写真にこだわる Twitter

2017-01-23

ありがとう!コニカミノルタプラザ

22:54

 新宿駅東口の高野ビルにあるコニカミノルタプラザが2017年の1月23日19:00をもって閉館し、多くの人々が、その最後を見届けようと集まりました。

 実はコニカミノルタプラザの歴史は、それをさかのぼる29年前の1988年に新宿駅東口の三中井靴店(新宿3-24-2)の2階、3階に「コニカプラザ」としてオープンしたのが最初です。それから5年後の1993年に契約更新がまとまらず、新宿高野ビル(新宿3-26-11)の4階へ移ったのです。その当時のコニカプラザは高野のお店の延長線上にあり、エレベーターに加えエスカレーターでも会場に入れたのです。フロアには写真ギャラリーのほか、ライカなど歴史的なカメラ展示コーナー、図書室やセミナールームを兼ねたサロンなどもあり、写真業界の多くの人たちの憩いの場であり、打ち合わせの場でもありました。コニカがミノルタと経営統合したのは2003年でした。その直前に写真展示室を3スペースに増やし、エレベーターだけで出入りする、現在までの形にリニューアルしたのです。コニカとミノルタが経営統合した時に、2つはコニカが、1つはミノルタ関係がというような話題も業界雀にはありましたが、結局、コニカミノルタとして統合された形で、プラザも運営されたのはご存知の通りです。

f:id:ilovephoto:20170123223045j:image

≪最終19:00を回ったときのAギャラリースペース≫

 このコニカプラザは、そもそも1986年末ごろに、新宿駅東口の「カメラのさくらや」の前を当時のコニカの担当部長と夜通った時に前を見上げて、今度この近くに写真ギャラリーを作るといっていましたが、それがコニカプラザだったのです。そのころ僕はカイトフォトグラフィーという、凧でカメラを吊るして空撮する写真団体に入っていましたが、コニカのお偉方に、凧に理解の深い方がいて、当時の本社を構えていた新宿・西口の野村ビルのギャラリーで写真展を開かせてもらったり、この時の国際シンポジウムを高野ビルの旧コニカプラザで開かせてもらったり、その後は国際カイトフォト展を開かせてもらったりして、多くの写真仲間とともに大変お世話になりました。そして、2006年3月をもって、コニカミノルタは写真事業を終了させ、それから10年経ったこの1月23日にコニカミノルタプラザは閉館したのです。いつかはこうなるとは思っていましたが、致し方がないことだと思うのです。

f:id:ilovephoto:20170123223723j:image

≪前衛美術作家、糸崎公明さん(右下)の声掛けで集まった有志で手を振って記念撮影≫

f:id:ilovephoto:20170123223721j:image

銀座にあった小西六ギャラリーから、コニカミノルタプラザまでの流れに沿って感謝の気持ちを書き込む写真家の松本徳彦さん≫

f:id:ilovephoto:20170123223043j:image

≪最後に高齢者仲間で記念写真。右から:写真家・妹尾三郎さん、写真家・松本徳彦さん、僕≫

f:id:ilovephoto:20170123154238j:image:right 写真業界も大きく様変わりして、感光材料、カメラの業界地図も大きく塗り替わり、ギャラリーも企業系ではソニーイメージングギャラリー銀座に新設されたり、個人ギャラリーも全国にたくさん生まれたのです。それでも、新宿に生まれたコニカミノルタプラザが、閉館するということはやはり気になるので、その最後を見届けに行った報告でした。持参したカメラは、ソニーα7Rにマウントアダプターを介してヘキサノンのAR40mmF1.8にフィッシュアイAR15mmF2.8を付けてです。ソニーのαカメラがミノルタαの流れをくむのは周知の通り、カメラとレンズの関係も大きく変わりました。  (^_-)-☆

