ユーモアとスラップスティック

 なんとなくタイトルにひかれて小林信彦のエッセイ集「定年なし、打つ手なし」を手にとってみた。70年代から80年代にかけてサブカル青年のスターだった小林先生も、老後はかなり不安を抱えて生きているようで寂しい気分になった。かつては筒井康隆と並び称されるほどのユーモア小説家だったのになあ。俺は結構この人の小説を集めていたんだけど、最大の武器である「笑い」を封印して以降の作品はまったく読んでいない。
 それで懐かしくなってこのエッセイ集を読んでみたんだけど、老後に関する話題は最初のほうだけで、後はおなじみの小林流文学論・芸能論がえんえんと続いていた。いちばん面白かったのが「なぜ笑いにこだわるか」というユーモア文学論で、やっぱりこの人は老後の心配をグチるより、しつこく笑いにこだわっていたほうが似合っている。ただ自分の体験から書き起こすのはいいけど、話が断片的になってしまい、重要な作家ががあちこち抜け落ちているのが物足りない。この人にはどうしても「日本の喜劇人」みたいなものを求めてしまうのだ。だったら自分で書けばいいじゃん。ということで今回は小林信彦のまねをして、自分の体験に即しながらユーモア文学論を展開しつつ、小林先生が取りこぼした作家を拾っていこうと思う。
 小学校の四年生あたりまでは、よく学校を休んでいた。少し微熱が出ただけで大げさに騒ぎ立て、なるべく休もうとするせいだ。その頃の俺は、あんまり学校が好きではなかった。微熱だから、しばらく寝ていれば治ってしまう。そうなると後は退屈な時間をどう過ごすかが問題だった。小学生にとって、体が何ともないのに寝てなくちゃいけないのは結構つらい。とはいえ、あんまり大っぴらな暇つぶしはできない。なぜならうちは自営業だったので、寝ている横を両親が入れ替わり立ち代り通るからだ。なにしろ限りなく仮病に近い病欠である。バレたら怒られるに決まっている。
 そんなわけで学校を休んだときは、いつも布団の中でコッソリ本を読んでいた。まんがはすぐに読めてしまうので、なるべく活字の多い、読み応えのある本が望ましい。親が通りがかったときにすばやく隠せる文庫本がベストだ。しかし文庫本で小学生が読んで楽しめるようなものはなかなか無いんだよなあ。仕方ないから古典落語の速記本なんかを読んだりしたんだけど、こういうのは字で読んでもあんまり面白くないんだよ。
 そんな中で角川文庫はSF作家のジュブナイルが充実していて重宝した。筒井康隆の「ミラーマンの時間」とか平井和正の「超革命的中学生集団」とか面白かったなあ。SF以外だと、これも角川文庫だけど小林信彦オヨヨ大統領シリーズなんか愛読した覚えがある。あとは新潮文庫で出てた井上ひさしの「ブンとフン」も印象に残っている。こうして見てみるとユーモア小説ばっかりだ。笑いは免疫力を高めるそうだから、こういうのばっかり読んでいたらよけい治りが早くなってしまう。限りなく仮病に近い身としては痛し痒しである。
 そんな事をしてたせいで俺はすっかり活字中毒になってしまった。高学年になると上記の作家の大人向け小説に手を出し始め、さらに中学に入ると東海林さだお椎名誠のユーモア・エッセイにまで守備範囲を広げた。なんだかとにかく笑える本ばっかり追い求めていたみたいだ。どうしてそうなったのか?
 これは私見だけど、俺が幼少期を過ごした80年代は日本中が躁状態になっていて、パロディ、ユーモア、お笑いが必要以上にもてはやされていた。軽薄短小の時代といわれ、ネクラな人はもの凄く嫌われた。テレビでは漫才ブームがまきおこり、活字の世界では赤川次郎を中心としたユーモア・ミステリーが飛ぶように売れた。そんな時代の空気が俺を笑いに駆り立てたのかもしれない。なぜか赤川次郎には手が出なかったけど。
