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新東京邂逅記 by 長谷川高 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-04-15

[]プロスポーツ選手向けの金融・投資・経済リテラシー講座の必要性


先日、東京オリンピック候補のスポーツ選手が違法カジノに出入りしていたという理由で出場停止及びオリンピック出場への道を閉ざされました。

少し前には野球賭博に関与したということで複数の若きプロ野球選手も退団を余儀なくされました。

私はこういった事件は今後も続くのではと感じます。

何故ならばギャンブルや賭博が(それが違法であるかどうかに関わらず)古き時代から長きに渡り絶えることがなかったのにはそれなりの理由があるからだと思うからです。


私も実は少年時代にはギャンブル狂?でした。もちろんそれはカワイイ遊びの範囲でありましたが、相当夢中になりました。ベイゴマは数百個、メンコは約1,000枚、家の近所の賭場?を回って勝って、負けて、また勝ってと集めに集めました。

勝てば相手の所有物を貰えるという意味にはおいては立派なギャンブルだったと思います。勝つ為にと毎晩深夜まで家で自主練をしました。

あの子供の遊びでさえ、勝って相手の所有物を奪えるからこそ面白く、熱中し、もしもそうでなければ当然あそこまで熱中することは無かっただろうと思います。

私は子供ながらに「このまま大人になったらこの性格はまずいな・・・危険だな・・・」と感じていました。

人間は、元来こういったギャンブルのもつ魅力にはまり易くできているのではないでしょうか。


しかし、私は大学時代から全くギャンブルに手を出さなくなりました。

その理由は、ギャンブルの多くが「割の合わないもの」だと分かったからです。

時間的にも、儲かる儲からないといった基本的な意味においてもです。

パチンコ、競馬、競艇しかりです。

今は、時々興じるにしてもそれはほんの趣味程度に止めています。


その理由は、投資やギャンブルといったものに対して基本的な知識があるからです。倫理的なものやコンプライアンス上の意識ではありません。

(コンプライアンスの問題だけで、兎に角『駄目なものは駄目なんだ』というのには限界があるように感じるのです。実利でも説くべきではないかと。)


実は、競馬などは、欧米では富裕層インテリ層の立派な遊びであり、日本でも金融関係に携わる著名人がその魅力に(趣味として)ハマっている方が多くいらっしゃいます。しかし、それは株式投資等を職務上制限されているが故の代償行為だとも言う方います。多分その通りなのだと思います。


話しは少し逸れますが、以前から気になっていることがあります。

NFLやメジャーリーグはたまたサッカー・プレミアリーグの出身の方々の多くが(NFLの選手は5年以内に80%以上という記事も↓)選手を引退後「破産」しているというのです。



http://www.nfljapan.com/column/47590.html

http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/wfootball/2013/03/15/post_309/



これなどは多くの「収入」や「お金」があっても上記の金融や投資に関するリテラシーが無ければ、上手い話しに乗ってしまい、また時には詐欺的に騙され「破産」まで至ってしまうことが少なからずあるということの非常に解り易い証明だと思います。


話しは戻ってプロスポーツ選手の選手寿命は短いものです。

早ければ怪我等により20代で、遅くとも30代後半にはその幕を閉じます。


しかし、若い時分一生懸命に、正に文字通り身を削って貯めたお金を簡単に失うことが多いとなれば、これは悲劇です。


金融や投資の基本を学べば先の闇カジノで1,000万円を超えるお金を消失させせることもないでしょう。

「ギャンブル」と「投資」は似ているところもありますが、大きく異なるところがあります。

それは、ギャンブルとはしょせん半長博打であり、多くの場合、「参加者」ではなく「胴元」が一番儲かる仕組みなっている点です。

これはカジノもパチンコも競馬も皆同じです。よってこれらに興じるのであればあくまで趣味程度に抑えるべきなのです。

単純にドキドキ感を味わいたいのなら、又はお金を増やしたいのなら通常の投資行為で充分ではないでしょうか。


ドキドキしながらも本気で儲けたいと思うならば、「ギャンブル」ではなく「投資」を学ぶべきなのです。



選手生命が決して長いとは言えないプロスポーツの世界の方が現役時代に貯めた虎の子をどうするのか、一時の欲求の為に散財するのか、将来の為に自己投資に使うのか、何かで運用するのか、それともギャンブルに投じてしまうのか・・・・。


この辺りの判断が自らできるように早め早めに、そういった類いの最低限の教養を付けるべきだと思います。


そういった講座やセミナーを積極的に所属団体が開催すべきだとも感じます。


彼ら彼女らが、遵法性の問題やコンプライアンスの問題と同時にこういった事柄の基本の基本を学べるようにすべきだと存じます。


小生も微力ながら、個人的にお役に立てればとかねてから思っております。




長谷川不動産経済社

2016-04-05

[]あの巨大高級タワーマンションをいったい誰が買っているのか?


