「静かなる大恐慌 」柴山 桂太 (著)
   * 第二次グローバル化のゆくえは?
 この地球規模の混迷の行きつく先は、どうなるのか? そう楽観的ではないだろう。 ーその辺りから
≪ 第一次大戦後には各国間の貿易が再開され、金本位制への復帰が進むなど、戦前世界への回帰が模索された。
しかし29年に始まる世界恐慌から、各国は保護主義やブロック化へと雪崩をうって、保護主義やブロック化へと突入していった。
世界経済を統合するグローバル化の動きは、世界経済を分断する脱グローバル化の動きに急速に切り替わり、貿易をめぐる国家の
「経済戦争」が激しくなった。それが第二次世界大戦へつながっていった。そして、それは第二次世界大戦で終わりをとげた。 
それでは第二次グローバル化は、どのような結末を迎えるのか。まず、当時と現在とでは状況が違う。第一次当時は、予期せぬ
経済変動に対し、各国経済はあまりに弱かった。しかし、現在は先進国を中心にした労働者を保護する制度や、銀行や預金者を
保護する制度が幾重にも張り巡らされている。・・・加えて、当時の金本位制度という国際金融システムに問題があったといえる。
多くの点から考えても、現在のほうが遥かにショックに強いといえる。しかし、それがいえるのは先進国だけ、新興国は遥かに弱い。
二度のグローバル化に共通しているのは、輸出を中心に成長する新興国が急激に台頭してくること、そして一たびショックが
起きると大きな打撃を受けるのも新興国であること。世界はいつも、弱い鎖から切れていく。アメリカで始まった現在の危機は、
欧州に飛び火をした。それも経済力の弱いギリシャに火がついた。これが別の地域、特に輸出を伸ばして急成長をしてきた
BRICsなどの新興国へと波及したとき、危機の複雑さは一挙に深まっていく。≫
▼ 著者は、100年前のような二つの大戦が起こるかどうかまでは言及してない。しかし、中国や北朝鮮のような新興国
 現に存在している。内部の基盤が危うい国は、それをカバーするために世界大戦やむなしと考える危険がある。
 それだけでない、スマートフォン(小型パソコン)が一般大衆に普及したときの危険性は計り知れない。政府より大衆の方が
 情報を知り抜いてしまうからだ。 20、30年前なら数億、十億円もしたコンピューターが、誰もが持ち活用した時の
 社会的影響は想像を超えるだろう。大きな政府をつくったとして、ネットで結びついた力の終結は誰も予測不能だろう。
  静かに恐慌は進んで行き、混沌は当分の間、続く。 隠れた正体は、「情報化社会の本格的到来」である。
・・・・・・
4112、閑話小題 ー血圧
2012年6月28日(木)
   * 血圧
 血圧が高めのことは知っていた。しかし毎日これだけ運動をしていれば大丈夫のはずと、たかをくくっていた。ところが、家内が
先週末、ドラッグストアにある血圧計ではかったところ、思いのほか高かったと聞き、一昨日、スポーツジムにある血圧計ではかったら、
何と165もあった。ヨガを終えた直後なので血流が良過ぎたのか、それとも・・・ そして昨日、一時間半の運動の後、怖々と
はかってみたところ、130だったので、ホッとした。しかし、これでも高いようだ。ジムに通い始めた頃には月に一度は見ていたが、
だいたい130代だった。ネットによると、≪ 日を変えて何回か血圧を測定し、いつも拡張期血圧が90mmHg以上、あるいは収縮期血圧
140mmHg以上であるのが高血圧の診断目安≫という。これからすると、私の場合、ぎりぎりセーフになる。 塩分と糖分に関しては、
意識的に最小にするようにしてきた。体重も30年間、体重も増えることもない上に、身体が重いと思ったことはない。
  * 欧州発世界恐慌の瀬戸際 (同じことを繰り返して書いているが)
 ギリシャのやり直し選挙で緊縮派の勝利で、目先の世界恐慌の火種を何とか消した。しかし、スペイン国債金利が7%を超えた。
UCBなどが融資を決定をし何とか、これも乗り越えつつあるが、何時までも続くわけでない。 一度、火がつけば、世界の6京
(6千億ドルの10倍)の不良債権が表立ち、世界中の企業と銀行の連鎖倒産が出ることになる。これはリーマンショックなど
比べようのない事態。そのため何があっても目先、乗り越えざるを得ない。次の目標はロンドンオリンピックの終了だが、微妙である。
先日も、スペインの銀行28行の格付け引き下げがあった。ドンヨリした暗雲が世界中を覆っている中、国内政治は大混迷。
消費税を上げないと日本はもたないが、引き上げれば経済は大打撃。 これほど酷い政治と経済の惨状をみるとは! 
