写真にこだわる Twitter

2016-05-25

「フラッグシップカメラあれこれ」講演会

20:56

 日本カメラ博物館では、『カメラメーカーの威信と挑戦――ザ・フラッグシップ・カメラ展』を4月5日から7月3日まで開催していますが、来る6月11日(土曜)に『フラッグシップカメラあれこれ』と題して、私市川がお話をします。フラッグシップカメラというとこの時期は「ニコンD5」や「キヤノンEOS-1DX MarkII」が思い浮かびますが、今回はこれらに至る両社の高級一眼レフの歩みを歴史的な流れのなかに分析しました。“より早く、より高く、より強く”とオリンピック憲章を目標としたような技術進歩をいつもフラッグシップ機は目指してきました。このようなオリンピックで使われるようなカメラだけがフラッグシップカメラなのでしょうか、もちろんそうではないことはご承知のことと思いますが、各時代において、それぞれの企業やジャンルにおいてのフラッグシップカメラは多数存在したのです。海外のライカ、コンタックスはもちろんのこと、国産のオリンパス、ペンタックス、コニカ、ソニー、ミノルタ、フジ、マミヤ、ズノー、ミランダ、ヤシカリコーにもフラッグシップ機は存在したのです。カメラメーカー各社がそれぞれの時代に製造したフラッグシップモデルを、さまざまなカテゴリーに分けて紹介します。

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 そしてこれら企業のフラッグシップ機を時代の変遷とともにながめてみると、技術者たちが、その時代の最新技術をいかに組み込むかと腐心したことを再発見することができます。そのような視点でもって、日本が世界に冠たるカメラ王国となったきっかけとなる35mm一眼レフ技術の黎明期の各社一眼レフを改めて見ると、現在に通じる技術者の意気込みを感じさせるのです。各機種にまつわるさまざまな逸話、本邦初公開の資料など、いまだから話せる“フラッグシップカメラあれこれ”の講演会にぜひ足をお運びください。お申し込みは日本カメラ博物館まで。

2016-05-21

自撮り棒とカメラ用の潜望鏡(改)

23:06

 縁あって“カメラタイムズ”という写真業界紙に隔週「業界写真散歩」というコラムをここ1年程前から書いています。あるとき読者から最近流行の「自撮り棒の起源について知っていたら教えて欲しい」という連絡が入りました。そこで返答をかねて、自撮り棒に関するコラムを書きましたので、以下に紹介しましょう。

 自撮り棒の起源は、1983年にミノルタカメラから発売された”ミノルタディスク7とディスク5”のシステムアクセサリーの「エクステンダー」にあります。その時点でミノルタカメラが特許も取得していたというような公式的なことをお知らせし、私見としては、自撮りとは少し違うけど70年安保の頃、デモ隊に対し機動隊員が、ポールの先端にカメラを載せて参加者を撮影していたのが最初だったと思うと伝えました。

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≪ミノルタディスク7+エクステンダー+リモートコードD(1983、ミノルタカメラニュースレリーズ写真より)≫

 ミノルタのエクステンダーは、カメラ脇にある三脚ネジ穴に取り付けて、やはり別売の「リモートコードD」を併用して電磁レリーズでシャッターを切るのですが、ディスク7の前面カバーには凸面鏡が組み込まれていて、この鏡に自分の姿が映ればアングルを外さないという仕組みでした。エクステンダーの最大伸長は約50cm、ディスクフィルムの画面サイズが8×10mm、レンズが12.5mmF2.8、風景と人物上半身の2つのピント位置にマニュアルで合わせるというものです。このあたりは、スマートフォンカメラの撮像素子面積が小さく、焦点距離が短くて、深度が深いということで、どちらも自撮りに向いているのです。