東京都心及び湾岸部の高級タワーマンションの売れ行きは絶好調のようです。

総戸数は数100戸から1,000戸を超える巨大物件、価格帯は安いものでも1億円前後、上は2億、3億円、それ以上といった価格帯のものまで全て売れているようです。


こういった現状を売主であるデベロッパーさんと話していると「次から次へと出て来る高額タワーマンションが売れ続けているということは、日本のお金持ちというのは意外に多いんですね〜」

「そのようですね〜」

という会話に何時もなります。


個人的にはそれにしてもよく売れているという感じが致します。


ここで私の言う「売れている」という意味は「完売している」という意味です。


元々私もデベロッパーに勤務していたことがありまして、総戸数が100戸だろうが60戸だろうが、どの物件も実は最後の10%、20%を売り切るのに営業の担当者が常に苦労しているのを見てきました。


また、デベロッパーのマンション事業の粗利はおおよそ10%から20%程度ですからこの最後の1割、2割を売らないとそもそも利益が出ないのです。それ故、現場ではこの最後の10%、20%をどう売りさばくか・・・という点に毎回苦心します。


それが数100戸、1,000戸を超える超大型物件が見事に完売しているのは、相当凄いことなのです。それほどまでに極地的に景気が良いのかと。


先日、実は知合いの大手司法書士事務所の経営者と会食する機会がありました。

この方はつい最近、1,000戸を優に超える大型タワーマンンションの決済=引き渡し=所有権移転登記に立ち会ったそうです。


私は率直の聞いてみました。

「どんな方が買っているのですか?」

「約3割は華僑の方ですね。それも台湾系が多いと思いです」と。


所有権移転登記をする時に外国人の方は弁護士が必ず立ち会いに来るそうです。

更に名前が漢字だと中国系、又は韓国系だと分かります。

更にはローンの借り先、つまり抵当権者として金融機関名を登記しますので、その銀行名でおおよその国籍が分かるようです。


先に申し上げた様にマンション事業は最後の10%から20%が利益でありそこを売り切るのが大変な苦労な訳です。仮に1,000戸のマンションでは100戸から200戸となります。

しかし、全体の30%(この場合300戸!)を外国人の方が買って頂けるということは、デベロッパーにとっては「神風」とまでは言いませんが相当な追い風、それも突風に近い追い風だと言えます。


その他、勿論、郊外の家を売って都心のタワーマンションに引っ越すシルバー世代の方も15%程度はいらっしゃるようです。これも最近多くみられる傾向です。


また最近流行の相続税対策として節税目的で買う方もいらっしゃいます。

また、アベノミスで株価が上がり上手く株を売り抜けてマンションを買われた方も相当数いらっしゃることでしょう。正にアベノミスの恩恵を得た方々です。


後は勿論実需の方々による購入です。この方々はやはり超超低金利を活用して、かつ夫婦共有で(つまり共稼ぎで)買われている方が多いようです。


さて、私は、この実情を踏まえて心配なことが幾つか頭に浮かびます。


その一つは華僑の方々はキャピタルゲイン狙いの正に純投資で買われているということです。今後も東京オリンピック等で価格が上がると期待して買われています。

しかしです。仮に、その期待、思惑が外れた場合、今度彼らは一斉に異国に所有するマンションを売りに出す可能性があります。あたかも価格が下がってきたよくわからない外国企業の株式を売るようにです。