それも、まだ本格的世界恐慌は始まっていないのに、である。 悪いことに内税のため、増税は実質は経費アップになる。その上、
売上減は必至になり、中小・零細企業は大打撃。もう私にとって影響は少ないが、一歩、ひいた目でみても恐ろしい。 ある朝、
何処かの株式市場で暴落が発生、その日を境に世界経済は大混乱に陥る。解っていても手立てが無いから、ことは深刻。 
・・・・・・
3746, 閑話小題
2011年06月28日(火)
    ◆ エイズ並みの、恐ろしい性病
 人間、ギリギリに立つと、本性が出てくるもの。 その中で最もリアルに出るのが「他人(ひと)のせい」にする悲しいサガ(性)。
人間には、「あなた群」というのがあって、色いろな気持ちや体験を通して培った感覚や、体の細胞たちからの記憶が、人の中に
蠢いている。 過去の色いろな感情や感覚が、塊になって、その時々の感情や感覚を仲間として同居していて出番を待っている。
その一つが「他人(あのひと)のせい」病である。 さしずめ、今回の倒産劇の「三つの震災」を倒産理由にしている我が内なる、
それである。そう書きながら、これらの八割が原因と脳の奥からの声が聞こえてくるが・・。原因や責任転嫁は動揺から生じることが多い。
「他人のせい」は、メビウスの輪で、「原因は自分にもある」ことに気づかなくしてしまう。東北大震災も、あれは数百年に一度の天災が
原因である。そこまで、想定できないのは自明である。それを政治は言明できないという恐ろしい事態である。
    ◆ 3D仕立の靴下とスポーツシャツ
 「父の日」に、次男からプレゼントが送ってきた。ネット・ショップからだが、包装を開けてみると、靴下二足。
 白系と黒系の無地もので、よく見ると、立体的な足の形をしたモノで、足の部分ごとに縫い方が違っている。
 それも、縫い目がない。足にピッタリ密着するようになっている。 分かりやすくいえば、足袋風ハイソックで、指先、
 踵、そして土踏まずの箇所が、それぞれに合わせた織り方になっている。一度、TVで、その製造マシーンを見たことがあった。
 スポーツジムで、それを履いてみたが、脚が全体が適度の締め付けで軽快な感じがする。一度履いたら、運動に
 欠かせなくなる。これなら2〜3千円を出してでも買いたくなる。 ところで昨日、ジム用の着替えのスポーツシャツをと専門店に
 いったところ、何と「3Dシャツ」のコーナーがあった。やはり立体的に上半身の形になっているシャツが並んでいた。
 それも乾燥が早いシロモノである。それが千円というので、さっそく買ってみたが、これも良い。元々あったのだろうが、
 ベトナムで、トレード・オフをし価格ダウンしたのが店頭に並んだので、目に入ったのだが。これも、デフレの一現象。
・・・・・・・
3381, 今年、半年の出来事
 2010年06月28日(月)
  今年も半年が過ぎ去ってしまった。速いものである。
 * 世界からみると、天変地異でチリとハイチで大地震が発生し、ハイチでは30万人の死者がでた。
一昨年に中国の四川で7万人、2006年12月末にはスマトラ島沖地震インド洋大津波で20万人が亡くなったが、
今年は前半だけで二つの大震災が発生した。地殻そのものが変動期に入ったようだ。
景気も、欧州に金融恐慌が表面化してきた。 ギリシャ、そしてスペインと・・。 経済危機は当分の間、世界中で続く。
北朝鮮問題も、再び動き出してきた。 破綻国家が何時、暴発するのか? アメリカの石油流出も大きな問題。
まだ流出が止まってないから、ことは深刻である。
 * 国内では、鳩山から管首相へ政権が移行。景気は、エコポイント給付で何とか最悪の事態を避けているが、
実態は二番底に向かってまっしぐら。 社会現象では、ツイッターミニブログ)が爆発的に普及始めている。
またタッチパネル式パソコンのiPadが発売された。 これが新聞・週刊誌・書籍などを近い将来、淘汰することになる。
大相撲で朝青龍が暴行事件で追放。 その興奮が冷めないうちに、今度は野球賭博が発覚、大相撲協会始って以来の
大不祥事に発展した。 身辺では叔父叔母など既に死に絶えたこともあるが幸・不幸は無かった。
 大きな事件は、年の後半に多く発生する傾向にあるが、大地震が既に二つが発生、アメリカの原油流出も発生した。
後半も、何か大きな事件が続きそうな感がする。 日本経済も土壇場に来ており、先は暗雲が漂っている。
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3006,戒名を自分で付けてみた ー2
