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神保町系オタオタ日記

2016-05-28

[]『1952・読書週間内外優良図書展・現代名家秘蔵珍稀本展出品目録』(1952年11月)

1952年11月7日から12日まで読書週間実行委員会主催により日本橋三越で開催された展覧会の目録。昨年東京古書会館であきつ書店出品200円。珍稀本出品者は、

反町茂雄

植田秀

松下英麿

内藤政勝

関野準一郎

斎藤昌三

山宮允

江島伊兵衛

小倉重勝

浜田徳太郎

庄司浅水

梅沢彦太郎

川田久長

野田宇太郎

奥村定一

小汀利得

宮尾しげを

沢田伊四郎

石井宗吉

渋井清

佐佐木信綱

久松潜一

本間久雄

岡村千曳

日高只一

日夏耿之介

後記に「海外図書の解説は上野図書館参考課の吉田邦輔氏を煩わした」とある。「珍稀本展」はこの頃毎年開催されたようで、前年の1951年に開催された分については、「読書週間記念内外諸名家秘蔵珍稀本展出陳目録」で紹介したところである。出品者のうち23名が重複している。

斎藤は1952年開催分で、中山忠直『地球を吊[ママ]ふ』、式場隆三郎二笑亭綺譚』など5点を出品。さすがいい本を持っている。

2016-05-27

村上一郎の日記に酒井温理を発見

『脈』88号(脈発行所、2016年5月)「村上一郎の未発表日記と『試行』機特集で村上の日記を見てたら、酒井温理が出てきた。

(昭和三十五年)

一月二十一日(木)

(略)急に酒井温理さんを訪ねてみたくなった。(略)青山学園へ電話して番地を訊き(略)

酒井さんに会つて何よりよかつたのは明治三十五年から三十六年にかけての柏木義円をしつてゐたことであつた。酒井さんはつむじまがりだと自分自身を評してゐる通り、一種のニヒリストで、社会主義者者にならなかつたらしいが、学生のとき(明治二十六年代)社会主義の本を読んでゐた。白石喜之助[編者註:メソジストの牧師、一八七〇ー一九四二]もよく知つてゐた。しかし、思想家としては柏木のやうな勁い人であつたかどうか。何でもヨギ(瑜御、インドの神秘哲学)の研究をしてゐて、大正時代にメソジストの監督に反抗したさうである。酒井さんによれば、白石キリスト者ではなかつた。(略)聖書に於ける奇蹟を白石はみとめなかつたらしい。

村上と酒井の関係は不明。「村上一郎年譜」(田村雅之・作製)によると、大正9年生、昭和18年東京商科大学卒、27年平凡社編集部へ嘱託として入社、29年同社を退社、31年桶谷秀昭らと同人雑誌典型』を創刊。父友二郎はクリスチャン(ホーリネス派)だったという。。酒井については、「酒井勝軍ならぬ、もう一人の酒井なる酒井温理」などを参照。酒井を追いかけていたら、白石喜之助という新たな面白そうな人も出てきた。

2016-05-26

京阪書房で小林参三郎『生命の神秘』を買ったら『京都新聞』に「静坐社」の記事が

開店時間が遅れがちの京阪書房で、小林参三郎『生命の神秘 生きる力と医術の合致』(杜翁全集刊行会、大正11年8月7版)を8百円で。小林参三郎については、吉永師匠の「小林参三郎と真言宗の近代化」などで見て名前を覚えていたのであった。よく売れたようで、奥付によると、

大正11年5月28日発行

同年6月3日再版

同月8日3版

同月15日4版

同月20日5版

同年8月20日6版

同月28日7版

杜翁全集刊行会は春秋社内に所在。春秋社編輯同人「巻首に」によると、「もと本書は足利浄円師の経営さるゝ同朋社から出版される予定になつてゐたが、一人でも多くの読者を得たいと云ふ足利氏のお計らひで、春秋社がその出版の委託を受けた」とのこと。こんなに売れたなら均一台で拾えたかもと思ったら、「日本の古本屋」では、春秋社版で4千円、静坐社版で1万円するから意外と残っていないのか。