 などと思い出話ばっかり語ってしまって、一向に文学論に入っていかない。困ったなあ。とりあえず日本のユーモア小説の歴史について大急ぎで書いておく。1960年に出版された北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」を分水嶺として、日本のユーモア小説はそれ以前とそれ以後に分かれる。冒頭で紹介した「なぜ笑いにこだわるか」というエッセイによると、「どくとるマンボウ」は「それまでの<伝統的な抑制したユーモア>と異質な笑いを日本にもたらした」とある。異質な笑いとはマーク・トウェイン風のほら話、言いかえると精神的なスラップスティックなのだそうだ。この作品の登場によって、それまでのユーモア小説はすべて古臭いものになってしまった。
 小林信彦によると「日本文学における<ユーモア>が抑制されたもの、というのは、ある種のイメージであり」そのイメージが形成されたのは「大正以降のこと」ではないかと書いている。その証拠に明治時代の「我輩は猫である」はユーモアが抑制されておらず、読めば読むほど面白くなる作品だという。ちなみに「吾輩は猫である」は、最初に誰でもわかる「捨てギャグ」を多用し、だんだん通好みのハイブロウなギャグを入れていく、という構成をとっているそうだ。いわれてみれば確かに小学生の頃は捨てギャグを多用している第一話は繰り返し読んでいたけど、それ以降の章にはなかなか入り込めなかった覚えがある。
 では大正以降の<抑制したユーモア>とはどういったものか。小林信彦は書いてないけど、その代表はなんといっても佐々木邦だろう。この人は日本にユーモア小説というジャンルを大成させた戦前の大家である。佐々木邦の「変人伝」という短編がここで読める。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/novel/sasakikuni.html
 もうまるっきり車寅次郎のインテリ版である。そもそも「男はつらいよ」の企画は、佐々木邦の「愚弟賢兄」をもじって「愚兄賢妹」をやろう、という発想が出発点なのだ。山田洋次のユーモア感覚のベースには佐々木邦があるのは間違いない。
 戦前の大家が佐々木邦なら、戦後にその系統を継いだのが源氏鶏太だろう。家庭小説の佐々木邦に対して源氏鶏太はサラリーマン小説である。この人は高度成長期までは松本清張と並ぶ大流行作家だったけど、いまや完全に忘れられた存在になってしまった。源氏鶏太がブレイクしたのは1951年の「三等重役」だから、ちょうど「どくとるマンボウ航海記」の十年前である。「三等重役」が東宝で映画化されると大ヒットを記録し、以後、社長シリーズをはじめとする同工異曲の東宝サラリーマン喜劇が量産された。wikipedia:源氏鶏太を見てみると、50年代は凄まじい量の作品が映画化されているけど、60年代に入るとそれがパッタリ止んでいる。やっぱり「どくとるマンボウ」の登場が影響しているのかも知れない。
 とはいえ小説の世界ではその後も存在感を維持し続けたようだ。俺が子供の頃は、どこの本屋に行っても源氏鶏太の文庫本が棚にズラーッと並んでいたものだ。ところが85年に彼が亡くなった途端、サーッと潮が引くように本屋から消えてしまった。俺がサラリーマン小説でも読んでみようかという年になったら、完全に入手困難な作家になっていた。諸行無常である。というわけで俺はあまり源氏鶏太を読んでいない。佐々木邦も同様である。しかしながら内容は大体分かる。佐々木邦源氏鶏太の小説は、東宝サラリーマン喜劇から「男はつらいよ」にいたる喜劇映画の保守本流のバックボーンになっている。あれらの映画からコメディアンの珍芸(変顔・奇声・奇妙な動き)を抜いたものがこの人たちの小説なんだろうな、きっと。
 「きっと」ってなんだよ。ぜんぜん語れてないじゃないか、ヒドいなあ。とにかくここまで来ちゃったらしょうがない。次回は北杜夫以降の日本のユーモア小説について書いてみるけど、大丈夫かな・・・・

定年なし、打つ手なし

定年なし、打つ手なし

追記:「定年なし、打つ手なし」は「<後期高齢者>の生活と意見」というタイトルで文庫化されているが、内容に大幅な編集がされていて「なぜ笑いにこだわるか」はカットされている。元編集者だったせいか、この人には妙な編集グセがあって、エッセイはもとより小説の短編集でも作品のカット・重複がはなはだしい。まことに収集家泣かせの作家である。