彼らの保有は、仮に、総戸数1,000戸のマンションであれば、約300戸となります。

この場合の300戸という実数は実に色々な意味で影響が大きいと言えます。

このような状況になった場合、マンション価格の相場全体に極めて大きな影響を及ぼすことになるかもしれません。



長谷川不動産経済社

2016-02-29

[]セミナー・講演〜「大競争時代のアパート・マンション経営戦略」


最近セミナー及び講演にてマンション経営、アパート経営をどのようにしたら空室率を低く抑え、賃貸事業を成功に導けるのか話してほしいという依頼が増えています。

今回は最近の私の講演内容に関して、ざっくりとお伝えしたいと存じます。

講演ではまず、近年の不動産業界の趨勢と状況に関してお話しさせて頂きます。

何故ならば、不動産業は分譲事業と賃貸業に大きく分かれるのですが、近年明らかに各企業は生残りをかけて各種賃貸ビジネスに舵を切っているのです。

「分譲益を得る事業」から「毎月のキャッシュフローを得ることができる事業」へと重きを置き出しています。

その数々の具体的事例を解説します。

この不動産業界における潮流の変化から個人や法人も学ぶべき点が多々あると確信しています。

次に、賃貸ビジネスの歴史的有効性、永続性について解説します。

(米国におけるユダヤ人移民の不動産投資術や賃貸経営についても言及します。)


一方、現在全国の空き家数が800万戸と言われ、総務省の統計では、47都道府県の地域別空室率も低い所でも10%代、高いエリアは15%を越えています。

またこの空室率は毎年徐々に悪化しています。

その大きな原因が日本特有の人口問題です。

特に15歳から65歳までの就労人口と言われる層が徐々に低減している現象です。


かのP.F.ドラッカーも

「産業の外部変化のうち、人口数、年齢構成、雇用、所得等、人口に関わる変化ほど明らかなものはない。見誤りようが無い。もたらすものの予測も容易である」と言っています。

大経済学者が「もたらすものの予測は容易だ」と断言しています。

この人口問題においてダイレクト影響を受ける賃貸業にとって、これから厳しい時代が到来する(いや既に到来している)のは避けられない事実なのです。


こういった事実をまず統計資料から認識し、その後、その対象方法を考察、紹介していこうというのが私のセミナー・講演の大きな流れです。


こういった大競争の時代に、大家業、賃貸業はどのように生残りをかけるのか?

私は大きく分けて3つの戦略があると思います。

  • 一つは現在の賃借人に長くいてもらう為の戦略。
  • 二つ目は空室を埋める為に戦略。
  • 三つ目は家賃の滞納催促や不良賃借人の立退きを如何に迅速に行うか。

です。

賃貸経営における「守り」と「攻め」と「防衛」、この三つ関する戦略です。


ご興味のある方は、お気軽にお問い合せ下さい。

http://www.hasekei.jp/lecture/index.html


長谷川不動産経済社

2016-02-02

[]リクルートコスモス元社長、池田友之さんのこと


私がこれまで仕事をしてきて、この人は凄い経営者だな〜!と思った方が何人かいらっしゃいます。

その中でもリクルートコスモス(現コスモスイニシア)元社長だった池田友之さんはその筆頭というか尊敬すべき方でした。


私がコスモスに入社したと同時に、不動産のことなどまだ何も分からない段階で幾つかのプロジェクトを任されました。


任されたと言っても、およそ引き継ぎとは言えないわずか数十分の簡単のレクチャーが前任者からあり、分厚いプロジェクトファイルを渡され、それで終わりです。


勿論、課長や部長はその案件の内容や状況をよく理解しているので組織として支障はないのでしょうが、私個人としては、何とも全てがチンプンカンプンな不安な状況でした。


更には、引き継いだ担当プロジェクトはどれも大きな問題を抱えていたのでした。

端的に言えば、どの案件も取得原価が時価を大幅に下回っていた物件だったのです。つまり進むに進めず引くに引けず、いったいどうやって現状を打開するのか又は処理するのか・・・・といった案件ばかりでした。


ある時のこと、私が課内で一人机に座って事務作業をしていると内線電話が鳴りました。

出てみますと社長秘書の女性の方からでした。

「池田社長がMプロジェクトの直近の現状を説明しに来てほしいと言っています」と。

部内を見渡すと課長も部長も出払っており、ホワイトボードを見るとその日に限り両名共に夕方まで戻って来ないスケジュールでした・・。


私は焦りました。


Mプロジェクトは、社長の大学時代の同級生、つまり社長の個人的に仲の良い友人が経営するTという会社との共同プロジェクトだったのです。

このTという会社は全くの不動産とは異業種で、不動産のプロであるリクルートコスモスを頼り切った状況であったのです。そしてこの案件も両社にとって完全なる不良資産となっており、にっちもさっちもいかない状況にありました。