 英語で自分撮りのことをセルフィーと呼ぶそうですが、 “自撮り棒”という日本語はどこからきたのでしょうか。旅行先で自分の写真を撮りたいと思ったら三脚を使うことになるのですが、私は旅行で記念写真用に三脚を持参したことはありません。シャッターを切って欲しいときにはまわりの人に頼めば気持ちよく引き受けてくれます。観光地では、いつも積極的にシャッターを押してあげるように心がけていて、ときには3組連続でご指名なんてこともあります。つまり日本国内の旅行ではもともと自撮り棒は不要なのです。最近、自撮り棒が日本国内でも流行っているようなことを聞きますが、私の見た限りでは日本人より、中国からの観光客に自撮り棒を使う人が多いのです。

 自撮り棒を使用するのは国民性の違いがあるのかなとふだんから考えていましたが、スマートフォンのアクセサリーとしての自撮り棒の登場は、その製造国である中国の存在も無視できません。海外の関連した見本市で、自撮り棒の生産メーカーはどのくらいあるかと数年前から気になっていて、2015年のコンシューマーエレクトロニクスショーで数え始めたことがありますが、あまりにも扱う中国企業が多くて止めたことがあります。自撮り棒の普及には諸説ありますが、小型軽量なスマートフォンの登場に加え、消費者のニーズと生産がうまく一致したのが中国だと思うのです。

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≪左)長い自撮り棒で車と自分を撮影(2015、CESにて)、右)ラスベガスのストリップを歩きながら自撮り棒でひょいひょいと撮影する人。あまりにも手際よく撮影するので、後ろからついて歩きました。(2015)≫

と、ほぼその全文をここに載せてみました。

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 それそのものは特に問題ないのですが、そのコラム欄を読まれた札幌の今井貞男さんからさっそく連絡をいただきました。僕のいう“機動隊が使っていたのは”、レンジファインダーニコンSシリーズ用の「潜望鏡付きエキステンションン・アーム」とか「モータードライブ・エキステンション・ユニット」(写真左)と、呼ばれていたものだというのです。これは群衆の頭越しに目標を撮影するために開発されたもので、モータードライブ付きカメラを収めるホルダー、50cm〜120cmに伸縮する一脚からなり、最下部にはレリーズ延長コードにマイクロスイッチ付きのグリップを付けることができるのというのです。ご丁寧にその写真入り文献(久野幹雄著:レンジファインダーニコンのすべて、朝日ソノラマ)をつけて知らせてくれましたが、写真を見ると確かにその通りで、さすがニコンです。これには驚きでした。50年近く前の記憶はかなり確かなものでした。今なら手元にスマホタブレットを置き、レンズスタイルカメラを棒の先に付ければ簡単に群衆撮影システムを組み上げられます。かつて僕らはカイトフォトと呼んで凧にカメラを付けて空撮していましたが、その時に長い釣り竿の先にデジタルカメラを載せて、手元でモニターしてシャッターを切るということをやって、空撮もどきの写真を撮る仲間がいました。写真右は2004年のことです。リモートセンシングではグランドトゥールスといい重要な技法です。今では誰でもが、手軽にドローン(自律飛行の無人機)で空撮という時代なのです。

 そしてせっかくですから、もうひとつ。ペトリカメラの交換レンズには1960年代ベトナム戦争の頃、塹壕の中から先方をのぞき撮影する「ペリスコープ(潜望鏡)」というクランク型の200mmの望遠レンズがあると、50年ほど前のアサヒカメラの記事で文章だけで小さく紹介されていたと記憶しているのです。いずれにしてもニコンの潜望鏡付きエキステンションン・アームとペトリのペリスコープレンズは、現物を見たことがないのです。先人たちのアイディアを、やがていつかは写真か本物でぜひ拝んでみたいものです。()^o^()

■その後わかったこと。

 SNSの世界は素晴らしいです。このレポートをアップしてから、すぐにいくつかの指摘をいただきました。棒の先にカメラを取り付けたのは、1964年の東京オリンピックの時に、聖火台に火をつける所をねらったそうですが、その写真付きで横浜の桑山哲郎さんからご指摘いただきました。また、ペトリのクランク型ペリスコープレンズ札幌のMichihiko Endoさんより、これでは(M42、100mmF4.5)ないかとお知らせいただきました。

