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足利義視

社会

足利義視

あしかがよしみ

1439年3月3日〜1491年2月15日

第6代将軍の足利義教の第10子。第8代将軍の足利義政の弟。子に第10代将軍となった足利義材足利義稙)がいる。天台宗浄土寺門跡として出家し、義尋を名乗っていた。将軍位をめぐって対立して応仁の乱を引き起こし、乱後は美濃亡命した。甥の足利義尚と兄の足利義政の死後、子の足利義材足利義稙)を第10代将軍に擁立して自らは後見人として幕政を牛耳った。