おそらく、その同級生の社長から池田社長に状況を問い合わせる電話が入ったのだなと思いました。

私は、まだこの案件の内容を殆ど理解できておらず、情けないことに私一人では社長に何も報告できない状況でした。


私は秘書の女性に「今課長も部長もいないので、どうにか夕方どちらかが帰って来るまで待って頂けないか・・・」と伝えました。

秘書の方は「分かりました」と電話を切りました。


それから数分後、また内線電話が鳴りました。

また社長秘書の女性でした。

「池田社長曰く、やはり時間がないので、分かる範囲でよいので今から状況を説明しに来てほしいとおっしゃっています。」と・・・。


私は、転職してこの会社に入りました。私と同年齢でこの会社に新卒で入社した者は皆がもう一人前でした。

私はまだ、容積率や建ぺい率という言葉の意味さえも知らないレベルでした。

とてもこの複雑な案件の進捗状況を説明することなどできません。まして社長に直接・・・・。


しかし、社長が「来い」というのですから、仕方なく分厚いファイルを抱えて社長室に向かいました。

「転職して初めて、社長に会うというのに・・・・」私は暗澹なる気持ちになりました。


ファイルを抱え社長室に行くと、秘書の方が

「中へどうぞ」と。私はファイルを抱えて社長の個室へ入りました・・・・。


さてその後、どうなったと思われますか?


池田社長と私は、約30分程度話しをしたと思います。

ですが、その間、なんと池田社長はMプロジェクトに話しには一切触れなかったのです。一言もです。

社長は私に「会社には慣れましたか?会社の雰囲気はどうですか?」といった話ししかしなかったです。

MプロジェクトのMの名前さえ出なかったです。


池田社長の本音は、親友の会社に迷惑を掛けているMプロジェクトの進捗を少しでも聞きたかったのだと思います。しかし、下を向き不安そうな顔をして入ってきた転職組の新人の顔をみて、その話しをすることを止めたのだと思います。


池田社長は江副浩正さんと東大における同窓であり、リクルートの創業当初のメンバーの一人でした。

普段から笑顔を絶やさない、語り口調も温和な方でしたが、取締役会ではよく他の役員を厳しい口調で叱咤する時もあったそうです。


私は、入社早々に池田友之社長の優しさといいましょうかその人柄に深く感動し、また感謝したものでした。

「なる程・・・こういう方だからこそ会社の社長になるのだな・・・・」と。



長谷川不動産経済社

2016-02-01

[]全ナンムス君のこと


ナンムス君とは通っていた保育園で初めて出会った。

彼は私にとって、生まれて初めてできた友達であり親友だった。

ナンムス君は実に優しい子供だった。

それに比べ、私は・・・・彼にとって良い友人ではなかったかもしれない。


私とナンムス君は同じ都営住宅に住んでいて家も近かった。


小学校に上がる時、ナンムス君は民族系の学校へ行くことになり通う学校が異なってしまった。

とても寂しく残念に思ったことを覚えている。

ナンムス君の家では近所の教会の牧師先生を呼んで子供向け英会話教室や、ピアノ教室が開かれた。

住宅を増築した寺子屋みたいな部屋に小学生になった私も通い、彼と一緒に英会話やピアノを習った。それ故、彼との交流は細々とながら続いた。


しかし、私も小学校高学年になるころにはその教室に通うこともなくなってしまった。

完全なる野球少年になり、毎日野球野球で、ピアノも英会話も辞めてしまった。

その後、更に私は同じ市内の別の場所に引っ越してしまい、彼とは会う機会が全くなくなってしまった。


ナンムス君は民族系の中学校を出た後、都立の進学校へ進み、その後東京大学に入ったと聞いた。

実は彼のお兄さんも立川高校から現役で東大、お姉さんも同じ72群から東大の医学部に入った。私の知る限り兄妹で上から3人は皆東大だ。

ナンムス君は当時8人か9人兄弟で、大勢の弟妹がいた。



両親共稼ぎの私は、母親の帰りが遅い時など、ナンムス君の大勢の家族と一緒に夕食をごちそうになった。

当時キムチはまだスーパーに売ってなく一般家庭では馴染みのない漬け物だったが、ナンムス君のお母さん作るキムチは抜群に美味しかった。


ナンムス君の姓は「全」といった。

近所の人は「ゼンさん」と呼んでいた。


ナンムス君のお父さんは朝鮮大学の物理の先生だった。その風貌は正にアインシュタインのようだった。

何時も背筋を延ばして堂々と歩いていた。


私の父親が「ナンムス君のお父さんの論文が時々専門雑誌に掲載されているんだよ。あの人が日本人なら間違い無く日本の一流大学の教授になっていてもおかしくない人だよ」と言っていた。


ナンムス君は、大学を出た後、IBMに就職したと噂で聞いた。

今でもIBMに在籍しているのだろうか?

