NHKTVで、<テクノロジーが教育を変える 世界の『エドテック』最前線>
を放送していたが、何かしら不思議な感覚に捉われてしまった。現実社会とは
別にネット社会が世界を覆ってしまった現在、当然、情報機器とネットを駆使
した教育環境も比例して進化して然るべきである。ネット社会は、教育の根本
変革が求められて当然のこと。  〜番組HPの紹介には…
【世界をリードしてきたITの一流企業や大物たちが、熱い視線を注ぐ
 新たな分野。それは…。
ビル・ゲイツ氏 は、「技術革命で教育を進化させる。」と。
今、最先端の技術を教育の現場に活用する動き「エドテック」が、アメリカや
ヨーロッパなど世界で注目されているのです。バーチャルリアリティーや人工
知能の利用が進む中、教育現場にも大きな変化が起きようとしています。
テクノロジーで教育に革命を起こす「エドテック」。その最前線に迫ります。
佐藤 「『エドテック』という言葉。“初めて耳にする”という方も多いかも
 しれません。この言葉は“エデュケーション=教育”と“テクノロジー=技術”
 を組み合わせた造語です。」
田中 「インターネットやデジタル機器が職場や家庭のあらゆる場面に浸透
 する中、教育にもテクノロジーの波が押し寄せています。」
佐藤 「こちら、ロンドンで始まった世界最大のエドテックの展示会です。
100か国以上の教育関係者と、900以上の企業が参加しています。
 紹介されたのはバーチャルリアリティーなど、さまざまな装置を使った教材。
 会場には学校の先生や子どもたちも訪れ、熱い視線を送っていました。
 エドテック市場は、来年には、世界で6兆円規模になるとも言われています。」
参加企業の担当者: 「エドテックは、大きなビジネスチャンスです。」
田中 「さて、このエドテック。 教育現場でどのように活用され、何が変わり
 始めているのか。 急速に導入が進んでいるアメリカを取材しました。」
  :教育が変わる!“エドテック”最前線リポート:藤田享子記者(国際部)】
――
▼ 情報端末の進化には驚かされる。TV一つとっても、4k、8k画像のTVに、
 ネットなどの多機能が付いた、アンドロイドTVである。白黒とカラーTVの段差
より遥かに大きな革新を始めている。大型家電店の担当が、「これは異次元のTV」
というのも大げさでもない世界に誘う。情報端末の進化と同時に、エドテック
が世界を変えている。ここにも教育格差の問題が出るとしても、現実は現実。
幼児の頃からタブレットPCを玩具かわりに与えられ、バーチャル世界で、多くの
経験をする時代である。これは子供たちの教育素材だけでなく、全ての世代にも、
その一端を利用して、多くの知識を得ることが可能になる。 21世紀の入口
の風景の一つとすると、成るほど、これかと納得する。毎日が刺激的である。

・・・・・・
5432,人生で最も大切な技術 ー? エゴのベール
2016年01月29日(金)
       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   *エゴのベール  〜投影という防御機能
 これからすると世間は、「精神の錯乱を錯乱と気づいていない、ごく普通の
人たち」になるが、問題は自覚しているかどうか。誰もが、それぞれ屈折した
レンズの眼鏡をかけ、それを現実と勘違いをし、一生、気づくことなく終える
ことになる。そこで瞑想を身につけるべきと、いう。要するに、世の中の殆ど
が、実は精神の錯乱者? と、すると、私だけでは、ないのか(笑)。
 錯乱はエゴのベールが、原因。 〜その辺りから〜
≪ 精神の錯乱とは、現実の姿を正しく見ることを妨げ、事物の本質に対する
 理解を曇らせるベール、と表現できるだろう。具体的には、幸福を見つけ
だして、苦しみを避けるにはどう行動すべきか、という判断のできない状態。
外界に目を向けるとき、本来備わっている特性など不在であるにもかかわらず、
自分が目にする世界には確固たる実体が備わっているというふうに見てしまう。
また、内側に目を向けるとき、もう存在していない過去、そして未だ存在して
いない未来の間に「私」を存在させて、意識の流れをそこに凍結してしまう。
 事物を見るとき、目に見える表面の姿を実体として信じ込み、滅多に疑う
ことをしない。また、人や物を見るとき、「これは美しい」とか「これは醜い」
と考えるが、それらの人や物に自分が感知したままの特性を焼き付けている
だけであることには気がつかない。
