「Kidnappers free two Japanese in Iraq」 @reuters
「小泉首相、ファルージャの事態改善を米に要請していた」 @asahi
政府の必死の自己宣伝と写るのは、偏った見方だろうか
こういう報道 (政府の見解のタレ流し) や近視眼的な事件報道ばかりでなく、 ファルージャで起こった事の経緯をきちんとまとめるようなことを、 新聞社とかメディアはしないのかな
この状況で首相に (めでたく皆が忘れてしまった) 大量破壊兵器が見付かってないという事実を正そうとする「記者」は 一人も居ないのか、日本には
よもや、今のデリケートな状況を察して気をつかってたりするなんてことは ……ありうるか
記者もサラリーマン?
全部積み残し、それでも日本は回る、喉元過ぎれば…というこの状況は、 究極的には自分たち国民の責任 (無責任) なんだろうけれど
「影響力強める宗教者委員会、日本政府の対応に不満」 @asahi
「イスラム宗教者委員会」は "the Islamic Clerics Committee"
「「日本政府は解放望まず」 クバイシ師が痛烈批判」 @yahoo
#98 より e-mail
yet another postdoc なんだけど、 何も無いより much better
「2004.02.06 国立大学はどこへ行く」 @せと☆ひでき
ふと見掛けて、ちょっと、あれっと思ったこと
引用大学間の異動が「転勤扱い」ではなく「新規採用扱い」にされようとしている事です。 これは退職金を安く抑えようとする意図なのだと思いますが、 そうすると誰も大学を移らなくなってしまうでしょう。
法人化の話で、国立大学の教員の意見によく感じる、 じゃぁ私立大学はどうなんだって事なんだけど
4/1 以前、国立大学から私立大学に異動する場合は「転勤扱い」になったんだろうか、と
なったなら 4/1 以降、上述のような変更が起こるとも思えないので、 きっと「新規採用扱い」なんだろうな
それで誰も国立大から私立に移らなくなったんでしょうか (年寄りが移るのは別として)
こういうのを既得権と言わないで、何を既得権と言うのだろう
← 8/5/2005
← 4/17/2004, 7/14/2003, 7/11/2003, 7/8/2003, 7/1/2003, 6/19/2003, 6/2/2003, 5/30/2003, 5/29/2003, 5/22/2003, 5/19/2003, 5/13/2003, 4/16/2003, 2/26/2002 →
「第九百四十七夜【0947】04年3月12日 岡潔『春宵十話』」 @千夜千冊
引用の引用
私はなるべく世間から遠ざかるように暮らしているのだが、 その私がこの春の宵に急に何かを話そうと思ったのは、 近頃のこの国の有様がひどく心配になって、 とうてい話かけずにはいられなくなったからである。
国も人もあまりに成熟を急ぎすぎている。 何事も成熟は早すぎるより遅すぎるのがいいのに決まっているのに、 これではとんでもない頓珍漢である。 (cf.6/18/2004)
また、どうも直観を大事にしなくなっている。 直観というものは直観にはおわらないもので、 直観からそのまま実践が出てくることがある。 (cf.1/17/2005)
そこに春泥があることを温かみとして沛然と納得するごとく、 何事もなかったかのように何かをすること、 それがおこなえればそれが善なのだ。 (cf.1/26/2001)
人と人のつながりなど、 最初につながりがあると思ったら、 そのままどこまでも進むべきなのだ。
日本はいま、子供や青年たちに「自分」ということを早く教えようとしすぎている。 こんなものはなるべくあとで気がつけばよいことで、 幼少期は自我の抑止こそが一番に大切なのである。
仏教では、この「わからない」という知覚の一レベルのことを 「無明」(むみょう)というけれど、 この無明を連発するようになるようなら、 その人もその人が所属する社会も、混乱するか、 自分主義の社会になる。 たんに「わからない」と言わないで、 「無明」に謙虚にむきあって「無明の明」を知るべきだ。
童心というのは、伏せているものがはじけるように出てしまうものなのである。 満月を見ているとおのずからこみあげてくる微笑のようなもの、 幾つになっても蕾みが膨らむようにはじけて出てくるもの、 それが童心である。 これがなくては発明も発見もない。
私はこれまで11の数学論文を書いてきたのだが、 そのいずれの場合も、その研究の途中、 どこかで夢中に童心状態になっていたことを確認できる。 必ず、伏せられていたものが本当に明るみに出てきてくれたのだ。
ところがいまの風潮は、都合の悪いことだけを伏せるようになっている。 みんな、都合のいいことしか喋らない。 いや、それしか喋れない。 これはいったいどうしたものか。
私は数学をやってきて、 独創というものがつねに「知」と「未知」の“あいだ”にだけおこることを知ってきた。 この“あいだ”に行くには、第1には「知」をもっと動ける状態にすることと、 第2には「未知」を何かで感じられるようにしておくという、 この二つのことが必要になる。
気に入った (theorem に追加)
しかしこれらの言葉はいつの「日本」に対して書かれたものなのだろうか、 今この瞬間にまさにぴったりな言葉ばかり
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4/17/2008: 松岡さん。
「2004-04-16 やってみること」 @hyoshiok
引用:そー言えば、わたしは「行動するエンジニア」になりたかったのである。 評論家(悪い意味だ)ではなく行動するエンジニアになりたかったのである。
4/1/2004 : 本物のエンジニア