まず、4月12日のブログに「4月15日 15:12」にいただいたご意見から。
http://d.hatena.ne.jp/ichi-nagoyajin/20160412/p1#c
(2)
>「去年から今年にかけて6回開催された協議会の方は議事録は読みましたが、貴兄が引用されたそれ以前のものは今回の三派の提案とは関係ないと考えます。もし貴兄の意図が減税の議員のだらしなさを指摘するためのものであれば、私は特に異論ありませんが、本件とは無関係と思います。」
今回、当ブログで連載した「真・庶民革命」を読み返してみました。
http://d.hatena.ne.jp/ichi-nagoyajin/archive/201503
議員報酬半減を定めた条例が名古屋市会全会一致で議決された、その裏事情を描いた文章でしたが、これも今に至るも修正の必要を感じません。それなりに蓋然性のある文章であろうと自画自賛しております。
この文章にも平成23年4月22日、25日の総務環境委員会における議論が掲載されています。(名古屋市会のオフィシャルな議事録にも当時の議論は残っています)
そこである委員が次のように発言しています。
「我々は2年間この議論をやってきました。ですからきょう一夜漬けで用意しているわけではありません。2年間の議論の蓄積で私たちはこの議論に当たっています。」(4月22日総務環境委員会)
平成23年 総務環境委員会-04月22日−01号
この発言の時点で「2年間」の議論の蓄積があるのです。
なぜなら、河村市長は市長選挙に初挑戦したマニフェストにも「議員報酬10%削減」を明記していたからです。
経済情勢や自治体の債務、さらに拡大が予想される社会保障費の負担(更に言うと、アセットマネジメントの必要性等々)議員自体が議員報酬について幾らが良いのか、問題意識を持たなかったことなどないと言っていい。(そりゃ、すべてではない。しかし、少なくない議員が問題意識を持っていた)
ただ、議員報酬は議員には決定権はない。仕組みとして議会とは独立した報酬審議会において、その額が定められる。そのために、経済情勢などを鑑み改正条例で「削減」を実行してきた。
そうした議論を無視し、切り捨て「本件とは関係ない」とは「幸せな論理」と言わざるを得ない。
そんな幸せな態度で考察しているから、とんでもない間違いをしでかすのでしょうね。
ちょっと前に「歴史的経緯を欠いた議論は不正である」と述べましたが、まさにその通りだと指摘させていただきます。
(3)
>「コストを積み上げて幾らというような根拠というものは不要と考えます。根拠は議員が「庶民感覚」をもって仕事に取り組んでほしいというだけで十分ではないでしょうか。」
それこそ当時の議事録を一度読んでみてください。
報酬が下げられたら議員が「庶民感覚」を持つのですか?
そんな理路がどこにあるのでしょうか?
まじめに職務に精励しようとすれば、私費を投じなければならないような(コストを無視した)報酬しか設定していなければ、自分が稼ぐ報酬で生活を成立させなければならない「庶民」はいよいよ議員になどなれないのではないのですか?
河村市長を見ても、彼が土日に家業の古紙回収に携わっているなど聞いたことがありませんよね。
河村市長の家業である河村商事は、古紙回収業で名古屋市内から莫大な収益を上げています。そして、その家業をご子息が守っていらっしゃる。名古屋市内の随所で、河村商事のあずき色の古紙回収車を見ない日はないでしょう。
そういった恵まれた人であれば、ボランティアで議員でも市長でも務まることでしょう。
庶民にはできません。
議員に「庶民感覚」を求めるのであれば、庶民でも議員が務まるような報酬を、コストも積み上げて考慮する必要があることは理の当然ではないですか。
コストを無視したような報酬議論に付き合えるのは、報酬など必要もない恵まれたお金持ちだけです。
>国は約1000兆円もの借金を負っているということは周知の事実となっています。
>このことの当否が問題なのではありません。市民がこのような経済状況で議員報酬UPをどう考えるかです。
完全に詭弁にしか聞こえません。
片方で500億円費やして(すべて市債で)お城を作ろうとしている人がいて、そちらには何も言わず、議員に対しては年間6億円弱の歳出を削れというのですか?