 そして「美しい」や「醜い」が人と物の根源的な特性ででもあるかのように、
自動的に当てはめてしまう。人間はまた、世界全体を「好ましい」と
「好ましくない」とに区別して見たがる。しかも、短命で儚い存在を永続
する存在と受け取ったり、世の中が実際には常に変化し続け、相互依存の
関係で成り立っているのに、どこにも無関係に独立した固有の性質がある、
というふうに見たがる。また、事象、状況あるいは人間の特定の側面だけを
取りだして、その面の性質に焦点を合わせて、「敵」「善入」「悪人」などの
レッテルを貼りつけ、これらを本来の属性と勘違いしてそれにとらわれてしまう。
そうせずに、現実の姿を注意深く観察するなら、物事がそれほど単純なもので
ない、ということが明らかになるだろう。
 仮に、自分の目に入る対象が真に美しいか快適で、そうした価値が純粋に
その対象に属しているなら、その対象はいつどこでも望ましいものであるはず
だろう。とはいえ、誰も異議を唱えずに、「美しい」と普遍的に認められる
ものがこの地球上に存在するだろうか。 仏教詩の中に次の一節がある。
「美女とは、恋人にとっては欲望の対象、修行者にとっては乱心の元、
狼にとっては格好の獲物」。 同様のことが嫌悪についても言える。
対象が本質的に嫌悪すべきものなら、もっともらしい理屈をつけて、誰もが
それを避けるだろう。だが、物や人間にそうした性質や特性を単純に当て
はめているに過ぎない、ということに気がつけば、すべてが変わってくる。
 すべての美しい対象が、元々精神的に有益な価値が備わっているか、
というとそうではない。逆に、醜い対象物だからといって、それが精神を
阻害する性質が根本的に備わっているというものでもない。
 同じく、今現在、自分にとって敵である相手でも、他の誰かにとっては
愛の対象である可能性は十分にある。今日の敵と、ある日、友情の絆を結ぶ
日が来るかもしれない。自分が勝手に対象に貼り付けた特性が、対象とは
切っても切れない属性であるかのように反応する。かくして、現実の姿から
自らを遠ざけ、自分の心の状態を他者や物に映しだす、投影という防衛機能を
容赦なく活動させながら、目に入る対象に対して、これは魅力あるとか、
これは嫌悪すべき、と感じつつけるのである。 ≫
▼ 世間、社会のありようを、そのまま描写した内容である。これからして、
 あまり世間原理主義教徒を、とやかく言うべきでない。要するに誰もかも
が無知なだけ。問題は、その無知を自覚できるかどうか?家庭内で、それが
露出するため、親子、夫婦間で鬱憤が蓄積される。で、欧米では一神教
発明され、絶対神の名のもとに、何とか破壊を防いでいる。 誰もかもが、
精神錯乱者と思えば、それも自分が最たる者と自覚すれば、許し許される?
 内観を怠らず、瞑想と、分析を日常に取り入れるべし!ということか。
・・・・・・
5068,あわいの力 ー?
2015年01月29日(木)
        ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著)
   * 「道具」を持たないワキ 〜身体が道具
 身体そのものが「道具」というワキの存在が面白い。
これは何もワキに限ったことではなく、すべての人間に当てはまること。
アスリートは、肉体が道具!、いかに勝利につながる道具に身体をつくり
上げていくのが勤め。 人生を演劇に喩えると、役割が道具になる。
その役割としての道具には道が備わっている。 ーその辺りから抜粋ー
≪・「お道具」ということばですが、能の世界では鼓や笛を楽器といわずに
 「お道具」といいます。「道具」というのは「道が具わっている」から
 「道具」だといわれることがあります。語源としては間違っていますが、
 しかし「お道具」の性格をよくあらわしています。お道具は、それ自体で既に
 道が具わっている。しかし、それを演奏する自分の道が具わっていなければ、
 いい音が出ない。何年もの修行によって自分の道が具わったときに、はじめて
 「お道具」が本来の輝きを発し始める。つまり、シテ方や笛方、鼓方は、
 「道具」を通じて能楽師としての道を歩んでいくことができる。
 しかし、道具を持たないワキ方は、それができない。
・こんなふうにして、ある程度自分の音を鳴らせるようになると、
 その人の弟子にまた笛を譲り渡し、その弟子が何十年もかけて自分の音を
 十分に鳴らせるようになると、また次の弟子に笛を受け継いでいきます。
 そうやって、数百年にもわたって、「道具」を次につないでいくわけですが、