 実は、記事をアップすることにより、新事実が明らかになるのではとひそかに期待しておりましたが、ずばりその通りになりました。ご指摘ありがとうございます。残るは、ニコンの「潜望鏡付きエキステンションン・アーム」の実物を拝んでみたいものです。木箱に入ってセットになっていたそうですから公官庁の払い下げ品の中にあったのではと思われます。

■さらに追加の新情報です。

f:id:ilovephoto:20160524214542j:image:right 船橋の後藤哲朗さんによると、1964年の東京オリンピック聖火のリモート撮影は「ニコンF+モータードライブ」だったそうです。竹竿の上に付け、伸ばしたリモコンのボタンを手元で押すことによりシャッターを切ったようです。すでにSシリーズ用にレリーズ延長コードとマイクロスイッチ付きのグリップが用意されていたので、1959年発売のニコンFが使われたとしても不思議ではありません。

 そして報道機関独自の工夫か、あるいはニコンの報道機材部門が協力したのかは不明だそうです。さらにどんな報道機関が撮影していたのかはやはり不明で、動画記録では、青い空を背景にした赤いせっかくの点火の背後でゆらゆら動いているのがわかるそうですが、どんな光景が撮影されたのかは、わからないそうです。そのシステムで撮影したようなカットを今までに見たことがないので、もしご覧になった記憶、実際の写真や印刷物を所有されていたらご一報いただきたいそうです。

 いずれにしても竹竿の上にニコンFを付けてリモート撮影するには、大学応援団の団旗などを持つのと同じように、専用支持ベルトを腰につけたりすることなどと、かなりの体力を必要とします。加えて潜望鏡機能は付加できなかったでしょうから、ファインダー像を下から覗くことはできなかったはずですので、思ったとおりのアングルで撮影できなく、苦労したのは間違いないなく、それで撮影した記録写真が公開されていないのもカイトフォト経験者としては納得いくのです。(^^)/

2016-04-19

ノンライツRF友の会写真展に参加します

14:49

 僕が懇意にしている写真愛好団体である“ノンライツRF友の会”の写真展「吾唯知足」が、日本カメラ博物館のCLUB25で5月3日(火)〜8日(日)まで開かれます。今回で10回目の写真展開催ですが、昨夏のソニーイメージングギャラリー銀座での展示に引き続き、ゲスト参加することになりました。展示参加メンバーは、会員の8人に僕を加え9人となります。展示テーマは、「吾唯知足(ワレ、タダ、タルヲシル)」とありますように、特に作品としては共通させていることはなく、それぞれの場と力量に応じて、ということになるのでしょう。

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f:id:ilovephoto:20160419143228j:image:right このノンライツRF友の会とはどんなグループかということになりますが、いまから10年以上前に発足し、ライカを含め、それ以外のレンズ交換式レンジファインダーRF)カメラや交換レンズを使って楽しもうという趣旨の団体です。特にレンズの選択にあたっては、シネ用レンズを改造して距離計連動のライカスクリューマウントにして使うことも多かったのですが、最近のミラーレス一眼の登場により距離計連動でなくても、それぞれのレンズの特徴を生かしてライブビューでしっかりとピント合わせできるようになり、いまではマウントアダプターさえ入手できれば手軽に楽しむことができるのです。

 会期中にはスペシャルトークイベントとして、2004年に世界初のレンズ交換式ノンライツRFデジタルカメラとして登場した“エプソンR-D1”の開発担当責任者であった“枝常伊佐央さん”をゲストにお招きして、「ノンライツRF機で写真が楽しくなった」を開催します。当日は、デジタルRF機とミラーレス一眼カメラ、交換レンズ、インクジェットプリントなどについて、ノンライツ会員、参加の皆様と共に語り合えればと思います。皆様の参加をお待ちしています。《開催日時》 5月8日(日曜日)、14時〜15時30分 《開催場所》日本カメラ博物館 クラブ25(写真展会場)《入場》 無料 《予約申し込み》不要

