高度技術化専門家社会

 一介の法学部生の分際で暴言多謝<(_ _)>

    • 鉄 道 事 故
    • 登 山 事 故
    • I  T 犯 罪
    • ヘ リ コ 事 故
    • ホメオパシ問題
    • 多剤耐性菌拡散

 最近耳目を集めた(マスコミが叩いた)事案を概観すると,一介の法学部生から危惧を覚えました。マスコミが非科学的に叩くのは,取材報道の自由と営業の自由で(皮肉ですw),もはや何を言ってもしょうがないでしょうから,(皮肉で)割愛します*1。しかし,常識のある各界の専門家の皆さんは,トンデモ意見*2は別として,素人の部外者の意見や捜査や調査に拒絶感を示すのは,専門性の知見から心情的に察することはできますが,「今は素人にも説得すべき時代になっている」と思ってはどうでしょうか。
 たとえば,警察も裁判所もお役人も,鉄道工学ないし医学はたいてい素人でしょうけど*3,国家機関の義務として,犯罪や事故があれば,どんなに専門性の高い部門でも,捜査や調査して処罰・改善勧告をする義務を法律で負いますし,そういう仕組みになっているのが「法の支配」で民主主義と自由主義を守る社会だからです。
 もし,それが不当だというのであれば,行政機関や司法機関を責めてもせんないことですから*4,国会で法律そのものを変えて刑事免責や行政監督免責を求めるほかはないと思います。*5
 それは,早急に行かないでしょうから,現段階では,素人の警察官や裁判官や行政調査官に対し,専門的所見や知見で事実関係を平易に説明して,事案の解明に協力する態度をとる方がいいような気がします。それができないなら,法律の専門家に対する「法律用語は分かりにくく不親切だ」*6,という批判は自己矛盾トートロージーの誹りを免れなくなるでしょう。
 高度技術化専門家社会では,お互いの専門性を尊重して相互協力することこそ国民福祉・公共の福祉に資するものだと思います。いたずらに専門性のターフ*7を主張して非専門家を拒絶するのは,FBIとCIAとOHS(国土安全保障局)DHS(国土安全保障省)*8の三つ巴の争いを見るようで,よろしくないと思います。

*1:9/9追記:マジレスすればこれは止むをない面もある。マスコミは国家権力の不正や不正の疑いを叩いて,もって権力の暴走濫用を監視牽制するという「崇高な義務」(国際新聞協会)があるからだし,何よりもマスコミが財政難で倒産すれば元も子もないからである。それに「偏向報道」を理由に国家権力が言論統制したらどうなるかは,マルコス政権やパク政権の末期を見れば明らかだ。憲法論としては,こういう面はマスコミの良心やモラルに委ねる他はない

*2:ただの水を供給するだけで無限のエネルギーを産むマシンとか

*3:医師である裁判官,ヘリコ免許を持つ航空隊の警察官,鉄道工学の博士号をもつ事故調査委員等を除く

*4:彼らは国の法律つまり国法上の義務を執行しているだけで,しかも手抜きは許されないわけですから(法による裁判・法による行政)

*5:実際,先進国では,証拠法レベルで刑事免責と引き換えに関係者に真実証言義務を科して事案原因を解明して再発防止を図る制度を採用している地域もあります

*6:よくあるのは「人を被告に仕立てて犯罪者呼ばわりした」と民事で供述する被告本人尋問です。反訴すれば,相手の原告は反訴被告になるので,当の本人が相手を犯罪者呼ばわりすることになりますが…これも自己矛盾…

*7:直訳すれば「縄張り」「管轄」ですが,自己の専門領域に外壁(ウォール)を設けて非専門家の関与を介入・侵入として拒絶する,というニュアンスを含みます

*8:オフィスからデパートメントに昇格したのを忘れてました<(_ _)> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%9B%BD%E5%9C%9F%E5%AE%89%E5%85%A8%E4%BF%9D%E9%9A%9C%E7%9C%81