 ワキはそのための「道具」が何もないじゃないか。そう、シテ方や笛方、
 鼓方の人たちは言うのです。 が、じつはワキ方にも「道具」はあります。
 それは、自分の身体です。自分の身体と「道具」として向き合い、いかに
 つきあっていくか、というのがワキとしての道の歩み方です。さらにいうと、
 このことは何もワキにかぎったことではなく、すべての人間にとって当て
 はまること。どんな人間も、身体を持たずして生きることはできませんから。
・能の笛というのは、わざと音が出づらいようにつくられているんじゃないか
 と思うような購造になっています。しかし、だからこそ、稽古を積み重ねた
 結果いい音が鳴るようになります。同じことは身体という「道具」にも当て
 はまります。つまり、身体が完全でないからこそ、ワキとしての道、
 人としての道を歩んでいけるということです。・・ ≫
▼ 現代の「お道具」といえば、パソコン(スマートフォンを含む)とネット。
 今ではウェアラブルPCという道具と身体が一体化したものが出始めた。
その道とは、アプリであり、予め完成されている。その意味からして、「お能
の世界は時代の流れの真逆。だからこそ、そこに、「あわい」の必要性が出る。
文化度が高いフランスのレジャーで、長期休暇は、リゾート地で長閑に、
時間を過ごすこと。ただ、ただボーッとするのが贅沢という。で、痴呆症が
多いというが、それも「あわい」であろう。ただヒタスラ心も身体も休める。
それが御隠居の仕事である。それには、その暇を楽しめる知識と余裕が必要。

・・・・・・
4703,閑話小題 ー若年女性の貧困問題
2014年01月29日(水)
  * 若年女性”の貧困問題
 一昨夜のNHKTVの「クローズアップ現代」で「あしたが見えない〜深刻化する
“若年女性”の貧困〜」を放送していた。隠れた恐慌は、ジワジワと社会的弱者
より影響を与えてきた。成るほど、社会の仕組みは、強者のために作られている
のを日々、実感する。  (まずは、NHKのHPの番組趣旨より)
《 貧困状態に苦しむ若い女性が増えている。親の生活苦の影響を受け、
 早朝と夜間のバイトを掛け持ちしながら家計を支える10代の女性。困窮を
抜け出そうと苦学して専門学校に通ったものの、正社員になれない20代の女性。
中でも、先の見えない生活を強いられているのが若くして子どもを産んだ
シングルマザー。国の成長戦略で「女性が輝く」ことがうたわれる中、深刻化
していく若い女性の貧困。 現場のルポから現代社会の新たな課題を浮き彫り
にしていく。  ーあるプレビュー    \(;$д$@)\ カ.金-\\\   
 働く女性は全国で2770万人いるうち、不安定な非正規雇用で働く女性の割合は、
57.5%と男性の2倍以上。そして、単身女性の3分の1が、年収114万円未満と
いわれており、深刻化しているのが、10代、20代の若年女性の貧困です。
朝から晩まで、アルバイトをいくつも掛け持ちする若い女性たち。
コンビニやファミレス、スナックなど、いずれも時給650円前後の仕事です。
別の女性は、周囲の男性も非正規で働く人が多く、結婚して出産することは
考えられないという。 さらに深刻な状況に陥っているのが、10代20代の
シングルマザー。20代のシングルマザーのうち、およそ80%が年収114万円
未満の貧困状態に置かれているといいます。そんな中で、VTRで紹介されていた
風俗店の話が衝撃的でした。風俗店で働く女性の中には、店側が提供する
住まいや託児所などに惹かれて、やむなく風俗店で働くケースが多いという。
公的なセーフティネットではなく、風俗店が提供する住居や託児所に頼る
というのは、皮肉な現実と言わざるを得ません。
▼ ゴールデンタイムや、NHKのモーニングショーで、生活のため主婦が
 やむを得ず風俗で働いている実態を放映するまで、困窮者の数が増えている。
実際、新潟駅前で30年近くの事業で、風俗嬢の長期宿泊などから、その実態を
垣間見てきた。 地元??が営業する風俗店で、泣き叫ぶ赤ちゃんを客室に
置いて働く姿は、阿修羅そのもの。見て見ぬふりしか手立てはない。
 それにしても単身女子の3分の1が10万以下というから、深刻。 20年前に
「3つ掛け持ちのパートで、子供三人を育てている人がいる」という話を
聞いて、驚いたが、今では話題にすらならない! 静かな恐慌が、現象として
現れてきている。「うどん一つを親子で、つゆを多めにして食べること、
しばしば」には・・ あと数年後は、更に深刻になるという!