 さて、この写真展で僕が何を出展するかということになりますが、この“ノンライツRF友の会”はきわめてまじめな会でありまして、日常から有志でプリントのお勉強会や撮影会を行ったり、カメラやレンズ技術の話をSNS上でやっていますが、その撮影会でのカットを、プリントお勉強会での成果として得られた1.5×1mの大型プリントで披露します。 (^^♪

2016-03-24

ニコン大井製作所101号館

11:34

 このたび、ニコン大井製作所の、最も古い建物である101号館が解体されるというので、その前に見学させてくれるということから、3月の上旬に見に行ってきました。この101号館は、1933(昭和8)年に竣工されたというから、いまから83年も前のことになります。日本光学工業の創業地は文京区で1917(大正6)年のことでした。その翌年1918年に大井町に工場を作ったのです。101号館は当初は1号館と名づけられていたそうですが、1号館の建設は1933年ですから、それ以前はノコギリ歯状屋根の平屋建て工場があったそうです。

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ニコン大井製作所101号館、83年もの風雪に耐えた建造物ですし、かつてはさまざまな光学機器がこの建物で設計され、試作され、製造されていたことでしょうから、歴史の重みを感じさせ威風堂々とした建物に撮影するためにはと事前に考慮して、超広角レンズを持参した成果です。もともとはこの左側にも建物(103号館)がありましたが、先に取り壊されたようです≫

 この1号館は5階建てで、5階:調整用展望台、4階:調整室・設計室・図書室・陸海軍製品検査室など、3階:レンズ研磨室・バルサム室など、2階:仕上げ場、組み立て場、1階:機械場、地階:ロッカールーム、・作業室・長尺物の調整室が当時あったとされ、1935年に5階部分が増築されています。1939年当時の大井製作所の工場配置図を見ると、別の建物に硝子研究室、硝子溶解室、汽缶室、金属修理場、食堂などがあり、道を挟んだ向かい側の敷地には本社事務所、硝子工場、木工場、メッキ場、反射鏡工場、検査室、倉庫などを見つけることができます。硝子研究室、硝子溶解室、反射鏡工場などは、光学メーカーニコンならではの現場です。

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≪1939年当時の大井製作所の建物配置図。この地図で、左に行くと現在の横須賀線西大井駅へ、右に行くと光学通りを通って京浜東北線大井町駅となります。左下あたりが、現在の新社屋・大井ウエストビルあたりでしょうか≫

 戦前ニコンは軍需光学機器製造会社であったことはよく知られていますが、戦後は民需の光学機器メーカーへと転換を図っていきました。1967年発行された日本光学工業の社史『50年の歩み』によれば、「1945(昭和20)年、終戦によって民需品への生産転換の際、写真レンズと映写レンズが生産品種に採り上げられ、まずニッコール35mmF3.5の製造が同年12月に再開された。」とありますが、戦前の1935(昭和10)年には精機光学研究所の距離計連動機ハンザキヤノンニッコール50mmF3.5を供給するなど早くからいくつかの写真レンズを開発していました。そして1948年にはニコン初のレンズ交換式距離計連動機のニコンカメラ(ニコンI)、1959年には一眼レフニコンF、1971年にはニコンF2、1980年にはニコンF3などと続く歴代のフラッグシップ機が、この101号館で設計図面が引かれ、試作がなされ、組み立てられ出荷されたというのです。さらには1978年には現在のニコンのもう1つの柱である「半導体露光装置ステッパー試作1号機」が、1981年には「半導体露光装置量産1号機」が、やはりこの101号館地下にて最終調整され、出荷されたというのですから、ニコンの技術者、関係者にとっては感慨深いものがあると思うのです。

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≪101号館1階廊下。この暗く長い廊下は、カメラの実験場としても使われていたそうです。かつてはこの廊下を技術者たちが忙しく行き来していたのでしょう≫