2017-01-18

交換レンズの完全電子マウントがもたらしたもの

00:07

 キヤノンのEFマウントが完全電子マウントで、30年前にスタートしたことは前回の本項で報告したとおりですが、レンズ交換式カメラのマウントで近年ユーザーに見える形で最も大きな変化をもたらしたのは、レンズ内AF駆動と絞り羽根の電磁制御だと思うのです。それまでのレンズ交換式のAF一眼レフカメラでは、ボディ内のモーター回転をAFカプラーを介してAFレンズの焦点調節を行っていたのに対し、レンズ内にAF駆動用のモーターを組み込み、さらに従来レバーで機械的に絞り羽根の開閉が行われていたのを電磁制御としたのですから、機械的な連係はなくなりかなり設計製造に自由度が増したのです。例えば絞りレバーの運動方向でいえば、AF時代を迎えたときのレンズを取り外してマウント側から見ると、ミノルタαマウントでは絞り羽根が絞られていて、レバーを時計方向に押すことで開放方向へ開くのです。これがニコンマウントになると、絞り羽根が絞られていて、レバーを反時計方向に押すことで絞り羽根が開放方向へ開き、さらにペンタックスはレバーを時計方向に押すことで絞り羽根が開放方向へ開くのです。これに駆動部分としてレンズ駆動のためのAFカプラー部分が加わるわけですから機械的にも動きは複雑です。この間AFに対応させたミノルタはαマウントでは、レンズ側の絞りリングをなくしましたが、他社もその後にレンズ内駆動式に変え、絞りリングをなくす方向へと動いていることはご存知の通りです。

f:id:ilovephoto:20170110214334j:image:right この過程において、ミノルタのαマウントを引き継いだソニーは、ミラーレスのEマウントボディに一眼レフのαマウントレンズを装着して、フルにAF・AEの作動する“LA-EA2”マウントアダプターを開発したのです。このマウントアダプターはフランジバック長の違いを利用して、ソニー独自のトランスルーセントミラーと呼ばれる半透ミラーが組み込まれ、さらにAFと絞り制御用のモーターが内蔵されたものでした。これにより狭いマウントコンバーターのなかで、機械的な運動を電気信号に変える、電気信号を機械的な運動に変えるということができることが実証されたのです。

 ミラーレス一眼登場の初期段階では、マウントコンバーターによる他社レンズや過去に消滅したカメラボディのレンズが装着可能なことによりかなり普及へ拍車をかけたということは紛れもない事実です。これらは、いずれもマニュアル絞り、マニュアルフォーカスを前提としているのですが、通常の撮影ではこれでも間に合うという人も多いようで、ミラーレス機にはボディとマウントアダプターを持っていても、専用のAFレンズは持っていないという人も存在するのです。とはいっても、やはりフルにオートで撮影できる専用レンズ使用の便利さは、誰もが認めるところです。過去のレンズ資産を活かしながら撮影を楽しむのか、最新の専用レンズで、早くAFでピント合わせて撮影を楽しむのかは、撮影者の考えと撮影テーマにもよるのですが、昨年登場したシグマの「マウントコンバーターMC-11」では、ソニーのα7シリーズのボディに着けて、シグマSEマウントかシグマ製キヤノンEFマウントの一部交換レンズを装着してAFで使用ができるというのです。まさしく、完全電子マウントの特徴を生かしたわけです。また、ソニーのマウントアダプターの逆手を行くような、AFには全く無関係のライカマウントレンズを、アダプター内のモーター駆動でレンズ全体を進退させてAF撮影を可能とするTECHARTの「ライカM➡ソニーEマウント」アダプターが発売されたのです。どちらも、機械制御式マウントの時代には考えられなかったことです。どちらも2016年の発売ですから、少し時間がたちましたが、改めてこの時期に使う機会を得ましたので、簡単にレポートしてみました。

f:id:ilovephoto:20170110002108j:image

《左は、TECHARTのアダプターを介して、ズミクロン35mmF2(第2世代)を装着。右は、シグママウントコンバーターMC-11を介して、ソニーα7RにキヤノンEF50mmF1.8を装着した状態です。この組み合わせは、本来シグマが推奨しているレンズではありませんが、推奨レンズの持ち合わせがなく、手元にある手軽なレンズとして装着してみたところ、AFは特に問題なく作動していると自分で判断して使ってみました》 撮影はどちらも新しいボディのほうがいいだろうということで、どちらもα7RIIのボディを使いました。

