ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ハマスとイスラエルの紛争から

11月10日から、ハマスイスラエルの紛争が続いています。もちろん、仕掛けたのはハマスの方が先で、ロケット弾が三桁、集中してガザからイスラエル国境内へ飛んできたので、イスラエルも防衛として報復に出たということです。
イスラエルの各新聞の要約を箇条書きしたメーリング・リストから、部分的に引用いたしますと...

・週末から日曜にかけてガザからの砲撃は100発以上に達し、スデロットで3人が負傷。国防軍もガザに対する報復攻撃。
・日曜夜、ガザの武装勢力国防軍の間で非公式の停戦合意が成立したが、再びガザから10発余りの砲撃。国防軍ガザ地区空爆した。ハマスは新たな停戦について他の武装勢力と協議中。
・4日間にわたりロケット砲攻撃が止まらないため、国防軍ハマスの軍事最高司令官ジャバリを空爆により殺害。ガザにある長距離ミサイルの発射拠点なども攻撃した。ハマスは報復を宣言。
・ネタニヤフ首相がオバマ米大統領ハマスの軍事最高司令官の殺害について説明。大統領はイスラエル自衛権を認めた。
・エジプトのムルシ大統領はイスラエルのガザ攻撃を激しく非難。テルアビブ駐在のエジプト大使をイスラエルから召還した。

2012年 11月 16日時点では、次のように伝えられました。

・ガザとイスラエルの戦いが激化。国防軍は約320の標的を空爆し、ガザ地区からは300以上のロケット弾が南部に着弾
・ガザからの砲撃で、南イスラエルの住人3人が死亡。テルアビブにもロケット弾が着弾した。ガザ側でも十数人の死者。

ダニエル・パイプス先生は、三泊四日の予定で、例年開催されているフロリダでの会合に明日までいらっしゃるのですが、一足早めにフロリダに着いたところ、突然、11月12日に呼ばれて、20分ほどイランのテレビ討論に登場されました。ガザとロンドンにいる二人の興奮状態の「人権」活動家に対して、(嫌々ながらも)落ち着き払って、イスラエル自衛権を主張されていました(http://www.danielpipes.org/12194/israel-hamas-war)。ちょうど映像を見終わったところで(何だこれは?変なの)と思っていたら、そこへ、何ともタイミング良く、パイピシュ先生から読者宛のメーリングリストがピンと音を立てて届きました。

イラン・イスラーム共和国の24時間英語ニュース番組“Press TV”に昨日出演しました。テヘランに本部があります。ここをクリックして討論を見てください。その番組はニュース分析で、トピックはイスラエルハマスの間の戦争の可能性でした」。

「“Press TV”は、その討論に意味不明な見出し『活動家:西側の支援を見込んでイスラエルがガザを攻撃する』をつけています。25分(ママ)番組の私の討論相手は、反イスラエル派の喚き散らす二人でした。(市民権を放棄したアメリカ人)Kenneth O'Keefeと(自由ガザ運動の)Adie Mormechです。楽しい種の番組ではありませんが、全く異なった視聴者に届く討論の場が提供されると、私は出て、その後シャワーを浴びます」。

「シャワーを浴びる」とは、パイピシュ先生が9.11直後からしばらくの間、頻繁にテレビに登場した頃から使っていらっしゃる表現で、最初の頃、私は(ああ見えて結構、緊張して冷や汗をかいているのか、それとも、スタジオはライトで暑いから興奮して汗がどっと出るのかしら?)と思っていました。つまるところ、嫌な相手と仕事で同席して話をした後は、気分転換および沐浴が必要だ、という意味ではないかと今は想像しています。
今日は主人が、BBCとCNNとFOXニュース番組を衛星テレビで見ていて、上記の情勢にも多少は詳しくなったようです。日本はと言えば、やむを得ないとはいえ、情報に生ぬるい印象があって退屈なので、私はパス。『朝日新聞』に至っては(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120904)、11月15日付の夕刊から「空爆ハマス幹部殺害−イスラエル ガザに軍事作戦開始」という比較的大きな記事が突然のように出たのを皮切りに、どうも「イスラエルの総選挙をねらってネタニヤフ首相が軍事攻勢をかけ、パレスチナ側に大勢の犠牲者が出ている」といわんばかりの角度で報道しています。従って、記録のために切り抜きは保存してあるものの、これもパス。
(新たに発見した点は、なぜかこの件に関して初めて「穏健なムスリム同胞団」の「穏健な」が消えて「イスラム組織ムスリム同胞団」という呼称になり、ハマスとの強い関係を明示したことです。また、どういうわけか突如、11月17日付の朝刊と夕刊では「商都テルアビブ」と呼称しています。各国の大使館が置かれ、ハイテク産業で繁栄した最も現代的な都市なのに「商都」と形容するとは何たることか、と思います。預言者ムハンマドが商人の出で都市宗教としてのイスラームを奉じたから、それに準じているつもりなのでしょうか。)
今回のハマスによるガザからのイスラエル攻撃で特徴的なのは、軍事性能が上がったこと、テル・アヴィヴとエルサレムにも攻撃の矛先が向けられたことです。
早速、訳文を送ってはみたのですが、「ガザのトンネル」の件で、どうも私の従来の知識とパイプス原文とが一致せず(http://www.danielpipes.org/blog/12217)、その点だけは昨晩、訳し直して再提出しました。例によって、パイピシュ先生とのメールのやり取りです。