法は道具で価値的に中立

 法規範は,法制史や法哲学を紐解くと,国家権力の暴走を止め人民の自由な権利を保護することから始まりました。そのため,主要な法規範である,マグナカルタにしろ,独立宣言にしろ,人民の自由な権利を認め,国家権力を制限する規定が出てくるのです。専制君主が消滅した主要先進国では,法規範は,国民の利害調整とその手段を提供する道具として機能しています。
 では,どんな価値を法は認め機能するのか。実は,(1)国家権力を規制し,(2)国民の権利を保護し,(3)国民の権利の利害調整という三大目的という抽象的な価値以外は,法は中立で公平な立場を保とうとします。
 けっして,それは,法が全ての上位価値であることを意味するのではなく,最終的に司法が強制力を保つ限度で執行力を持つだけで,他の価値の上位にあるものでもありません。強制力を持つ司法権ですら,法規違反の上位概念である人道主義の拘束を受けるというのが国際的なも通説です。

ダッカハーグ事件の人道主義に基づく超法規的措置http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E8.B6.85.E6.B3.95.E8.A6.8F.E7.9A.84.E6.8E.AA.E7.BD.AE
人道主義自体が法規範に組み込まれて国際犯罪とされた「人道に対する罪」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%81%93%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E7%BD%AA

 つまり,法規範は,国会の代表民主制が典型のように,多様な国民の利益を適正な手続きで利害調整しようと努め,代表民主制(立憲民主制過程)で解決のつかない例外事象は,公平な裁判所で良心のみに従った裁判官の裁定に委ねる(司法での最終的解決)という,社会のツールを提供しているだけです。
 よく,法律を変えれば世界が変わる,駄目なら裁判に訴えて法廷闘争すれば世界が変わる,と夢想する方がいらっしゃいますが…幼少期の私も実はそうでした(^^ゞポリポリ…それは違います。法規範は「法の支配(ルール・オブ・ロー)」の名の下に解決の道筋をつけるだけです。
 四大公害問題も薬害エイズ問題も,最終的には,民意が民意代表機関の国会を動かし,個々の民意の代表である代議士が厚生省や環境省の官僚や大臣を(その財政面の裏付けとして当時の大蔵省も)動かして,最終的に解決した事実を思い出してください。
 法は,上記の(1)(2)及び(3)を除き,実質的な社会的価値としては,それ自体,事実上無価値で,単に紛争解決の道具・ツールやルールを提供するに過ぎません。だからこそ,法規範の世界では,

    • ルール・オブ・ロー(法の支配)
    • デュープロセス・オブ・ロー(適正手続きの保障)

が至高概念*1・必ず守らなければいけない上位規範とされるのです。法規範は,ルールブックでアンパイアの手引書です。

*1:もちろん最上位概念は「個人の尊厳」ですが,ここでは議論の混乱を避けるため,割愛します

在監者の人権

 休憩時間にラウンジでコーヒー飲んでいたら,旧知の勉強仲間から携帯のニュースの画面を見せられました。

…………議員、失職・収監へ 最高裁が上告棄却 2010年9月8日13時46分
http://www.asahi.com/national/update/0908/TKY201009080210.html
>……四つの罪に問われた「…………」代表の衆院議員……被告(62)の上告を棄却する決定をした。……
>……確定すれば、公職選挙法と国会法の規定に基づいて失職し、収監される。
>……議員は当選8回。昨年9月から衆院外務委員長を務めている。

 「そもそも,なんで受刑者は国会議員の地位を失うんだろう。」「政党の党首や国会の役職者は例外とする,という法律改正したら合憲か。」「でも,大臣になると,既に訴追段階で訴追制限が設けられているんだよな。」……などと司法試験受験スズメが集まって議論が始まりました。ヤベッ,憲法-人権-享有主体で「在監者」は「喫煙の自由」「図書購読・文書発信制限」くらいしかやってない(汗。
 在監者の人権問題は,平成11年度の旧司法試験で,次の問題が出題されています。

 受刑者Aは刑務所内の処遇改善を訴えたいと考え、その旨の文書を作成して新聞社に投書しようとした。刑務所長は、Aの投書が新聞に掲載されることは刑務所内の秩序維持の上で不相当であると判断して、監獄法46条2項*1に基づき、文書の発信を不許可とした。
 右の事案に含まれる憲法上の問題点について論ぜよ。
(注)原文縦書き

 なんで,在監者は国会議員の資格(被選挙権)を喪失するのか,それがどういう理由で合憲なのか。古い選挙権制限合憲という判例があったと思いますので,それを理由に起案しないと(汗。今週は,刑法総論の責任を勉強するスケジュールなんで,憲法判例集が手元にない(T_T)。