f:id:ilovephoto:20170110002106j:image

《上:α7RIIのボディ、TECHARTアダプター、ズミクロン35mmF2:絞りF2.8・1/60秒、ISO 640、AWB》

 結果はご覧の通りです。もちろんAFは100発100中ではありませんが、目線とピントがうまく狙った右目のところにきたのを合格としました。基本的にほとんどのカットはピントは十分にきていますが、タイミングの合わせが難しいのです。つまり合焦のスピードが気になるのです。これは時には、80年も前のライカスクリューマウントレンズもAF撮影を可能にしてしまうのですから、しょうがないですね。今回は対応させていませんが、すでにファームウエアアップも発表されているので実際はもう少し早いかもしれません。結果として、ベストピントをここに掲載したのですが、ピントは合ってあたりまえで、実は最も驚いたのは1970年製の角付き2代目ズミクロンの描写です。フィルムで使っていたときはここまではわかりませんでしたが、4620万画素のα7RIIの画素等倍で見ると、みごとシャープに解像しているのです。これにはびっくりしました。自分で持っている他のライカ用35mmレンズと比較すればいいのでしょうが、目的とするところが違うので今回は省略しました。なお、ここでの掲載はノートリミングで左右640ピクセルへリサイズしていますので、その解像感の詳細はわかりませんから、モデルさんには悪いけれど画素等倍にしたトリミング画像をお見せします。ここでほめるのは解像感だけでなく、この拡大に耐えるお肌もご立派です。

f:id:ilovephoto:20170115002301j:image

《上:ズミクロン35mmF2で撮影の部分を画素等倍に拡大トリミング》 

f:id:ilovephoto:20170110002107j:image

《上:α7RIIのボディ、シグママウントコンバーターMC-11、キヤノンEF50mmF1.8:絞りF2.8・1/60秒、ISO 500、AWB》

 こちらも同じ条件で撮影してみました。このレンズは、実はキヤノンEF交換レンズ群で最も安価だったレンズで、最近一部では撒き餌レンズとかいわれる1万円するかしないかのものでした。ただ写りとしては定評があります。ズミクロンと同じように画素等倍で観察するとわずかに解像的に劣るかなとも見えるのですが、発売時の価格差もさることながら、現実としてはここまで大きくすることはないでしょうから、発色特性、露出レベルなどの個体要素を別にすれば、かなり高性能といえるでしょう。ここでの掲載はズミクロン同様にノートリミングで左右640ピクセルにリサイズしていますので、その解像感はわかりませんから、ズミクロンと同様に画素等倍にしたトリミング画像をお見せします。厳密にいうと、焦点距離の違いに加え、影距離、撮影倍率も違いますが、その点はご容赦を。

f:id:ilovephoto:20170115002302j:image

《上:EF50mmF1.8で撮影の部分を画素等倍に拡大トリミング》

f:id:ilovephoto:20170115003103j:image

《左:ソニーα7RIIボディ、TECHARTアダプターとズミクロン35mmF2の間の情報のやり取りは電子接点だけ、右:ソニーα7RIIボディとシグママウントコンバーターMC-11とキヤノンEF50mmF1.8間の情報のやり取りも電子接点だけで行われるので、それぞれ異なるレンズでのAF撮影が可能となります。つまり、レンズの撮影光学系とボディの撮像素子の間に物理的に介在するものはないので、露出やAFのレベルを別にすれば、レンズ性能そのものが写りに効いてくるのです》

f:id:ilovephoto:20170110002812j:image:right 今回のタイトルは『交換レンズの完全電子マウントがもたらしたもの』としましたが、30年前にキヤノンが完全電子マウントのEFレンズを発売してから約30年経った今日、まったくマニュアルライカレンズをAFにしたり、異なるメーカー間のレンズがAFを含めて機能したり、というような使い方は考えられたのでしょうか。すでにキヤノンでは、一眼レフフルサイズ➡ミラーレスAPS-Cフォーマットへと、フランジバックの異なるものを変換するマウントアダプターをEOS-Mとともに発売してきていましたし、シグマでは購入後の異種マウントへの交換を有料で行うサービスを実施しています。またニコン、ペンタックスも、すでに一部レンズに電磁絞りを採用して完全電子マウント化を徐々に進めています。同様にタムロン、シグマの交換レンズメーカーも絞りレバーのない完全電子マウントのニコン用交換レンズを発売しだしました。