私「もしその内容が全く自分になじみがあり、書き手の考えに自分が全面的に同意するならば、自分自身の母語に何かを訳すことは、ずっとたやすいと、毎度、思います」。
8月31日と9月2日付のメールで‘100%左翼ではないが、社会民主的自由主義を伴う中道左派’だと私が言及した『朝日新聞』が再び、今回のガザ問題を、11月14日にハマスのトップ指導者であるアフマド・ジャアバリをイスラエルが殺害した後になって初めて報道しました。あたかも、イスラエルは常に‘弱い’アラブ・ムスリムに対する攻撃者であるかのように、です」。
私が考えるもう一つの問題は、最近のイランのテレビ番組で先生がフロリダから出くわした‘人権’活動家です。最初から、あの設定は全面的に間違っていて奇妙でした。イラン政府が繰り返し、‘シオニスト’国家のイスラエルの破壊を要求している一方で、どうしてテヘランが突然、いわゆる‘活動家達’を選び出したのですか?

約5時間後に、パイピシュ先生からお返事が来ました。

感想をありがとう。それに、僕に同意してくれて、とても大変(so very)喜んでいるよ。よい問いかけだしね」。

「ガザのトンネル」については、別のメールで、次のように書きました。

私「最初の訳文の小さなミス修正を赤字で示した、追記版をどうぞお受け取りください。ところで、先生の文章にあるような‘ガザのトンネルを破壊するエジプトの計画’というものがあったのですか?私は、イスラエル国家の中に武器が持ち込まれるのを防ぐためにガザのトンネルを破壊するのは、イスラエル国防軍の仕事だと思っていました」。

それに対しても、今朝早く、お返事がありました。

エジプトの計画について、もう一度、その事例がわかったら情報を教えてあげよう」。

トンネル破壊の業務については、2007年3月のイスラエル旅行の際、お世話になった日本人ガイド氏が(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080514)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080619)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080620)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080821)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121015)、イスラエル市民ではないものの、イスラエルと共に生きる決意でエルサレムで暮らしている息子さんが軍で従事していたとおっしゃったので、ここで公開しても大丈夫だろうと思います。(参照:川端光生熱風の地に生きる−イスラエル在住30年のガイド・榊原茂の半生記イーグレープ2002年)p.240)

(ユーリ追記:先程、原文の箇所にハイパーリンクがついていて、次の英字新聞が情報源だとわかりました。(http://www.maannews.net/eng/ViewDetails.aspx?ID=513948)Friday 23/11/2012, 18:23 (Jerusalem)“Egypt resumes demolition of Gaza tunnels”(2012年11月24日記))

少し前のもう一通のメールでは、次のように書きました。

マレーシアのイスラーム化プロセスの最近の傾向を非常に心配しています。イスラエルパレスチナ問題と中東情勢に有形無形の影響があるからです」。
まだ先生にはお目にかかったことがありませんが、協力と相互信頼が絶対に必要だと思います」。
特に2012年のアメリカ大統領選の後、先生の著述がなぜそれほど大切なのか、今ではもっと強く感じています」。
昨日、再びショックだったのは、アメリカのアカデミアと主流メディアの日本への影響が大きいことです。その左派思考および表面的で不正確な観察について、そしてアメリカのユダヤ系に関する強い固定観念と基本的な誤解があることです」。
私がユダヤ史と個人的な聖書の読みからいつでも学んでいるのは、我々にとって、‘希望’が人生を支えるのに非常に重要だということです。最善を尽くし、自分自身の役割を相応に果たしましょう!