禁錮以上の刑に処せられた者の選挙権 倉田玲
http://74.125.155.132/scholar?q=cache:Ohm5DnDHcrQJ:scholar.google.com/&hl=ja&as_sdt=2000
自治法(旧)第73条の合憲性が争われた事件において,1950年4月26日の大法廷判決(刑集4巻4号707頁)の裁判官全員一致による判決理由は,「憲法第一五条第三項および第九三条第二項は……合理的な理由により特定の欠格事由を定めることを許さない趣旨でないことは明か」と述べ,この解釈をもとに「選挙に関する犯罪者にも選挙権被選挙権を行使させることを適当としない場合があり得る」(709頁)と判示している。
>そして,衆議院議員選挙法第137条を実質的に移植した体裁を現在も維持している現行の公職選挙法第252条については,その後1955年2月9日の大法廷判決(刑集9巻2号217頁)において合憲とされている10)。この大法廷判決の裁判所意見では,「同法二五二条所定の選挙犯罪は,いずれも選挙の公正を害する犯罪であつて,かかる犯罪の処刑者は,すなわち現に選挙の公正を害したものとして,選挙に関与せしめるに不適当なものとみとめるべきであるから,これを一定の期間,公職の選挙に関与することから排除するのは相当であつて,他の一般犯罪の処刑者が選挙権被選挙権を停止されるとは,おのずから別個の事由にもとず(ママ)くものである」(220頁)という前提がおかれ,そこから「国民主権を宣言する憲法の下において,公職の選挙権が国民の最も重要な基本的権利の一であることは所論のとおりであるが,それだけに選挙の公正はあくまでも厳粛に保持されなければならないのであつて,一旦この公正を阻害し,選挙に関与せしめることが不適当とみとめられるものは,しばらく,被選挙権,選挙権の行使から遠ざけて選挙の公正を確保すると共に,本人の反省を促すことは相当であるからこれを以て不当に国民の参政権を奪うものというべきではない」(221頁)と述べられている。

 o(_ _*)o

*1:平成18年「刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律」と代わり,監獄法は廃止

冗長性の欠如がもたらすもの

救急受け入れ、身構える周辺病院 帝京大院内感染 2010年9月8日17時41分
http://www.asahi.com/national/update/0908/TKY201009080220.html
>同じく板橋区にあって3次救急指定を受けている日本大学板橋病院の澤充院長は「困った。帝京大病院と対になって地域の高度な医療を担ってきた。帝京が重症者を受けるからこそ、うちは都の要請でこども救命センターなどを引き受けることができる。手いっぱいなので、周囲の病院に助けてもらわないと」と話す。
>3次救急以外の区内の救急病院にも影響が予想される。都保健医療公社豊島病院は「うちへの救急搬送は増えるだろう。できる範囲で受け入れていくしかないが、限界がある」。都健康長寿医療センターは「どれくらい増えるか予測がつかない。本来3次救急が受ける重症患者の行き先選びに困るのでは」と話した。

 どのようなシステムも,余裕・冗長性がないと,何かあると全体がシステムダウンする危険にさらされます。特に人命にかかわるインフラはどこでも冗長化(冗長性:Redundancy*1 )が求められると思います。もちろん本来は医療が真っ先のはずですが。かといって,日本の医療リソースは国家財政と社会保障費が破綻寸前に等しい状況で(以下略。余裕と冗長性があれば,お医者様の過労死とか過酷な長時間不眠不休連続勤務なんて問題が生じなかったわけですが_| ̄|○

いよいよ

一票の格差訴訟、大法廷で審理へ 高裁判断分かれる中、結論は? 2010.9.8 19:46
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100908/trl1009081947017-n1.htm
>「一票の格差」が最大2・30倍だった昨年8月の衆院選は、法の下の平等を定めた憲法に反するとして、弁護士らが選挙無効などを求めた計9件の訴訟の上告審で、最高裁第2小法廷(千葉勝美裁判長)は8日、審理を大法廷(裁判長・竹崎博允長官)に回付した。

 「人権が人の2倍とか半分とかはあり得ないし許されない」というテーゼが合衆国連邦最高裁で唱えられて40年以上が経っています。