本書の290頁に、

天保年間に京都に桜寧主人と称し養性訣といふ書を著はした人がありました。医師ですが余程の達人とみえてその書に記するところ実に名論卓説で、私共のいふ丹田を練ることを勧めてゐます。

とある。京都にそんな人がいましたか。

小林は、東寺内にあった真言宗の慈善病院である済世病院の院長。岡田式静坐法を治療に応用、小林の死後に妻が創立したのが静坐社である。で、この本をいつかネタにしようと思っていたら、昨日と今日の京都新聞に「静坐社のたそがれ」という記事が2回にわたり掲載された。吉永師匠が吉田山西麓に「静坐社」の表札を発見、後継者に接触し、多くの貴重な資料を確認。膨大な資料の整理・分析は一人で難しいと思案していると、小林を調べていた栗田英彦先生から接触があり、早速静坐社に同行。度々訪問した結果、資料は国際日本文化研究センターに寄贈されることになったという。小林家では宗教系の大学への受け入れがかなわなければ廃棄もやむを得ないと考えていた時期もあったらしいから、吉永師匠が表札を見つけなかったり、栗田先生との出合いがなければ、「宝の山」は消滅していたかもしれない。

静坐社に関してより詳しくは、ネットでも読める栗田先生の「国際日本文化研究センター所蔵静坐社資料:解説と目録」『日本研究』47を参照されたい。びっくらちょの人脈が一杯出てくる。なお、栗田先生は3月に「岡田虎二郎の思想と実践ーー越境する歴史のなかで」により第12回涙骨賞最優秀賞を受賞されている。おめでとうございます。

追記:『生命の神秘』(発行静坐社・発売同朋社出版部、昭和9年5月改版第2版)の小林信子「本書刊行について」によると、春秋社版は「十七八版をかさねました」という。

2016-05-25

図研出品の『仏教之日本』11巻7号(日本仏教新聞社、昭和14年7月)

図研から300円で。神戸のサンボーホールだったと思う。日本仏教新聞社の月刊PR誌で、32頁。同社が発売している書籍のほか、仏像、おみくじ、数珠、霊鏡などの広告も載っている。広告が載っていて欲しい本は、

霊感霊視霊媒養成法

神通自在霊狐使用口伝(きつねおろしつかひわけのくでん)・・・「本書並びに本広告文□警視庁御検閲済」の注記あり

独習自在心霊催眠術奥伝

予言活断霊脈天眼術

遠隔心霊刺激療術

霊交催眠術秘訣

生の光明宇宙の彼方へ

邪淫戒

神秘示現交霊術降神

神と幽霊幻術の理法

魔術及催眠術自在

仙人と忍術

霊学最高交霊療法秘鍵

霊命観

難病必治霊力治療術

秘法伝授霊術実験集

神秘と迷信の研究

守護霊招請

略本黒焼処方全集

心霊感応術

数理応用百中秘伝透視術

まあ、この手の本は値段も高いし、当たり外れが激しいので、均一台で拾いたいものである。

2016-05-24

[]図書研究会々員だった?須田国太郎

金沢文圃閣から復刻中の『内務省納本月報』。当初は『ブック・レビュー』というタイトルで大正15年11月創刊。発行所である図書研究会の会員名簿を見てたら、昭和2年1月号掲載の「図書研究会々員名簿(其三)」に「須田国太郎(京都)」とあった。同名の画家の須田は、大正5年京都帝国大学文学部哲学科(美学美術史専攻)卒、7年同大学大学院退学、14年3月和歌山高等商業学校講師となり、同年12月絹子と結婚し、京都市上京区(現北区出雲路松ノ下町に新居を構えていた(『須田国太郎資料研究』(京都市美術館昭和54年3月)による)。この須田が、図書研究会の会員だったと断定はできないが、そうだったら面白い。

