1908年2月3日〜1951年5月1日 日本の医学博士。島根県松江市生まれ。長崎県長崎市にある長崎医科大学(現在の長崎大学医学部)卒業。 1945年8月9日の長崎原爆の時には大学の診察室にて被爆し、右側頭動脈切断という重症を負いながらも布を頭に巻くのみで、救いを求める人々の為に医療活動を行った。1946年には病床に伏すことになったが、その間も「長崎の鐘」などの著書などを出すなど亡くなるまで平和を願いながら執筆活動などを行った。
永井”ホトケ”隆
とうきょう総文2002の演劇部門で島根県立三刀屋高校の『永井隆物語』と茨城県立日立第一高等学校の『なぜ茨城は魅力度ランキング最下位なのか?』の2本を見た。 高校演劇を見るのは5年ぶりくらいになる。2年間ほどだが東京都の大会を中心に熱心に見ていた時期があった。思春期後期の年代の人間しかリアリティを持てない劇的表現というのはあるし、劇の内容やスタイルはバラエティに富んでいる、そして大会優秀校レベルになると演出の工夫や俳優としての練度も相当なもので見応えがある。しかもおおむね無料で見られる。しかし高校演劇にはまり込んでしまうと、自分にとってより優先度の高い他のスペクタクルを見る時間が浸食されてしまう…
長崎で原爆に遭い、被爆者として被害を研究してきた永井隆博士の名前を知ったのは、恥ずかしながらテレビの人物伝ドキュメント番組でした。高齢の方ですと、映画「長崎の鐘」のモデルになった人としてご存知ではないでしょうか。 永井博士は、原爆による被害の恐ろしさを情緒的に訴えるのではなく、科学者として分析し、時には原爆症に陥った自らの肉体を実験台として、研究を続けてきました。その拠点が博士の住居で、「如来堂」と呼ばれていたのです。 20数年前、長崎を訪れた際、平和祈念公園や浦上天主堂などとともに如来堂を見学しました。観光客が素通りしてしまうような住宅地の一角にあるとても小さな木造平屋の建物で、思わず「ここ…
原爆忌ルルドの水の生温し 荒井 千佐代 2011年 俳句雑誌 空 怒りの広島、祈りの長崎 長崎とカトリック 世界遺産 永井隆博士の 燔祭説 浦上地区カトリックの人々 きょうの種 怒りの広島、祈りの長崎 二つの被曝地の地域性は全く異なり、それ故被爆死の捉え方と平和運動のあり方も大きく異なってきた。 なぜ「祈り」なのか、 そんな事を考えながら調べてみた。 長崎とカトリック 冒頭の俳句の作者、荒井千佐代さんは長崎市の出身、俳句にもカトリックの信仰に寄せたものが見られる。 十字架のイエスが踏絵ふめといふ 夏期講座イエスの系図より説かる 絵硝子の天使飛び立つ初日かな ー 朝日俳句新人賞受賞 「ナガジン」…
あのコは加工肉が好き 数字遊び ② 8月9日、長崎の原爆雲を少年だった私の父は長崎の小浜で見上げていたそうだ。 父方の祖父はそのころ、小浜で塩を作っていて兵役を免れていたと聞いた。 祖父は小浜の人間ではない。福島、会津の出身。東北人である。 出稼ぎの肉体労働で九州にやって来ていて、それからどういった流れなのかよくわからないけれど、小浜の温泉で温泉熱を使った塩田業に着き、造塩が軌道に乗ってから福島の家族を呼び寄せて、戦中は小浜で暮らしていたらしい。 どこも物不足の時代だったけれど、貴重品の塩作りという職業柄なのか比較的不自由しない生活だったと聞いた。 祖父が風呂場に拘っていて、広い洗い場の窓から…
初めに 本記事 『ゼロから始めるシステム障害対応フロー』 の内容について タイトルの「ゼロから始める」には二つの意味があります。プロダクトのリリースを間近に迎える中、チーム内での障害対応体制の枠組みがなかったこと。そして体制づくりを担当することとなった私の知識・知見がゼロ(に近い)だったこと。この二つです。 この状態から、リリース前〜リリース後の約2月間でなんとか形にすることができました。本記事ではその過程でぶつかった問題とそれに対する課題、それらにどう対応したのか、何を学んだのか、の紹介。 そして、障害対応体制の策定・構築や改善の流れの中で私が起こした失敗から、人としてリーダーとして何を心が…