・・・・・・
4336, 自己とつきあうということ −4
2013年01月29日(火)
  「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
 ギリシャ哲学の初めのころから、己について考えていた哲学者がいた。
この文明の世でも、「自分」について考えようとしない人が多い中、
2500年前に、このやっかいな自分について考えていた。
そのギリシャは、現在、国家危機の崖っぷち。
 * 古代の人間たちと自己の問題(ヘラクレイトスの驚きと戒め)
≪ 自己を問う試みは、ソクラテス以前の哲学者たちによってなされている。
 なかでも、その試みを自覚的に遂行したと考えられる人物の一人は、初期
ギリシアの哲学者ヘラクレイトス(前五〇〇頃)である。彼が残したとされる、
「わたしはわたし自身を探究した」(断片一〇一)という言葉の背後には、
探究の視線を外部の自然から自己自身へと移し、自己の内に広大な探究の
次元を見いだしたヘラクレイトスの、自己への驚きが見てとれる。
彼にとって、自己は問われるべきものとなった。彼は次のようにも述べた。
「自己を認識すること、健全な思慮を持つことは、万人に許されている」。
(断片二六) その短い言葉を通じて、われわれが自己への関心、配慮を
ばねにして自己への探究を開始する存在であることが端的に示されている。
しかし、それを裏返せば、われわれは通常、自己を問題として受けとめる
ことは少ないし、思慮を健全に保つことからも遠い存在だ、ということである。
よきことを考えて生きることよりも欲情にかられよからぬ方向へひっぱられて
いきやすいのが人間である。それゆえ、彼は自戒の言葉を口にしている。
「欲情と戦うのは困難である。なぜなら、それを欲する者を魂[命]をかけて
購うから。放漫を消すことは火災を消す以上に急務である」(断片四三)
ヘラクレスは、人間がしばしば欲情の虜になり、とりかえしのつかぬことをしで
かしたり、放漫、不遜になって、他人に不快感を与える存在であることを見抜いた。
人間は思わぬ仕方で壊れやすく、健全を失いやすいがゆえに、それに抗するため
にも、よく認識し、思慮を健全なものに保つようにしなければならないと考えた
ようにみえる。彼が認識したことは、自己を壊すものから、自己を防御し、
自己をよく整えるための自己認識であった。・・・≫
▼ 古代に、「わたしはわたし自身を探求した」とは、驚き。
 その頃から現在に至るまで、その問いが繰り返されてきた。まずは、他者と私、
そして、自己対話をする内なる私と、分裂した私。それより、今過ぎ去った
ばかりの己と、現在の己。 欲望に支配されている私と、それを見ている私。
ギリシャ哲学を知るにつけて、人間は二千五百年も考え続けてきたわりに、
殆ど進歩していないというより、後退しているとも思える。いや、西洋的進歩
という言葉自体が疑問である。それが構造主義につながっている。大きな節目
には、それまでの自己が壊される。その中で、破壊されてはならない核心は
守らなければならない。そのために、この随想日記で、「節目どきに」
「自己をみつめる」「自分の居場所のみつけ方」とかをテーマに、していた。
このテーマも、その一連だが、哲学の具体的入り口は、「自分」と「死」と
「神」と「自然」についてである。「私の事業」が崩壊して、残ったのは
「自分」である。それも傷物としての自分。しかし、核心まで傷ついた訳でなし、
問題は自己認識だが、どうもこうも、考えるほど、滑稽な行蔵しか残ってない。
これも気づくかどうかの問題だが・・「欲する者を魂[命]をかけて購う」、
その自分も、それぞれの他己から、自分の核心を守ることは至難の技になる。
・・・・・・
3961, 家族の崩壊は団塊世代の母親のせいか
2012年01月29日(日)
 あるレポートに、「家族の崩壊は団塊世代の母親のせいか」というのがあった。
私たち世代の連れ合いが団塊世代のため、身につまされるテーマである。その子供
たちが「ゆとり教育」の犠牲者で、無気力世代として社会の中核を占めている。
そして現在、団塊世代の退職期を向かえて世代交代が完了しつつあるが、良質の
人材の比率が少ないことが深刻な問題になっている。その中で団塊世代の母親は
核家族化の中枢にあって家庭に対する価値観が失われていった。それが家庭内
離婚を含めて過半数以上が家族崩壊をしているのが現状である。  
ー 次の部分は考えさせられる内容である。
≪ 数年前、行政企画の「団塊世代」をテーマにしたシンポジウムで、
 男性のことばかりが語られるので、団塊女性の老後の生き方に提案はあるか、
と質問した。ある男性の大学教員がこう答えた。「団塊世代の女性は、子育てに
失敗した世代なので、その贖罪のために孫育てに励んで、働く次世代の女性を
