ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

沈黙のうちに反芻する時間を

中東情勢とイスラーム問題と言論の自由日中韓の島を巡る問題と(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120917)....何やら、騒々しい世の中ですね?
新聞なども、気がつくと(このレベルの記事って、私が小中学生頃には確か、『小学生新聞』『中学生新聞』に掲載されていたのに。随分、知的低下が著しくなったのか、読者に迎合しているのか、一体何なんだろう?)と思わされ、がっかりします(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080208)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101020)。だから、努めて堅い本を読むようにしないと、本当に人生が消耗してしまいそうです。
「両論併記」「公平に両者の話を聞く」「知識人は弱者の立場に立つべき」「自分で判断しなさい」みたいな一見もっともらしいことが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090411)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120322)、それこそ「大学の先生」「知識人」を名乗る人から言われると、(それって、ただ無責任で混乱の種をまき散らしているだけじゃないの?)と感じたりします(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120521)。
昨日、近くの小高い山やご近所を二時間以上、歩き回って考えていました。
ただ忙しく動き回って活動するだけではなく、沈黙のうちに、ゆっくりと反芻する時間を持つことは、決して人生の敗北ではないんじゃないか、と。
肩書きを持つ人の発言が必ずしも正当とは言えないこともあるのに、表面的にはそれが優勢な傾向を持って、周囲の人々に迂遠を強いていることもあるんじゃないか、と。
パイプス先生も、ここ二週間ずっと忙しくて、それこそ本当にヨム・キプールどころじゃなく、自発的に私が翻訳送信を控えたことは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120926)、結局のところ、正解だったようです。やっぱり本音はゆっくりしたいのでしょう。基本的に、発言は強気でも、もともと控えめな性格だと言われている方なので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120127)、非ユダヤ的な周囲の米国環境に合わせていらっしゃることと、休んでもいられない世界状況があるからでしょうねぇ。「細やかな心遣いを感謝するよ」と、メールが来ました。「雄弁な英語だね」「もっと楽になれる時が来るのを楽しみにしているよ!」と。
いつも思うのは、パイプス先生が40代から50代の頃だったら、それこそ私みたいな者を相手になんかされなかったでしょうが、状況が変化したということ、いろいろな意味で思い入れのある日本にも、自分の理解者、支援者、応援者が欲しいという年齢になられたんでしょうねぇ。
実は、ジョン・L・エスポジト教授が(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111221)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120122)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120126)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120127)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120321)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120904)、この忙しい最中に「トルコの新聞で、また自分の悪口を名指しで言った」ということで、わざわざ「僕のブログ、見てくれた?」と書き添えてありました。えぇ、読みましたけど、もう私、この特有の話題には飽き飽きしてしまいましたよ!
...と、返事を出しました。日本語ブログでも、もう来日直後から書いてます、と。
パイプス先生から見ると、こうして私が気楽そうに自分の言葉で自由に書き綴ってきた内容でさえ、「新しくて重要」なのだそうです。「何らかの方法で公表するといいね」と。来ました、来ました。自分の味方としてちょっと引用したいんでしょう?でも、その手には乗りませんよ。

そこで再度のお返事。

(1)人の悪口を不必要に言いたくはないが、先生が、ご自身についての批判を心配されていることは充分に理解できるので、(日本語で公表されていることや、自分の経験の範囲で)追加しなければならない点があると思った情報については、先生にメールでお伝えしている。
(2)確かに、日本語ブログで書いた内容を基に、英語でも小さなエッセイを書き始めたが、長い間中断している。その理由は単純だった。
(3)翻訳された先生の著述の方が、説得力があり、重要で、興味深いと思ったこと。
(4)相手と同じ次元になるべきではないこと。おもしろいと思う人もいるかもしれないが、醜く見える。
(5)私達は、品のいいやり方で自分の仕事に集中しなければならない。言葉で人を攻撃するのではなく。

すると、余程気になっていらしたのか、またお返事が届きました。
「わかったよ。時間には限りがあるからねぇ。人は、できる限り効果的だと思う方法でやりたいからね」と。でも、どうやらまた、サラエボでも自分を「最大の敵」と言われたらしく、ブログに載せようか、と。
私のお返事。

エスポジト教授はカトリックだとご自分でおっしゃるのに、先生について『敵』なんて言葉を使われたなんて、とても悲しいですね。『汝の敵を愛せよ』という教えは、もう失われてしまったんでしょうか。でも、かつては先生のことを、エスポジト教授は『明敏で、充分に訓練されて、経験豊かな専門家だ』って褒めていらっしゃいましたよ。ずっと前に何かのウェブサイトで見たことがありますが」。


「ただ、私が懸念しているのは、世界中で、ナイーブな人達が盲目的にエスポジト教授の言うことを信じてしまうかもしれないことです。人々がもっと批評眼を持つことを期待しましょう」。

これは、取りようによっては、パイプス先生に対する一面の皮肉でもあるので、さすがに応答はありません。
ともかく、専門とする地域が重複するのに、立脚点と解釈がまるで正反対なことから、昔はそれなりに、相互引用したり一緒に仕事もされていたのに、長期に及ぶ二人の激しい舌戦バトルは、中東アラブ・ムスリム諸国とユダヤイスラエル国家の対立を、米国内で非常に鋭く反映しているようです。
国連、国連とは言うものの、アメリカがイスラエルを守らなければ、多数決の場合、国家存続上、負けてしまう可能性が高いので(昨今では、英国やフランスは当てにならないし、中国とロシアに至っては....)、普段からおさおさ怠りなく、必死になって蠅叩きのように叩いておかなければ、という心境なのでしょうか。
それにも関わらず、立派な肩書きを有する偉い先生達が、「それではアメリカの外交政策にも益するところがない」などと本に書いたり大学で教えたりすると、気が気じゃないでしょうねぇ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120807)。
ただ、一般人にもアピールするように工夫しているつもりが、相手にしているうちに、おかしな方向へ行ってしまう危険性は、確かにあります(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120804)。
今回の、言論の自由イスラーム映像の話だって、あのロバート・ハント先生でさえ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120419)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120507)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120522)、「お互いの知識を持つことが、相互理解や相互尊重につながるとは期待しないように」という結論を出すようになったのですから...(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120926)。確かに、マレーシアやシンガポールやウィーンなどでも、あれほどイスラーム理解に努め、身をかがめて一生懸命架け橋に尽力してきたところが、結局は、全員ではないにせよ、目立つような形で大勢のムスリムが国旗を燃やして反米感情を各地で繰り広げる映像を見せられると、脱力もしますよね?
先程、パイプス先生の新しいテレビの映像でも、若い女性キャスターに「ここ連日、大変でしょう?」と言われて、「これは私の専門ですから」と答えていらっしゃいましたが、本当にお疲れのようでした。ネクタイが曲がっているのは昔からの癖だとしても、10分程度、メディアで話すというのは、見えないところで相当の準備時間と神経とエネルギーを使うのではないでしょうか?