 ところで、僕が初めてニコン大井に行ったのは1970年の6月頃のことだったと記憶しています。大学を卒業したばかりの雑誌編集部員であったころで、まずは写大(現在の東京工芸大)と千葉大に連れて行かれ、その次は日本光学工業の大井工場に行きました。先輩が同行してくれるのは最初だけで、以後1人で行くのですが、当時はニコンFの開発に関係したN課長とH課長の所に原稿や資料を受け取りに行くのです。ある日N課長を午前10時半ごろ訪ねると、応接間に通されて、お茶をだされしばし待つと、受付の女性もどうしたのでしょうねと心配されたのですが、待てど暮らせどでてこられなく、お昼になったら暖かいカツ丼がでてきたのです。そして何度か暖かいお茶をだしていただき、ただひたすら忍耐で待っていたら、夕方の4時過ぎになったら「ごめん、ごめん、忘れていた」といって、でてこられたのです。後でわかったのですが、当時あるプロジェクトが動いていてお忙しかったようです。そして別の日には、もう1人のH課長といろいろとお話していると、髪の毛が長いから短く切りなさいというのです(当時は長髪が流行っていました)。いずれにしても当時も今も、腹の立つことではなく、むしろニコン大井の楽しい思い出として笑い飛ばしているのです。で、ここまでは本題ではなく、まったくの序論なのです。以後、40年近く、ニコン大井には何回も足を運んでいるのですが、その回数は数えたことがないぐらい複数回でした。ところが現在の新社屋ウエストビル(当時の硝子工場あたりか)ができるまで、いつも通されていたのは地図の下側中央にある本社・事務所の応接間だったのです。今回、101号館に初めて足を踏み入れたのですが、その奥行きの広さ、周辺の土地の広さに驚きました。そして、その昔には各種の作業場があったということです。僕が、訪れだした1970年代は、N課長も、H課長も本社・事務所の地図上で右隣あたりの建物から出てこられていたような気がするのですが、1939年当時の建物配置図からはよくわかりません。いずれにしてもその当時はカメラの生産ラインが101号館にあり、たぶんニコンFを作っていたはずで、あれだけ長い待ち時間があれば組み立て工程を見学したかったのにと悔やまれるのですが、あまりにも昔のことなのです。もちろん、その後、水戸ニコン仙台ニコンでカメラの組み立ては見学しました。さらにタイ工場もと誘われたこともあったような気がしますが、未だ実現していません。(笑)

 101号館は4月には解体が開始され、1年半かけてとりあえずは更地になると聞きましたが、2017年にはニコンは創立100年を迎えるので、その後どのように変わって行くのか興味は尽きません。

2016-03-10

ちょっと気になる中国レンズ

14:03

 2月にパシフィコ横浜で開催されたカメラと映像の祭典「CP+2016」では、新ポラロイドの上陸、ドローンロモグラフィーなど話題の海外写真企業が出展しました。そんな中で、専門筋の人たちに注目されたのが、中国レンズメーカーの参加と品ぞろえです。限られた本数ですが、ここでは中一光学から2本、KIPONから2本拝借して、合計4本を会場で試写させてもらったので、中国レンズの実力を報告しましょう。

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≪中一光学(Shenyang Zhongyi Optical Electoronics Co.,Ltd):左)Mitakon SPEEDMASTER 135mm F1.4、右)Mitakon SPEEDMASTER 50mm F0.95≫

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≪KIPON(上海伝視影器材有限公司):左)HandeVision IBERIT 50mmF2.4、右)HandeVision IBELUX 40mm F0.85≫

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マウスコンピュータのモデルさん:上記4本のレンズのうちの1本の撮影結果です。4本ともすべて絞り開放で撮影しました。表情がもう1つ、ピントがいまいち、とかいうのはすべて僕の腕のせいです。それでも同じ場面を複数枚シャッター切ったなかでのベストショットです。この写真、どのレンズで撮影したかわかりますか。いかがですか? ≫