2009年06月28日(日)
 「戒名は自分で付けよう」 高林院釈俊信居士著    ー読書日記
 歳が歳だけに戒名を自分で考えると、何か神妙な気持ちになる。 思い立ったが吉日、軽い気持ちで考えると良い。 
あの世の名前を、自分が生きてきた生き様を元にネーミングする作業だから、これほど面白いことはない。
当時は坊様以外に、その能力を持った人が少なかったこともあるが、今は違う。家の仏壇には回出位牌が二つある。
回転式の祖先の過去帳である。 明治半ばからの当家の祖先の戒名と俗名と亡くなった日が記録してある。
八角形の筒状になった書き込み式位牌で、中が回転する。私が実家に住んでいるので、仏壇を守っていることになる。 
この仏壇の中に祖先の魂が入っていると考えてもよい。 この文を書くにあたりメモをとったが、一人ひとりの人生が
何かを語りかけているようである。 俗名も法名も、一人の人間のミニ物語である。 そして亡くなった年齢も命日も、
その人だけの物語の記念日。嘆き悲しむ親や親族がいて、坊様も、それを踏まえて法名を捻り出したのである。 
本人も死に怯えたかもしれない。 それさえ無かったのかもしれない。戒名も、位牌も決しておろそかにしてはならないのである。 
だから、自分の戒名を自分で作るのも、永遠の自分を残すという意味で大事な作業かもしれない。坊様から命名してもらうも、
それはそれで良い。自分で命名するのが邪道なら、自称戒名、として別につくっておくのも良いだろう。
俗名は親が作るなら、あの世の名前は自作でつくるのも理屈である。
 ところで、家の回出位牌に書かれていた法名とは、以下の通りである。
   父、堀井誠作 の法名は 池行院釈誠道 72歳没 昭和48年6月30日没
   母   志摩      報寿院釈尼信華 88歳没 平成4年9月23日   
    一番上の兄、運一 の法名は 釈足心 23歳没     昭和27年3月15日
    二番目の兄、進 の法名は、釈証盆  24歳没       29年8月11日
    三番目の兄 誠 の法名は、釈淨誠   5歳没       11年6月4日
   祖父の多吉は、釈淨信         62歳没        2年7月22日
   祖母のツルは 釈尼妙証        55歳没     大正12年10月
   父には幼児の頃に亡くなった兄がいて 修作 5歳没     明治31年8月29日
 明治29年に亡くなった父の姉のヒサ 42年に亡くなったフミの名前がある。
 そうこう考えると仏壇を守る立場として、自分の戒名を勝手に付けて良いものか、疑問もある。
 下手をすると罰当たりになるか?  それぞれの命日には、心を込めて般若心経をあげないと・・・。
 ところで両親を除くと、誰も彼も私より年齢が下である。父親は「先祖供養だけは、しっかりしておけ」が口癖だった。
 ところで自分で考えるのが面倒? なら、 俗名を○と×のところに入れておけばよい。
 たとえば、著者のように。 面白みはないが。 あの世の名前も、事前につけておくのもオツである。   合掌!
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2642, 郵便ポストが赤いのも、みんな娑婆が悪いのよ!
2008年06月28日(土)
昨日の産経新聞の一面のコラム、
 曽野綾子の「小さな親切、大きなお世話」
   ー弱点を武器にする弱者たちー  が、的を得た論評であった。
ー要旨といえばー
秋葉の男を通した、現代の腑抜けの若者と負け組みと称して何もしない人たちへの批判である。
戦後教育の最悪の集大成が秋葉無差別殺人である。曽野綾子は、彼は弱点を武器にする弱者でしかない、と批判。
短大を出た環境に育ったこと、派遣会社でも勤めることができること、五体満足の体と健康があること、
それだけで充分という。 アフリカや南米の貧困層と比べれば、全く恵まれている。
それを「負け組」意識、弱者の僻みで根が歪んでしまっていると指摘する。
彼らは「弱者は弱い」のだから、援助しろ、イタワルのが当然という、開き直りを武器にしている、と。
 − 以上だが、
 団塊ジュニアの弱者の事例が周辺に幾らでも転がっている。彼らは、それなりの間接的な脅しをしてくる。
「死ぬしかない!」とか、「弱者になっていまったのは親や社会の責任だ」とか。時代が下降すると、頭と尻尾が腐るというが。 
 何が平和憲法か、笑わせる。アメリカの去勢をモクロンダ枠組をそのまま大事にして、この様である。 