 今後レンズ交換式カメラボディの電子マウント化がさらに進むと、交換レンズメーカーにとっては機械的な加工が少なくなり、交換レンズの種類を増やすのが楽になるでしょうし、一眼レフではペンタックスのように少数派ボディの交換レンズも作りやすくなるのではとも考えるのです。一眼レフ⇔マウントアダプター⇔ミラーレス一眼⇔交換レンズの関係が、新しいカメラのスタイルを生み出すかもしれません。 (^_-)-☆

2017-01-09

キヤノンEFマウントが登場して30周年

23:31

 キヤノンがEFマウントを採用したEOSシステム最初の機種は、1987年3月1日に発売された「キヤノンEOS 650」でした。この年キヤノンはちょうど会社創立50周年を迎えたときでもあり、今年2017年は、このEFマウントを採用したEOSシステムが登場して30年、キヤノンが創立80周年を迎えたことになるのです。

f:id:ilovephoto:20170109220133j:image

f:id:ilovephoto:20170109220131j:image:right 一眼レフへの本格的なAF機構の搭載は1985年2月に発売された「ミノルタα-7000」にまでさかのぼることができるのですが、キヤノンではその1985年の4月にキヤノンとしては初のCCDラインセンサーを利用したTTLコントラスト検出方式のAFを採用した一眼レフ「キヤノンT80」を発売しています。そのとき新聞広告は、ミノルタがα-7000の全面広告を打った翌日に、キヤノンがT80の全面広告を打つといった具合に衝撃的なものでした。結果はカメラファンならご存知の通り、ミノルタの圧勝だったのですが、それに遅れること2年、キヤノンが発売したEOSシステムは、1986年に発売された「キヤノンT90」で採用されたデザインを踏襲しながらも、交換レンズマウントには新たにEFマウントを採用したのです。このEFマウントは、カメラボディと交換レンズとの情報交換をすべて電気接点により行う「完全電子マウント」であり、AFのレンズ内駆動、電磁駆動による絞り制御など、それまでのAF一眼レフとはまったく異なった手法でカメラシステムを構築したのです。それは、今日の各社カメラシステムの根幹となる技術をも内包した、未来型のカメラシステムだったのです。

 発表会当日、当時のカメラ開発センター所長であった相沢紘さんは、右手にEOS 650を掲げ、『EOSとは「Electro Optical System」の略称で、EOSはギリシャ神話に登場する“曙の女神”の名前でもあり、将来に向かって大きく飛躍する新しいシステムの性格を象徴するもので、これからは“交換ボディの時代である”』という挨拶をされていたことを今でも鮮明におぼえています。

 このEOSシステムに採用された新技術は、AFのレンズ内駆動、電磁絞り制御などに加え、新開発の高SN・高感度ラインセンサーBASIS(Base Stored Image Sensor)、超音波モーター、ガラスモールド非球面レンズの採用などがあり、今日各社の交換レンズシステムが、AFのレンズ内駆動、超音波モーターの採用、電磁絞り制御などに向かっていることからも、いかに将来を見据えたシステムであったかわかるのです。時代は変わり2012年には、ミラーレス用としての小型・軽量を目指して「EF-Mマウント」をスタートさせていますが、マウントアダプターによるEFレンズの活用など完全電子マウントならではの特徴がフルに発揮されているのです。EOSシステムが登場した30年前といえば、一眼レフカメラシステムはボディ至上主義でした。当時はボディをないがしろにするものだという声もありましたが、カメラはフィルムの時代からデジタルへと変わり、ボディはまったく変わりましたが、交換レンズは30年前のものが、今も機能をフルに生かして最新ボディでそのまま使えるのです。30年前、EOSの発表会で相沢さんがいわれた、『これからは交換ボディの時代』といわれた意味がやっとわかった気がします。  (^_-)-☆