 いずれにしましても、左右640ピクセルの画像では判断するのは難しいので、全撮影結果を画素等倍まで拡大して見られるようにと、いつものように「京都MJのサーバー」にアップしてありますので、詳細はそちらをぜひご覧ください。 (^_-)-☆

2016-02-29

くつがえるカメラ技術の常識 「CP+2016を終えて」

17:33

 パシフィコ横浜で開かれた「CP+2016」も無事終了しました。今年は例年になく各社からCP+のタイミングに合わせた新製品の発表が相次ぎ、少なからず関係者でもある僕も、それぞれの技術発展を見ていると新しい動きが見えてきて久しぶりに楽しいカメラ月間でした。昨年から今年になって発表された機種から大きな流れとして見えてきたのは、イメージセンサーの高画素化と高感度化、画素子に対する集光効率の向上が図られたことです。僕が参加したパネルディスカッションはそこが論点でした。

 イメージセンサーの高画素化はキヤノンが2015年にキヤノンEOSD5sとEOSD5sRを5,060万画素で発売して、その後同社の技術展示で35mmフルサイズで1億2千万画素、APS-Hで2億5千万をやればできますよと発表して、何となく高画素競争はピリオッドが打たれた感じです。

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≪25日、15時から行われた各社上級エンジニアによるパネルディスカッション。一番左が僕です≫

 そしてもう1つは高感度化、ニコンD5では拡張でISO300万相当、D500も拡張で200万相当だというのです。この2機種のセンサーは画素数が2,000万というわけですから1画素のピッチも6.4μmと4.2μmとそれぞれが大きいのですが、それにしてもISO300万相当の感度というのは僕にとっては未体験ゾーンです。そしてリコーのペンタックスK-1は、拡張感度というくくりはありませんがISO20万相当で使用できるのも驚異です。このカメラのセンサーは3,640万画素で、画素ピッチは4.87μmと、ニコンD810、ソニーα7Rと近似だと思うのですが、一気にISO20万相当というのは、ニコンもそうでしたが、何か増感現像回路とか、新しい考え方が導入されたのでしょうか。そして極め付きは集光効率の向上です。こちらはソニーα7R MarkIIで裏面照射タイプCMOSの採用で、ライカの広角レンズが周辺光量の低下がなく、色付きがなく、そして高感度を喜んでいたら、α6300は新開発のExmor CMOSセンサーで、配線層に銅を採用して集光効率の向上とうたっているのです。自社の新技術に対し別の技術を追いかけでぶつけてくる、これらの技術進歩には驚きです。

 いままでデジタルにおいては、1画素の寸法が大きければ、高感度が得られ、高画素だと1画素が小さいので高感度に弱い、デジタルは撮影レンズのテレセントリック性が大事とかいわれてきたのですが、わずかここ数年ですべて逆転してしまった感じがするのです。そして最近は、手ブレ補正機構をONのままで三脚撮影はOKなど、いままでの常識が常識でなくなってしまったのです。これでは、写真をアマチュアの方に教える先生方も大変です。フィルムの時代には写真知識の常識は長い時間を経ても、ここまではでに逆転するようなことはなかったのです。だからデジタルの時代は面白いのです。

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≪25日のオープニングテープカット≫

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≪最初からアウトレットコーナーや中古カメラフェアにに並ぶ人もいるのです≫

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≪今年から新設されたCP+に向けて発表された新製品の中から入場者が選ぶ“ワールドプレミアムアワード”には、レンズ交換式カメラ部門:キヤノンEOS-1D X MarkII、レンズ一体型カメラ部門:キヤノンPowerShot G7 X MarkII、交換レンズ部門:シグマ50-100mm F1.8 DC HSM Art、フォトアクセサリー部門:ケンコー・トキナー激落ちくんカメラレンズクリーナー。なお「CP+2017」は、2017年2月23日(木)〜2月26日(日)に開催が予定されています≫

2016-02-03

まだまだカメラのイメージセンサーは進歩する!