 この事件は序曲でしかない。 彼女の最後の閉めの言葉
「戦後の日本は心身を強くすることは軍事力の象徴で平和の敵とみなしてきたが、それは間違いだ。
 強くなって耐える力を持ち、自発的に不運な人のために金か労力か、心か時間を差し出せる人を
 目的に教育すべきである」が、教育の背骨になければならない。
「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、みんなアナタが悪いのよ!娑婆娑婆 」ではね?。
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2007年06月28日(木)
 2277, あと半年の命!と告げられた人の言葉  ー1   
何げなく読んだ言葉の重みに、すくんでしまった。その一言一言の重みと、末期ガンと宣告された経験者しか知らない、
虚空を目の前にした不思議な体験の言葉。 ノンフィクション作家の柳原和子の「からっぽの演出と装置」の文章。
ーー
三年半前、医療から末期を告げられました。なぜか今も生存しています。告知された私が三年半かけて自覚したのは、
告知人が医師であれ、占い師であれ、裁判官であれ、死の期限を切られると人は(わたしは)
「その言葉にとことん支配されてしまう、修正がきかない、」という他人からみれば愚かしいまでの単純な事実でした。
実のところ死は虚構です。誰ひとり体験し、蘇り、それを聞かせたり、した人は一人もいません。
 (字数制限のためカット2010年6月28日)
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2006年06月28日(水)
1912, スペイン画家・堀越千秋?4
  「スペインうやむや日記」?3  ー読書日記ー         
 * その9 ーむかつく (P-90)が面白い!
プラド美術館のそばに何ヶ月か住んでいる知り合いの日本の女の子が、まだプラド美術館を見てないというから、
『え~見てないの。せっかくそばに住んでいるのだから、損だよ、そりゃ見なくてちゃ』といった。
この言い方あるいは内容が、何か先方に劇的な感情を起こすかもしれないと。ところが、何と彼女は、にわかにわめきましたです。
「それってむかつくっ!」「・・・はい?」「む・か・つ・く!」 同席していた、もう1人の女の子(両方20代)が説明してくれた。
こういう「あたまごなし」の「先生みたい」な「一方的」なものの言いようは、「おしけがましく」て「むかつく」そうだ。 
ニャニィ 【君はъака】\_(・ω・`)ココ重要! あのな、ふざけんなよばかやろう。   
だが私は分別のあるインテリの国際人であるから、私の言葉のどこがそれに相当するか、静かに問うた。
しかし、むかついた女の子Aはソッポを向いているし、女の子Bは私が悪いという。
そもそも私は下心なしに安いレストランで不味い夕飯をおごり、そのあとアルメンドロのカフェでコーヒーまでおごっているところである。 
全く無罪である。それが何故??「世代の差」と女の子Bはぬかした。ヾ(。??∀??)ノ? 私の目の前にいるのはタヌキか、虫か、ナマズか、
火星人か? 頭ごなしでいったのではないし、先生みたいでもないし、先生でもない。ただの親切だ、ということです。
その情けない論理にすがって、言い方の言い訳をいうのに二時間も要した。
時計を見ると午前三時である。この馬鹿どもの相手に、あたしゃつかれた。;;(≧ω≦;)
  ーーーーー
以上だが、そのときの場面が目に浮かぶようだ!こういう馬鹿女が、何も知らないでスペインにきているのだ。
とくに欧州に行くと、日本人女は舞い上がってしまう。日本とは、女の扱いが全く違うのだ。 レディファーストに徹しているから、
それが土地柄ということが判らないのだ。旅行先で何時も辟易させられている。頼むから食事の席では、そばに来ないでと・・・
この三十数年間、新入社員の入社前教育が、ほぼこういう経験である。 詳細は書かないが・・・ 家庭教育が全く入ってないのだ。
それと学校でも社会規範を教えてない。ニャニィである。そして、1〜2年すると解ったような顔をして それも・・まあ、やめてこ!
他人事ではない、自分の最も身近の誰々さん、まさか家内とも言えないが、
「もっと、 ひ・ど・い・・・・・」殺される??  消せ消せここ!何か堀越が乗りうつった?感じか。 .゜ヽ
 (字数制限のためカット2012年6月28日)
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2005年06月28日(火)