支え、家族崩壊を食い止めなさい」と。不登校や引きこもり、児童虐待、少年
犯罪、DVなど、家族を巡る現代の問題は、戦後の核家族を専業主婦として支えた
団塊世代の母親に起因すると考えられているらしい。
 確かに、戦後の急速な核家族化は、人々が当たり前と思って担ってきた日本の
伝統的な家族の機能を次々と失わせてきた。これまでは、自然に生まれていた
地縁による共同体を都会の核家族は作り出せなかったし、むしろ、家族は社会の
荒波から個人を守る防波堤、いや、高度経済成長期には産業戦士の男性たちを
企業に送り出すための最小単位の基地と化していった。それは日本社会独特の
家族機能とし賞賛さて、某大手企業では妻に会社からプレゼントが届いたりした。
今も「あなたにとって家庭とは?」と問えば、中年以降の日本の男性たちは声を
そろえて答えるだろう。「家庭とは安らぎの場」です、と。
だから、日本の夫たちが、もっとも恐れているのは、「妻の不機嫌」なのである。
そもそも、一組の男女によって作られる家族の最大の機能は、子育てである。 
なぜ、人は家族をなさねばならないか、と言えば、今や、「子育てのため」
に集約されると言ってもいいかもしれない。そして、その子育ての目標は、
すべての生物がそうであるように、子どもの自立。巣から子どもを社会の荒波
へと押し出す役割である。けれど、「安らぎの場」として求められた核家族は、
この重要な役割で躓いた。子どもを抱き込み、社会の荒波から守る役割をこなす
ことと、子供を突き放し、荒波の中に押し出す真逆なことを母親だけに担わそうと
したのは、結局、無謀な話だったのだ。そして、親の介護。 長寿社会では、
介護もまた、重要な家族の機能として浮上した。けれど、家族はそれを結局は、
担いきれなかった。・・ 目下、少子化もあってその夫婦と子の世帯の核家族
まで下落していて、単身者世帯ばかりが上昇を続けている。・・・
 「一人家族」という言葉まで生まれ、2020年には約33パーセントが
「一人家族」を形成するすることになる。家族の変容を家族の進化と考え、
知恵をもって、その進化に適応可能な社会システムを整えていく責務こそが、
本気で求められいると考えるべきだ。≫
▼ アメリカのシリーズTV番組に「デスパラートの妻たち」がある。
 一見リッチだが、実は崖っぷちに立っている中年女性たちの危ない男女関係を
含んだエピソードを描いたものだが、日本を含めた家族の崩壊を示唆をしている。
あまりに価値観が多様化したこともあるが。
・・・・・・・・
3596, お絵かきロボット
2011年01月29日(土)                                
  * 画像転換ソフト
 最近、これまで撮った秘境・異郷先の写真を、「画像転換ソフト」で
加工するのに凝っている。カシオなどのHPにアクセスし、デジカメの映像を
一度アップすれば、画像が水彩画や水彩画、スケッチ画、透明感イラストなど、
百位の転換ソフトで瞬時に書き換えられる。色いろの過去の映像を転換すれば
するほど、その出来栄えに驚いている。これは人間のカタチはしてなくても、
「お絵かきロボット」である。面白いのは実際の写真は平凡に見えても、絵に
すると、別ものになること。フリー(無料)のソフトで、これだけ素晴らしい
加工をするのだから、有料のものを使えば・・
特にカシオの転換ソフトは素晴らしい。下手なイラストレターが描いたものより、
既製品のソフトの方が遥かに上質な絵や、イラストに転換してくれる。
旅先で、水彩画や、スケッチを楽しんでいる人を見て、いつも羨ましいと思って
いたのが、そこの写真さえあれば、現在でも書き換えることが出来る。何故に、
この画像転換ソフトに、ここまで驚き惹きつけられるか?というと、秘境の
一番のポイントを自分の手で、書き残したいと思っていたのが、そこで撮った
写真が、数年を経った現在でも水彩画や、クレヨン画に変換出来るのが不思議で、
奇妙な感覚になるためだ。 そのためデジカメの映像を絵画に換えていると、
当時の生々しい現場に引き戻される思いである。それと当時の画面の色彩の
美しさを改めて意識させてくれる。気楽に使っている転換ソフトには限りない
ノウハウが入っているはず。こういうユビキタスが止めどなく我われの生活の
中に流れ込んでいる一例である。ソフトに美人修正とか、重ねがある。
現在のネットと、電子機器の進化には日々驚きである。
 

つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 
  今日のYoutube

毎日が淡々と過ぎていく。それが、一番良いのだろう。
中国人の日本の一流校への入学が殺到しているという。
中国内では競争が激しくて、勝ち目が少ないが、日本は緩いとか。
