映画の中のユダヤ人 1 スピルバーグ編

イスラエルパレスチナ人に対し、人権無視の非道な行為を数多くやってきた。今回のガザ侵攻で1300人以上亡くなったとされているけど、以前には数万人単位の虐殺があったという事実も残っている。そんなこと日本人は殆ど知らないと思う。憶えてないといった方が正確かもしれない。マスコミはほとんど無視を決め込んでるし、取り上げたとしても大きな問題にはしなかった。
僕らがユダヤ人に最初に抱くイメージは、ホロコーストで大量虐殺された可哀想な民族といった感じか?そんな酷い目にあった被害者が、虐殺の加害者になってることと結びつかないんだよね。世界も同様の立場。ヨーロッパはずっと差別してきた贖罪の意識もあって、イスラエルに対し強い事は言わないし、アメリカともなれば、政治・金融・メディアをユダヤ人に支配されてるので当然何も言わないし、言えない。イスラエルはそんな状況を巧みに利用しながら、やりたい放題できたのかもしれない。
アンネの日記は僕らが子供の頃に学校で習った記憶がある。
ユダヤ人は知性があり、商才に長けた民族とよく言われる。でも、それは彼らが流民として生きていく上で必要不可欠な武器として認識していたからに他ならない。外国に行けば、(差別されるので)普通の職には就けないので、誰もやらない・やりたがらない仕事を自らの知恵で開拓していったのだ。それが金貸しだったり、弁護士だったり、映画産業だったり、金のなる木を育てていったんだよね。外国の連中がそれに気付いた時には既に遅し。彼らの牛耳っている世界で、身の置き場がないわけ。そりゃ、嫉妬の嵐が渦巻くよね。当然、差別が激化し、排斥運動が起こるのだ。

さてハリウッドの映画産業を作り上げたもユダヤ人の移民だった。映画という新しい娯楽ビジネスに注目したんだね。現在も、監督、俳優、ミュージシャン・・・と60%以上がユダヤ人というんだから驚きだ。その中でも有名なのはスティーブン・スピルバーグが筆頭だろう。数々の娯楽エンターテインメント作品を作ってきたんだけど、異色の作品もいくつかある。ユダヤ人を扱った映画だ。彼はお金も地位も手に入れていたが、名誉だけは手にしていなかった。彼は無冠の帝王と呼ばれていたのだ。だからアカデミー賞が欲しかった。そして作った映画がシンドラーのリスト 審査員はユダヤ人が多い事で有名。実際、歴代の受賞作にはユダヤ人関連のものが多かった。彼は念願叶ってこの作品でアカデミー監督賞・作品賞のダブル受賞を成し遂げたのだ。
 
この映画は観た人も多いと思う。第二次世界大戦時のナチス・ドイツによるユダヤ人の虐殺の中、企業家でナチス党員でもあるオスカー・シンドラーが1,100人以上ものユダヤ人の命を救った実話を描いた作品。とことんグロテスクに描いてることもあって、この映画を観て世界中の人がユダヤ人に対して気の毒な感情を持っただろう。二度観たくなる映画ではないけど、鮮烈な印象が残ってしまうのだ。そしてホロコーストを扱った映画は僕らが忘れそうになる頃に、定期的に作られていった。それがユダヤ人の策略によるものなのか、深読み過ぎるのかもしれないけど効果は発揮されていると思う。
    
この中ではライフ・イズ・ビューティフルが一番好きだけど、これってイタリア映画なんだよね。でもイタリア系・ユダヤ人が作ってるよ。それに全作品、何らかのアカデミー賞を受賞しているのだ。
もう一本、ユダヤ人を扱った映画ミュンヘンだ。1972年のミュンヘンオリンピック事件後のイスラエル諜報特務局による黒い九月に対する報復を描いた作品なんだけど、この内容は賛否両論を呼んだ。

ミュンヘン
 
あらすじ
1972年9月5日、ミュンヘン・オリンピック開催中に、パレスチナゲリラ“黒い九月”によるイスラエル選手団襲撃事件が起こる。人質となった選手11名は全員死亡。これに激怒したイスラエル機密情報機関“モサド”は、秘密裏に暗殺チームを編成、首謀者11名の殺害を企てる。リーダーに任命されたアフナーは、仲間4人とともに殺害を実行していくが、次第に自分たちの任務に疑問を感じ始めていく。

僕はこの映画をとても評価してるんだけど、当事者のイスラエル人・パレスチナ人の双方にとって、この映画は噴飯ものだったらしいんだよね。言うなれば彼自身のパランス感覚がそれを招いたのだ。イスラエル側から描きながらも、完全擁護するわけでもなく、パレスチナ人も決して悪者として描いてない。同じ人間として描こうとするスピルバーグの姿勢がいかんなく発揮された傑作なのに、それが彼らにとって中途半端に映ったに違いない。両者の不満とは何か?少し内容に触れてみよう。
 実際の映像
そもそも発端となったこの事件。パレスチナゲリラが選手を全員死亡させたというのは事実と異なり、実際は西ドイツの狙撃犯によるものだったらしい。しかも人質もろともパレスチナ人の誘拐犯を狙撃することはイスラエル政府の合意の上だったというから驚きだ。ってことは、その後の暗殺計画は全く根拠のないもの。イスラエルの自作自演てことになるよね。実際,イスラエルはそれに乗じて、パレスチナ空爆も行ったらしいから、パレスチナからすれば許しがたいこと。スピルバーグがそれを描かなかったことで、パレスチナ人は当然頭に来たわけ。
これってイスラエルのいつものやり方らしいんだよね。でっちあげでも何でも相手に反撃する理由を作ってから攻撃を開始する。今回のガザ侵攻も、「ハマスがミサイル攻撃をしてくるから」という理由があったでしょ?そう考えると本当にミサイル攻撃があったのか疑わしくなるね。ついでに言うとアメリカも同じ。真珠湾攻撃、9.11テロどちらも相手にやらせて戦争をおっ始める。イスラエルアメリカのマネをしてるってことかな。
映画に出てくるパレスチナ人は一人として悪党は出てこない。知的で、家族想いの普通の人として描いている。かたや、主人公ら暗殺チームは自分たちの任務に疑問を持ち始め、自らの任務が結局はテロと変わらないのではないか、というところまで悩むわけだ。スピルバーグは同じ人間として描くことで配慮してるつもりなんだけど、パレスチナ人はこの描き方には納得いかない。ユダヤ人の苦悩を描いてるのに、パレスチナ人のそれを描いてないから十分じゃないというわけだ。ユダヤ人もこれを観て納得いかない。パレスチナ人への配慮的描き方が我慢ならないんだね。更に主人公がイスラエルを離れ、組織への協力を拒む段になると「イスラエル批判」と受け取る始末。もう、こりゃ批評なんて成立しない。スピルバーグは両者から完全に嫌われてしまった。まあ、それで良かったのかもしれない。彼の作家性が失われるよりはマシと考えるしかないよね。
スピルバーグ「あくまで史実に触発されてつくった物語」と語ったらしい。つまり事実を忠実に描くことが目的ではないということだ。これも一つの在り方だと思う。ただ僕ら観客は、このまま全て事実として受け取ってしまいがちだ。事実を扱う時はこういう危険性が伴う。どこが本当で、どこが嘘かなんて調べない限り判らないことだからね。ドキュメンタリーでさえ作家の視点が事実をねじ曲げることがあるのだから公平なものなんて成立しないのかもしれない。次回は意図的に事実をねじ曲げたユダヤ人によるプロパガンダ映画を紹介したいと思う。今回はこれまで。