01:50

f:id:ilovephoto:20160204014250j:image:right キヤノンから「EOS 5Ds」と「EOS 5DsR」が発売され、5,060万画素で常用感度ISO100〜6400、拡張感度ISO50〜12800に驚いていたら、ソニーから「α7R MarkII」が発売され、裏面照射式の4,240万画素、常用感度でISO100〜25600、拡張感度でISO50〜102400とその高感度とライカの超広角レンズでも周辺光量の低下の少なさに感激していたら、ニコンからD5が発表され、2082万画素だけど、常用感度でISO100〜102400、拡張感度でISO50〜3280000相当の感度が得られると知って、ISO328万てどんな感度とびっくりしていたら、キヤノンから「EOS-1DX MarkII」が発表され、フルサイズで2,020万画素、デュアルCMOS AFセンサーで、常用感度でISO100〜51200、拡張感度でISO50〜409600だというのです。それぞれに驚いて、感激して、びっくりしていたら、今度はパナソニックが“有機薄膜を用いたCMOSイメージセンサーによる広ダイナミックレンジ化技術を開発”とぶち上げたのです。多くの一般ユーザーからは、もうお腹一杯という感じの声を聴きますが、これは高解像度に対してだと思うのです。その高解像度に関しては、昨年11月の「Canon Expo 2015」では、フルサイズで1億2000万画素の一眼レフAPS-Hサイズで2億5000万画素のカメラが技術展示されました。用途はそれぞれですが、やればできることを示したわけです。

 さて、今回パナソニックの発表した技術は、現在は学会発表段階で実用化への道は未知数ですが、少なくともこの時期に発表するということは、いずれやがてはと期待できるわけです。パナソニックによると、富士フイルム製の有機薄膜を用いたCMOSイメージセンサーで、明暗差の大きいシーンを、従来比100倍のダイナミックレンジまで、時間差なく撮影できる広ダイナミックレンジ化技術を開発し、光電変換を行う有機薄膜と回路部での電荷蓄積機能を独立に設計可能な特長を活かし、従来は困難であった、ダイナミックレンジ123dBの明暗差のあるシーンの撮像においても、明るい場所でも白とびなく、暗い被写体でも鮮明で質感豊かな映像を再現するというのです。この技術発表は、2013年6月11日に富士フイルムがパナソニックと「有機薄膜を用いた有機CMOSイメージセンサー技術を開発、業界最高のダイナミックレンジ、感度により、鮮明で質感豊かな映像が可能」として発表していたのを、改めてパナソニックが、この2016年1月31日〜2月4日に米国サンフランシスコで開催された国際学会ISSCC(International Solid-State Circuits Conference)2016にて発表し、プレス発表したのですから、より現実に近づいたのでしょう。

 その原理イラストを下に示しますが、入射光線範囲を60°に拡大し、忠実な色再現性が可能。従来比1.2倍の感度を実現し、暗いところでもクリアな映像を撮像可能ということで、監視・車載用カメラ、業務放送用カメラ、産業検査用カメラ、デジタルカメラなど幅広い用途に提案していくというのです。

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≪裏面照射タイプCMOS撮像素子(左)と有機薄膜CMOS撮像素子(右)との比較≫

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≪高ダイナミックレンジを達成するために1画素2セル構成の技術がとられている≫

 さて、ここで僕なりの考え方を示しますと、企業が技術開示するときには、実現が間近なときと、そのプロジェクトチームが解散するときに、せっかくだから今までの成果を世間に紹介して記録として残しておこうというのと、2種類あると思うのです。僕は技術雑誌の編集を約40年間やってきましたので、多くの事例をつい数年前まで見てきました。その経験からの考えですが、今回の技術発表は前者の例であると思いたいわけです。

パナソニックは、2013年にはカラーフィルターを用いずにマイクロ分光素子を用いた回折現象によりR.G.B.を分光する別のイメージセンサー技術を発表しています。