60年代における学生運動の退潮や倦怠、嫌悪感から 政治的イデオロギーから距離をおきはじめた(当時の)作家や評論家をさす。 1971年に文芸評論家である小田切秀雄が使い始めた。 主に自らの実存や在り方を内省的に模索したとされる。
古井由吉、黒井千次、後藤明生、阿部昭、小川国夫、
秋山駿、柄谷行人、饗庭孝男、川村二郎
みなさん、こんにちは。眼鏡堂書店です。 この眼鏡堂書店では山形県東根市を中心に月に1回、1冊の本を読む読書会を開催しているのですが、先月迎えた1周年を機に、読書会のやり方そのものにいろいろとテコ入れをしている最中です。特により多くの人に読書会に参加していただきたいと考え、課題図書形式から自由に持ち寄る形式へとチェンジしていきます。 リニューアルしての読書会は来年から、と考えておりますのでしばらくお待ちください。 さて。 眼鏡堂書店の選書のモットーとして、「もっと読まれてもよい本」というものがあります。そんなわけで、読書会とは違ったベクトルで皆様に知っていただきたい本を、眼鏡堂書店が所蔵するなか…
トルーマン・カポーティは「ぼくはアルコール依存症だ。ぼくはドラッグ中毒者だ。ぼくは同性愛者だ。ぼくは天才だ」と宣言(?)した。私自身も、自分がこんなにも生きづらい思いをしてアルコール依存症に陥り、不幸のズンドコに陥らなければならないのは自分が天才だからではないかと思ったこともあるのだった。「選ばれてあることの恍惚と不安と二つ我にあり」……今日、ランチタイムにこの考えを弄んでみた。自分は天才ではないか……だがこの考えは自分にしっくりくるものではなかった。やはり自分は天才ではない。かつて松本人志が、ゴールデンタイムのテレビ番組で自分の信じる笑いを追及していた頃週刊誌のコラムで物議を醸す内容の文章を…
今日は休みだった。朝、イオンに行きそこでいつものように本を読もうとする。しかし、本は私に何も語りかけてこなかった。そこに書かれていることを私はもう理解できないのではないか、とさえ思った。もちろん、本がくだらないとかそういうわけではない。本は立派な著者の仕事の成果だ。だが、私自身がそうした成果を理解できない状況だった。そんな時に読める本は決まっている。私にとってはフェルナンド・ペソア『不安の書』であり、古井由吉『仮往生伝試文』『野川』『白暗淵』といった本だ。グループホームに帰り、そうした本を引っ張り出してきた。『不安の書』を読み始める。それと並行して、メモパッドにいつもやっているようにその時思っ…
お見かけしたことはあっても、ご縁があったとは申せぬ作家たちがある。 文藝春秋の雑誌で黒井千次さんが「学生たちに聞く」という企画があって、その「学生」の一人になったことがある。一九六九年か七〇年のことだ。黒井さんはまさに売出しの新進気鋭作家だった。仲間から誘われた私は、へェ黒井千次に会えるのかァくらいのまさしくミーハー的動機で出かけていった。TBS 社屋一階にあった「トップス」という喫茶店だった。 時あたかも学園紛争さなか。話題は当然その方向になるだろうと予想して、埴谷雄高の評論集を何冊か、付け焼刃で読んでから出かけた記憶がある。だがそういう噺にはならなかった。 お会いしたといっても、主役とエキ…
『対談 日本の文学 素顔の文豪たち』 『対談 日本の文学 わが文学の道程』 『対談 日本の文学 作家の肖像』 『対談 日本の文学 素顔の文豪たち』 対談 日本の文学-素顔の文豪たち (中公文庫 ち 8-16)中央公論新社Amazon1960年代後半に刊行された中央公論社の80巻にわたる文学全集の月報に載っていた対談・座談を全三巻に再編集したもの。この巻では作家の親族が参加したものをメインに収録している。一篇が手頃な短さで家族から見た作家のエピソードがたくさん読めてなかなか面白い。目次が重要なのに中央公論の公式サイトには何にも載ってないのでhontoをリンクする。公式が一番情報ないのなんなの。 …
ここ最近、本格的に体力と気力の衰えを感じる。これも歳をとったせいなのだろう。過去、20代や30代の頃のことを思い出す。あの当時、ぼくは村上春樹の小説に登場するような「人生のレールから降りた」人に憧れていた。最近だと『街とその不確かな壁』にも登場するような、世界で進行し続けている競争(浅田彰の言葉を借りれば「パラノ」な、「追いつけ追いこせ」という社会)から「ドロップアウト」してしまい自分の居場所を見つけた人ということになる。そんなボヘミアンでアウトサイダーな生き方に憧れた。10代の頃はさすがにまだ「成功」を夢見て「大志」を抱いていたところはあったと思う。「作家になりたい」「出版に携わりたい」「翻…
阪本順治監督話題のウンコ映画『せかいのおきく』を見る。先日自分という人間にはつくづく「せ」とつくものが欠けていると思ったが、なんとこの映画も「せかい」を始め、真木蔵人が「せ」のことでウンウン堂々巡りしていて大変感動した。もう声の出ない黒木華と子供たちがいる場というのが、さらに良い。この坊さん役は殿山泰司、田中小実昌の系譜にいるかもしれない。 問題作『弟とアンドロイドと僕』でも自転車に乗ってカーブを回るヘンテコなスローのカットがあるけど、本作のラストカットもそれまでの立派さに比べて相当な変化球だが、いや、この外し方が「せ」のつく台詞や主題とも合ってて、そこにも感動した。黒木華の肌の色が忘れられな…