なお、同名簿には、「高□兼三郎(前橋市□式会社煥乎堂)」、「荻山秀雄朝鮮総督府図書館長)」、「谷島屋書店(静岡市)」なども見える。煥乎堂の兼三郎って誰でしょうね。

2016-05-23

田中俊次編輯『鳩笛』6号(ちどりや、大正15年3月)

これは名古屋の山星書店で入手。奥村寛純『天草土人形調査記録 S46・3・26〜27』とセットで2千いくら。記事の内容は、

蒐集趣味展覧会

浪華の娯美会と土俗会 人魚洞主人

祝儀袋 木村芳太郎

古看板集(六) 杉浦丘園

雉子車の話 巨泉

新聞表題蒐集(蒐集百題)

おもちやの蒐集(六) 田中緑紅

宝船の話ーー大正十五年度ーー 田中緑紅

京都の趣味家(下) 緑紅生

趣味界雑話

鳩笛総目次

本誌終了にさいし

「蒐集趣味展覧会」は、大正15年1月17日から22日まで大阪三越呉服店西館7階で開かれた大阪の趣味家グループ娯美会主催の展覧会の報告。

京都の趣味家(下)」は、木戸忠太郎、小西石蔵、藤井好浪子、矢野豊次郎、宮脇彦太郎、吉川観方、寺田紫村、小島勇之助、山崎翠紅、大隈柳丈、細川佐一郎を紹介。

「趣味界雑話」のうち「趣味家取調べ」では、京都府警察部により書籍店が取り調べられ、続いて裸体絵葉書から祝儀袋(の店?)まで検挙された。その後府高等課から洛葉会々員名簿に基づき在京の7、8人の趣味家が呼び出されて、「趣味家は何でも集めてゐる猥褻物も沢山集めてゐると云ふ事だからそれを提供せよとのお取調べ」だったという。

全体的に面白い趣味誌で、総目次によると、3号に斎藤(昌三だろう)「趣味の蔵書票」、無署名の「創刊雑誌の蒐集」、5号に村西「東京我楽他宗」が載っていて、読みたくなる。

「本誌終了にさいし」によると、大正14年3月創刊、次号から『人魚の家』に改題とある。また、3月下旬頃本誌とは無関係だが『信仰と迷信』なる和装の小冊を出す計画で、詳しくは『ちどり』に発表とある。

2016-05-22

三密堂書店で『呼潮遺稿』(若林乙吉、明治43年1月)を

三密堂書店の100円均一台で上記を。未知の人の饅頭本の場合、旧制高等学校帝国大学卒業、或は出版・印刷などの関係者で面白そうであれば購入するのだが、本書はどれにも該当しない。大分前から棚にあるのは気付いていたのだが、あまりに無名の人すぎて買うのを止めていた。しかし、明治期に滋賀県で発行の非売品の小冊子ということでやや私の好きな種類の本だし、私しか買う人はいないかと買ってみた。

内容は、呼潮と号した明治18年近江河瀬生まれの若林辰次郎の遺稿の俳句が中心。その他に、遺影、親友牧星の序、伯父若林桂州の「呼潮のことゞも」、附録に牛門会「呼潮鮒江追悼集」など。発行兼編輯者は近江国犬上郡河瀬村の若林乙吉。桂州の文によると、呼潮は8年前に中学を辞し、1年余り生糸製造業を学び、帰省中発熱。これが、肺結核の初期であって、爾来二見、須磨、浜寺、茅ヶ崎興津などで療養するも、腹膜炎を併発し、明治42年7月26日興津海浜院で死去、行年25。

若林乙吉は、昭和18年9月発行の『大衆人事録』に明治5年5月生まれ、若林製糸紡績(株)社長、犬上郡河瀬村、趣味俳句旅行とある人で、桂州は俳号だろう。明治期に結核で何万人死んだか知らないが、お金持ちの伯父がいたおかげで、遺稿集を残せたのは幸せなことである。

最後に遺稿から一句を。

三保に行く人のせて船霞みけり