元気に暮らしているのだろうか?

何よりこの日本で幸せに暮らしているだろうか?

できれば、彼に会いたいと最近よく思うのです。



長谷川不動産経済社

2016-01-25

[]どさ回りこそビジネスの根幹


新春、以前勤めていた会社の元同僚との集まりがありました。

私も含め懐かしい8名程が集まりましたが、なんと現在でも当時の会社に勤めている方は一人、独立した者が6名、転職した者が1名でした。

そこでは色々な思いで話しが出ましたが、当然ながら「今、誰が活躍しているか」といった話しが毎度のことながら出ました(笑)。


そこで今回も明らかだったのは、業界で、また他の業界に転職した者も含め、活躍している者、ビジネスで成功している者の殆どがそれなりの年齢、地位になった今でも「どさ回りをいとわない」者だということです。

我々はIT業界ではないので、こういった時に「誰々が凄いアプリを開発し・・・」といった話しは出てこないのですね(笑)


ビジネスと言いましょうか商売において、昔から「商品三部に売り七部」という言葉があります。

どんなビジネスにおいても「製品」や「サービズ」そのものの品質は勿論重要なことですが、やはり結局売れなければどうにもなりません。

やはり「売り」=「営業」が大事な訳です。

これはベンチャーも大企業も重厚長大産業も横文字職業のフリーランスも皆同じです。


「売り」つまり「営業」とは、何でしょうか?

私の拙い経験から考えうるに、「売り」とは、つまるところ「どさ回り的なもの(行動)」であり、別の言葉で表現すれば「地を這うような営業(行動)」だと最近改めて感じます。

こんな表現をすると何やら大げさに感じるでしょうか。


そして、これが、「継続的にできるかどうか」です。


私の周りには研究者といった職業の方が殆どおりません。おおかたが文系の者です。

そうなりますと経営者だろうが部長だろうが自営業者だろうが、やはり何らか「売り」に関わる仕事に従事している者が多いのです。


演歌歌手も紅白に出る年もあれば、選考に漏れる年もある訳です。

選考に漏れた年でも地方を地道に、地を這うようなどさ回りをしていれば、おそらく食べるには困らないはずです。

温泉宿の舞台やスーパーの軒先での営業は辛いでしょうが、ビジネスを継続させて、食べていくということは、結局そういったことなのだと思います。


長谷川不動産経済社

2016-01-22

[]大久保、百人町で行われているヘイトスピーチについて


先日、新宿歌舞伎町の北側の一帯、いわゆる大久保、百人町辺りを訪れ、また新たに街が変貌していることに驚きました。

かつての裏通りのラブホテル街が一見、原宿の竹下通りや裏原宿のように若い人々で賑やっていました。

以前に比べ、ラブホテルの数は激減し、韓国系の飲食店だけでなく化粧品店、アパレル店舗が軒を連ねていました。

そこにはかつてのジメジメした暗さはなく、ただただ街歩きや買い物を楽しむ笑顔がありました。

変われば変わるものです。


このエリアは、東洋でも屈指の大繁華街である「新宿」から徒歩圏ですので外国から観光客も今後は更に増えていくことだと思います。

海外からの旅行者向けのホテルや中期滞在者向けのシェアハウスも増えてきています。

私が、かつてデベロッパーに勤めていた時代に、投資案件として大久保や百人町の案件を頂いても右から左へゴミ箱に捨てていました・・・。

今なら多岐に渡り多くの可能性があると思います。


さて、この街で時折ヘイトスピーチを行う団体のデモ行進が行われることは皆さんもご存知だと思います。

「朝鮮へ帰れ!」とか「朝鮮人は死ね!」といった想像を絶するような言葉が拡声器によって叫ばれているようです。


この約1億3,000万人が住むこの国で彼ら彼女らは少数、つまり極めてマイノリティーなのではないでしょうか。

そのマイノリティーの方々の多く住む、それも彼ら彼女らの子供達も住む街で圧倒的マジョリティーである日本人が(どんな理由があるにせよ)あのような罵声を浴びせることは、我々が子供頃に親や先生達に教わった「絶対やってはいけないこと」、つまり「弱いもの虐め」であり単なる「他者への嫌がらせ」以外のなにものでもないのではないでしょうか。


それも、本来人間が同じ人間に決して発していけない言葉を使っています。

このことも我々が子供の頃に親や先生から厳しく戒められたことではないでしょうか。


かつて我々の先祖の多くが日本を離れ海外へ移住した時代がありました。

その我々の先祖が移住した先で、アメリカやハワイや南米で、例えば仮にLAのリトルトウキョウのような場所で、その移民先の米国民から「日本人は死ね!」、「日本へ帰れ!」と大勢の団体が押し寄せヘイトスピーチがなされたれたらどれほどの悲しい気持ちになったことでしょうか?

