ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

山本義隆著『私の1960年代』を読んで

「それから、イエスは弟子たちに言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい』」(マタイ16:24)。
 自分を捨てとは、自己否定する事(アパルネオマイ・へアウトゥ)です。エリート意識の強かった東大生が全共闘時代に自己と対峙しつつ良く口にした言葉です。

 だいたい同じ頃東大や日大の近くに居て、つぶさに闘争を眺め、また自分の大学での全共闘の一員でもあった私は、この本に出て来る多くの人物や書かれたものを覚えていたので、共感の気持ちを抱きつつほぼ一気に読み終えました。
 その点小学・中学で一緒だった大東文化大学教授の小野民樹君が東京新聞の書評で、「私は八分の感動と二分の違和感をもって読了した」と書いているのには、「違和感」を持ちました。二分の違和感とは何か、会って問うてみたいです。
 360ページもある分厚い本です。傑出した一物理学者としての山本氏ならではの鋭い科学論と、東大を超えて普遍性を持ったこの闘争の意義を、現代の若い人たちに是非読んで欲しいです。自由と民主主義のための学生緊急行動(=シールズ)の象徴的存在である奥田愛基君らの行動とも良く似ています。山本氏が国会前のデモに足を運ぶのも、彼らの中に60年代の自己を重ね合わせているからでしょう。
 東大安田講堂での機動隊との攻防戦で行動隊長だった故今井澄氏への弔辞で、山本氏は「君は東大闘争の意義を、政治党派の指導によってではなく、自立した個人が自分の責任と決意で戦うというその後の市民運動の先駆けになったことにあると言っていた」と述べています。
 その東大ですが、60年代当時の教授の超エリート意識は、学内で他大学の学生を結集させて集会を行うとはけしからんとして、上記今井氏などを処分した事でも分かります。彼らは象牙の塔に籠って、広く世と連携するような事は、ほとんどなかったと言えるでしょう。有名な『日本の思想』の中で「タコツボ文化」を提唱した丸山真男原子力発電を推進した茅誠司などが典型で、山本氏をはじめ全共闘の鋭い批判を浴びました。
 憤激した山本議長をはじめとする全共闘安田講堂を開放し、日大や他の大学、及び三里塚の農民運動家などを招きいれています。ポン大という蔑称で知られていた日本大学の闘争を、山本氏はこう回顧しています。
 「日大全共闘は、単にその圧倒的な動員力や、あるいは機動隊や武装右翼とのゲバルトにたいして強かったという点ですごかっただけではありません。日大闘争は、学生大衆の正義感と潜在能力を最大限に発揮せしめた闘争であり、その意味で掛け値なしに戦後最大の学生運動で最大の学園闘争だったと思います。ほんと、すごいです。いまでも涙が出てきます。そして実際、彼らは戦闘においてだけではなく運動を組織するという点においても、きわめて有能でした」。戦闘(ゲバルト)を除けば、シールズの諸君も普通の学生をうまく組織化しています。
 それが今や東大は産学連携本部として産学共同研究を推進し、軍学連携拠点として率先して軍事研究解禁をしようとしています。闘争時代には全く考えられなかった事です。
 しかし山本氏はこの本の中で、東大が戦前から、とりわけ科学の面でその体質を持ち(原子力ムラは典型)、DNAとして受け継がれて来た事を、丹念に掘り起こしています。この本の傑出した点はそこにあると思います。
 「日本の海軍は…早くも明治九年に国立大学と軍学共同体制を確立し…」(山本氏による内藤初穂の著書の引用)。
 ですから東京帝国大学工学部に「造兵学科」「火薬学科」などが存在していました。第二次世界大戦下ではもう科学一色で、文系は軽視されいち早く徴用されました。今の安倍首相による文系軽視の国立大学改編提示と良く似ているではありませんか。
 1941年の第二工学部設置の狙いも同じで(私は全く知らず、なぜ第二工学部?といった感じでした)、毒ガスを研究する化学兵器講座も置かれました。
 その傾向は戦後も温存され、「ひたすら物理学と数学の勉強をしたかった」山本氏も、全共闘運動の深化の中で「自己否定」を迫られました。この本にはその経緯が次のように書かれています。
 「資本主義であれ社会主義であれ高度に工業化された社会において、経済成長・国際競争のための産業技術の開発のために、軍事力の強化のために、そして国威発揚のために、基礎科学であれ応用科学であれ科学が必要不可欠な要素として組み込まれているこの時代に、科学者である、技術者であるということは、それだけで体制の維持にコミットしていることになります。私たちが、いや、私が行き着いたのは、その情況を踏まえるかぎり、体制への批判は同時に自分自身の存在への批判でなければならないという点でありました」。
 この「私が」辿り着いた自己否定については、哲学者・神学者で、『カール・バルト研究』で知られている故滝沢克己氏との出会いも与っています。私は二人の往復書簡(朝日ジャーナル)を読んで、そこに出て来た聖書の一節から、信仰に至りました。滝沢氏の回顧は補注6に載っています。
 上記山本氏の思考から、科学者は心の内面への真摯な問いかけと自己否定がない限り、御用学者となる潜在的可能性があると見ました。
 とにかく充実した本です。一読のほどを。