サッチモ祭

サッチモ祭に行く。タニケンさんの車で途中まで乗って行き、車中でいろいろ掛けるが富樫雅彦スティーヴ・レイシーが共演した『スピリチュアル・モーメンツ』を最後まで聴く。

サッチモ祭。私はライヴの音楽に満足が行かない。ニューオーリンズ好きのタニケンさんと好みが分かれたようである。私はやはりモダンジャズ以降の音が好きなのか、とも思うがアート・テイタムデューク・エリントンカウント・ベイシーらも好きなこともあり、そういうことでもないのかとも感じる。どうしてもピアノに注目して見てしまうが、どのバンドのピアニストも両手を激しく動かして、せわしない。弾くのが大変そうである。

私が興味を持っているのは、山田花子

自殺直前日記 (\800本 (4))

自殺直前日記 (\800本 (4))

の父親による前書き部分の以下のくだりである。

何度目かの面会に行った時、由美は「パパ、アームストロング知ってる。ラジオで聞いたんだけど、アームストロングってすごいんだよー」と言った。私は早速、手持ちのCDからダビングして作成したテープを差し入れてやった。病棟で由美は、私が差し入れたテープを、2〜3日でラジカセの電池が切れてしまうほど繰り返し聞いていた(病棟では電源コードは使えない)。50年代以降の底抜けに明るいアームストロングと違って、深い哀愁を帯びた初期アームストロングのコルネットの響きが当時の由美の心境にぴったりだったのだろうと思う。(p10-11)

「深い哀愁を帯びた初期アームストロングのコルネットの響き」を私も聴いてみたいと思っているが、その機会は無いままである。「50年代以降の底抜けに明るいアームストロング」については、廉価盤で「この素晴らしき世界」や「聖者の行進」が入ったCD(デューク・エリントンと抱き合わせになったもの)を音楽を聴き始めた頃に買って聴いたことがある。

意外にも幅広い広がりを見せつつ展開しているらしい、日本ルイ・アームストロング協会の会長さんの主宰する、本日出演したなかで唯一のプロのバンドは、「50年代以降の底抜けに明るいアームストロング」を忠実にコピーしてみせたようなものだった。私は、ショーマンシップとはこういうものかと感心するとともに、他の人間をこれだけ(歌う声からスマイル、さらには胸に片手を当てる身振りそのものまで)そっくり真似ることができるという事実に驚いた。

タニケンさんは疲れたので帰ると言い出し、私だけが「あかね」に向かうことになった。高田馬場から早稲田まで歩く最中、CD屋に寄り、高橋悠治演奏「不屈の民」というCDを見つけるが、買うか買うまいか迷った挙句、買わずにすましてしまう。今アマゾンで確かめたところ、アマゾンでは入手不能な模様。買っておけば良かったかな、と思う。

あかね〜長州さんを祝う会

「あかね」では司法試験を終えた長州さんを祝う会。キヨスケさんの当番の日。

長州さんは、私が早稲田の学生をしていた頃、ノンセクトの活動家のなかで主要な役割を果たしていた人。今ではその過去を自己否定して、6年前から、司法試験の勉強をしている。今回で、4度目の挑戦だという。試験の感触は、キビしかったとのこと。

私は、正直いって、自分もスタッフであるというひいき目を抜きにしていえば、「あかね」が良い空間だと思っていないし、「あかね」での経験を快くも思っていないことを感じた。それをおおっぴらに言うのは初めてのことだと思う。30過ぎた「性だめ」(もてない問題を抱えた人)の男たちが、声高に風俗の話や合コンの話等をしている。妻帯者のことを「勝ち組」と言ったりする。セクハラ・パンフレットの内容に嘲弄的な言辞を弄したりもする。私はこういう体験(世界)が嫌いである。

今日は祝日ということもあってかかなりの賑わいをみせる。それでもそのなかで私は孤独感を感じていた。「あかね」という空間のなかで孤立していると感じた。性に関しては、「あかね」はかなり野蛮な場所である。性に関して繊細な場所などあるのか、といえば、ないかもしれないのだが。私はそういう場所を知らない。

