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追儺

(一般)
ついな

鬼やらい。(追儺の「儺」はこれ一字で「鬼やらい」の訓と意味を持つ。) 所謂、節分の「鬼はァ〜外、福はァ〜内!」って奴である。
元々は、昔の旧暦=太陰暦での正月1/1である、現行の太陽暦での2/3に、一年間たまりに溜まった埃や疫病菌〔ウイルス〕、悪運や禍い・災厄を方向づける諸因縁、貧乏神に疫病神、腐った人間関係(=腐れ縁)、…等々を清算し、禊いでしまって、これからの一年間は新しく生まれ変わった気持ちでやり直そうというもの。
まともな薬が中々手に入らず、普段、栄養価の低い食生活を送っていた昔の人々は極寒のこの時期、特に病気に罹りやすく、かつまた罹った病気を拗らせ勝ちだったため、高蛋白の大豆を炒って・浪費するように撒き散らし、「少なくともその先行散財分はどうか傷病を免除してくれ」という、迷信にも縋った一例である。
中国大陸より7世紀ごろ伝来した。その頃は「追儺方相氏」が矛と楯をもって竜天や毘沙門天と化して疫鬼を追い払う朝廷の年中行事だったものが、「そんな有り難い儀式であるなら」ということで民間にも普及し、夜間に豆を撒く形態へと変化していった。
本式を味わいたいなら、3月上旬の夜間連日で催される東大寺2月堂のお水取り;本称「修正会」で花火にはない厳正な火祭りの迫力を体感して火の粉を浴びるか、もしくは年明け早々から愛知県北設楽郡の村々で執り行われる「花祭」で夜通し、眠い目を小擦りながらMr.ビーンのように合唱に参加したり、掛け声で囃したり、顔に泥を塗られたり(→本当は味噌!)の“試練”〔イニシエーション〕が必要だ。
何といっても“再生儀礼”であるので。
また近年、静岡県浜松市八幡町の浜松八幡宮において2/2夜に、京都の吉田神社から伝授を受けた方相氏が赤・青・黄の三匹の鬼を矛・盾で追い払う方式を再現している。

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