 1547, エホバの証人ー2
彼らの世界に一度踏み入ると、多くの規則に従しなくてはならない。 信者は教会活動に全身全霊を捧げることを強要?される。
献血の拒否 ・偶像崇拝の禁止 ・国の祝祭日の否定 ・特定の学校行事への不参加
・長時間の伝道の義務(多いもので月に140時間、少ないもので60時間、
ものみの塔』と『目ざめよ』の両誌を手にして家をまわる) ・毎週5つの集会の出席
 以上のような義務を果たそうとすると、家庭はもとより、職場や学校から次第に離れるようになっていく。
 (字数の関係でカット11年6月28日)
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2004年06月28日(月)
1182, 秘境・異郷ツアーレッスン ー3
いま一つ面白いのは、添乗員と現地ガイドである。旅行の3分の1は添乗員の質できまってくる。そして、質とは我々をいかに楽しませて
くれるかである。結局、自分でその仕事を積極的に楽しんでいるかどうかである。そして自分の仕事の役割を理解しているかどうかだ。
どんな仕事でも、それは共通している。そこには、その人の素材としての質と会社の教育が重なって出てくる。
ツアー客の、代理店に対する評価は辛辣であり、それに耐え得なくては存立し得ない厳しい世界である。見ていて本当に激務の仕事である。
次から次に起きてくる予期せぬトラブルを、一つずつ確実に処理をしていく。ベテランなら解るが、まだ20代の女性の場合
見ているほうが辛くなることが多い。トラブルを処理をしてくれるのから、ツアーは非常に楽といえば楽である。
北スペインの時の女性はまだ忘れることができない。20代半ばなのに、30分前に閉館した博物館を日本からワザワザ来たと
談じ込んで開けさせたのには驚いてしまった。「私は不可能を可能にする女」と自分でいって最後まで、その姿勢を崩さなかった。
最後は泣きながら大きなトラブルを処理をしていた。仕事の辛さという面で、究極の場面が次々と出てくる。やはり南スペインの
アンダルシアの時の女添乗員もすばらしい。スペインが大好きという本人の気持ちが全員に伝わっていた。スペインのカセットを
持ち込み、バスの中ではその地方地方の音楽を流してくれた。まあ、人生の何であるかを教えてもらったようだ。
厳しい中でも、その環境を楽しむこと、それだけでなく世界を知る努力の必要性である。   ー つづく
ー以前書いた文章をコピーしておきます。
 [90] 人生のコツ   2001/12/21
 (字数の関係でカット09年6月28日)
・・・・・・・・
2003年06月28日(土)
815, たそがれ清兵衛
 構想十年、山田監督が藤沢周平の時代劇を選び映画化した話題の作。中年男性が目に涙をいっぱいためて映画館から出てくるという。
 (字数の関係でカット09年6月28日)
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2002年06月28日(金)
451,星野富弘ー詩画展
先日、新潟近郊の豊栄の公会堂で彼の詩画展に行ってきた。数百人が来ていて,何ともいえない熱気に包まれていた。
ー彼の概略は
・私と同じ年の1946年生まれ。24歳のとき教師をしていたクラブ活動で、首の骨を骨折して手足の自由を失う。
・入院の2年目より口に筆をくわえて文や絵を書き始める。
・9年後の退院の年に前橋で絵画展を開く。
・その後国内やアメリカ各地で花の詩画展を開く。
・1991年に生地の群馬県勢多郡東村で村立富弘美術館を開く。 毎年40万人が訪れるという。
彼のことを知ったのは十数年前の「到知」という雑誌である。対談だったと思うが、その中で「傷口よりあなたの優しさが沁みこむ」
という文が忘れられない。早速詩画集を買って絵を繰り返し見た。口で、これだけの絵を書くエネルギーに別世界を感じ取った。
(字数制限のためカット2012年6月28日)
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2001年06月28日(木)
[67] 月次決算
20年前の創業時より月次決算と毎月監査を実施している。そしてその報告書を銀行に提出している。
都銀の担当者がいうに県内で大手も含めて殆どなかったという。不況に入り今になってその実施を慌てて地銀が
要求始めていると聞く。これをきっちりしてあるから権限の委譲ができる。 安心して海外旅行もできた。

つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=whcnBZ34BnA

 さてと、金曜日はシネマの日。午後から『アフター・アース』を見てくるつもり。
毎日、単調なスケジュールを一人、淡々とこなしていると、ストレスが溜まってくる。
で、金曜日辺りに、映画の世界としても、刺激の強い時間が必要だ。 見ている限り、
特にハリウッド映画が刺激は強い。怒りと、その爆発で対象を破壊するのが快感になる。


・・・・・
1547, エホバの証人ー2
2005年06月28日(火)

彼らの世界に一度踏み入ると、多くの規則に従しなくてはならない。
信者は教会活動に全身全霊を捧げることを強要?される。
献血の拒否
偶像崇拝の禁止
・国の祝祭日の否定
・特定の学校行事への不参加
・長時間の伝道の義務
 (多いもので月に140時間、少ないもので60時間、
 『ものみの塔』と『目ざめよ』の両誌を手にして家をまわる)
・毎週5つの集会の出席

以上のような義務を果たそうとすると、
家庭はもとより、職場や学校から次第に離れるようになっていく。
そこが、彼らの狙いがあるのだ。
それゆえ、
「社会に背を向けた宗教集団」
「真理外の人々と社交をまじわるのは危険という独特な集団」
として、外部から敬遠される。
それが、ますます信者同士を強める結果となり、
家族との隔離をうんで、その結果がトラブルになってしまう。

彼らの説では1914年と、1942年と、1975年にハルマゲドンの大戦があるはずが
何も起きないことが、マイナスのイメージを強めている。

これらから考えてみても、典型的なカルト?と見られても仕方がない。
この教義を信じて教団に入っていれば、楽しいであろうが。
少なくとも疎外感とか、悩みはホボ解決されるからである。

検索でHPをみると、洗脳された人と、その家族とのトラブルが深刻である。
どこにもあるカルト対家族との対立構造が見てとれる。
このシステムに取り込まれたら、本人の自力では脱出はまず不可能だろう。
あのカルトの「オウム教」との共通点があるが、
信者の財産を根こそぎ奪い取らないからまだましか。

年間、三万数千の自殺者が出ている現在、
カルトを一方的には既存宗教も批難できない。
カルトも、その人達が金にならないことも知っている。
難しいところだが。
経済が右下がりの時代、カルトにとっては草刈場の場面である。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2004年06月28日(月)
1182, 秘境・異郷ツアーレッスン -3