もしも私達がその移民の子供や孫だったとして、その場で響き渡る罵声を実際に聞いたとしたら、どれだけのショックを受けたことでしょうか?


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http://nikkeijin.densho.org/legacy/index.htm

(日系アメリカ人から転載。1918年、ワシントン州シアトル)


そのことが、どれだけ恐ろしいことであるか・・・。

誰しも想像すれば分かるはずです。




長谷川不動産経済社

2015-12-09

[]国内不動産マーケットの高値維持は中国経済次第


今後の日本の(と言うよりはある意味東京の)不動産の市況を語るのはなかなか難しいと言えます。

業界内でも「今後どうなるのと思う?」と親しい者同士よく会話をするのですが、「今がピークではないか」とか「オリンピックまでは」とかプロ同士でも意見は別れます。

しかし、現在の高値安定の持続性が危ういものであることには意見が一致しているのではないでしょうか。


私が個人的に注目しているのは、やはり中国経済です。

このアジアのいや世界の経済大国発の経済危機(=中国不動産バブル崩壊)が起こった場合、日本経済に激震をもたらし、同時に日本の不動産マーケットにも大きく影響を及ぼすと考えます。


日本のバブル崩壊過程において、また竹中平蔵金融担当大臣が登場した折りによく中国の要人が来日し、日本のバブルの処理(の失敗)について学んで帰ったいったことをよく記憶しています。

おそらく当時、何度も同じようなニュースや新聞記事を読んだのだと思います。


しかし、彼らは当時の日本から何を学んだのでしょうか。

ご存じにようにあの当時日本はバブルの処理を後送りにし無闇に遅らせることにより日本経済は長期に渡る不況に陥りました。

その失敗から彼らは「どうすべきだったのか」を学んだと私は思っていました。

しかし、どうやらそうではないようです。

あの当時「ソフトランディング」と呼ばれた「問題先送り手法」、「兎に角自分達は責任を取らず、膿みは出さずの時間稼ぎの手法」を学んで帰ったということが現在の中国政府の施策をみていてよく分かります。


四半世紀前の日本の(不動産)バブル崩壊の過程は、まずは体力の無い不動産会社が次々に破綻、次に迂回融資に使われていた各企業傘下のノンバンク及び住専の破綻、最後に大手銀行の破綻(長銀、日債銀等々)の順番でした。つまり不動産の不良債権化から最終処理までをチンタラと無闇に時間をかけておこなってきました。


一方、中国では、まだ上海や香港では不動産が高値で売れているようです。

内陸部は既にゴーストタウン化、不良債権化している不動産開発案件が数限りなくあるようですが、まだ日本で言えば都心部はもっているようです。

流石13億人の民が住む国です。

そこら辺りのスケール感が日本とは異なるのでしょう。


しかし、日本のバブル崩壊も先ずは地方都市から崩れていきました。

中国で言えば当然内陸部の都市です。



中国では日本の銀行の迂回融資として活用されたノンバンクに当たるのが、各地方政府です。彼らは自ら高利回りの債権を発行して地元の不動産開発へ融資を行ってきました。

よって、おそらく、中国において次から次へと地方政府が破綻する事態に至る時が、正に本当のバブル崩壊なのだと思います。


一方、中国共産党は今や「人気取り」の為においそれと「全国的かつ本格的なバブル崩壊」を望んでいないのは明らかです。


今の中国政府は全国的な人民の反乱を力で抑えることは到底不可能であること分かっているのでしょう。

よって、彼ら中国共産党幹部の取る方策は日本に学んだ時間稼ぎでしかない「超ソフトランディング」戦略なのでしょう。


しかし、地方政府が人民に売った(例えば)10%という高利回り債権に対する償還を実行することなどできる訳がありません。何せ融資した不動産開発プロジェクトは止まってしまって転売できない状況なのですから。この地方政府に更に追い貸しをする(行政・金融)機関があったとしてもそれはやはり問題の先送りでしかありません。


