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神保町系オタオタ日記

2016-12-06

[]松原成信と水谷星之介(和夫)の同人雑誌憧憬

グーグルブックスによると、松原成信と水谷星之介が『滋賀県史 昭和篇』6巻(滋賀県昭和60年3月)に出てくるらしい。早速見てみると、

蒲生郡金田村(現近江八幡市)の松原成信は、水谷星之介と共に、総合文芸誌、『憧憬』を発刊、一〇号まで続いたが、戦時下のため、休刊、松原は応召、戦病死。

(略)

終戦直後、水谷星之介(大正一一年生)がいち早く、『憧憬』改題の文芸同人誌『三太郎』を発刊。水谷自身は創作や詩を書き、二二年までに三号。二三年より二六年まで、『氷河』と改題。五号まで発行。一方水谷は、当時県庁職員であった岡田行生と、「文芸首都滋賀支部」を二五年に結成。『滋賀文学』を創刊。水谷は大津生。本名和夫。膳所中学校を経て、小樽高商卒。海軍予備学生となり復員。滋賀県図書館次長をつとめた。

いや、『憧憬』が県史に載るような同人雑誌だったとは驚いた。10号まで続いたというのは何で確認したのかな。どこの図書館も所蔵していないようだが。『憧憬精神』(磯田克爾、昭和18年12月)の松原の「跋」によると、同誌の副題として「緑の枯草」、「甲蟲」、「一本道」、「ハイデルベルヒ」、「超人」、「知られざる神」、「道程」、「紫の火花」、「末期の眼」を挙げていて、確かに10冊ほど発行されたようだ。また、「『炉火』の時から僕等の精神を互に支へた水谷、島林、池長、又『憧憬』を共にした磯田、清水、増永」とある。『憧憬』の前に『炉火』という同人雑誌があったようだ。また、松原と水谷は膳所中学校で同級生だったと思われ、その後水谷は同志社大学には進学してないので、『憧憬』が同志社大学生による同人雑誌という私の推測は間違いだったようだ。

なお、水谷が戦後創刊した『滋賀文学』は第2号から『駱駝』と改題。同人からは外村繁の紹介で『新小説』に発表した「異邦人」で芥川賞を受賞する辻亮一がいるという。

2016-12-02

『きけわだつみのこえ』の松原成信が遺した『憧憬精神』

大阪古書会館にて200円で拾った松原成信編『憧憬精神ーー彼の亡霊がさ迷ひ帰らざらんがためにーー』(磯田克爾、昭和18年12月)。非売品、285頁、カバー付きの単行本。同志社大学図書館が所蔵。目次は、

創刊の言葉 松原成信

痴歌 水谷星之介

新約 島林武

ふるさと 増永篤彦

うつくしきこどくのうた 星村蒼平

屋根の下 清水ゆき

風車 上永嘉子、宗方凉子、萃丘なゝ代、谷圭里、石田敏子、中井良孝

風景 中岡妙子

短歌 池永峰月、水野英、安達康子

二つの世界 池長峰

哲聖論 島林武

愛する人たちに 松原成信

門火 磯田克爾

跋 松原成信

松原の文章によると、本書は回覧誌『憧憬』掲載の作品をまとめたもののようだ。松原について調べてみると、『きけわだつみのこえ』に日記や書簡が収録された戦没学生であった。昭和24年東大協同組合出版部版掲載の略歴によると、

松原成信

大正11年1月11日滋賀県

同志社大学予科を経て昭和19年4月同経済学部進学

19年6月25日入営

20年8月1日北平の病舎で戦病死。陸軍兵長

松原は「跋」に「僕等は二十二歳。苛烈なる戦局に処して出陣の鐘がなる」と書いているが、本書は学徒出陣が迫るなか、同志社大学同級生達で回覧していた同人誌を本にしたものであろうか。それにしても、戦時中によくこんな立派な本を自費出版できたなと思っていたら、松原の父親衆議院議員だった。『昭和人名辞典』3巻(『第十四版大衆人事録』(帝国秘密探偵社、昭和18年9月))によると、

松原五百蔵 衆議院議員(滋賀県選出)県農会長 蒲生郡金田村

[閲歴]明治12年10月10日生、県庁に入り県農会副会長を経て同会長に就任。昭和17年4月代議士に当選

[家庭]妻千代子(明17)(略)三男成信(大11)膳所中卒

なお、記載は省略したが、五百蔵の大津宅と松原の奥付の住所は一致している。

保阪正康『『きけわだつみのこえ』の戦後史』(文藝春秋平成11年11月)で保阪氏は松原の友人「星之介」宛手紙について、女性への手紙を「星之介」としているのかもしれないと推測しているが、本書の目次にあるように、「星之介」は同人仲間の水谷星之介と思われる。以上、200円で色々楽しめた本だったが、奥付を見ていて気が付いたのは、通常この時期の本にある日本出版文化協会(昭和18年3月からは日本出版会)の承認番号がないこと。自費出版だから承認は要らないのだろうが、戦時中の出版物は全て統制されていたと思い勝ちで、そうではないと認識をあらたにした。

きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (岩波文庫)

きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (岩波文庫)

『きけわだつみのこえ』の戦後史

『きけわだつみのこえ』の戦後史

2016-12-01

日本発禁本大事典の必要性

これまた、河上肇の日記から引用。

(昭和十三年)

四月二十一日 警察よりこれまで発売禁止になつた著書名を知らしてくれとて阿部氏来たる。二階に通して面会。

発禁処分をしたのは内務大臣(実務は内務省警保局図書課)とはいえ、処分庁側の警察職員が被処分者に処分の内容を聞くとは情けないものである。『禁止単行本目録』や『出版警察報』のバックナンバーなどから自分で探せばいいのにと思うが、人名索引はないから探すのは面倒かもしれない。『発禁本3』(平凡社)の人名索引で調べると、河上の個人雑誌『社会問題研究』や『第二貧乏物語』(『改造』昭和5年11月号付録)が発禁になっている。また、国会図書館OPACによると、ブハーリン著、河上肇・大橋積訳『労農ロシア社会主義的建設:社会主義への道』(弘文堂書房、昭和2年6月)が請求コード特501から始まるのでこれも発禁本のようだ。

かつて、寿岳文章は「発禁本図書館」を提唱し、城市郎氏も「発禁本図書館」を夢見た。いや、城氏は今も夢見ているかもしれない。しかし、中々発禁本専門の図書館までは難しそうなので、書名・人名索引の完備した発禁本大事典の刊行が待たれるところである。

2016-11-27

河上肇が通った臨川書店と一信堂

河上肇は戦時中昭和16年12月からは京都市左京区聖護院中町に、18年4月からは吉田上大路町に住んでいた。その間の日記*1には、進々堂パンを買ったり、ナカニシヤで本を買ったり、古書店に通ったりしたことが記録されている。そのうちの古書店について紹介しておこう。当初は、今もある臨川書店をよく利用していた。たとえば、

(昭和十七年)

三月二十七日(金) 朝、石田憲次氏宅まで挨拶にゆく。不在にて遇はずして帰る。帰途、臨川書店に立ち寄り、宋詩鈔四冊(活字本、十円八十銭)を買うて来る。(略)

十一月二日(月) (略)午前中、臨川書店まで散歩す、別に欲しき本なし、安心して帰る。

欲しい本がなくてがっかりしたのではなくて、安心して帰るというのが面白い。この辺の微妙な心理は古本者なら覚えがあるだろう。

昭和17年7月1日には「寺町の古本店」をのぞき、同年10月13日には「熊野神社近くの本屋」で三好達治『春の岬』などを買っているが店名の記載はない。

昭和18年になると、もっぱら丸太町の一信堂に通っている。

(昭和十八年)

四月十日(土) (略)今日警戒警報解除され、夕食前初めて外出、丸太町の古本店一信堂まで往復。(略)

四月二十六日(月) (略)午後丸太町の一信堂までゆき娯楽用に捕取[物]帖をかりて来る。(略)

(昭和十九年)

十月二日 (略)午前中浩子を伴ひて熊野神社附近の一信堂まで、秀のために貸本を貸(ママ)りにゆく。

金沢文圃閣から『出版流通メディア資料集成(三)』第二巻として復刻された辻井甲三郎編『全国主要都市古本店分布図集成 昭和十四年版』(雑誌愛好会、昭和14年5月)で丸太町の古本屋を見てみると、

東大路から寺町にかけて、

北側は、不識洞、一信堂、創造社、マキムラ、仙心洞、進文堂、丸三、細井、田中、狩野、古田、日ノ出、春正堂、麻田、佐々木、

南側は、いく文、三書堂、翰林堂、マルヤ、堀田、吉田、国井、彙文堂である。

現在もあるのは、創造社、マキムラ、彙文堂*2だけである。不識洞は建物と看板は残っている。これによると、一信堂は創造社の東側にあったらしい。『京都書肆変遷史』には、「一信堂後水明社」が立項されているが、昭和5年頃左京区田中門前町で一信堂として創立され、7年5月水明社に変更、16年頃廃業という書店であり、無関係のようだ。『全国古本屋地図改訂増補版』(日本古書通信社昭和61年11月)を見ると、創造社の東に一信堂があり、「歴史、自然科学等の学術書がきれいに整理されている」とある。比較的最近まで存在したようだ。

*1:『河上肇全集』23(岩波書店、昭和58年11月)

*2:現在は北側にある。

2016-11-25

京都古書組合総合目録』29号に狩野文京堂旧蔵品

吉村大観堂から『京都古書組合総合目録』29号(京都府古書籍商業協同組合平成28年11月)を頂きました。ありがとうございます。

美術品・古典籍が多いのであまり縁がないのだが、驚いたのは、

2996)名靈通 天行居 昭和28年 狩野栄三写本 30,000円

狩野栄三は丸太町にあった狩野文京堂の店主だった人だ。「トンデモ本の殿堂狩野文京堂」、「狩野文京堂の狩野平太郎」及び「狩野文京堂の狩野平太郎(その2)」参照。狩野栄三は神道天行居道士(教師)だったとコメントをいただいたことがあったが、どうやらその通りだったようだ。店の建物はとっくに無くなっていると思うが、今頃このような本が出てくるのはどういう経緯だろう。なお、天行居関係では、

