[敗戦][世情] 敗戦後の裏話(1)−5 逆転社会の到来

今年も暑い夏がやって参りました。 毎年この季節に思い出すのは昭和20年8月15日に昭和天皇が連合国軍によるポッツダム宣言を受諾、大日本帝国の無条件降伏の勅語を自ら「ラチ゛オ放送」した日なのです。… 
予め国民には天皇の重大放送が行なわれる事が周知されており、現人神(あらひとがみ)とされた天皇の声など、誰も聞いた人など存在せず、事の重大さは国民総てに伝わりラチ゛オ受信機から流された玉音放送を謹聴いたしました。
当時旧制中学一年生、軍国少年の私も家族と共に聴いていましたが、雑音が多く、天皇独特の鷹揚をつけた喋りは良く理解できませんでしたが、突然母親が泣き出した事で、予想した本土決戦一億玉砕の督戦ではなく、戦争に負け降伏を受け入れた事が分りました。 それからは酷暑のなか食料もなく芋を食べで辛うじて生き延びていた私達を襲った精神、価値観の大逆転が始り、今考えても夢遊病のような生活が始ります。 天皇玉音放送の直後には住んでいた世田谷に厚木海軍航空隊の戦闘機が超低空で飛来し徹底抗戦のビラを撒いてゆきました。
photo: 上)占領軍マッカーサー司令官厚木海軍飛行場到着 下)マッカーサー元帥
   


しかし間もなくマッカーサー司令官が専用機バターン号で厚木飛行場に日本占領の第一歩を記録し飛行機のタラップ上から見渡すサングラス、コーンパイプの写真が残されております。 バターンとは開戦時日本軍の猛攻で彼が敗走したフィリピンルソン島コレヒドール要塞のバターン半島の事で、その時彼の残した言葉”I shall return”は有名です……
…あの海軍厚木航空隊の徹底抗戦組はその後はどうなったのか?、戦争から一転すると新宿に発生した巨大闇市には戦勝国民を自称する第三国人と呼ばれた人達、日本人闇商人、復員軍人、組の人間、特攻崩れと言われた飛行服、半長靴の人達が羽振りを利かせておりました?。……
…米軍占領により東京の日比谷丸の内、麹町の主要ビルはアメリカ軍が駐留するようになり、子供の私の記憶にある建物でも、日比谷の第一生命ビルがマッカーサーの司令部になり、今でも執務室が記念に残されているそうです。 明治生命ビル、三信ビル、富国ビル、現財務省、帝国ホテル、宝塚劇場(アーニーパイル劇場)、銀座松屋、服部ビル、日本橋白木屋、築地海軍経理学校、海軍病院、聖路加病院、…当時、堀端の現最高裁は更地で米軍兵士の「かまぼこ兵舎」、赤坂見附上の衆参議長公邸も更地で米兵の「かまぼこ兵舎」でした。 当時銀座はアメリカ兵の保養地らしく、第一騎兵師団や第八軍のマークを付けたGI とか、東京湾に停泊する軍艦から水兵がLCUなど舟艇で築地魚河岸に上陸し銀座に集まって来ました。四丁目の服部ビルや松屋デパートはPXやOSSとしてアメリカ兵の銀座拠点となっていたようで、印象的だったのは、皆プレスの利いた軍服で清潔スマートでしたが、手に手にポプコーンの紙袋を抱え食べながら歩き、服部ビルのウインドウの手摺りには鳥がとまるように腰掛けていました。…象徴的だったのは銀座4丁目の交差点ゴーストップは米軍MPがスマートな身振りで行い巡査は補助役です。……
…中学校も一変しました。今まで学校には陸軍将校などが配属将校として常駐し軍事教練などの教科を担当し、各学校には武器庫もあり、九九式や三八式歩兵銃、軽機関銃が貯蔵され教練に使用しておりました。 敗戦を境に何時の間にか配属将校は消え武器庫だけは残されていましたが、間もなくアメリカ兵が通訳を連れウエポンキャリヤーで乗り付け無造作に回収して行きます。……
…私の居た世田谷区経堂と云う街でも驚く光景を目撃します。 私の国民学校時代の担任は生徒に軍隊式の制裁などを行い恐怖の教師でしたが、敗戦後間もなく駅に至る大通りを、赤旗を掲げた一隊が行進、旗を翻す担任を目撃、手の平を返す変わり身の早さには驚嘆したものです。……
…敗戦間もなく始ったNHKラチ゛オ放送(JOAK)の人気番組に『真相はこうだ』がありました。 多分GHQアメリカ軍総司令部)の指導番組でしょうが、、…戦時中の大日本帝国大本営の戦況発表の虚偽、欺瞞をクローズアップしたもので、確かにタイトルの「真相」は間違いありませんでした。軍部は隠蔽できない事実、……アリューシャン列島アッツ島サイパン島硫黄島守備隊玉砕とかニューギニア島撤退、沖縄日本軍玉砕、B29爆撃機の空襲、山本五十六連合艦隊司令長官戦死、広島、長崎の特殊爆弾被害などは発表しましたが、その他海軍、陸軍部隊の戦闘に関しては虚偽の連戦連勝の戦果を発表し降伏その日まで平然と国民をだまし続けたのです。 私達はこの番組で初めて戦争の真実を知ります。……帝国海軍はミッドウエイ海戦以来大海戦は連戦連敗し既に実働艦船は壊滅した名ばかりの海軍…、8、9千m以上を飛行するB29に届く高射砲や成層圏迎撃性能の戦闘機も無く、夜間東京空襲など低空飛行でも既に日本に制空権が無かった事、天皇のバスタブと呼ばれた東京湾内にも米潜水艦は浮上して不時着B29乗員回収が出来た事、広島空襲は一機のB29の投下した原子爆弾など、……大日本帝国の虚構、欺瞞から徐々に開眼したのです。
軍国少年の私は世界に冠たる無敵連合艦隊の戦艦、空母、潜水艦隊が温存され本土決戦で逆転決着出来ると信じており、真実を知り余りの空しさに呆然とするばかりでした。……先へつづく

《敗戦後の裏話》
(5) 昭和天皇の変身
(4) 終戦に至る昭和天皇の動向
(3) 昭和天皇の試練、極東国際軍事裁判
(2) 飢餓とハイパーインフレの教訓
(1) 逆転社会の到来