アメリカでは中国、韓国人がハーバードなどに目立った存在というr。
そこさえ卒業すれば、世界的に通用するとか。 
その矛先が日本にまわってきたようだ。 グローバル化は、
厳しい!ということ。



・・・・・・
3961, 家族の崩壊は団塊世代の母親のせいか
2012年01月29日(日)

 あるレポートに、「家族の崩壊は団塊世代の母親のせいか」というテーマがあった。
私たち世代の連れ合いが団塊世代のため、身につまされるテーマである。その子供たちが
ゆとり教育」の犠牲者で、無気力世代として現在の社会の中核を占めている。
そして現在、団塊世代の退職期を向かえて世代交代が完了しつつあるが、良質の人材の
比率が少ないことが深刻な問題になっている。その中で団塊世代の母親は核家族化の
中枢にあって家庭に対する価値観が失われていった。それが家庭内離婚を含めて過半数
以上が家族崩壊をしているのが現状である。ー 次の部分は考えさせられる内容である。
≪ 数年前、行政企画の「団塊世代」をテーマにしたシンポジウムで、男性のことばかりが
語られるので、団塊女性の老後の生き方に提案はあるか、と質問した。ある男性の大学教員
がこう答えた。「団塊世代の女性は、子育てに失敗した世代なので、その贖罪のために
孫育てに励んで、働く次世代の女性を支え、家族崩壊を食い止めなさい」と。 
不登校や引きこもり、児童虐待、少年犯罪、DVなど、家族を巡る現代の問題は、戦後の
核家族を専業主婦として支えた団塊世代の母親に起因すると考えられているらしい。
 確かに、戦後の急速な核家族化は、人々が当たり前と思って担ってきた日本の伝統的な
家族の機能を次々と失わせてきた。これまでは、自然に生まれていた地縁による共同体を
都会の核家族は作り出せなかったし、むしろ、家族は社会の荒波から個人を守る防波堤、
いや、高度経済成長期には産業戦士である男性たちを企業に送り出すための最小単位の
基地と化していった。それは日本社会独特の家族機能とし賞賛さて、某大手企業では妻に
会社からプレゼントが届いたりした。今も「あなたにとって家庭とは?」と問えば、中年
以降の日本の男性たちは声をそろえて答えるだろう。「家庭とは安らぎの場」です、と。
だから、日本の夫たちが、もっとも恐れているのは、「妻の不機嫌」なのである。
そもそも、一組の男女によって作られる家族の最大の機能は、子育てである。 なぜ、
人は家族をなさねばならないか、と言えば、今や、「子育てのため」に集約されると
言ってもいいかもしれない。そして、その子育ての目標は、すべての生物がそうで
あるように、子どもの自立。巣から子どもを社会の荒波へと押し出す役割である。
けれど、「安らぎの場」として求められた核家族は、この重要な役割で躓いた。
子どもを抱き込み、社会の荒波から守る役割をこなすことと、子供を突き放し、
荒波の中に押し出す真逆なことを母親だけに担わそうとしたのは、結局、無謀な話
だったのだ。 そして、親の介護。 長寿社会では、介護もまた、重要な家族の機能
として浮上した。けれど、家族はそれを結局は、担いきれなかった。・・・
目下、少子化もあってその夫婦と子の世帯の核家族まで下落していて、単身者世帯
ばかりが上昇を続けている。・・・ 「一人家族」という言葉まで生まれ、2020年
には約33パーセントが「一人家族」を形成するすることになる。家族の変容を家族
の進化と考え、知恵をもって、その進化に適応可能な社会システムを整えていく責務
こそが、本気で求められいると考えるべきだ。≫
 ▼ アメリカのシリーズTV番組に「デスパラートの妻たち」がある。一見リッチだが、
実は崖っぷちに立っている中年女性たちの危ない
  男女関係を含んだエピソードを描いたものだが、日本を含めた家族の
崩壊を示唆をしている。あまりに価値観が多様化したこともあるが。
・・・・・・・・
3596, お絵かきロボット
2011年01月29日(土)                                
   * 画像転換ソフト
 最近、これまで撮った秘境・異郷先の写真を、「画像転換ソフト」で加工に凝っている。
カシオなどのHPにアクセスし、デジカメの映像を一度アップすれば、画像が水彩画や
水彩画、スケッチ画、透明感イラストなど、百位の転換ソフトで瞬時に書き換えられる。
色いろの過去の映像を転換すればするほど、その出来栄えに驚いている。
これは人間のカタチはしてなくても、「お絵かきロボット」である。面白いのは実際
の写真は平凡に見えても、絵にすると、別ものになること。フリー(無料)のソフトで、
これだけ素晴らしい加工をするのだから、有料のものを使えば・・
特にカシオの転換ソフトは素晴らしい。下手なイラストレターが描いたものより、
既製品のソフトの方が遥かに上質な絵や、イラストに転換してくれる。