2984)大宇宙尊命霊人型原實人體主 美毛呂岐命(長尾)瑞堂霊言録資料 大阪大宝寺町長尾長三郎 大阪天行居 一括 35,000円

も出ている。

2016-11-21

今年最後の「たにまち月いち古書即売会」で見つけた本

18(金)から20日(日)まで開催された大阪古書会館の「たにまち月いち古書即売会」で拾った本を報告。

今回は、古書あじあ號の200円均一コーナーが特に良くて、次の3冊を購入。

福来友吉『精神統一の心理』(日本心霊学会、大正15年7月再版)

三浦関造詩集祈れる魂』(隆文館、大正10年8月再版)

松原成信編『憧憬精神』(磯田克爾、昭和18年12月)

日本心霊学会や戦前の人文書院発行の本は安ければ買っている。福来のこの本は函付きだし、2千円でも買ったと思う。「日本の古本屋」では、12960円から25000円まで付いている。其中堂の店頭では8000円だったかな。

三浦の詩集も嬉しい一冊。「関造」の読みが「せきぞう」か「かんぞう」かという話(「福岡県の文学者」の注を参照)があるが、本書の英文詩には「By Sekizo Miura.」とある。

同志社大学図書館ぐらいしか所蔵していない『憧憬精神』も面白い非売品の本で、別途紹介予定。

その他、拾ったのは、

・木下東作『健康増進叢書 鍛練篇』(大阪毎日新聞社東京日日新聞社、昭和4年12月)シルヴァン書房で1000円。

・『変態知識』12号(半狂堂、大正13年12月)厚生書店で500円。宮武外骨編集発行の本誌は10、11号もあったが、復刻版も出ているので、総目次も載ってる最終号の本号のみ購入。

・『新文化』21号(名古屋文教協会、昭和8年6月)シルヴァン書房で500円。未知の雑誌だが、金子白夢「還暦を迎えて」と立石甫水ほか「金子先生の還暦を祝して」が載っていたので購入。金子については、かねてより追いかけている人物の一人で、「金子白夢牧師の新生会」と「大空詩人永井叔とその時代」参照。蓬左文庫が20号から27号まで所蔵。

なお、大阪古書会館では、12月16日(金)から18日(日)まで「全大阪古書ブックフェア」があるので、楽しみ。

2016-11-17

350冊もあった小菅刑務所内の橘孝三郎文庫

河上肇の『獄中日記』を読んでたら、同じ小菅刑務所に入っていた橘孝三郎が出てきた。

(昭和十一年)

十一月一日(日)

(略)四十五房の橘孝三郎氏(略)同氏の室には図書が天井へ届くほど三、四列に積み上げてあり、身辺の小卓には大きな外国語の辞書が載せられたりしてゐる。凡そ三百五十冊位は這入つてゐるだらうとの話。「日本の百姓はほんとに可哀さうですからね。私は百姓のために是非書きますよ。百姓のために書かずには居られないのだ。」かういふのが同氏の談片だとのこと。その心事に私は多大の同情と敬意を有つ。しかし偉大なる頭脳の持主カール・マルクスが蔵書の極めて豊富な英国博物館で長い間勉強した成果を全く顧みないで、こんな不自由な所でーーたとひ何百冊の本を身辺に置くにしろーー独自の考を繰り出さう[と]してゐると云ふことは、一つの悲劇的なドンキホーテたるを免れない。

刑務所で何百冊もの本に囲まれた囚人というのは、戦前の監獄に対するイメージとはほど遠い。しかし、この橘のケースは例外で、松沢哲成橘孝三郎 日本ファシズム原始回帰論派』(三一書房昭和47年3月)によると、「刑務所長からとくに許可されて、独房のなかにうずたかく内外の書を積」んでいたという。

橘も若い頃は、岡田式静坐法に熱中した一人で、同書によると、大正3年11月静坐により神秘主義的回心を経験し、一高の卒業を目前とした翌年、「単なる究理の世界には自分の住むべき世界はない」として中退したという。刑務所では、河上の日記にあるように、静坐よりも読書に専念していたようだ。同書によると、河上の日記で言及された昭和11年11月の前月には、フレーザーの『金枝篇』(フランス文)を読んでいたようだ。刑務所に差し入れてもらう書籍の入手に当たっては、昭和13年5月8日付け穴沢清次郎宛橘徳次郎(次兄)の書簡に「書籍店の方は、古本屋一誠堂はかねかねのとりつけに候へば、此の方に命ずべく候」とあり、神保町の一誠堂が使われたという。