2017-01-02

謹賀新年 2017

23:41

 日頃のご愛読ありがとうございます。

 本年もよろしくお願いいたします。

f:id:ilovephoto:20170102233901j:image

2016-12-30

ある写真業界紙が最終号を迎えて

23:24

f:id:ilovephoto:20161230201947j:image:right 暮れも押し迫ったころ、写真業界紙の月刊「AVレポート」の最終号が送られてきました。発行人は吉岡伸敏さん、編集スタッフは吉岡眞里子さん、つまりご夫婦で「AVレポート」を発行してきたのです。通巻347号というから約29年にわたって発行し続けてきたことになります。このAVレポートの売りのポイントは、最新カメラのチャートによる性能チェック、小売店による月別カメラ販売台数、カメラメーカー等企業責任者へのインタビューなど、B5判24ページ立ての冊子なのですが、歯に衣を着せぬカメラの判断評価やインタビュー内容は時には物議を呼ぶこともありますが、少なくともある一定層の熱烈な読者がいたことは間違いないようです。

 僕と吉岡さんとの関係は古く1970年代までさかのぼります。当時、吉岡さんはダイヤモンド社を辞して、写真業界紙の「カメラタイムズ」社に在籍していた時、同じビルにいたことから知り合っていましたが、その後別の業界紙を経て、独立してAVレポート社を興したというのです。この間、取り立てて親交があったわけではありませんが、吉岡さんは海外の写真関連フェアの取材に積極的で、フォトキナを始めとして、アメリカ(CES、PMA)、フランス(サロン・ド・ラ・フォト)、中国(China P & E)、韓国などの写真関連ショーを積極的に取材されていたこともあり、ここ10年程前からは海外の写真事情を聞かせてもらう立場にありました。現在の職に就いてからは、フォトキナやCESの会場でもお会いすることが多くなり、さまざまな現地情報を教えてもらうという関係にありました。ところが2016年のフォトキナで会った時に、今年でAVレポートを終わりにするというのです。

f:id:ilovephoto:20161230201948j:image

≪2016年9月フォトキナ会場にて、右から吉岡伸敏さん、吉岡眞里子さん、ノルウェーのフォトジャーナリストTor Wetherstoneさん、Tor Wetherstoneさんは1968年から毎回フォトキナに、吉岡さんは1998年から毎回フォトキナに来ているとのこと。2人とも今回が最後のフォトキナだと話していました≫

 なぜ休刊かということになりますが、「わくわくするカメラがなくなった」というのです。それ以上は、それぞれ事情があるでしょうからと思ったのですが、これからは写真の表現分野について論評していきたいというのです。そのためには、アルルやパリフォト、韓国のビザプールリマージュに行きたいなど計画をお持ちのようでした。それもWebマガジンとしてやっていきたいというのです。それは楽しみなことです。海外の写真イベントもいいですが、この時期はぜひ日本の写真美術館を見て歩き、今までのカメラ同様にバッサバッサと切って欲しいところです。 (^_-)-☆

2016-12-01

11月のパリを報告

23:27

 11月のパリは、サロン・ド・ラ・フォト、パリフォト、フォトフィーバーなどが行われるなど、さながら写真月間です。そんなパリを訪れた報告をしました。興味ある方はぜひ日本カメラ財団ホームページ情報提供の欄をご覧ください。

f:id:ilovephoto:20161201222955j:image

 サロン・ド・ラ・フォトは、日本のCP+のようなもので、カメラや交換レンズなど機材ショーではありますが、フランスのサロン・ド・ラ・フォトにあって日本のCP+にないもの、日本のCP+にあってサロン・ド・ラ・フォトにないものというような視点で現地をリポートしてみました。まずサロン・ド・ラ・フォトにあって日本のCP+にないものは、逆に日本にあってフランスにないものをあげてみると、1)フランスのサロン・ド・ラ・フォトでは展示される写真の写真集図録はあってもカメラカタログはない、2)会場内に写真展会場が10カ所もある、3)会場内に写真書籍の販売コーナーがありにぎわっている、4)カメラとレンズメーカーはなくても写真は盛ん、5)会場内の食堂で生ガキやフォアグラが販売されワインを飲みながらゆっくり談笑できる、などです。