日本でもバブル崩壊の過程において、コスモ信用組合という東京の信組が「マンモス定期」という高利回り定期を発売し注目を集め、その後間もなく破綻しました。

あの小さな信組の破綻を契機として多くの金融機関が続々と破綻していったことを最近よく思い出します。

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中国の小さな地方政府や銀行の破綻。これが起きた場合、当時の日本と同じ様に堰を切ったように各地方政府、金融機関の破綻が起こるのではないでしょうか。

何故ならば、これがが中国人民が政府を見限るきっかけ、つまり巨大ダムの決壊にきっかけになるのではないかと思うのです。



長谷川不動産経済社

2015-08-14

[]張本さんの握手


先日、ある蕎麦屋に入っていくとそこは老若男女で賑わっていました。

特に店の奥のテーブルでは初老の男性のグループが賑やに飲んでました。

ゴルフ帰りか同窓会か、とにかく席があまり近いとうるさそうだと思い店の入口に近い席に座りました。


つまみを食べながらビールを飲み、最後にざる蕎麦を食べているとにわかに隣の席が慌ただしくなりました。

「あ〜カツだ!」「カツだ!」


何を言っているんだ?と思って振り返ると、隣りに座っていた中年男性の一人が奥のテーブルから店を出ようとしていた初老の男性をつかまえて握手をしながら写真を撮ってもらっていました。


あれ?この大柄の男性はどこかで見たような・・・。

あっ!張本だ!いや張本選手だ!



少年時代、野球少年で巨人ファンだった私にとってそれは実に嬉しい再会?でした。

巨人から長島選手が引退した後、勢いの衰えたチームを王選手と共に引っ張っていたのは「安打製造機」と言われた張本勲選手でした。


現在、張本さんは厳しい発言のスポーツ解説者として有名ですが、私にとっては、やはり当時のジャイアンツのクリーンアップを王選手と共に打った選手、左バッターで流れるような美しいフォームの強打者、毎年軽く3割以上を打った頼れるバッターといった印象が圧倒的なのです。


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張本選手だ!と気付いた瞬間、少し迷ったのですが、ここは「自分も握手だけでも」と意を決し、席を立って

「すみません!張本さん!昔からファンでした!握手だけお願いします!」

と呼び止めてしまいました。


張本さんは、少し照れながら「あ〜そうですか、笑」と私のような者に深くお辞儀をしながら握手をしてくれました。

私も「ありがとうございます」と深くお辞儀をしました。その後張本さんは、意外にも終始照れながらお店を出ていかれました。


張本選手は当時の紳士のチーム、ジャイアンツには珍しく正に「喧嘩屋」でした。

よく相手チームや観客のヤジに怒って、何やら相手に言い返したり、レスラーの様に激しく手招きして「文句があるならかかってこい!」といったジェスチャーをテレビで何度も見ました。

だから余計、その時の張本さんは「あの張本さんとは違う人みたいだ・・」と。



ただ一点、私には不満というか反省というか、どうも解せないことがありました。

それは、握手をした瞬間、張本さんは、私の右手を軽く握っただけなのでした。

私は、あのバットをブンブンと振っていた手でぐっと握り返してほしかったのです・・・。

張本さんの握手は、親指と人差し指と中指の3本で私の手を包み込むようなものでした。

私は、思いました、張本さんは、あまりああいったプライベートの場で声を掛けてほしくなかったのかなと。

又は、私の声の掛け方が良く無かったのかとも反省しました。隣りの席にいた「カツだ〜!」とか言っていた中年男性とは異なり、私は少年時代からの筋金入りのファンであることを伝えるべきだったとか・・・。その為には「あの流れるようなフォームが好きでした!」とか「あの時代のジャイアンツを支えて頂き感謝しています!」とかもっと気の利いたことを言うべきだったと・・・。


その後、席に戻り残った蕎麦も食べずに、そんなことをぐちぐちと考えていると「ある記憶」が蘇ってきました。

それは、張本選手は以前手に大けがをして、その後遺症を死に物狂いの猛練習により克服しプロ野球選手になり活躍したというものでした。確かどこかの雑誌のインタビュー記事で読んだものでした。

(野球に詳しくない方にご説明しておきますと張本選手は日本プロ野球界で唯一3,000本安打を打っている方です。)


