、現代の人びとが過去の人びとについて抱きがちな誤解である。確かに、一組の夫婦が十五、六人も子どもをもつことがあったが、そのうち成人する子は少なかった。また、周囲の夫婦が多くの子をもつのに一人も生まれないか、生まれてもやっと一人か二人であり、その子どもたちも成人前に死亡してしまうという家も決して少なくなかった。聞き取りによって家系調査をすると、子が生まれないか次つぎに死亡したため、養子をとる例が非常に多い。子どもの命は実にはかなかったようである。

 一九一〇(明治四三)年生まれのある女性は次のように思い出を話した。長女であるその人を頭に両親にはすでに六人の子どもがいたが、七人目の男の子が、一歳未満で何の病気だったのかわからないが、死んだ。葬式の日、母親は激しく泣き崩れ、いざ出棺という時にその子の名前を泣きながら何度も呼び、「お母ちゃんも○○ちゃんについていきたい」と言ったという。それを聞き、当時十三歳の少女であったその人は、「私たち六人の子を残してお母さんは死にたいの。それじゃあ残った私たちはどうすればいいとお母さんは思っているんだろう。○○ちゃんほどには私たちのことを愛してくれないんだ」と思い、激しく母親を憎んだという。泣き崩れた母親が、残りの六人の子どもたち全部合わせたよりも、死んだ一人の子どもが可愛いと思ったのでは決してないだろう。しかし、どんなに子どもの数が多くても、とくに生まれて間もない幼い子の死は、親たちの悲嘆の種だったようである。(pp.97-8)

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