f:id:ilovephoto:20161201222956j:image

≪左:サロン・ド・ラ・フォトのパンフレット、中・右:会場内で生ガキやフォアグラが販売されていてゆっくりとワインを飲みながら食事ができるのです。生ガキの入った皿はネプチューン(海の神)と呼ばれていました≫

f:id:ilovephoto:20161201225958j:image

 パリフォトとフォトフィーバーは、世界の写真ギャラリーが集って、作品展示とともにコレクター向けに作品を売るのですが、ここでは日本人写真家の作品が人気です。ここで今年は、今までにない新しい動きが出てきました。森山大道荒木経惟に続く、日本人写真家を求める動きが出てきたのです。日本人写真家の人気をパリフォト会場、パリの街に探してみました。

f:id:ilovephoto:20161201225551j:image

≪パリフォト会場のタカ・イシイギャラリーで、ご自身の作品の前に立つ写真家築地仁さん≫

f:id:ilovephoto:20161201230256j:image

≪パリフォト会場で、写真家山崎博の作品を扱ったMEMギャラリー

f:id:ilovephoto:20161201231055j:image

≪パリ東駅の周辺とコンコースは森山大道の作品で埋まっていた≫

f:id:ilovephoto:20161201231057j:image

サンジェルマンの書店ショーウインドー。荒木経惟センチメンタルジャーニーのコンタクトプリント展と写真集の販売をやっていた≫

詳しくは、日本カメラ財団ホームページ情報提供の欄をご覧ください。

 

2016-11-23

It's a Sony展に寄せて(その2)  ソニー最古のレンズ発見

01:09

 去る11月14日付でアップした「It's a Sony展に寄せて」の記事中で紹介したオートスライドに付いた〈TOTSUKO SONYLIT f=5in.〉レンズに関して、その後新しいことがわかりましたので追加報告します。

f:id:ilovephoto:20161124005323j:image:right 銀座ソニービルで行われているSony展を初日に取材したデジカメWatch鈴木誠さんによれば、展示されているオートスライドは1952年製で、レンズはTOTSUKOと記せられていなく〈SONI-LIT f=125mm〉と表記されているというのです。つまり〈TOTSUKO SONYLIT f=5in.〉より3年前に発売されたオートスライドのレンズなのです。

 たしかにそのようで、まずレンズ名が‘SONI-LIT’であって、‘SONYLIT’ではないのです。これはソニーの社史にも記されていますが、SONYとなったのは1955年です。その、SONYでなくSONIと刻印されているのが注目されるところで、‘ソニー’と音引きで伸ばさずに、‘ソニ’と発音していたことがSony展の展示からわかりました。さらにLITは、リットと発音するのでしょうが、推測するにドイツのレンズにエナリット(ENNALYT)、ズマリット(SUMMARIT)というような名称のが当時あったので、レンズ名称の接尾語として使われたのではないかと考えるわけです。そしてセンチ表記とインチ表記、一般的にセンチは日本国内とヨーロッパ向け、インチはアメリカ向け表記というのがカメラレンズでは多いのです。

f:id:ilovephoto:20161124005325j:image

ソニー最初の磁気録音テープ。SONYでなくSONIだった。It's a Sony展より≫

 とか話していたら元カメラレビュー編集長の萩谷剛さんがさらに〈SONI-LIT f=150mm〉を持ち込んできたのです。こちらはたぶんケースに入っていることから、交換用レンズだろうと考えました。このケース、64年も前に製造されているのにまったく風化していないのです。1970年代に製造された各社ケースがボロボロなのに立派なものです。さらにこのレンズはどこで製造されたのだろうかと萩谷さんと話していたら、1906年創業で、戦前から映写レンズを製造していて、映写レンズシェアでは現在も70%を誇る杉藤光学の杉田社長によると、うちじゃないの?というのです。64年も前のことですから今はわからないでしょうが、古いことを調べるのは楽しいですね。いずれにしても、現在では多数の撮影レンズを製造しているソニーレンズの源流ともなる‘SONI-LIT’‘SONYLIT’レンズの発掘は意義あるものだと思うのです。

f:id:ilovephoto:20161124005324j:image

≪SONI-LIT f=150mmレンズ≫

※「その1」もご覧ください。