2月3日 誕生日の全国35万人の皆さん、おめでとうございます (拙句) ためらわずすべてを君に捧げなむ 雅舟 【花】 ナズナ(アブラナ科) 【花言葉】 すべてを君に捧げる 【短歌】耳もとにぺんぺん草のシャラシャラと鳴りし記憶のさみしさがある スズナはペンペングサと言った方がなじみがあります。三味線の撥に似た花がいっぱいついていて、子どもの頃に鳴らししてよく遊びました。ものさみしい思いが残ります。【季語】薺の花(三味線草・ぺんぺん草) 【俳句】よくみれば薺花さく垣ねかな 松尾 芭蕉 妹が垣根さみせん草の花咲ぬ 与謝 蕪村 首塚に入鹿贔屓のぺんぺん草 津田 清子【三行詩】薺(ナズナ)は春の七草・新…
2024年1月31日(水) 永井隆著「究極にうまいクラフトビールをつくる、キリンビール異端児たちの挑戦」読了。 話を面白くするために、やや盛り過ぎの箇所もあるが、ま、目くじらをたてるほどでもない。登場人物8人の中では1987年入社の技術屋、田山智広さんは知っている。 本書の内容は、クラフトビールの殿堂、スプリングバレー東京が、2015年4月17日、代官山にオープンするまでの、約3年半の軌跡を描いたドキュメント。 偶々であるが、スプリングバレー東京は、本日から春先まで店内リニューアルのため休業の由、春になって再オープンしたら訪ねてみよう。
ゲームボーイ「スーパーロボット大戦」(初代) 石川ひとみ「くるみ割り人形」 芥見下々「呪術廻戦」 スーパーロボット大戦 シベリアのシャーマン(呪術師) (Wikipedia引用 ①) シャーマンとは: トランス状態に入って超自然的存在(霊、神霊、精霊、死霊など)と交信する現象を起こすとされる職能・人物のことである。 「シャーマン」という用語・概念は、ツングース語で、呪術師の一種を指す「šaman, シャマン」に由来し、19世紀以降に民俗学者や旅行家、探検家たちによって、極北や北アジアの呪術あるいは宗教的職能者一般を呼ぶために用いられるようになった。 その後に宗教学、民俗学、人類学などの学問領域…
2024年1月22日(月) ビジネス本はめったに読まないけれど、このところ紀行文ばかり続いたので、気分転換に。 永井隆著「キリンを作った男 マーケティングの天才・前田仁」読了。 自伝の自費出版ならともかく、キリン社にジャーナリストに伝記を書いてもらえる社員が居たことに吃驚。タイトルはやや大袈裟だが、、。前田仁氏は本書の刊行(2022年5月30日第1刷発行)を見ることなく、2020年6月、享年70歳で逝ってしまった。 本書で前田仁氏は、ハートランドを手始めに、一番搾り、淡麗、淡麗グリーンラベル、のどごし生、氷結と、メガヒットを連発した伝説のマーケターとして取り上げられている。著者はビール産業の取…
◎金曜日のNHK「あさイチ」のゲストは朝の連続テレビ小説「ブギウギ」で淡谷のり子を演じている菊地凛子さんでした。平均年齢16歳の特攻隊員の前で”別れのブルース”を歌うシーンのお話の時に、「徹子の部屋」で淡谷さん本人がその現場を語るシーンが流されました。歌っている途中で呼び出された少年は、立ち上がると淡谷さんに敬礼して出て行ったそうです。 この少年たちが『お国を守った』のでしょうか。この少年たちは戦争を始め戦争を終わらせなかった軍国日本の犠牲者だったのではないでしょうか。あの戦争の『反省』が出来ていない政府が、今また日本をどこへ連れて行こうとしているのか国民はシッカリ見ていなければならないと強く…
(淵東) - (新島々) (訪問日: 2023/20/22) 新島々駅を見た後ちょうどお昼になったので、駅の西隣にある喫茶レストラン(カフェ・プレイエル)で昼食、薬膳カレーをいただく。店内の奥には安曇村出身の版画家 加藤大道美術館になっていて、アンティークピアノとかも展示されています。店長の方から新島々駅の名前の由来(もとは赤松駅という名だったが、この先の終点:島々駅が廃止された後に駅名を引き継いだ)とか、旧島々駅舎が最近まで近くに移築されていたとか、松代本営の工事と戦後の進駐軍の話とか、加藤大道と長崎の永井隆との交流とか、いろいろお話を聞くことが出来ました。ちょっと個人的に面白かったのは、こ…
◎先日お茶友さんから頂いたカニシャボテンの鉢。来年の干支は龍。何年か前、もっと大勢のお茶飲み友達が集まった頃のこと。辰年生まれが揃ってました。今は亡き父を最高齢に、次がNさん(故人)、その下が今は山口県の山中住まいのWさん、その下が今も週一くらいで会っているお茶友のSさんでした。 Nさんは園芸趣味があってお花を育てるのがとても上手。カニシャボテンを分けて頂いたことがあって、我が家のは、数年前に数えきれないほどの花をつけた後、息絶えてしまいました。写真の鉢は、SさんがNさんからもらった株を大事に増やしたもの。可愛い小さな蕾が見えます。 ◎捨てきれずに取っていた新聞切り抜きから、まず12月2日の記…