いま一つ面白いのは、添乗員と現地ガイドである。
旅行の3分の1は添乗員の質できまってくる。
そして、質とは我々をいかに楽しませてくれるかである。
結局、自分でその仕事を積極的に楽しんでいるかどうかである。
そして自分の仕事の役割を理解しているかどうかだ。
どんな仕事でも、それは共通している。

そこには、その人の素材としての質と会社の教育が重なって出てくる。
ツアー客の、代理店に対する評価は辛辣であり、それに耐え得なくては存立し得ない
厳しい世界である。見ていて本当に激務の仕事である。
次から次に起きてくる予期せぬトラブルを、一つずつ確実に処理をしていく。
ベテランなら解るが、まだ20代の女性の場合見ているほうが辛くなることが多い。
トラブルを処理をしてくれるのから、ツアーは非常に楽といえば楽である。

北スペインの時の女性はまだ忘れることができない。
20代半ばなのに、30分前に閉館した博物館を日本からワザワザ来たと談じ込んで
開けさせたのには驚いてしまった。「私は不可能を可能にする女」と自分でいっていた。
そして最後まで、その姿勢を崩さなかった。
最後は泣きながら大きなトラブルを処理をしていた。
仕事の辛さという面で、究極の場面が次々と出てくる。

やはり南スペインのアンダルシアの時の女添乗員もすばらしい。
スペインが大好きという本人の気持ちが全員に伝わっていた。
スペインのカセットを持ち込んで、バスの中ではその地方地方の音楽を流してくれた。
まあ、人生の何であるかを教えてもらったようだ。
厳しい中でも、その環境を楽しむこと、それだけでなく世界を知る努力の必要性である。
                            つづく

ー以前書いた文章をコピーしておきます。
[90] 人生のコツ   2001/12/21

ツアーで今ひとつの楽しみは、全国より集まってくるツアー仲間である。
本当に色々な人がいるものだ。推測だがどこかの高校の校長だったのでは
ないかと思われる67歳初老の人の事が印象的であった。

「60歳までに50回の秘境を中心にした海外旅行と、人生の余白を可能な限り
埋め尽くす生き方」をその人の感化でその旅行で決心した。

その人が言うには「自分の父の家系は40歳前半までに全員死ぬ家系!
若いときよりその死期までに人生総て生ききる生き方をしてきた!家族で
日本中を車で総て回る計画を立て実行、そしてその時期がやがてやってきた。
しかしどういうわけか死ななかった。
それなら一年一年が勝負と世界中を回る計画をたて実行、いまだ死なず世界中を
ほとんど回ってしまった。」

この時これだな!と思った。そして先ほどのの決心をしたのである。
「人生は後回しでなく、前回し」人生だけでなく何事もそうであるが。

その時「貴方だけが何故生き残れたか、こころあたりは?」の私の質問に
「毎日朝食にキャベツを千切りにして、紫蘇のドレッシングをかけて食べている」との答え。
「あとは好きな事だけをやること」だそうだ。

なるほどと考えさせられた。

・・・・・・・・
2003年06月28日(土)
815, たそがれ清兵衛

構想十年、山田監督が藤沢周平の時代劇を選び映画化した話題の作。
中年男性が目に涙をいっぱいためて映画館から出てくるという。
昨年、行きそびれてしまい、DVDレンタルがでたら借りようと待っていた。
4月に貸し出し開始の予告の張り出し広告が、レンタルショップに出た。
しかし店頭には中々でなかったが、やっと3週間前に出た。
ところがいつも貸し出し中。それがやっと昨日借りることができた。

 藤沢作品は表題作を始め、どの短編もいじらしく人間くさい主人公と、
普段は見せぬがいざというときに出てくるあざやかな剣さばきの対比が素晴らしい。
作者が晩年に達したといわれるユーモアとペーソスをさわやかに織り成しながら、
剣客小説としての凄絶さも失われないのがよい。
彼の多くの小説の共通点がある。
地方の名も知れぬ小さな藩の中の、風変わりな主人公が、それゆえに周囲からあざ笑われている。
しかしそこで、お家騒動がおこり巻き込まれていく。
そして・・・