旅先で、水彩画や、スケッチを楽しんでいる人を見て、いつも羨ましいと思って
いたのが、そこの写真さえあれば、現在でも書き換えることが出来る。 何故に、
この画像転換ソフトに、ここまで驚き惹きつけられるか?というと、秘境の一番の
ポイントを自分の手で、書き残したいと思っていたのが、そこで撮った写真が、数年を
経った現在でも水彩画や、クレヨン画に変換出来るのが不思議で、奇妙な感覚になるためだ。 
そのためデジカメの映像を絵画に換えていると、当時の生々しい現場に引き戻される思いである。
それと当時の画面の色彩の美しさを改めて意識させてくれる。 気楽に使っている転換ソフト
には限りないノウハウが入っているはず。こういうユビキタスが止めどなく我われの生活の中に
流れ込んでいる一例である。ソフトに美人修正とか、重ねがある。現在のネットと、電子機器の
進化には日々驚きである。
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3231, フリー  -6
2010年01月29日(金)
  * フリーミアム
 この本は大きな波紋を示している。 新聞や月刊誌などで「デジタルのものは、遅かれ
早かれ無料になる」という指摘が多くの議論を起こしている。 前に取上げた家の不用品
をネット上で欲しい人に着払いでタダであげれば、両者とも良いことになる。 
これはビットだけでなく、アトムの無料化の事例である。 贈与社会化である。
・同書のキーワードの概念は「フリー(無料)」と、プレミアム(割増料金)」を組み合わせた
フリーミアム」という造語。無料で基本版を配布して広く顧客を集め、その中の一部が
 有料・高性能なプリミアム版に移行することで利益をあがるという、デジタル時代のビジネス
 モデルをさす。
・試供品配布などに代表される従来型の無料サービスが、5パーセントを無料で提供し、
 95パーセントを買ってもらうとう形に対して、「フリーミアム」の新しさは、95パーを
 無料で配布して、5パーから利益を上げるという点にある。 大量に複製配布するコストが
 ほぼゼロになるデジタル化が、それを可能にしたとする。 その上で同書は「デジタルの
 ものは、遅かれ早かれ無料になる」と、「フリーミアム」化の流れが不可逆であると述べている。 
 同書は昨年7月に、二週間の予定で全文を無料公開。30万ダウンロードされたにかかわらず、
 ニューヨークタイムスのベストセラーにランクインするなど好調だった。
 日本も一万限定で無料配布を始めたところ、ツィッターなどを中心に反響が大きく、二日で定員をオーバー。
 販売も好調だった。 自分で、それを自己証明したカタチになった。
 若い世代は当然という反応に対して、メディア関係者からは反発が多かったという。
▼ ブログなどは、取っておきの自分の情報を無料開放することで、それに反応してきた
 数パーセントの、専門の人との出会いがある。 (字数の関係でカット2012年01月29日)
  
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2856, つれづれなるままに
2009年01月29日(木)
  ー 当てごとは向こうから外れるー
「当てごとは向こうから外れる」とは「期待事は、自分の都合だけを考えてしまうので外れる
ことが多い」ということ。投機をしている人は、この意味の深さを十分に知っている。
それから逃れるためには、「当てごと」をしないことだ。事業も全く同じである。つ
いつい、自分の都合だけを考えて市場をみてしまい外してしまう。実際の諺は「当て事と
越中)ふんどしは向こうから外れる」である。成るほどよく言ったもの。 今回のサブプライム
問題で世界中の金融機関が破壊的な大打撃を被った。それもアメリカの金融機関が格付け機関
太鼓判を押した債権が紙切れになるのだから、詐欺そのものである。彼らは決して「当てごと」
を外したつもりはなかった。間違いないと信じていたのである。日経金融新聞の08年1月4日号
が手元にある。その去年の予測は、日経新聞のプロの予測が「米景気後半から回復」
「事業法人の買い期待」である。「今年の株式相場」の専門家69人の予測は、年末に
一万八千円超えが大多数。一番低いのが一万二千円である。いかに予測が難しいかを示している。 
    ( 字数の関係でカット2010年01月29日 )
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 2008年01月29日(火)
 2491, 無くてはならぬもの -2              YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ
                「無くてはならぬもの」 佐古純一郎著        
 まずは?の 生きる意味の創造 -から考えてみよう。「人生に目的があるかどうかではなく、
 自分はどのような目的をめあてに生きているか、というふうに問うべきである。」
 これを考えてみよう。
  ▼ 生きる意味の創造 ー本当の生きかたー
 人生に意味があるかではなく、いま我われひとりひとりが、生きることの中に、どういう
 問題を見出しているか、感じているか、ということが大事なことである。ここでは二つの
 生きかたを示して、その一つの生きかたを勧めている。
・人生にもともと意味などないという自覚に徹して生きるということである。この宇宙に、
 そして地球上に、一定条件の一つの結果として、たまたま生物なるものが生まれた・・  
 人間もその生物の一つでしかない以上、創造のの頂点として生まれたものでもない。
 その人間に人生の意味など、あろうわけがない。われわれが生まれようが生まれてきまいが、
 死のうが、一切なんの影響もない、生も無意味、死もまた無意味!という生きかた。
・いま一つは 人生の意味は先験的に私たちの中にあるのではない。虚無の中からの創造である。 
 私たちがつくり出していくからこそ人生に意味が生じるのである。どのような条件の中で、
 意味を見出しうるのか、を考え生きるべきであるということである。人生の意味とは、他者
 との力強い連帯がいきいきと成り立っているときのみ、生まれてくるのでないか、という。
 ー この二つの生きかたを通して、プロテスタントの佐古は、後者の生きかたを肯定している。
 私に問われれば、両者をコインの裏表として冷静に己の中に整理しておくべきと、現在では
 言うことができる。しかし当時の私には、「生きることの中に、意味を 創造していくべき」
 を当然のことと受けとめていた。また、その生きかたを良しとしてきた。当時の何人かの
 友人は、この二つを冷静に見ていたようだった。前者の生きかたも、この歳になると理解できる。
 上を見れば、きりがない。横を見れば情けない。下を見れば底がない。宇宙を見れば果てしない。
 こういう心境になっていくのである。後者は若者、前者は老年の心境といえるのではなかろうか。
  意味とは価値という意味もあるからだ。 そういえば心理学者のフランクルは、3つの価値を
 上げている。
1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味=仕事・子育て・芸術を創造する
2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味=自然にふれあう・芸術にふれる・愛する
3・態度価値: 状況・運命に対し【自分としての態度】を取ることで得られる価値・意味
 当時は日本ではフランクルは殆ど知られていなかったが、こういうこと!生きる意味とは。
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 2007年01月29日(月)
2127, アパ・マンション/ホテルについて  (o_ _)o.。o○グー   オハヨ~
(字数の関係でカット2009年01月29日)        (*^_^*)ノほんじゃ!
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2006年01月29日(日)
1762, 愛のアフォリズム-2      ♪オハ(b´∀`d)ヨォ♪
ランダムに幾つか面白い順に抜粋していく。特に「結婚」に関する章が面白い!
「第八章 ああ結婚!」から面白そうなのを抜粋してみた。 人間形成の基本ベースは家庭にある。
その始まりが結婚というキッカケから始まる。 そして、その半分が家庭内離婚を含めて破綻する。
破綻した両親の下で半数の子供たちは悲惨な生活を強いられる。
人生の最大の決断は結婚といってよい。「その人物を判断するには連れあいをみよ」というが、
ほぼ間違いなく言い当てている。クサンチッペをみて、ソクラテスを判断はできまいが。                  
 =第八章 ああ結婚!=
結婚して最初の一年間、夫は支配権を手に入れようと努力する。
二年目にはいると、同権を求めて闘う。三年目にはいると、せめて身ひとつの生存を求めて
悪戦苦闘する。 (読人しらず) 
結婚生活が神聖だといわれるのは、きっと殉教者がたくさん出ているからだろう。
                              (ルートビィヒ・トーマ)
恋愛とは短期的愚行。 結婚生活とは、短期的愚行にピリウドを打つ長期的愚行。(ニーチェ
結婚すると妻は夫の姓を名乗る。これは、戦勝者が会戦名を名乗るのに似ている。