「しかし、俺は右利きで右手を出して張本さんも右手だから、左利きの張本選手の利き手は左手だから関係ないか・・・」と。


次に私は蕎麦屋の席に座ったままバットを振る仕草を何度かしながら、ある事に気が付きました。

「そうか?バットを振る時は、右打者は左手の握り、左打者には右手の握りが肝心だ。利き手は逆に添えているだけのようなものだ・・・・」と。


後で調べて分かったことですが、やはり張本さんは少年時代、バックしてくる車を避けようとして焚き火の中に手を入れてしまい右手の小指と薬指に大怪我をされたようなのです。

しかしこの事実を張本選手は誰にも言わずに来たようなのです。

張本選手が引退した後、当時NHKの解説者をしていた元巨人軍監督の川上哲治氏だけにある対談でその手を見せたところ、「よくもそんな手で・・・」と、あの鬼と呼ばれた川上さんが絶句されて涙を流したと言われています。


また張本さんは少年時代、広島で原爆にも被爆されています。

美人で自慢だったお姉さんも被爆され、その全身が焼けただれた姿になってしまったお姉さんを自宅で看取ったこともテレビで話されていたことがありました。

現在半身麻痺になった長島さんが公の場に出る時は何時も張本さんが寄り添っています。

毎回毎度何時もです。

張本さんは、自分が在日であることから数々の差別を受けてきたこと、プロ野球選手になってからもそのヤジが凄まじかったことを言っておられました・・・・・。


私は、少年時代に見た豪快で流れるような美しいフォームを今でも鮮明に覚えています。

そしてあの夜の張本さんの握手の感覚も。




長谷川不動産経済社

2015-07-25

[]『7・5・3』周期


『7・5・3』って何だか分かりますでしょうか?

建設業における景気の良し悪しの周期だそうです。

儲かる期間はせいぜい3年、普通の時期が5年、儲からない不景気が7年は続くと。

先日ある会社の社長さんに教えてもらいました。

建設業界では昔から言われていることで、ある意味「常識」であるようです。


なんと15年の内、景気の良い時はほんの3年間で後の12年は普通かそれ以下であり不景気はなんと7年も続くと・・。

それ故、景気が良くなっても油断してはいけないということなのでしょう。


しかし、ある意味この厳しい「周期」は業種に関係なく共通すると思います。


起業家の方、若い事業家の方、これは覚えておくとよいと思います。

私も起業して約20年が経過しましたが、やはり同じ様なものだったと感じます。

起業、開業して10年経過して残っている企業は約5%だと言われています。

100社の内たった5社です。

一説には20年では0.39%。1,000社で約4社だと。(日経の記事から)


もしかしたらこれは建設会社や一般の会社に留まらず、普通のサラリーマンの方にとっても同様かもしれません。


23歳で20年経過すれば、約43歳です。部長や支店長になってさて役員として残れるかどうかというのがだいたい見えて来る時期ではないでしょうか?

確かに大企業で取締役になれるのは1000人に4人程度ではないでしょうか?

皆さんの会社ではいかがですか?


最近は大手企業でも50代での早期退職制度が普通のようです。

既に中国や韓国では定年が50歳から55歳というのが当たり前だそうです。


長い人生において経済的に生き残るにはどうしたら良いのでしょうか。

拙い私の経験上感じることは、長い7年を凌ぐ為に3年をどうするかがまずは極めて重要だと感じます。


現在の建設業者さんはどこも景気が良いようですが、設備投資を増やしたり人員や支店を増やしているところは少ないようです。


そういった意味では、今儲かっているからと言って、社員を連れてハワイ旅行に行ったり、本社ビルを買ったり、社長個人が豪邸や大きな別荘を買っている会社は危ないと心底思います。


私はこれまでこの「3年」をどう過ごすかということに、けっこう真剣に脳味噌をフル回転させて考えてきました。

勿論、この次に来る5年、7年に備えて投資することは不可欠です。


次に重要ことは、

(否、こちらが一番重要かもしれません)

不景気な7年をいかに凌ぐかという問題です。

大企業ではなく中小零細企業や個人がどうしたら良いかといったことは松下幸之助さんも京セラの稲盛さんもあまり語ってくれていません。


私は、誰とは申しませんがある意味アウトサイダーの方から学びました。


こういった時はどうしたら良いか、一言で言えば

「膝を抱えてかがみ込みじっとして、風向きが変わるのを待つ」

ということです。


確かに、こういった時期に変にあがいて、支店を出したり多角経営したりした企業は殆どが破綻しています。

個人も会社もこういった時期が来たら春が来るのをひたすら耐えるしかないのです。

誠に地味ですがこれは真理だと感じます。


長谷川不動産経済社