キヨスケさんの作ってくれたチキンオムライスが美味しかった。キヨスケさんが流してくれた三十人殺しの実話に基く映画が上映されていた。めだまどうさんが来場して、展示作品を貼っていた。私は終電のため、その途中で帰宅と相成った。

認知療法

うつと不安の認知療法練習帳ガイドブック

うつと不安の認知療法練習帳ガイドブック

をほぼ電車内で読了した。良書である。
私自身の認知のことも電車内でずっと考えた。
自殺のことを考えることは、以前より少なくなってきている。とはいえ、大学院を出て以来、自分が駄目になってしまったという「コアビリーフ」には取り憑かれているが。
もうひとつの「コアビリーフ」は両親(特に母親)が死ねば自分は破滅するだろうというもの。
さらに、「自分は失敗作だ」とのコアビリーフもある。
音楽についても考える。「私はピアノが全く弾けないわけではないが、良く弾けるわけでもない。少し弾ける。そのことが私を悩ませている」と考える。
それらに対して反論を試みるが、難しい。私の認知は歪んでいるのだろうか。私は自分自身が実際に失敗したと思うのだが。
とはいえ、言語化することで内的確信を客観視でき、それが誇大なものであることを認識することで感情の療法になるというのは、スピノザ的な倫理(エティカ)にも沿っていると考える。

私自身についての馬鹿げた逸話を少々。
私は、ドゥルーズ=ガタリの研究者になろうと大学院に入ったのだが、本来の望みはそれとは少し違ったものだった。私は生(自分)や世界を変えたかった。私は「スキゾ分析家」になりたかったのだ。
とはいえ認知療法等に比較すると、スキゾ分析(制度論的精神療法)には確立された基盤があるわけでもなく、臨床に応用可能な具体性を備えているともいえない。私が知るかぎり、ガタリの著書の中で、簡単なものであれ症例報告といえるのは、4例しかない。

精神分析と横断性―制度分析の試み (叢書・ウニベルシタス)

精神分析と横断性―制度分析の試み (叢書・ウニベルシタス)

に出てくるカフカに似た青年、
精神の管理社会をどう超えるか?―制度論的精神療法の現場から

精神の管理社会をどう超えるか?―制度論的精神療法の現場から

で言及される料理人、
分裂分析的地図作成法

分裂分析的地図作成法

に出てくる母を亡くして声域を1オクターヴ失った女歌手、そしてガタリ自身の夢分析カフカプルーストの作品(の分析)がスキゾ分析なのだといわれるかもしれないが、それでは抽象的過ぎる。実際にこころ系に悩む人にとって、それでは頼りなさ過ぎるだろう。
反精神医学はまだ精神医学であった。レインやクーパーは精神科医として働き、症例を提示している。それに比べ、ガタリのスキゾ分析(制度論的精神療法)は難解であり、実践に応用可能かどうか定かでない。ウリなど周辺の重要人物の著作が邦訳されていないからかもしれないが、(反)精神医療として、実際に苦しんでいる人(患者)にどうアプローチするのかが見えてこない。『精神の管理社会をどう超えるか?』はそれでも具体的なほうであるが、それですら私には抽象的に見える。

私は主治医から不安障害と診断されている。発症した当時のことを少し書いてみたいと思う。

911があった時、なぜか私は自分が倫理的に誤っており、責められるべきだと感じた。NY在住の知人らの安否が分からず(実際には全員無事だったのだが)、彼らが死んだとすれば私の責任だと考えた。
NAMでも急遽反戦プロジェクトが立ち上げられたが、それの会合の後、私は自分の超自我としている人物から軽蔑されたのではないかという気がした。馬鹿で倫理的にも誤っていると思われたと感じたのである。それが最初の発作だった。
発作は職場でも起こした。別の超自我的人物に対して大変申し訳ないことをしたという考えに陥り、電話をして確認すると、相手は私が何か詫びるべきことをしたとは全く思っていない、というようなことが続いた。
今でも不安発作は超自我的人物に対してよく起こるようである。その人からどう思われているか気になる相手に対して、その人から軽蔑されたのではないかと思い、確認行為に必死になる。そういう発作を起こす。
もう数年も抱えている病気なので、自分でそのことは分かっている。自分で自分を止められないだけである。