これに関しては、情勢分析などでお忙しかったのか、応答のしようがないのか、特にお返事はありません。ただ、『アカデミアの将来』(http://www.danielpipes.org/12211/)を提出した際に添えたメールには、「この興味深い逸話をありがとう」と、改まって名字で呼びかけたお返事がありました。(私が理解している限り、この改まった呼びかけは、特にアメリカ合衆国の根幹部分に関わる内容に私が触れた際、パイピシュ先生が意識して使い分ける呼称です(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120707))。
その「興味深い逸話」とは、昨年のブログで書いた内容に基づく(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110330)、次のようなものです。

先生の講話の中で、‘地域研究’(Area Studies)が出てきますが、それに関して私は、何人かの退職した日本人教授達から、興味深いお話を聞いたことがあります」。
その教授達は、(1968/69年の世界的な学生運動の数年前の)1960年代半ばに、スリランカとマレーシアでフィールド研究をされていました。その頃、日本はまだ裕福ではなかったので、教授達は研究のために合衆国から相当のリサーチ資金を受け取りました。合衆国における‘地域研究’が、元来、アメリカの権益を促進することを目していたと知っていたので、二ヶ国で調査をした後に、どの項目にいくら使い、どんな研究をしたかの報告書を提出しなければならないものだと考えていました」。
全く驚いたことには、合衆国側は、その教授達にそんなことをする必要はないと言ったのだそうです。それで、日本人学者達に対するアメリカの寛大な態度に印象づけられたともおっしゃっていました。日本が第二次世界大戦に負けたのも無理はない、と」。
と同時に、大学の他の左翼の同僚達がその先生方の一人に、もし日本が近い将来、共産国になったら、銃で殺すと脅しました。なぜならば、‘資本主義を基盤とする帝国主義の合衆国’からお金を受け取ったからです」。
では、その結果はどうだったのでしょう?また、今はどうなのでしょう?

もっとも、昨年3月のお手紙のみならず、何度か研究会に出席させていただいた頃から、たびたび雑談のような形で上記に関するお話を伺っていました。お手紙では「社会主義社会」と記されていたのを「共産国」と上記で書いたのは、全体としては大差ない意味合いだったからです。余談ながら「戦後アメリカの政策で、きれいな奥さんがいて、大きな家に住んで、いい車を所有しているアメリカ人家庭の映像を、盛んに日本で流しておりましたなぁ。あんなきれいな嫁さんが欲しいなぁと思いながら見てましたが、あれもアメリカでしたな」ともお聞きしました。
これに類した話としては、元来、京都大学東南アジア研究所が立ち上げられた時にも、アメリカの資金援助を受けたので、学内の左翼との間で問題があり、対処に苦慮したとも、元所長だった方のお話(あるいは文章)でうかがっています。
ちなみに、上記の資金援助による研究成果は、アジア・エートス研究会アジア近代化の研究−精神構造を中心にして御茶の水書房1969年)にまとめられ、非常に好評だったそうです。この研究会を閉じる会には私も招待を受け、『アジア・エートス研究会―その四十年の軌跡』(あるむ出版)という本が出版されています(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080325)。
実際のところ、パイピシュ先生が、私の書いた意図をどのように解釈されたかはわかりません。というのも、寛大だった古き良き時代のアメリカが、その後の学生運動および反ベトナム戦争運動によって、社会も大学も思想的に鋭く対立するようになり、保守派としてのパイピシュ先生は非常に孤立してしまったからです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120507)。
左派の牙城になったとされる大学の中東・イスラーム研究を監視し、相互批判して研究成果を向上させることを目的として、キャンパス・ウォッチを立ち上げられたパイピシュ先生が上記の「アカデミアの将来」で語っていたのは、「研究資金を何に使ったかを監視する」ということでした。つまり、1969年を境に、保守派が後退し、進歩派・革新派が主流を占めるようになった知的現場で、それまでは、旧敵国だった外国人の研究資金の報告書さえ不要だったのが、そもそも「銃殺する」などと人に脅しをかけるような後者を、逆に「監視」しなければならなくなったという逆転が起こっているのです。要するに、中島岳志氏が述べているように、伝統や常識や経験値や集合知に基づく価値観を尊重する保守派の方が、実は人に対する信頼感があるので、いったん審査を経由したら後は報告書の提出はいらないと鷹揚に構えていられたのに、新たな方向へと社会改革を目指すイデオロギーがかえって人を思想的に束縛するために、その動向を見守って批判しなければならなくなったというパラドックスです。この問題が含む甚大性については、過去の「キャンパス・ウォッチ」に関する私の言及をご覧ください(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120710)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120812)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120929)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121012)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121020)。
すっかり長くなってしまいましたが、最後に、ガザ問題に関する過去の言及をご紹介して、今日のところは締めたいと思います(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090208)。