この500億円の市債の金利が1.2%異なれば、それだけで6億円/年の負担なんですよ。
やはり「市民の会なごや」は(こうした均衡財政論に立つのであれば)議会よりも市長をリコールすべきです。
(4)
>財政の基本は「量入制出(入るを量り、出るを制す)」であることは十分ご承知であると考えます。
「礼記・王制篇」には「三十年の通を以て、国用を制し、入るを量りて、以て出ずるを為す」とあります。
まず、今回の議員報酬半減論は「三十年の通を以て」いませんね。
また、この礼記の記述は、古典的な通貨流通量一定の下での論理であることは明白です。
現代の経済学は通貨流通量を一定とは捉えておりませんから、こうした均衡財政論は誤りです。
経済学的に(たとえば、ピケティ、スティグリッツ、クルーグマン)はデフレ期には流動性の拡大を求めています。現在の日本においてもまさにこうした経済政策が重要です。
(5)
>私も応援させて頂きたいと思います。
それが本当であるなら、梅村さんの報告ぐらい読んでください。
(6)
>「には」と「は」は意味が違います。
「地方公共団体には、法律に定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。」+「議会は、議会報告会を開催し」
を
「地方公共団体(名古屋市)は議会を設置し、その議会が議会報告会を開催する」
と読み替えた時に、言葉を替えたのはご指摘の部分だけではありません。
そしてそういった片言隻句の入れ替えで、意味を損なっているとは思えません。
大切なのは、議会活動の主催者、コスト負担者は地方自治体であるという憲法の定めた大原則があるということです。
(8)
>ただ諸外国の例を無視してよいという貴兄の考え方はこれだけ国際化した現在においては通用しません。日本は鎖国時代に戻れと仰っているように聞こえます。
私は諸外国の例を無視してよいなどとは言っておりません。
あまりに制度や社会状況が異なるので、その比較には細心の注意を払うべきと指摘しているのです。
そして、河村市長の比較には、ことごとく要素の欠落が見られます。
また、後ほど述べますが、諸外国の貴重な例示があります。
梅村さんの報告書を無視したり、こういった示唆を受け入れないとすれば、それこそ鎖国状態の態度に見えます。
さて、国や地方財政の赤字に危惧を抱いていらっしゃるようですが、その財政赤字の端緒は米国からの内需拡大策にあるというのが(日本で一二を争う大学で教鞭をとられていた)故宇沢弘文先生のご指摘ですね。
そして、その拡大原因は社会扶助費の増大で、その増大率と国や地方自治体の人件費を比較した場合、人件費の削減で国や地方の扶助費拡大を賄えるなんて思っている人はいません。金額の桁が違うのですから。
そして、こうした縮小均衡論が、内需を縮小し、経済をシュリンクし、雇用を悪化させ、ひいては若者の結婚を困難にし、もって少子高齢化を加速させ、更に日本経済をシュリンクさせているのです。
この縮小均衡論は、もうここまで来ると明白に「亡国の暴論」と断じる以外にない。
しばらく前にトマ・ピケティの「21世紀の資本」をご紹介しましたが、その時引用した部分を再度掲載しましょう。
今日のヨーロッパほど巨大な公的債務を大幅に減らすにはどうすればいいだろう?手法は三つあり、それを各種の比率で組み合わせることもできる。資本税、インフレ、緊縮財政だ。民間資本に対する例外的な課税が、最も公正で効率的な解決策だ。それがだめなら、インフレが有効な役割を果たせる。歴史的には、ほとんどの巨大公的債務はインフレで解決されてきた。公正の面でも効率性の面でも最悪の解決策は、緊縮財政を長引かせることだ。(21世紀の資本 p.568)
ピケティ「21世紀の資本」からみた財政均衡論の正誤 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0
トマ・ピケティ「21世紀の資本」読後記 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0
こういった論考もあった。
勇気を持って経済を拡大させるべき - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0
更に重ねて言う。勇気を持って経済を拡大させるべきだ - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0
4月10日分のブログに「4月18日 17:06」にいただいたコメントに対して。
>「役所の人たち並びに市の外郭団体の人たちの給与等が引き締められ、5年間で300億円に上る人件費の節減が図られたと聞いています」
との事ですが、確認してみました。
これの27ページに名古屋市の性質別歳出の推移という図表が載っております。
これで算出してみると、平成21年から26年までの人件費削減額は185億円になりますね。
ところで、現在、どこの企業でも同じですが、正規雇用からどんどん非正規雇用が増えております。
そして、この非正規雇用は人件費に算入されず、物件費で処理されます。(派遣会社に支払われるため)
この物件費は5年間で16億円増えていることを申し添えます。
この4月18日のコメントを読んで気になるのは、「伝聞」が多いという事です。
この人件費の事例も「図られたと聞いています」とのことで、いささか信憑性の低い方の言葉に耳を傾けすぎか、聞かれた話を真に受けすぎのようです。少しは「裏を取る」ことをされた方が良いのかもしれませんね。
さて、上で「諸外国の貴重な例示があります」と申し上げましたがこのような記事がありました。
『ヤバすぎる経済学』――政治をもっとよくするためのインセンティヴ / スティーヴン・D・レヴィット&スティーヴン・J・ダブナー (1/2)
「政治家にもっとお金を払ったらもっといい人が政治家になる?」という副題が添えられていますが、まさしく河村市長の言っていた報酬半減論とは真逆の主張ですね。
『ヤバすぎる経済学』とはなんとも「ヤバい」題名なので信憑性に欠ける?
そんな事はありませんね、よく読まれており、信憑性も高い本です。
この記事に引用されている論文は
Motivating Politicians:The Impacts of Monetary Incentives on Quality and Performance こちららしい。
また、「フィナン、エルネスト・ダル・ボウ、マーティン・ロッシの3人が書いたもっと最近の論文」 というのは
Strengthening State Capabilities: The Role of Financial Incentives in the Call to Public Service こちららしい。
アブストラクトだけでも訳せばいいけど、そろそろ眠たい。
誰か、日本でも一二を争うような学校を出た方が訳してくだされば助かるね。
EXPOSING CORRUPT POLITICIANS:THE EFFECTS OF BRAZIL’S PUBLICLY RELEASED AUDITS ON ELECTORAL OUTCOMES これも訳しておいて。
私はこの内容について詳細に検討しようとは思わない、なぜなら「良い人を雇いたければ、良い給料を出すべきである」という当たり前の結論を導いているだけにしか思えないから。