早速、映画をみて驚いた。
小説と映画は全くといってよいほど違っていた。

ー映画のあらすじは
 時は幕末。庄内地方の海坂藩の平侍井口清兵衛は妻を亡くし、家には二人の娘(萱野と以登)、
そして老母がいる。そのため生活は苦しく、下城の太鼓がなると同僚の付き合いなどを
一切断って帰り、毎日家事と内職に励んでいる。同僚たちはそんな清兵衛をからかって、
陰で“たそがれ清兵衛”と呼んでいた。

ある日、かつて想いをよせていた幼なじみ・朋江の危機を救ったことから剣の腕が藩士
噂となり、上意討ちの討ち手として清兵衛が選ばれる。
藩命には逆らえずやむなく承知した清兵衛は、朋江への秘めた想いを打ち明け、
意を決して邸に向かう。愛する家族に背を向け、命を賭けた果し合いに向かった・・・。

ー小説の「たそがれ清兵衛」では、
人間愛(夫婦愛)が描かれている、それと完全並立するかたちで、武士社会の論理も描かれている。
主人公のもとに上意討ちの討手の役がひそかに舞い込む。
実は彼は若い頃には藩内でも一,二を争う剣の腕前であった。
夕方の城中での上意討ちが刻々と迫る中、愛する女房の下がもれてないか気が気でたまらぬ。
が、そこは主人公、相手を鮮やかな腕で始末した後、いそいで女房の下の世話へと急ぐ・・。
病気の妻に優しい主人公。しかし「上意」(主君の命令)により何のためらいもなく、人を殺す。
いやためらいはある。
それは殺害の日には帰りが遅くなるので、妻の介護に差し支えはしないかという心配のためだ。
 また、その後日、殺した相手の護衛が主人公を殺そうとするのですが、この時も、
主人公は実にあっさりとその人物を殺している。何のためらいも、葛藤もなく。
そして平然とその場を立ち去り、妻の元に急いで帰ってゆく。
  ・・・・・

 私はどちらかというと山田洋次の映画のストーリーが好きだ。
やはり、私も映画をみ終わって涙があふれていた。
何ともいえない藤沢と山田洋次の合作がよい。
とくに上意討ちにあう男の生き様に、何ともいえない日本人の悲しさ、美しさが出ていた。


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 2002年06月28日(金)
451,星野富弘ー詩画展

先日、新潟近郊の豊栄の公会堂で彼の詩画展に行ってきた。
数百人が来ていて,何ともいえない熱気に包まれていた。

ー彼の概略は
・私と同じ年の1946年生まれ。
 24歳のとき教師をしていたクラブ活動で、首の骨を骨折して手足の自由を失う。
・入院の2年目より口に筆をくわえて文や絵を書き始める。
・9年後の退院の年に前橋で絵画展を開く。
・その後国内やアメリカ各地で花の詩画展を開く。
・1991年に生地の群馬県勢多郡東村で村立富弘美術館を開く。
   毎年40万人が訪れるという。

彼のことを知ったのは十数年前の「到知」という雑誌である。
対談だったと思うが、その中で「傷口よりあなたの優しさが沁みこむ」
という文が忘れられない。

早速詩画集を買って絵を繰り返し見た。
口で、これだけの絵を書くエネルギーに別世界を感じ取った。

今回の豊栄の「花の詩画展」で彼の絵を同じ目線で直接見て、
自分が彼そのものになって、自分の絵を見ているような気持ちになってしまった。

何か悲しい、しかし底から突き上げてくるような暖かさを感じとった。
更に動けない自分と花が一体化したような。
花も星野という一つの生き物が自分と一体になっていることを喜んでいる感覚。

見方によっては、反対に不自然な絵でもある。

これまで一人の人間に見つめられた花が過去にあっただろうか?
愛情と言葉とエネルギーに包まれ一体化して、絵として表現されたことが。
絵の世界ではあったのか知れないが。

決して幸せでない、動けない自分に対する苛立ち、諦め,怒り、そして
愛がそのまま絵と文を通して迫ってきた。
地方の女性が一生、因縁に縛られ他の世界を知ることなく終えようとしている。
そういう人にとって、その絵と文は今はやりの癒しとなるのだろう。