【週末息子と見る映画】のKONMA08がお送りする自己満足ブログ 【08映画缶】 間もなく開演です!! No.921 【マジンガーZ INFINITY】(2017年作品) 今回はチラシとパンフレットです。 《解説》 世界消滅の時、魔神 現る。 1972年に誕生しアニメの常識を根底から覆した【マジンガーZ】。希代の天才永井豪が考案した《乗り込み型ロボット》という全く新しいアイデアで生み出された本作は日本のみならず世界中で爆発的なヒットを記録し現在もなお色褪せることなく愛され続けている。そして今――長きに渡る眠りから蘇る本作は世界先行公開としてローマ国際映画祭でのワールドプレミアを日切にイタリア、…
以上、『「されどわれらが日々」より 別れの詩』(1971:森谷司郎)より きょう11月17日は、山口崇(やまぐち たかし)さんの誕生日です。1936年生まれの87歳になりました。おめでとうございます。兵庫県三原郡阿那賀村(のちに西淡町→南あわじ市)出身。所属事務所はオフィス天童。俳優・テレビ司会者・長唄三味線奏者・民話研究家。本名:山口岑芳(たかよし)。1965年に結婚した平尾桂子(女優→長唄・杵屋巳貴)との間に、長男・山口太郎(長唄唄方・杵屋巳津也)と長女・山口由紀(長唄三味線方・杵屋巳織)ともう一人、孫5人。 東京都立戸山高等学校卒業、早稲田大学教育学部英文科3年中退、同学部学生自治会委員…
以上、『長崎の鐘』(松竹大船1950:大庭秀雄)より 『長崎の鐘』(松竹大船1950:大庭秀雄)を、国立映画アーカイブ(NFAJ)長瀬記念ホール OZUにて見る。「月丘夢路 井上梅次 100年祭」特集の1本。310円。 長崎の鐘(94分・35mm・白黒) 長崎医大で放射線の研究をしていた永井博士の手記をもとに、占領下で初めて原爆を題材として製作されたメロドラマ。中国戦線から復員した永井(若原)は、敬虔なカトリック信者であるみどり(月丘)との結婚を機に結核の集団検診に身を捧げる。原爆の犠牲となる夫人役を演じた月丘の凛とした眼差しに、知性を兼ね備えたスター性が宿る。 (以上、国立映画アーカイブの解…
ランキング参加中読書 長崎に原爆が投下された当時、秋月辰一郎医師は、長崎の浦上第一病院の医長でした。秋月医師は、自らも被ばくしながら、多くの人の治療に当たりました。特に有名な逸話は、自然塩を多く使った玄米おにぎりや、塩辛い味噌汁を摂ったことにより、彼自身や彼の患者たちは原爆症にならなかったという話です。 爆心地に近ければ近いほど、外観に損傷もなく、火傷もないにもかかわらず、一昼夜にして死んでしまう状況について、当時、秋月医師にしても、長崎医科大学の教授陣にしても放射線の知識はなかったのでよく理解できなかったそうです。よって、よほどひどく頭や胸を打撲したのか、という程度にしか思わなかったわけです…
これは戦後を迎えてのことだが、ゾルゲ事件で獄中にあった尾崎秀実が妻の英子と娘の楊子に宛てた書簡集『愛情はふる星のごとく』がベストセラーになっている。それは昭和二十一年からのことで、出版ニュース社編『出版データブック1945~1996』のベストセラー表をたどってみると、昭和二十一、二十二年、いずれも第二位、二十三年が第一位で、トータル部数は定かでないけれど、二十一年は十二、三万部の売れ行きだったとされる。ちなみに同時代のよく知られたベストセラーは太宰治『斜陽』(新潮社)、永井隆『この子を残して』(講談社)である。 手元にある『愛情はふる星のごとく』は昭和二十二年十一月第四刷で、B6判並製、二八三…
2023年10月18日水曜日はれ /*36・5度です。自分で自分を『婆あ』というのは止めましょうね。ほんとに婆さんになりますよ。若くて優しい「母ちゃん」でいてください。*/ 会社の先輩だった人が亡くなった。84歳。 午前中、家人、眼科医院へ行く。待てど来ず。3時間以上来ず。 診察結果は「左目が立派な白内障です」とのことだった。彼女、手術の予約まで済ませて午後2時近くに帰宅。 /*出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 * ホロコースト (ドイツ語: Holocaust、英語: The Holocaust、フランス語: La Shoah、イディッシュ語: חורבן אי…